第61話 奇跡

 初めての命懸けの戦い。今にして思えば、なんてバカで無謀なことをしたんだろうと思う。

 でも、不思議だ。

 そんな自分を、俺は生まれて初めて誇らしいと思った。

 俺なんかじゃダメだ。親父やおふくろの息子なのに、俺には才能が無い。

 勇者の息子失格。

 皆の期待に応えられない落ちこぼれ。

 そんな俺は、全ての言葉から耳を塞ぎ、口汚い言葉を皆に吐き捨てて、生まれ育った故郷を飛び出した。

 そして、今日俺は、初めて自分で自分を……


「……夜?」


 目を開けたらもう夜で……頭が割れる!


「うおぅ、つ……いて……」


 中も外も全部、割れそうになって、実際割れてるんだよ……俺の頭。

 ただ、思わず摩ってみたら、俺の頭には包帯が巻かれていた。

 頭だけでなく、拳や全身にも手当てが施されてる……


「アースぐん……目ぇ覚めただか?」

「……アカさん?」


 俺は星空の下、藁を敷き詰めた上に寝かされ、起きたら焚火をしながら鍋で何かを煮込んでるアカさんが居た。


「アカさんが、手当してくれたのか?」

「いんや、俺ちがうだ」


 てっきりアカさんかと思ったが、じゃあ誰が?


「おでを襲った人間たちの仲間の……娘っ子だ。色んな傷薬塗ったりしてだ」

「……シノブが……」


 あいつが? 随分と念入りに手当てしてくれたもんだ。


「おでを襲った奴ら、信用できね……でも、あの娘っ子……土下座してでも、オデとアースぐんを手当てさせて欲しいつってた……」


 そういや、俺だけじゃねえ。アカさんにも包帯が……そうか……あいつ……


「そっか……」

「あの娘っ子、アースぐんの恋人か?」

「いやいやいやいや、欠片も違う」


 まぁ、ほとんど告白されたようなもんだったけど、結局曖昧になったままだしな。

 いや、確かに美人で、胸は心底残念だけど、そこまで悪い奴じゃなかった。

 それに、女に「惚れられる」なんてことは「初めて」だったから、ちょっとだけ気になったりはした。


「でも、アースぐんに、これ渡してぐれって言ってたど?」

「あん? なんだコレ?」


 そう言って、アカさんが俺に何かを手渡してきた。

 それは、一冊の本のような物で、表紙にはこう記されていた。


「……交換日記?」

「んだ。これ、アースぐんに渡してぐれれば、分かるって言ってたど?」

「交換日記。そういや、そんなこと……」


 恋人ができたらやりたいこと。それは、交換日記をすることだ。

 普段言葉では口にできないことをコッソリ二人だけでやり取りする。

 そして、ノートの端に小さく「好き」とか書かれていたら俺は飛び跳ねてベッドの上で悶えるだろう。

 それぐらい、俺にとっては「街でデート」に並ぶほど神聖なる行いだった。


「つっても……あいつ、別にそういう仲でもないしな……なにやってんだか……」


 俺は呆れたように日記を捲ってみた。

 すると、その最初のページにいきなり、ページを埋め尽くすほど言葉が書かれていた。


「うおっ!? な、なんだ~? ええっと……『君の名前は聞きました。でも、まだここで君の名前は書きません。何故なら君の名前は正式に自己紹介をして、君の口から改めて教えてもらってから、君の名を呼びたいので。さて、君の雄姿を見せてもらいました。そして、君が本当にオーガと友情を結んでいることも。私も兄さんも、そしてチームの仲間たちも己の小ささ、そして君の友達には謝っても決して許されないほどの過ちを犯してしまったことを深く反省し、後悔し、君にも申し訳なさでいっぱいです』……なんだ、真面目な謝罪だな」


 交換日記というか、手紙みたいな、そして謝罪文のような感じだな。


「んだ。その子はおでに何もしてねーけど……ほんどに申し訳ねーって言ってだ」

「ふーん」


 ちょっと、変な性格だったりカチンとするところもあったが、悪い奴ではないんだ。

 このメッセージからもあいつの気持ちは伝わってくる。

 だが……



「えっと……ん? 『さて、もうすでに理解していると思いますが、私は君に惚れました。正直、今すぐにでも一線越えたいです。もし君がその気であれば呼んでください。二秒で駆けつけます』……を、ヲイ、コラ……」


「あは。急に恋文になっただな。アースぐん、モデモデだな。甘酸っぱいだな~」


「アカさん!」



 急に不意打ちのように告白……恥ずかし嬉し恥ずかしいかも……で、アカさんもニコニコしてるし。


「ったく、あの女……あ~、なになに? 『でも、君がもっと互いに親睦を深めてからというのが望みであるのなら、私はそれを尊重したいと思い、まずはこうやって互いを知ることから始めさせて戴けたらと思います』……か……まったく、ほんとあいつは~……ん?」


 少し照れながらも、あいつが真剣に俺と距離を縮めようという不器用な心遣いになんだか変な気持ちになった俺が、そのままページをめくると……


・生年月日は?

・ご家族は?

・最終学歴は?

・好きな科目は?

・将来の夢は?

・趣味は?

・食べ物の好き嫌いは?

・好きな女性のタイプは?

・初恋は何歳?

・女性とどこまで経験がある?

・デートをするならどこがいい?

・最初のデートで手をつなぐのはあり?

・好きな下着の色は何色?

・ブラジャーとさらし、パンツとふんどし、好みはどっち?

・キスは何回目のデート?

・手を繋いだりキスを女から求めるのはあり?

・互いに処女と童貞だけれど、卒業はいつ頃?

・初体験で憧れるシチュエーションは?

・大きい胸は嫌い。むしろ邪魔でしょ?

・慎ましい胸が好きでたまらない?

・胸はむしろ無い方がいいでしょ?

・結婚は何歳に?

・プロポーズは男から? 女から?

・住むならどこがいい?

・部屋の大きさは? 寝室は同じでダブルベッドは絶対に譲らない。

・子供は何人欲しい?

・子供の名前は?

・子供に習い事をさせるなら何?


 これ……まだ、半分以上も残ってるんだが?

 あれ……なんか、ものすごい質問と空白の解答欄が用意されて……え? なに? これ、俺に書けって?


「こ、こわい。こわいこわい! 何これ? つか、質問何個あるんだ? って、最後の方には……お墓を建てるならどこ? なにこれ!? こえええ!」


 急にゾッとして寒気がした。いやいや無理無理!


「すげーな、アースぐん! やっぱすげーな!」

「アカさん、これ褒めるところじゃないから! あの女が少し、てか、かなり変だから!」


 ちょっとだけ、あいつにときめきかけたけど、もう恐怖が出て来た。

 これ以上、日記を読むのは怖いと判断して、俺は日記を閉じた。


「で……その、肝心のシノブや……あいつらは?」


 ボロボロになったアカさんの家や畑の残骸はちょっとは片付けているが、あいつらの姿はもうどこにもない。

 とりあえず、俺が倒れている間に、アカさんを再び攻撃とかそういうことになってなくて安心したが、あの後にどうなったかが気になる。


「あいづら、山を降りただ……あの娘っ子や他の連中も、アースぐんの勇敢な姿に心を打たれたって……自分たちが愚かだったって言ってただ」

「へぇ……」

「おでの家とか、畑とか、償わせて欲しいっつってたけど……でも、いらねって言った。もう、ほっどいてぐれって」

「……そうか……」


 今さら謝罪をされても仕方ないってことなんだろう。

 だから、アカさんも仕返しをしない代わりに、もう関わらないでくれってことなんだろう。

 それに……


「それに、おではもうここに住むことねえ」


 アカさんはそう言ってニッと笑い、俺はそれが嬉しくて、俺も笑った。


「ああ、だな! 世界を、回るんだもんな?」

「んだ!」


 俺が倒れる前に言った提案。

 俺とコンビを組んで一緒に世界を旅しよう。

 その言葉をアカさんは受け入れてくれたってことだ。

 それがたまらなく嬉しかった。



「なぁ、どこに行こうか? 俺、帝都から遠く離れたとこは行ったことねえ。知識として知ってるだけだ。本で見たことある、海の底の国とか、雲の上の国とか、いずれ魔界にも行ってみてーしな」


「そが。雲とか海は御伽噺だけど……魔界か……おで、魔王軍やめでがら、一度も帰ってねえ」


「そうなのか? ってか、アカさん魔王軍やめたって……いや……」



 そのとき、俺は思わず聞いてしまいそうになったが、やめた。

 もう、そんなこたーどうでもいいからだ。

 アカさんが自分で語ってくれるまで、俺も無理に聞かねえ。

 過去なんてどーだっていいって、昨日言ったばかりだったから。


「なあ、アースぐん。これからのことは、今日はもういいでねーか?」

「アカさん?」


 すると、アカさんが優しい顔をして、もう今日はこれまでにしようと言ってきた。

 これからどうするか、そういう話し合いも楽しそうだと思ったけど、そう提案された瞬間、確かに俺ももう限界だった。


「だな。俺も、また眠くなってきた」

「そが。腹へってねーだか?」

「あ、いや……実はそこまで……あっ、でも何か作っててくれたなら……」

「いや、疲れすぎて胃に入んねーだろ。スープも明日の朝にして、今日はもうゆっぐりするだ」


 そう言って、アカさんは煮込んでいた鍋の火を消した。

 その瞬間、辺りが一瞬で暗くなるも、それでも俺たちは互いを認識できた。

 星が輝いているからだ。


「今日はアースぐん……ほんど、すごかったからな」

「そうでもねーって……」

「ほんど、ありがとな。んで、ごめんな」

「アカさん……もう、そういうのは無しにしようぜ? 俺がやりたくてやったんだし……」

「……そが……」


 そう言って、アカさんはデカい体でドカンとその場で俺の隣で横になって、互いに夜空を見上げていた。


「……アースぐんは……どして、魔族に偏見ないだか?」

「……アカさん?」

「最初は当然、おでのこと敵だと思ってだのに、でも、すぐおでを信用してくれて……今日、こんなに頑張っでくれた。どうしてだ?」


 隣でアカさんが星を眺めながら、俺に聞いて来た。素朴な疑問を。


「昨日は、大魔王様の弟子って冗談言われたけど……ほんとはどうしてだ?」


 別にトレイナの件は冗談ではないんだがな。

 にしても、俺が魔族に偏見ない? いや、そんなことはない。

 ただ、俺は戦争を経験していないのと、やっぱりトレイナの存在が……それに……


「偏見が無くはねーが……俺は人間だけど……別に人間を心から好きってわけでもねーからかもな」

「え……?」

「そういう意味では、魔族とか人間とか、どーでもよかったんだ……ただ……俺のことを見てくれる人だったなら……」


 言っていて、自分でも悲しくなるものの、それでも俺はそう口にしていた。



「俺は何不自由なく育てられ、良い所のお坊ちゃんで恵まれて……でも、俺は物分かりの悪いガキで……人の期待に応えられない落ちこぼれだったから……」


「アースぐんがか?」


「……それだけ、俺に求められるものは高かった……クラスメートが、世間が、俺のことを「こうあるべき」ってうるさく騒いで……俺に見えない肩書を勝手に押し付けて、それが呪いのように四六時中ついて回り……苦しくて……誰も……『ただのアース』を見てくれなかった」



 俺のこれまでの人生。そして、全て決定的になったのが、御前試合でのこと。



「俺はもう耐えられなくなって逃げたんだ……口汚く捨て台詞を吐いて、二度と戻るもんかって喚いて……逃げて逃げて……そして、迷い込んだ森で……アカさんと会ったんだ」


「……そだったのか……」


「ああ。だから……出会って僅かな時間でも……俺のことを純粋に『スゲー』って言ってくれた人は初めてだったから……魔族だろうと、鬼だろうと……俺も必ず何とかしねーとって思ったんだ」



 まぁ、それも、そもそもトレイナと出会ってなければそういう考えに至らなかったんだろうけどな。

 そうならなければ、俺はまだガッカリ扱いされる評価に妥協しながら、いつまでも帝都に留まっていた。

 でも、ほんのちょっと世間の外に出るだけで、こういうこともあるんだ。

 随分と狭い世界で悩みすぎていたんだなと感じた。



「そっが……おで、十年以上も地上世界に住んでるけど……そう言ってぐれだのは、アースぐんだけだ……アースぐんと会えたの……奇跡みてーだ……」


「それを言うなら、オーガと人間が野宿して星を見ながら横になって喋ってるのは、多分、地上も魔界も含めて世界で俺らだけだな。そりゃ、奇跡だ!」


「そがそが!」



 そう言って、俺たちは笑った。ガキみたいに純粋に心から笑い合っていた。


「さて……今日はもう寝ようぜ……明日起きて……これからのことをいっぱい考えようぜ!」

「んだ」


 なんだかこのままじゃいつまでも話してしまいそうになるから、でも、それはもう明日からにしよう。

 話すことなんていくらでもある。

 でも、今日は流石に俺も疲れて……あ、寝ようと意識したらすぐに……



「そういうの……無しにしようっで言ってだげど……やっぱ、おで……言うだよ」



 ん~? アカさん……なんだ、よ……もう眠いから……



「アースぐん……おでと出会ってぐれて……おでと友達になっでぐれて……おでを助けてぐれて――――」



 あ~、もうだから、これからコンビ組むんだし、いちいちこんなことで、礼を言い合っててもキリねーのに……ほんとアカさんは……








――アースぐん、ありがとな








 ん? 眩しい……?



「え、ん? まぶし……え? うおっ、もう朝!?」



 アレ? さっき寝たような気がしたのに……


「やっべ、一瞬で寝落ちしちまった……うわ、もう太陽が……」


 少し目を閉じただけのつもりが、もう朝になっていた。

 太陽が燦々と照り付けて、鳥の囀りも聞こえる。

 しかも、早朝って感じじゃなく、これ、かなり寝坊したような……



『それだけ疲れていたのだろう』


「うおっ、トレイナ!?」



 そういや、昨日の夜はアカさんと話をしていたから、トレイナをほったらかしにしてた。

 あれ? 拗ねてる?

 寝起きに見たトレイナはやけに真剣な顔をしながら座り、ジッと何かを見ている。

 それは、昨日結局食べずにそのままにしていた、アカさんが作っていたスープの入った鍋だ。


「トレイナ、どーした……ん? 何だこの紙は?」


 鍋の蓋の上に、何かが置いてあることに気づいた。

 それは、一枚の紙。

 こんなの、昨日あったっけ?


『童、それは貴様宛にだ』

「えっ? 俺に?」


 何のことか分からずその紙を取ると、そこには「アースぐんへ」と書かれていた。

 手紙?


「なんだこりゃ? ……って、そうだ、アカさんはもう起きて……え?」


 俺はそのとき、手紙より、俺の横で寝てたアカさんはどうしてるかと思って隣を見た。



「……あれ? ……アカさんは?」



 だが、そこにはもう、アカさんの姿はなかった。

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