静物園

 目を開けると、目の前に門があった。辺り一面水に囲われており、濃い霧が立ちこめている。目を凝らすと、かすかに対岸が見えるけれど、そちらへ渡るための手だては見当たらない。

 仕方なく門の方へ向き直ると、男が立っていた。茶色いスーツに身を包んだその男は、恭しく頭を下げた。

「ようこそ」

 柔和な笑みを浮かべるその男は記憶にない顔だったけれど、なぜか懐かしい感じがした。

「こちらは本日、礼威れい様貸し切りとなっております」

 門が少し開かれ招き入れられたので、渋々足を進めた。

 こんなところに居る場合ではないのだ。確か私は、帰りの電車に乗っていたはず。上司のミスで回ってきた仕事をなんとか終わらせて、終電に飛び乗って、偶然空いていた座席について、それから――

「まず右手に見えますのは、かわいらしいパンダの親子です」

 男が指した先には、大きな檻があった。言われるままに覗いてみるが、あるのは乱雑に置かれた草の山だけだった。パンダとは白と黒のモフモフした、可愛い生き物のはずだ。

「おや、休憩中ですかね」

 隣の男は首を傾げていたが、さっと身を翻した。どうやらここは、動物園らしい。

「気を取り直して、次に行きましょう」

 他に人影はない。仕方なく彼についていった。

「左手に見えますのは、大人気のゾウでございます」

 園内にも少しずつ霧が立ちこめてきた。指された方をみると、微かに黒い影が丸まっており、一番の特徴が見えない。

「やはりお休み中のようですね」

 男は苦笑を浮かべると、先に進んでいった。

「続きまして、こちら。フクロウやタカといった猛禽類のコーナーです」

 指された檻には、葉の生い茂った木だけが立っており、やはり肝心の鳥が見えない。

「あちらにいますよ」

 言われるままに上の方へ目を凝らすと、微かに枝が揺れ、ふわふわとした鳥の羽が落ちてきた。

「こちらは少々活動的すぎたようですね。気を取り直して、次へ行きましょう」

 それから先も、案内される檻に動物の姿はなかった。

 これはいったい、どういう事だろうか。

「せっかくご来園頂いたのに、大変申し訳ありません」

 最後の建物の前で立ち止まった男は、深々と頭を下げた。

「しかしこちらには、必ず貴方のお望みの動物がいますよ」

 ゆっくりと扉を開けた彼は、私の手を引いた。

 中は真っ暗だった。足元も見えないほど暗い通路を彼に手を引かれるままに進んでいくと、ライトに照らし出されている檻があった。

「とても危険な動物かもしれません。気をつけてください」

 そっと背中を押されて、一歩一歩近づいていく。

 中には、数羽のペンギンが元気よく泳いでいた。

 たまに水からあがってきて、岩の上で休んではまた水に飛び込んでいく。

 楽しそうなペンギンたちに、笑みがこぼれた。

 暫く眺めていると、一羽がこちらに泳いできた。目の前で止まったそのペンギンは、くちばしを開いた。

「ファーストペンギンはいかが?」


「なにそれ?」

 自分の声に驚いて、目を覚ました。

 窓の外を流れていくのは、見慣れた景色だ。正面に座っているサラリーマンは、心地よさそうに電車に揺られている。

 どうやら私も少し寝ていたらしい。

 何か、夢を見ていた気がする。湖の上に浮かんだ、不思議なところだった。

 なぜ思い出そうとするほど、夢は忘れていってしまうのだろうか。結局思い出せないまま、降車駅がきたので席をたった。

 ただ、白黒の動物に話しかけられたのだけは、なんとなく思い出せた。

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短編集 @_kei_akatsuki_

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