第45話 幕間(母)

――何があっても、アースを見つける! 俺は帝都の外まで出るが、マアムは念のため一度屋敷に戻ってくれ! ひょっとしたら、アースが一回立ち寄るかもしれねえ!


 そう言って、ヒイロは駆け出した。私たちの最愛の息子を連れ戻すため。

 本当は私も一緒に走り出したかった。

 でも、ヒイロの言うように、アースが一度屋敷に立ち寄ることも考えた。

 そのまま飛び出したアースの荷物や財布は、闘技場の控室に置きっぱなし。

 お金も何も持たずにそのまま帝国の外へと飛び出すことを躊躇して、ひょっとしたら一度屋敷に戻っているかもしれない。

 でも、そんな淡い期待は屋敷に戻った瞬間、崩れてしまった。


「帰って……ないわね……」


 屋敷に戻ってみても、特に何の変化もない。

 サディスが毎日綺麗に掃除をしているから、何一つ散らかっていない。

 今朝も、闘技場へ来る前にきっと一通りの家事を済ませてから来たはずだもの。


「マアム様……その……サディスさんを……」

「空いてる部屋に寝かせて。サディスも起きたら大変だろうけど……」


 一足早く屋敷に戻って部屋中を探し回り、それでも見つからず、立ち寄った痕跡も無い。

 それを分かってしまい、綺麗に整理整頓されているアースの部屋で唇を噛み締める私のもとへ、意識を失ったままのサディスの介抱を任せた部下の戦士たちがようやく追いついた。

 でも、結局私はアースに追いつくことはできなかった。


「……アース……一体どこに……あんたに一体何があったの?」


 今でも夢ではないかと思いたくなるわ。

 御前試合。これまで、アカデミーの先生やサディスから、『人づて』で聞いていたアースの戦いとはまるで違う、剣すら持たない体術を披露。

 その動きは、私たちの想像を遥かに超える力と技術を持ってリヴァルを翻弄し、そして最後の最後に見せたあの技……


「ううん……そんなことじゃない……そう……そんなことじゃ……」


 そう、私が考えなければならないのは、そんなことじゃない。

 アースがどうしてあんな力をとか、そんなの今はどうでもいいこと。

 私がもっと考えなければいけないのは……



――こんな苦しい思いをするぐらいなら……勇者の子供なんかに生まれたくなかったよ……


「うっ、うう、うううううううう!!!!」



 アースは、私たちの知らない所で、私たちの息子であることを、ずっと苦しんでいたの?

 確かに、そういう話は聞いていた。

 アカデミーに入り、フィアンセイちゃんに勝てなくて、フーやリヴァルのような特出した何かが無いことで、少しコンプレックスを抱えていると、……『聞いていた』。

 でも、私は『聞いていた』だけで、何をした?

 苦しくて、悔しくて、自分が憎たらしい。

 私は……


「アース……」


 涙が止まらない。

 この部屋には……十年以上のアースの思い出が詰まっている……この部屋に入るだけであの子の匂いがする。

 だけど、ここにあの子は居ない。

 あるのは、毎日サディスが綺麗にしているあの子の……ん?


「あっ……」


 そのとき、私は部屋のクローゼットに掛けられていた服を見た。

 それは、アカデミーの制服。


「制服……そういえば、あの子が入学するときは、下ろし立ての制服のサイズがちょっと大きくて、皆で笑っ……ッ!?」


 そして、私は制服を見てあることに気づいた。 

 アカデミーの制服は、生徒によってサイズが違う。

 そして、アースは「どうせすぐに背が伸びるんだ」なんて言って、少し大きめのサイズを注文した。

 その時、私はたまたまサディスからその話を聞いていたから、制服のサイズのことは知っていた。

 でも……


「違う……入学したときに着ていた大きめのサイズより……もっと大きくなってる……あ……」


 どうして制服のサイズが変わっているのか? 一瞬分からなかったけど、そんなの簡単なことだった。

 アースが大きくなって、制服のサイズが合わなくなったから、また新しい制服を下ろしたんだ。


「そっか……アース……あんた……こんなに大きくなってたのね……こんなに……」


 そう、私はそのことを知らなかった。

 そして、気付いてすらいなかった。

 なぜ、気付かなかった?

 私がアースを見ていなかったからよ。


「私は……そんなことすら……見ていなかったのね……気付いてなかったのね……」


 親失格……当然ね……


「だから……あんたが何に苦しんで……何に悩んで……何があったのかも分からなかった……」


 普段あまり会えなくても、親子だから繋がっている?

 繋がっている気になって、何も見ていなかった私に……私たちのどの口が言うのよ。


「私たちの子供なんだから何があっても大丈夫……ふっ……何言ってんのよ、私は……アースのことを自分とヒイロを重ねてしか見てなかった……アースは私ともヒイロとも違う……アースは……アースなのに……」


 だから私は……



――俺はただ……一度でいいから……父さんに……みんなに……勇者の息子としてじゃなく……俺を褒めてもらいたかった……それだけだったんだ


「実の息子に……最愛の息子に……あんなことを言われ……いいえ……私たちが、アースに言わせてしまった!」



 どうして、アースにあんなことを言わせてしまったの? 

 こんな形で、ようやく……アースを失って気づくなんて……何が勇者よ! 何が英雄よ! 


「ごめんね……アース……ごめんね……普通の親にすらなれなくて……ごめんね……」


 世界を救って……仕事だ平和の世を守るだと言って……手にしたはずの幸せを守れなかった。


「坊ちゃま! はあ、はあ……坊ちゃまッ!!」

「ッ……サディス……」


 そのとき、乱暴に開けられた扉にハッとした私の前には、顔を蒼白させて震えるサディスが立っていた。


「サディスさん、……今は少し休まれた方が……」


 起きてすぐに来たようね。

 そして、今のサディスに私の部下の声なんて届いていない。

 サディスも色々と思いだし、そのうえで……


「奥様……ぼっちゃまは……」

「……私たちに見切りをつけて行ってしまったわ」

「ッ!?」


 その瞬間、全身を震わせながらよろめくサディスに、私はかける言葉が思い浮かばなかった。

 そう、全ては私とヒイロの所為。

 そしてサディスは……


「私は……何を……叫んで……坊ちゃまを……私が……」


 サディスが何を思っているのか、痛いほどに分かる。


「今日という日のために……一人で……黙々と努力を重ねた……坊ちゃまに……わ、たしは……」


 自分の所為だと、激しい後悔と罪の意識に囚われてしまっている。

 でも……


「死ぬほど泣いて座り込んでも……あいつは帰ってこないわよ」

「ッ……あ……あ……」


 泣いている場合じゃないのよ。サディスも。私も。


「後悔して泣きながらでも……足は動くんだから……私もあんたも……ヒイロも」

「おく……さ…………お姉ちゃん……」

「たとえ許されなくても……償いを考えながら、今はまず追いかけるのよ」


 今は追いかけなければいけない。

 私たちは。


「……はい……」


 たとえそこが、どこであろうと。


「アースは帰ってきてないか!?」

「お邪魔します、あの、アースは!」

「街にはどこにも……家には戻ってませんか!?」


 と、また騒がしく……この子たちか……



「フィ……姫様……フー……リヴァル……」


「マアム殿、今……帝都全体が厳重警戒態勢になって外に出れず……だから、帝都内を隈なく探したんですが……あいつは……」



 顔を真っ青にして……お姫様も何があったのか分かっていないけれど、アースが居なくなったという事実に落ち着いて居られないってことね。

 思えば、この子の気持ちを知っていて……だから、私もヒイロもソルジャも……できればアースとって……その時点で、ダメよね。

 アースのことを何も見ていなかった親失格の私たちが、アースとこの子が結ばれたらなんて……かつて、七勇者として家族のような絆で結ばれた私たちが、本当の家族になれるんじゃないかって……『自分たちが嬉しい』ということしか考えなくて……


「あの、マアムさん……」

「アースは……一体、どこへ……どうして……こんな……」


 息を切らせているフーとリヴァル。成長したはずの二人も、今は子供のように不安そうな表情でアースのことを心配している。リヴァルなんて、まだ御前試合での怪我の手当ても碌にしていないのに、必死で走り回って……

 そして、この二人に対しても同じよ。

 私とヒイロはこの二人が『あいつら』と同じような飛び抜けた才能を芽生えさせているという話を聞いて、アースのことを何も知らないのにこの二人と比較して発破をかけるようなことをして……


「知らないわ。どこへ行ったかは」

「そんなっ!?」

「だから! ……知らなくちゃいけないの……私はアースのことを……もう一度……」


 挙げればキリがないほど出てくる親としての過ち。

 それを抱えながら、それでも私たちはアースともう一度会わなくちゃいけない。


 そして……会いたい。


 嘘じゃない。愛しているから。


 アース。あんたは許してくれないかもしれない。


 今さらだと、拒絶するかもしれない。


 でもね、私はそれでも……もう一度……今度こそ……あんたの母親になりたい!


 たとえどれだけの月日がかかったとしても。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る