愛が重い女冒険者とギルド受付嬢が結婚するまで ☆

「結婚してくれるって言ったじゃんかっ!!」



王都バトリーサ、その中央区に聳え立つ冒険者ギルドの窓口で、とある少女が私に向かってそんな言葉を叩きつけてきた。


ギルドに隣接している酒場の騒々しさをかき消すかのようなその声量に、目の前にいた私は思わず耳を抑える。


酒場で顔を真っ赤にしていた飲んだくれ達も、その少女のあまりの声量に驚いた様子でこちらを向いていた。


ギルド中の視線がこちらに向いていることに気づいた私は、そんなことに気づく素振りも見せずにふんす、と鼻を鳴らしている目の前の少女をどうどう、と宥めつつ、営業スマイルを顔にぺたりと貼り付ける。



「……えーと、それでは換金させて頂きますね。ミノタウロスの魔晶角が三セット、深緑竜の鱗、目玉が一セットずつで……しめて金貨42枚、銀貨20枚、銅貨80枚です。お確かめ下さい」


「エミルさん!!」



業務を全うしようと計142枚の硬貨を手渡そうとするも、その差し出した手をぎゅっと掴みながらテーブルをバンっと力強く叩いてくる栗色の髪の少女。



私の名前はエミル・ハミルトン。

荒くれた無法者や圧倒的な強さを持つ元傭兵、しまいには腕の立つ犯罪者や反王国勢力すらをも統括する、王都最大の中央区の冒険者ギルドで受付嬢をしている。


そして今は業務時間中。仕事をサボれば有無も言わせず減給してくるこの職場で、一冒険者のクレームに一々付き合わされるほど私は暇ではないのだ。


ここは完全なる歩合制、より多くの冒険者を導き、より多くの素材を冒険者から買い取ったものがたくさんの報酬を得ることが出来る。


私は目の前の少女になんのことやら、という冷ややかな営業スマイルを送りながら大量のお金を突きつけた。



「冒険者様、後ろがつかえておりますのでお下がりください。何かギルドに関して質問等がある場合は、西出口付近の相談窓口をおすすめしますよ。……それでは次の方〜」


「……むーーっ!!」



少女の後ろで困った顔をしながら順番を待っていた長身の男を手招きすると、さすがに諦めたらしい少女が西出口の方へ走っていった。


やれやれ、と肩を落としながら少女の背中を一瞥してから、ふいっと視線を長身の男へ向ける。

……おっと、スマイルスマイル。



「大変長らくお待たせ致しました。こちらの窓口では冒険者登録、クエスト依頼、クエスト受注、ランクアップ手続き、素材の換金等が行えます」


「あっ、素材の換金なんすけど……あの、受付嬢さん」


「いかがなさいましたでしょうか?」


「あの、今の女の子って……『竜殺し』と名高い【剣姫】様ですよね?」


「…………ええ、そうですね」



もしかして彼女のファンなのだろうか、どこか興奮した様子で尋ねてくる長身の冒険者に、私は素っ気なく答えた。


そう、実は先程私にクレーム・・・・を入れてきていたあの少女は、実はこの冒険者ギルド随一の腕の持ち主、Sランク冒険者だったりする。



その名をリシュエスタ・ヒューズ。

先日、王国直属の騎士団が束になってようやく倒せるとされるドラゴンを、たった一人で討伐したとして、歩く伝説のような扱いを受けている戦いの天才だ。


ちなみに竜を討伐したというのもその先日だけの話ではなく、最近竜討伐のコツを掴んだのか、莫大な報酬の味をしめたのか、幾度となくそこらかしこの竜を討伐してはこのギルドに換金をせがんでくるようになった。


ついでに言うと、先程換金した深緑竜というのももちろんそんな竜の一種である。



「す、すげぇ〜ホントにあんな小さな女の子だったんすねぇ。ただのウワサだとか思ってましたけど……あ、これっす」


「大層憧れていらっしゃるようで。……こちらC級素材三点で、銀貨一枚と銅貨50枚です。お確かめ下さいませ」


「いやぁ、そりゃ憧れますよ。……ていうか受付嬢さん、なんか仲良さげな感じでしたけど、もしかしてあの剣姫と友達だったり?」



53枚の硬貨を入れた小さな皮袋を受け取りながら、にやにやといらない邪推をしてくる長身の男。


私がここではい、と言えば、「じゃあ紹介してくださいよ」と来るのが定石。今まで幾度となくやられてきた手口だ。


まあ実際、剣姫は男ウケが良さそうな顔をしている。

睫毛は長いし目は大きいし、あざといとすら思えてしまうような表情や仕草を、彼女はごく自然にやってのけるのだ。


それに加えて、度重なるS級素材の収穫により莫大な金は持っているわ、自分が守る必要が無い……どころか、守ってすらくれるほどの絶大なる力を持っているわ……まあこれを魅力に感じない人間はまず居ないことだろう。



それにしたってこんなあからさまな手口で、それも人便りでお近付きになろうだなんて。

やれやれ、これだから男というのは……なんてことを心の中で考えつつ、私は長身の男に向けて首を横に振った。


こういうのは早め早めに否定しておくのが吉なのだ。



「いいえ。全然、全く、これっぽっちも親しくなどありません。よく私の窓口に来るというだけの仲で、冒険者様が求めているような仲では決して――」


「エミルさんって、どうやったらオトせると思いますか!?」


「…………」



はぁぁ、と長い長い溜息を吐き出す。

ここ数日で私の吐きだす溜息の量は一気に増えたような気がする。


目の前で目をきらきらさせる長身の男をあしらってから、私は自分の受付テーブルの上に『休憩中です。隣の窓口をご利用ください』と書かれたプレートを引っ掛けた。


声がしたのは西出口の方からか。


眼鏡をかちゃりと上げてからそちらを確認すると、西出口近くの相談窓口でベテランスタッフを困らせている剣姫を発見した。



ああもう、また私の給料が減るじゃないの、と考えつつも、自分が撒いた種は自分が回収せねばならない、という責任感から私は西出口の方へ足を運んだ。


私が近づいてきていることには気づいていないようだ。後ろにできたビギナー冒険者達の行列を意にも介さずに、相談窓口のスタッフに迫る剣姫。



「もう少しでオトせる自信はあるんです! でもほら、エミルさんって素直じゃないから。最近全然わたしに構ってくれなくなっちゃってっ……!」


「は、はぁ……」


「どう思いますか!? 昨日エミルさんの仕事終わりを待ち伏せして、エミルさんが大好きなミルフィーユを大量に貢いだんですが、その時の言葉聞きます!? 『正直言ってキモイ』、ですよ! キモイって酷くないですか!? 仮にも婚約者・・・に言う言葉じゃないですよ!」


スタッフも相手が剣姫である手前、強くは言い出せないようだ。


まあそれもそのハズ、この少女のギルドへの貢献ぷりは随一。


もしこの娘がこの中央区ギルドの不手際で愛想を尽かして他のギルドへ移転でもされたら、うちのギルドは一溜りもない。


百人のAランク冒険者よりも、一人の剣姫を。それが我がギルドの教訓にすらなっているほどである。



そんな剣姫に強く出れるのは、その当の本人である剣姫に惚れられている私、エミル・ハミルトンくらいのもの。


剣姫の後ろから近づいてくる私の存在に気づいた相談窓口のスタッフが、ほっと顔を綻ばせた。



「ちょっと、聞いてますかスタッフさん! まだわたしのエミルさんのお話は終わってな――」


「いい歳して人様に迷惑かけるんじゃありません!!」


「い、いたぁっ!!」



調子に乗って他の人へ迷惑をかけている剣姫のつむじに正拳突きを放つと、彼女はそう呻きながら両手で頭を抑えた。


痛いだと? 嘘をつけ、私の拳の方が痛いに決まっているでしょう。

あんた一体どれだけ防御力のステータス値高いのよ。私の拳が割れるところだったでしょうが。



そうやって心の中でぶつくさ文句を言う私を見つけた剣姫は、一気に表情を綻ばせて、頭を抑えていた両手を私の方へと突き出し、私の腕と体の間の隙間にすぽっと突っ込んだ。



「エミルさぁーんっ!!」


「……はいはい」



そしてそのまま、私の胸に頬をすりすりと寄せてくる剣姫。

普通にセクハラであるが、まあ同性同士だしわざわざイチャモンつけるほどではない。


だがさすがにしつこくなってきたので、私にへばりついている剣姫をべりっと剥がした。

……いちいち力が強いな、こいつ。



「エミルさんってば、わたしの為に仕事中断してきたの? やっぱりエミルさんもわたしのこと好きだよねぇ〜んふふ〜」


「調子に乗らないでくださいヒューズ様、あと離れてください。あなたが人様に多大なる迷惑をかけているのに気付いて、即刻止めに来た次第です。お願いですから私に手間をかけさせないでください」


「えー、ほんとにそうなの? 仕事めんどくさくなったからとか、わたしにハグしにきたとかじゃなくって? ってか、そのよそよそしい口調やめてよエミルさん、そのヒューズ様ってのも気に入らないなー、わたし。昔みたいにリーシャって呼んでよっ」


「正直もう要件は済んだので、今すぐ持ち場に戻りたいのですがよろしいですか? 今この時間も少しずつ私の給料が減っていっているのですよ」


「もー、エミルさんってばほんとに仕事とお金好きだよね。素直に私と結婚してくれたら、色んなもの買ってあげるのにぃ」


「私が求めているのはそういうのじゃないので。では、失礼しますね」


「えっ、ちょ、ちょっと待ってよぉっ!!」



かなり仕事が出来る方だと自負しているこの私が職務を放棄しているのだ、当然のごとくギルド受付には先程とは比べ物にならない長蛇の列が出来上がってしまっていた。


同僚からヘルプの声が入って、足早にその場を立ち去ろうとする私。

しかしその行く手を剣姫が阻んだ。



「エミルさん、最近なんでそんなにわたしと距離置こうとするのっ? 結婚だって、約束したのにいつになってもしてくれないし……! エミルさんってそういうとこ嘘つかない人のはずだよね?」


「……」


「私は守ったよ、約束! ギルドに入会して三年以内に竜を討伐したもん! ほら、次はエミルさんが約束を守る番だよ!」


「……それは……」



業務に戻ろうとする私の手を掴んで、うるうるとした瞳で私を見つめる剣姫。


周囲から一体どういうことだ、あの竜殺しの剣姫が一介の受付嬢に泣かされているぞ、なんて声が多数耳に届く。


そりゃそうよね、こんな場面見たら、いやでも私が悪者に見えるだろう。

……いやまあ、今の現状的に実際に私は悪者なのかもしれないけど。


私は泣き出しそうな剣姫を見つめ返しながら、三年前のことを思い出していた。

あの時、あの時……私があんな適当な返事さえしていなければ。そう思っても今更遅いのは明確なのだが、やっぱり後悔せずにはいられないわけで。



私は再び長い長い溜息を吐き出し、そしてあの時のことを脳裏に蘇らせた。









「……はぁ。絶対アレ、一人でやる仕事量じゃないわよね……」



勤務一週間目にして、ありえない量の書類の仕分けやありえない量の依頼の確認、その他もろもろ、初心者にやらせるような量じゃない仕事をありえないほど押し付けられた私は、半ば意識を朦朧とさせながら自宅への帰途を辿っていた。



数年前まで都立の魔法士学校に通っていたエリートの私はどこへやら、何故か巡り巡って荒くれ者共が蔓延る冒険者ギルドへの出勤が決まってからというもの、私の人生は不幸続きだった。


ああ、今日も買い置きの惣菜で済ませるしかないわねぇ、なんて十九歳にしてやや中年じみたことを考えながら歩いていると、私の右半身に誰かが衝突する。



「……あっ、すみません」


「っ! ごっ、ごめん、なさ……」



この夜更けに聞くにしては少しばかり高すぎるその声音に、私は少々ぎょっとしながらその衝突した相手を見下ろした。


それは、ぼさぼさの栗色の髪をひとつに束ね、元々は白だったのだろう衣服を汚れで灰色に染めあげたみすぼらしいたった一人の少女だ。


びっくりするほどにやせ細っているのを見るに、浮浪児かなにかだろうか。


疲れからその場で突っ立ったままの私に、少女は可哀想なくらい私に謝ると、まるで何かから逃げるかのようにその場を立ち去っていく。


十一、二歳くらいだろうか。最近初めて出会った姉の娘がちょうどあれくらいだったな、とか、眠気と疲れでぼうっとしている頭でそんなことを考えつつ、私は駆けていく少女の背中を見送った。



こんな夜更けにあんな少女が一人で危なくないだろうか。

少し心配になるも、それに気づいた頃には少女は私の視界の中からとうに消えてしまっていた。



「……まあいいか」



取り敢えず、私は今疲れに疲れているのだ。

明日の勤務に備え、一刻も早く帰宅して一刻も早く眠りにつかねば。

私はうつらうつらとしながら、自宅をめざし足を運んだのだった。



それから三日後、私はようやくギルドの受付を任されるようになった。

……ようやくとか言っているが、正直言って勤務してまだ一週間と三日しか経過していない新人に一人で任せるにしては少々荷が重すぎやしないか、とは思っていたりする。

どれだけ人手が足りていないのだろう。



だが私はそれなりに優秀だった。

そんな不安もどこへやら、冒険者達の初心者への対応が意外と優しかったこともあり、私は難なく受付嬢としてのノルマをクリアして行ったのだった。



そして、本日の私の勤務時間が終わろうとしていたその時。



「あ、あの……」


「……?」



完全に気を抜いていた私に、誰かが声をかけてきているのに気付いた。


私が座っている位置からは姿が見えなかったので、少し立ち上がって覗き込んでみると、そこには小さな少女がおどおどとした様子で立っている。


ぼさぼさの栗色の髪と、灰色に汚れきった服をまとったみすぼらしい少女。どこかでみたことがあるような……。



「あっ。あなたは……前ぶつかった子かしら」


「えっ、と……ごめんなさい。あんまり覚えてない……」


「いえいえ、いいのよ。それでどうしたの? 何か依頼を持ってきたの? お母さんに頼まれたのかしら? 一人で偉いわね」


「い、いや……えっと、依頼じゃなくて……そ、その……」


「?」



長い長い前髪の隙間から、まるで目の前に猛獣でもいるのかというような怯え方をしながら私を見つめる少女。


彼女は数刻躊躇した後、ようやく勇気が出たのか、私が受け持つテーブルの上に置かれてあるシートの一部分を、力強く指さした。



「こ、これ……」


「……? これは……冒険者登録?」



もしかして冒険者ギルドへの入会の手続きをしたいということかしら。


私は逡巡する。


冒険者ギルドというのは基本的に何でもオーケーな場所だ。

ある国から追放された極悪な犯罪者や、戦争に負け亡国となった国から命からがら逃げてきた騎士や傭兵、主人の目を盗んで逃げだした奴隷身分の者、最近だとスラム街出身の少年少女が家族のためにお金を稼ごうと登録しに来ることだってある。



だから、この少女をここで雇うということはルール的には問題のないことだ。だがしかし私は違った。



正直言って、私からすれば冒険者というのはバカの集まりだ。



力や金や名声。そんな命と比べることすらおこがましい陳腐なものに、自らの危険や、時には仲間の命すらを賭ける。


ここにいるAランク冒険者がある時、『冒険こそが男のロマン。それを邪魔することは誰にも許されない』なんてことを言って賞賛され、あまつさえ冒険者名言集という意味のわからない本に掲載されるにまで至ったという事案があったが、本当にバカなんじゃないかと思う。


小さな子どもでも知っている。命はお金で買えないのだ。自分の人生を豊かにするためお金を稼ぐのはいいが、そんなギャンブルのようなやり方で、他の人への迷惑も顧みず……というのはなかなかに理解できない。



特に小さな子供だ。もちろん、冒険者なんて職に就かなければ生きていけないような立場の子どもがいることは知っている。


だが私は彼らに協力しようという気には決してなれないのだ。


まだ勤務一週間と三日目である私ですら、ここの冒険者が魔物に無惨に殺されるのを幾度となく目撃してきた。


だから、私は年端もいかない少年少女が雇用を求めてきた際、生半可な気持ちであることがわかり次第追い出したり、雇用を認めてもFランク以上のクエストの受注を許さなかったりと制限を設けてきた。


もちろんそんなことをすると私に大量のクレームが来るのは避けられない事実で、その度に私は我関せずといった態度を貫き通してきた訳だが……。



「あなた、名前は?」


「り、リシュエスタ……リシュエスタ・ヒューズ」


「…………ヒューズ」



ヒューズ。

聞き覚えのあるその名前に記憶の一端を辿ると、とある修道院の名前が私の脳裏に過った。



そういえば最近、南区にあるヒューズ修道院で、民からの布施を全て自らの昇進のために使った司祭がいた……か何かで修道院自体が取り壊されるという話を聞いた覚えがある。

もしかしてそこの孤児院の子どもだろうか。


……なるほど、そうだとしたらここまでやせ細るのも致し方ないことだろうし、生きていくためにここで働くという手段を思いつき実行を試みたことも理解出来る。


……だが、だからといって簡単に承諾するというはずもなく。



「ねえ、リシュエスタ。ここに登録して冒険者になるということが、どれだけ恐ろしいことかあなたはちゃんと理解しているの?」


「……っ! ひ、ひぅ……」


「もちろん魔物討伐だけが冒険者の仕事じゃないわ。レアな薬草の収穫といった危険度の低いクエストだってある。でもね、そうだとしても王国の領土から出るということだけで、あなたのような歳の子どもじゃとても危険なことなのよ」


「……だめ、ですか?」


「根っから全部を否定するつもりはないし、私にその権限はないわ。あなたがどうしてもと言うのなら私は受付嬢として承諾せざるを得ないもの。でも、生半可な気持ちでやりたいと言っているのであれば、私はあなたを酷く軽蔑するわね」


「ひっ……ごめんなさ……」


「……いえ、私の方こそごめんなさいね、ついきつい口調になってしまって。……ここにはバカがよく来るのよ。自分が強いとか勘違いしちゃって強い魔物に戦いを挑み、ぽっくり死んじゃうって言うようなバカが、それはもう沢山ね。お姉さんはね、あなたみたいな可愛らしい子が、そういうバカになって欲しくないだけなのよ」


「かっ、かわっ!?」



もしかして言われ慣れていなかったのだろうか。

『可愛らしい』という言葉に過剰反応をし、顔をぼんっと音がするほど急激に赤くさせる少女リシュエスタ。


……私が言いたかったことはそこじゃないんだけどな。


彼女は顔を真っ赤にしたまま両手で口元を抑え、私の方をちらちらと見てくる。

そんな彼女の顔をよくよくみれば、その瞳の色がアメジストのような綺麗な紫色をしていることに気がつく。


他にもじっと見ると顔の造形自体は驚く程に整っていることが見てわかった。

ちゃんとお風呂に入ってまともな食事さえ摂れば、さぞかし美しい女の子に成長するのだろう……そう思わせるような容姿をしている。



そうともなれば俄然、この子をこんな危ない場所に導く訳には行かない。

だがしかし私には人の決断を否定できるような権限があるわけでもなし、彼女を説得するしか道はなかった。



だが彼女は未だに私の顔をチラチラ見ては頬を赤くさせており、まともに話を聞いてくれそうな様子ではない。


私はやれやれ、と肩を落としながらリシュエスタに提案した。



「じゃあ、こうしましょう。リシュエスタ、あなた私の家に来なさいな」


「…………? っ!? ふぇっ!?」


「そこで最低限の食事、衣服、寝床を用意するから、快適で充実した暮らしを満喫してから、それでも尚冒険者になりたいかどうか、そこで決めなさい。そこまでの強い意志があるというのなら私は引き留めないわ。……それにどうせ、今日の寝床や食事の在処だって目処が着いていないのでしょう?」


「な、なんで知って……」



ぐぎゅるるるる。


リシュエスタが私に質問すると同時、彼女のお腹から似つかわしくない重低音が鳴り響いた。


先程とは違う意味で顔を真っ赤にするリシュエスタにふっと笑ってから、私は手元からとある用紙を取り出す。



「はい。じゃあこれ、冒険者登録シートね。期限はないからここぞと決めた時に記入しなさいな」


「あ、ありがとう……。……あの、お姉さんの名前は?」


「私? ……ああそうね、今日から共同生活をするんだもの。さすがに名前くらいはね。……私の名前はエミル・ハミルトン。エミルでいいわよ」


「えっと、じゃあエミルさん。……なんで、わたしのためにここまでしてくれるの?」



答えるのが難しい質問だった。


可愛い女の子が危険な目に遭うのが嫌――というのが根っからの本心であるが、かっこいいお姉さん像を彼女に掲げている手前、そんなこと言えるはずもない。


私は数瞬逡巡してから、そうね、と彼女の質問へ回答した。



「ただの気まぐれよ。元々学園で寮生活してたのもあって、今一人暮らししているのが寂しいと感じていたのもあるし……。それに、今あなたを冒険者にしてもすぐ死にそうなんだもの。ほら、何よそのほっそい腕? 剣どころかナイフすら振り回せそうにないじゃない。……私、自分の担当の冒険者が死ぬのなんて、心の底からごめんなのよね」



夢見が悪いじゃない、と付け足すと、リシュエスタは前髪の隙間から憧れの人を見るような目で私を見つめてきた。


正直心が痛い。格好つけすぎていないだろうか。

こんな私は虚像だし、そんなものに憧れてもらっても返せるものが何一つないのだが……まあいいか、共同生活するのならいずれ気がつくことだろう。


私はふぅ、と息をつくと、リシュエスタの鼻先に人差し指を突きつけた。



「期間は……そうね、四ヶ月。その間面倒を見てあげるから、あなたは充実で快適な生活をせいぜい楽しみなさいな」



そうして、私ことエミル・ハミルトンと、リシュエスタ・ヒューズの共同生活がスタートしたのだった。









「ねーエミルさぁーん、もう石鹸ないよー?」



浴室の方から聞こえたそんな気の抜けた声に、私はあ、しまったとその場で呟いた。

確か昨日にも言われたような気がするのだが、今日の業務があまりにもしんどかったため失念していたのだ。



私は飲んでいたコーヒーをテーブルの上に置くと、浴室へ向かいその扉を徐に開ける。湯けむりの中で、もう小石ほどの大きさになった石鹸を、困った顔で転がしている全裸のリシュエスタがぎょっとした顔でこちらを向いた。


「うへぁっ!? ちょ、開けるなら言ってよぉ」


「あーごめんごめん、そこの引き出しにないかしら」


「えー、確認したけどなかったよ?」


「そろそろ買い物行かなきゃいけないわね……」


「あとコーヒー豆ももうなくなりそうだったよ。エミルさんカフェイン摂りすぎ」


「ストレス解消法がそれくらいしかないのよ。……あんのクソ上司、次セクハラしたら抹殺依頼出してやるんだから」



ぶつくさ言いながら足が濡れるのもお構い無しに浴室に入り、引き出しを開ける私。

隅々まで確認するもののリシュエスタの言った通り予備の石鹸はなかった。


確か明日の業務は……うーん、今日で割と片付けて来たはずだから早めに帰れるとは思うが、道具屋が閉まらないうちに切り上げられるだろうか。


むむむ、と唸っていると、石鹸は諦めてタオルで体を拭き取り始めたリシュエスタが、ならさ、と私の方を振り返った。



「わたしが買ってくるよ。エミルさん忙しいでしょ」


「んー……お願いしようかしらね。……ていうかリーシャ、あんた……」



振り返って私の方を向いたリシュエスタ、ことリーシャの体を見つめる私。



あの共同生活をするという契約を結んでから、もう三ヶ月半の月日が経過していた。



当初おどおどとしていたリーシャはどこへやら、ギルドから帰宅した私を見つけては「エミルさぁーんっ!」と甘い声で叫んで抱きついてくるようになったり、隙を見つけては激しいスキンシップをとるような真反対の性格へ変わっている。



孤児院であまり甘えられなかった反動なのだろうか。

毎日十分すぎる食事、衣類、寝床と快適な日々を提供している私への好感度が、完全にメーターを振り切っているのだろう。



そして、ここ数月でリーシャはめきめきと身長を伸ばした。

もちろん身長だけではない。


私の作ったご飯を毎日完食してはおかわりまでするようになったからか、もう既にあの頃痩せ細っていた彼女の面影はまるでなくなった。


健康的な細さとなった彼女は、当時肋の浮き出ていた胸部をふんわりと発達させ、頬には赤みを取り戻し、ぼさぼさになっていた栗色の髪は最初私が付きっきりでケアしたお陰か、街を歩くと目を引くほどの美しさになった。



……いや、目を引いているのはきっと髪の美しさだけではないだろう。



私が三ヶ月前に見越したとおり、毎日ちゃんとした食事を摂り、しっかりお風呂に入るようになったリーシャは街中ですれ違えば二度見するほどの美少女へと成長していた。

それに、体の方も……



「えっ、なになに? わたし太っちゃった? エミルさんに捨てられちゃう!?」


「いや、全体的に育ったなぁって思ってね」


「やーん、エミルさんてばえっちー!」


「……はいはい」



部屋着に着替えた彼女をリビングルームに連れて行き、髪乾かしてあげる、と言って彼女からちまたで人気なキャラクターがプリントされたタオルを奪い取る。


ちなみに体は成長してもリーシャ自身はまだ十二歳である。

だからこんなタオルをあげたらきっとよろこぶだろうと思って善意で買ってきたのだが、いざ渡してみるとものすごく微妙な顔をされたのは記憶に新しい。


それでも『エミルさんから貰ったものだから』とこうやって使ってくれているのだから、私への好感度の高さが垣間見えるだろう。



そんな年の離れた妹のようなリーシャの頭を犬のようにわしゃわしゃとタオルで拭き取っていると、嬉しそうに頬を綻ばせていた彼女が「あ、そうだ」と私の手を制止した。


一体どうしたのだろう、と思っていると、リーシャは棚の引き出しにしまわれていたとある用紙を取り出して、「はい、これ」と私に手渡した。



それは、三ヶ月前に私が彼女に渡した冒険者登録シートだ。



ご丁寧に空欄は全て埋められており、あとは受付嬢が受理印を押すだけになっている。



「エミルさん。わたしやっぱりやるよ、冒険者」


「…………」


「嫌?」



そろそろ決断する頃合だろうとは思っていた。


しかし、こんなに幸せそうに毎日を過ごしているリーシャなら、あんな過酷な職業に就きたいなど今更考えなどしないだろうと高を括っていたのだ。



「…………どうしてそこまで?」



冒険者なんて褒められた職じゃない。

もちろん名を残せば英雄のようにもてはやされたりはするが、大抵の冒険者は少し戦える一般人、くらいで終わってしまう。


だから道を歩けば冒険者と名乗ると嫌な顔をする人はもちろんいるだろうし、私だって自分から冒険者ギルドに勤務しているなど言ったことはない。


そんな職業に、一体どうして。



「そろそろ、この幸せな期間も終わるから……ずっと考えててさ。どうやったらエミルさんを幸せに出来るだろうって」


「……私?」


「うん。そう、エミルさん。馬鹿娘の親孝行みたいなもんだよ、私にとってエミルさんはお母さんで、お姉ちゃんみたいなものだから」


「でもそれなら他に方法はあるでしょうに。もっと安全で、安定した収入を得られるところが。あなたはまだ若いのだから、今から勉強でもすれば私が通っていた魔法士学校にも通えるだろうし……。どうして、冒険者なの?」


「うーん、まあそれに関しては意外と不純な動機だな。わたしって結構可愛いつもりだけど、それプラス強くなっちゃえばもっと魅力的になるだろうなぁ、みたいな?」



はぁ? 何よその動機は。


私は深いため息をつく。

三ヶ月半という短い期間ではあるが、ちゃんと育てたつもりだ。


冒険者なんてギャンブラーのような職に夢と希望を抱き、力、金、名声を求めるような生き方はバカらしいことだとも教えたはず。


なのにこの子は、自分の魅力を高めるためだけに冒険者になろうとしているというのか?



「……なによそれ。そんな馬鹿なことをしてまで魅力的になって、誰かの目に映りたいとでも言いたいの? 誰なのよそれは、言ってみなさいな」



私は自覚していた。

リーシャが自分の思い通りに育たなかったこと以外の苛立ちを持ち合わせていたことに。


そしてその苛立ちの正体が、リーシャに好きな相手がいる事実へのものだということにも。



リーシャは怒気を孕ませ尋ねる私に少し困ったように笑いながら、ソファに足を組んで座っている私の両肩を掴んだ。



そしてその端麗な顔を私の顔に近づけ――





――ちゅ。





ちょっとした湿り気と、今まで一度も感じたことの無い柔らかさと、その温度。


リーシャの体温も、私と同じ石鹸の匂いも、今まで何度もハグしてきたというのにそれ以上にダイレクトに感じた。


私の顔が勝手にかぁっと熱くなっているのを自覚する。


そりゃそうだ、十九年生きてきて、キスなんて初めての経験なのだから。



……キス?



「――――んなッ!?」


「突然、ごめんね。私が好きなのはね、エミルさん。あなたなんだよ?」



今まで幾度となく好き、好き、大好きと愛を囁かれてきた。


その度に私は軽くあしらってきたのだが、今のは今までのそれとは明らかに温度も湿度も違った。

ますます私の顔に血が上る。



私は今まで一度も恋人ができたことがない。

もちろん好きな人も。だが告白自体は何度かされたことがあった。


魔法士学校に通っていた頃や、ギルドの受付嬢として働いている現在も、たまに異性から声をかけられたり付き合ってくれと懇願されることはある。


なのに、その時には感じたことの無い感覚が私の中で弾けていた。

ぎゅうっと胸を締め付けるような、それでいて満腹時の幸福感に似た甘い感覚がふわふわと浮かび上がってくるような。



「な、な……!」


「んふ、嬉しいなぁ。いつだって冷静なエミルさんが、ギルドで冷徹鬼の受付嬢とか呼ばれてるあのエミルさんが、わたしの告白にそんな動揺してくれるなんて」


「そ、そんな……当たり前でしょう? 私たちって同性同士だし、その、それに……えっと、そう。歳も離れているし……えっと……!」


「歳離れてるって言っても、たかが七歳だよね。もっと離れてる人ざらにいるよ。それに同性同士で何か問題ある? 異端な人ばかりの冒険者ギルドで働いてるエミルさんのセリフとは思えないなぁ?」


「う、ううう……」


「だからさ、エミルさん。わたしと結婚して欲しい。もちろん今すぐにとは言わないよ? わたしが冒険者になって、大活躍してがっぽり稼いじゃって、エミルさんを楽にできるようになってからの話」


「そ、そんなの……」


だめ、と言いかけた私の口が、自らの意に反して閉じた。

それに加えて喉に何かがつっかかったかのように喋れなくなる。


う、うぅと情けなく呻き声を上げて顔を赤くする私の顔を、「かわいい」とぼそっと呟いて真剣な眼差しで見つめてくるリーシャ。


その紫色の瞳は私のことを好きだ好きだと訴えるかのように熱くなっていて、その瞳を見ていると思わず酔いそうになってしまう。



だめだ、このままいくと絆されてしまう。



私はもう一度キスをしようと顔を近づけてくるリーシャの唇を指先で押して引き離すと、その潤んだ瞳をきっと睨みつけた。



「そのっ、無理! 無理だから!」


「なんで? エミルさんもわたしのこと好きだよね?」


「そっ……そ、それはもちろんそうだけれど、結婚するとかは……!」


「別に今じゃないんだよ? 人って年齢重ねると年の差とかあんまり気にならなくなるし、エミルさんがそうなるまでわたしは待つから」



ダメだ、ダメだ、絆されるな。

リーシャの意見を魅力的に感じるんじゃない、私。


私は顔をぐいっと近づけて押し倒そうとしてくるリーシャの手にゆるゆると抵抗する。


そしてあることを閃いた私は、そんなリーシャに向かってもう一度叫んだ。



「……なら、結婚してもいいわよ!」


「えっ、ほ、ほんと!? エミルさんもやっと素直に――」


「ただし! 条件があるわ。私だって、あんたの意見を鵜呑みにして了承するなんて癪だもの!」



瞬間、顔を綻ばせたリーシャの言葉を遮るようにして条件を提示する私に、リーシャは少し困惑したような顔で尋ねた。



「……条件? うーん……わかった。いいよ、言ってみて」


「あなた、冒険者になると言うのよね? なら強さを証明して欲しいの」


「強さ?」


私の言っている意味が理解できないのか、不思議そうに首を傾げて来るリーシャ。

私は彼女に向けて、ぴん、と人差し指を立てる。



「これでも私、リーシャ以外の人からも結構アプローチを受けているのよ。その殿方の中にはAランク冒険者……あの死霊軍勢アンデットの大群をたったの三人で蹴散らした猛者だっているの。つまりリーシャが私に告白するというのは、そんな強い冒険者たちよりも私に対して魅力的に映らなければならない……つまりは彼らを超えるという意味よね?」


「……ふーむ、なるほどねぇ。じゃあエミルさんは、そんな強い強い冒険者達を超える強さを、他でも無いこの私に手にして欲しいと言うんだね」


「あら、怖気付いた? 所詮あなたは十二歳の小娘だもの、結局はその程度の意志な――」


「いいよ、わかった。わたしは本気なんだからね? エミルさんが想定してるよりも断然強くなって、エミルさんのそのお口から好き好き結婚してって言わせてあげるよ」


「っ……」



十二歳のくせに、私より七歳も下の小娘のくせに、そんな顔をして私に迫るなこのばか!……なんて頭の中では考えるが、リーシャの端正な顔が目の前にあるせいか思い通りに口が開かない。



どうして、どうしてここまで言ってるのに諦めてくれないの。

冒険者になるのだって、明らかに年の差がありすぎる私と結婚したがるのだって、リーシャ自身を不幸にするだけなのに。



Aランク冒険者を超えるなんて、ただの小さな女の子であるあなたができるわけないじゃない。


諦めて、諦めてよ。


そう目で訴える私のことなど意にも介さないリーシャは、「じゃあさ」と私に尋ねてくる。



「Aランク冒険者を超えるって言っても基準が分からないし、そこらへんちゃんと決めてよ。エミルさんが言う通りに行動するよ、わたしは」


「……そ、そうね……」



極東の方の小さな島国に、カグヤヒメという物語があるらしい。


とても見目麗しい姫君が、彼女に言いよる男達に無理難題を突きつけ諦めさせようと試みるが、男達はその無理難題に挑戦していく、といういった内容だったような気がする。


まさしくそれじゃないか、なんてことを考える。

でも私は自分にそんな価値があるなんて到底思えない。


確かに私は仕事に関して優秀だし、自分のことを不細工だなんて思わない。

でも、こんな可愛らしい女の子にここまで言い寄られるような人間じゃないのだ。


お願いだから諦めてくれ。

私はそんな大願を胸に、リーシャに詰め寄った。



「じゃあ……竜。三年待つわ。その三年以内に、竜を一体討伐して見せなさい。そうしたら、あなたと結婚してあげる」



竜とはこの世で最強とされる生物だ。


そのありえない巨躯に、どんな刃をも通さない鋼鉄すらを超える硬度の鱗、喉の奥から吐き出される灼熱に、岩をバターのように引き裂く鉤爪。



今まで冒険者が徒党を組み討伐に挑戦し、その度無惨に惨敗するというのを数え切れないほど見てきた。


王国の騎士団が全員で取り掛かっても大半の人数が命を落とすとされていて、そんな生物をこんな少女が倒せるはずなんてないのだ。

なのに、なのに――



「わかった。そうしたら結婚してくれるんだね? 約束だよ」



どうしてそんな簡単に、了承してみせるのよ。



「あ、あなた……わかってるの!? 竜よ!? あなた一人で倒せるわけがっ――」


「エミルさんと結婚するんだもん。その程度のクエストクリアしてみせなきゃ、たくさんの強者を見てきたエミルさんの目に写らないのは百も承知だから」


「う、うぅっ……」


「じゃあ、約束だよ。わたしが三年以内に竜を討伐したら、エミルさんはわたしと結婚すること。それでいい?」



ずい、と詰め寄ってくるリーシャに唸る私。

だが今更引き下がれるわけもなく、私は目を逸らしながらこくりと頷いた。



でもその時はできるわけがないと思っていたのだ。

リーシャは戦いとは無縁のただの少女で、そんな子があの竜を倒すなど到底不可能。


たとえ冒険者として強くなったとしても、竜なんてものを目の前にすればきっと寸前で怖気付いて私の元へすごすご帰ってきてくれるだろう、と。



だがそんな私の考えが甘かったことを、彼女はきっちり三年後に教えてくれるのだった。












「なんでわたしと結婚してくれないのっ!」



目の前で憤慨するリーシャに、私ははっと我に返った。


記憶の中にいる小さなリーシャはどこに行ったのだろう。


目の前の少女は剣姫と呼ばれるにふさわしい身長と体格を持ち合わせていて、とうに私を見下ろすような身長へと成長した。


王国から竜討伐祝いとして贈呈された、大昔にドラゴンスレイヤーと名を馳せた伝説の勇者が装備していたとされる鎧を身にまとい、その腰にはまたもや王国から贈呈された伝説の剣と、リーシャが冒険者になる一日目、私が武器屋で買ってあげた鋼の剣が刺さっている。



彼女の私への愛の重さに思わず酔いそうになる。


この三年間で、リーシャは王都の中央区にあるこの冒険者ギルド以外の場所でも、数多くの活躍を見せてきた。


その度に彼女に言いよる人は後を絶えなかっただろうし、きっとその中に私なんかより断然素敵な人間もいたことだろう。


……なのにどうしてなんだろう。

どうしてリーシャは、ここまで私なんかのことを。


でもこうしてぐずぐずしている時間が経てば経つほど、この素敵なリーシャという女の子を傷つけてしまうのは百も承知だった。


私もそろそろ彼女に、そして自分自身に向き合わなければいけないのだ。


私は俯かせていた顔を上げ、もうすっかり大人の顔になった美しいリーシャの瞳を見つめて言った。



「………わかりました、ヒューズ様。今日の夜八時に私の家までお越しください。……そこで、ちゃんとお話をしましょう。私もあなたに伝えなければいけないことがありますので」


「っ!! わかった、言ったよ!? 今更逃げても、エミルさん家のドア破壊してでも問い詰めるからね!」


「えぇ、承知しております」



……ようやく、決心がついた。



もう年の差やら、保護者やら、同性同士であることなんて気にしていられる暇なんてない。



私も、そろそろリーシャに与えなければいけないのだ。彼女の一番最初の、それでいて最難関のクエストのクリア報酬を。


ようやく解放してくれたリーシャを背に、私はようやく持ち場に戻った。


意外と長い時間離れていたようだ、同僚や上司からの叱責を受け、私はテーブルにかけていたプレートを取り下げて椅子に座った。


いつものように営業スマイルを貼りつけようと試みるが、あまりにも早く訪れた緊張のせいでぎこちなくしか笑えない。


二十二にもなって恋愛には初心すぎる自分を情けなく思って溜息を吐き出しながら、私は待たせていた冒険者たちの案内を始める。



心が今まで感じたことの無い感覚で満ち溢れていた。

発表会の直前、恋愛小説を読んでいる時、風邪で大熱を出した日、そしてリーシャに好きだと言われたあの瞬間。


そういった時感じる全ての感情をいっしょくたに混ぜ合わせて、ほんのすこしの苦さと過半数を占める甘酸っぱさを足して足して、最後に砂糖を加えてぐるぐると煮込んだような不思議な感覚。



私は視界の端でこちらに嬉しそうに微笑んでいるリーシャをなんとか無視しようと心がけながら、再び仕事へと取り掛かった。






その日の業務が終わり、私は慌てて帰り支度を済ませた。

夜八時に自分の家で待ち合わせしたというのに、今はもう既に七時半を回っていたのだ。



長い時間持ち場を離れたせいで色々仕事を押し付けられたというのも理由の一つではあるが、一番の理由は仕事が手につかなかった私の不手際だ。



なんと情けないことだ。

たった一人の女の子に対して、この私がここまで臆病になるだなんて。


無意識のうちにゆっくり歩こうとする自分の情けない足をどうにか前に進めながら、私はギルドを出た。



やけに足が重い。


そりゃそうだ、ずっと逃げ続けてきたことに向き合わなければ行けなくなったのだから。



……いや、本当は逃げるつもりなんてなかったのだ。


なんてことを言ってももう言い訳にしか聞こえないが、それでも私はずっと前から、リーシャへお返しする言葉を心の中で決めていたのだ。それを言い出す度胸がなかったと言うだけで。



あまりにも待たせすぎた。


かつて彼女を引き取った、あの時のかっこいいお姉さん像はもうひび割れ崩れてしまったことだろう。


残ったのは臆病で情けなくて、リーシャ一人にすら向き合えないちっぽけな私だけ。



でも、彼女はそんな私を知ってもなお私を求めてくれたのだ。それを裏切る訳には……。


ぐずぐずと思考をめぐらせながら歩いていると、いつの間にか私の家の前に到着していた。


私が住んでいるのは賃貸の小さい一軒家だ。

かつてリーシャと一緒に過ごしたあの甘い思い出と、彼女を突き放し冒険に向かわせた自分に対する後悔と苛立ちを抱えながら、一人で過ごした苦い思い出。



たった4ヶ月弱一緒に過ごしただけなのに、リーシャが出ていった後の時間はとても空虚だった。


何かがぽっかりとなくなって、ずっとその足りない何かを他のもので補おうとして、その度に自分へ苛立った。



でもそんな毎日も今日で終わるのだ。



勇気を出せ、自分。

リーシャはきっと答えてくれる。

約束を破って答えを先延ばしにし続けた裏切り者の私に対して、三年以上も愛を囁いてくれたあのリーシャなのだから。



よし、と気合を入れながら私は自分の家へと近づく。

しかしその途中、聞き覚えのある声が耳に届いて私はその足を止めた。



「ほんと!? 結婚できるの!?」


「うん。説得頑張ったよ……まあリーシャがいてくれたお陰だし、そんなに気にしないで」


「気にするよぉ! すごい……ものすごく嬉しいよルデア! わたし達、ほんとに結婚できるんだ……!」



声の正体はリーシャと……そして見覚えのない、青髪と誠実そうな瞳が特徴的なボーイッシュな女性だった。


ふたりがいるのは私の家の前だ。

何故か思わず建物の影に隠れてしまった私は、その二人の会話に耳をそばだてる。



「あたしも嬉しいよ。早くリーシャのドレス選びたいな」


「え〜、照れちゃうなぁ。……でも、結婚か。今まで言葉だけだったけど、ルデアが説得してくれたお陰でほんとにできるようになっちゃったんだもん……わたし、今ものすごくハッピーだよルデア!」



……結婚。

私以外のその誰かも分からない女に、そんな言葉を何回も何回も使っては幸せそうな顔をするリーシャ。


ルデアと呼ばれた青髪の女も、そんなリーシャの顔を見てとても嬉しそうに微笑んでいる。



待って、落ち着くのよ私。


さっきからリーシャはなんて言ってる? 

ルデアという青髪の少女がリーシャのお陰で説得に成功して、二人は結婚できるようになった……。


えっと、つまり、両親にリーシャとの結婚を認めて貰えたルデアが、リーシャと結婚できるようになって喜んでいる……ということ?



いや、そんなわけないじゃない。

だってリーシャは私のことが好きなんだし、浮気して二股かけるほど器用な性格じゃない。


……いやでも待て。

私が詳しく知っているリーシャは三年も前の彼女だし、今のリーシャがどういう性格か……そういえば私は理解していないのかもしれない。



リーシャが私のことを好きなのは、もう揺るぎようのない事実だと思っていた。


毎日毎日私に見せつけるように、討伐した竜の素材をわざわざ私の受付に並んでまで換金させてくる上に、好きだ好きだと抱きしめてきたり、仕事終わりの私を待ち伏せして私の好物までを贈ってくれたりするのだから。



……でも、やはりおかしいとは心のどこかで思っていた。


私のようなやたら偉そうでお姉さんぶっているくせに、ほんとはヘタレで情けない女にずっと執着し続けているリーシャが。


世界には私なんかよりもっと素敵な人がいるし、リーシャは各国を旅してそんな人々ともであったはず。


そんな違和感を、私はずっと認めてこなかった……いや、認めたくなかったんだ。



なんで私なんて女を切り捨てないか……それは私への申し訳なさや罪悪感からだったのか? 


本当はもう想っているのは私だけで、リーシャはあのルデアという少女と結婚したいと思って――



「……っ!!」



思わず泣きそうになって、私は後ずさりした。


もう嫌だ。幸せそうに笑いあって、結婚がどうのと語っている彼女たちをもう見たくない。



今思えばリーシャはずっとこのことを喋る機会を探っていたのかもしれない。

でも私が逃げ続けたから言えなくて、今日ようやく私が了承してくれたものだから、私からの愛を断る時のために私以外の女を……恋人を、連れてきたのだ。



私は一歩、二歩と後ろに下がる。

しかしその途中、私は地面に落ちていた木の枝を踏んずけてしまった。


ぱき、という音に二人の少女がこちらを向いた。

そして私を視認した後、少し焦ったような表情を私に見せる。



「あ……えっと、エミルさん……もしかして今の話――」


「…………ッ!!」



そんな焦った顔しないでよ。

申し訳なさそうな顔も私に見せないで。


私は泣きそうになりながら……いや、もうとうに溢れだしている涙をどうにか堪えようと奮闘しながら、その場から駆け出した。


入るのは自分の家だ。

「エミルさん待って!」と慌てて追いかけようとしてくるリーシャから逃げて扉を閉じると、私はその鍵をかける。


そしてそのまま玄関に崩れ落ちると、流れる涙を服の裾で拭った。


そんな私の心情など理解していないのだろう。どんどんどん、とリーシャがノックをしてくる。



「エミルさん!? なんで逃げるの!? ……あーいやその、勝手にやっちゃったことは申し訳ないと思うけどさ!」



勝手にやっちゃった……ですって? 

ええそうでしょうね、私は知らなかったんだもの。あなたに既に素敵な恋人がいることなんて。


やっちゃったなんて言い方から察するに、もう一線なんてとうに超えていたりするのかしら。

3年前のあの時のキスの感覚を未だに思い出しながら、夜一人でいやらしい行為に耽っている私なんて、とても醜い存在なんでしょうね。



「……いいのよ。元々おかしいとおもっていたもの。あのリーシャが、私なんかと……」


「え? いやちょっと、エミルさん一体何の話して――」



この期に及んでとぼける気なのかしらこの娘は。

それとも私を傷つけないため? 残念ね、そんな中途半端な優しさがいちばん残酷なのよ。



「もういいから! その娘と一緒に結婚でも何でもしなさいよ!! もう私のことなんて好きでもなんでもないのでしょう? どこかで期待してる私に、ずっと言えずにいただけなんでしょう!? ごめんなさいね、今まで好きでもない女に愛を囁かせてしまってっ……!」



零れ落ちる涙が止まらない。

私の脳裏に思い浮かぶのは、リーシャとルデアが腕を組んでバージンロードを歩いている姿だ。


……そうよね、私なんかよりルデアって娘の方が断然お似合いだわ。


歳も近そうだし私なんかよりずっと可愛いし、素直じゃなくて面倒くさい私よりもずっと良い子そうだもの。


嗚咽をあげる私に、扉の向こうのリーシャが困惑したような声を上げる。



「え……ちょ、ちょっと!? 待ってよ、エミルさんなんか勘違いして――」


「だからっ! もういいの! もう好きでもなんでもないのに、ずっとあなたを束縛し続けてくる私なんて面倒くさい女ほっといて、私抜きの幸せな人生を送って頂戴……っ! もういいから、もう……」


「…………エミルさん」



私が泣きながらそう叫ぶと、リーシャが私への説得を諦めたのか力ない声で私の名前を呟いて、力強くノックしていたその手を止めた。


そう、それでいいのよ。


もう私になんて構わないで。

三年も好きでいて貰えると勘違いして、今日七つも下の女の子と結ばれるだなんて恥ずかしいことを考えながら、心を浮つかせて帰ってきたような馬鹿な私みたいな女なんて。



だが、いつになっても扉の向こうからリーシャの気配は消えない。


罪悪感からすぐに立ち去れずにでもいるのだろうか。いいのに、そんなこと考えなくて。

後ろで待ってくれているルデアって娘と、その可愛らしいおててでも繋いで一緒に帰ったらいいのに。



しゃがみこんでいた足を伸ばして立ち上がると、私はリビングルームへと向かった。


リーシャの気配をすぐそばで感じることが、今の私にとって辛いという感情しか芽生えなかったのだ。


だがそんな私の足を止めるかのように、扉の向こうのリーシャが呟いた。





「……ほんっとめんどくさい」





リーシャがそう言うと同時、バキィッという何かの破壊音が響き渡った。


驚いて振り返ると、そこには私の家の扉をぶち壊して、完全に扉単体となったもののドアノブ部分を掴んでいるリーシャが、今まで見たこともないような恐ろしい顔で私を睨みつけていたのだ。



「あの……リーシャ、私の家賃貸……」


「……」


「あ、ごめんなさい……」



その場に扉を投げ捨てたリーシャは、私にずんずんと近寄ってくる。

そしてそんな私の胸倉を掴み、顔をぐいっと寄せた。



「ちょ、ちょっとリーシャ――んむっ!?」



私の唇に、彼女のものを押し付けられた。

ふにっとした感触から、次にぬるりとした感触が私の上唇に当たる。


……え、待って舌? と困惑する私など意にも介さず、私の唇をこじあけるようにリーシャの舌が私の中へ入ってきた。


思わずよろけそうになった私の腰を抱き留め、リーシャはまたもや強引に舌を入れてくる。


口蓋、歯茎、歯列をなぞるように舌でいじめて、とろとろになった私の顔を見てふっと嘲笑うように私の舌と絡めてくるリーシャ。



逃げようとしても腰を抱かれているせいで後ろには逃げれない。

竜殺しの剣姫の力に一般人の私が勝てるはずもなく、私は次第に抵抗を諦めていった。


そして私が完全に抵抗するのを諦めた瞬間……リーシャがぷは、と音を立てながら私の唇から自分のそれを離す。

私たちの間に銀色の橋が伝った。



「り、りーしゃぁ……」


「そんな嬉しそうな顔しちゃって、エミルさんはほんとにわたし抜きで生きていけるの?」


「……っ!」



慌ててだらしのない口元を袖で拭き取り、先程のきっとした目付きでリーシャを睨みつける。


3年ぶりの好きな人からのキスに思わず蕩けてしまったのは認めるが、キス程度で絆される私では無いのだ。



「わ、私はそうでも、リーシャはもう違うんじゃない!! 私がどれだけ愛したとしても、そのリーシャが他の女の子と結婚するんじゃ……私はもう――」


「いや何を勘違いしてるか知らないけど、わたしが好きなのはエミルさんだけだよ」



真面目な顔でそう言うリーシャの瞳をじっと見つめる。

その瞳には嘘偽りが一切感じられないが、それでも私はさっきの話を聞いてしまったのだ。



「……う、嘘ばっかり! いいのよフォローなんてしなくて!! だって聞いたんだもの、さっきあなたとルデアって娘が結婚するって話を!」


「はぁ? わたしとルデアが?」


「ご両親への説得も無事に成功したのでしょう? よかったわね結婚できて! だからもう出て行って! 私なんて女放っておいて、あの良さそうな子とこれからの人生を――」


「ちょっと黙って、犯すよ?」



ひゅっ、と喉が詰まった。剣姫の眼光に私は自然と黙らされる。



「……どこをどう勘違いしたのか知らないけど、わたしはルデアと結婚なんてしないよ。わたしが愛してるのはエミルさん、あなただけ」



鋭い眼光からそっと穏やかな目付きに変わり、あの私への愛をめいっぱい貼り付ける熱量の籠った視線が私に送られた。


こんな時でもそんなリーシャの言葉に絆されそうになってしまう自分が情けなくて仕方がない。


リーシャがもう私を好きだなんて、有り得るはずがないのに。



「もういいのよ……嘘なんてつかなくたって! だって私聞いたんだもの、ルデアって娘が説得・・に成功したおかげで、二人は結婚・・できるようになったんだって!!」



零れ落ちる涙を袖で拭いながら、私は未だ愛を囁いてくれる残酷なリーシャという少女に叫んだ。



しかし私の言葉へのリーシャの反応は予想外のものだった。



まずぽかんと口を開けてから不思議そうに首を傾げ、何かを思い出して考えるかのように顎に手をやりうーむ、と唸り、そして最後に閃いた顔をしてとても大きなため息を吐きだす。


そんなリーシャの不思議な反応に私が首を傾げていると、リーシャが呆れた顔で、ドア(もう壊れてなくなってしまったが)の向こうで困った顔をしていたルデアを手招きした。



ルデアはリーシャの言わんとしていることを察したのか、カバンの中からとある茶封筒を取り出してリーシャに渡す。


受け取ったリーシャはその封筒をやや乱雑に開けて、その中に入っている資料らしきものをそこから取り出した。



「あのね、エミルさんよく聞いて」


「は、はい……」


「結婚できるようになったのは、わたし達だよ」



嘘ばっかり。

リーシャはそう否定しようとする私の口を押さえつけて、その手元に持っていた資料を私に突きつけてきた。


涙で潤んで見えなかったので、ハンカチを取り出して少し強めに拭いとってからその書物を確認する私。



そこに書かれていた内容とは……



「……法律が……改正?」



王国紋の印鑑や、この王国の宰相直筆のサインがまず目に入った。


読み進めてみれば、『我が王国での法律を一部改正する』やら、『その代わりとして、【剣姫】リシュエスタ・ヒューズには我が王国の守護を務める契約をここに結ぶ』やら、『この王国での同性婚の一切、それら全てをここに認める』やら……一般人でたかがギルドの受付嬢である私が見ても良いのかという事柄がつらつらと並べられていた。



その中で私の目を引いたのは、



「同性婚を……認める」


「そう。ルデアに頼んだ説得っていうのは、同性婚を認めて欲しいって王国に嘆願したってことで……ああそう、なんだか勘違いしてたみたいだったけど、ルデアはわたしの友達でこの王国の宰相の娘、つまり跡取りなんだよ」


「え、えっと……つまり……」


「ほら。竜倒せたら結婚〜とか言ってたけどさ、この国じゃまだ同性婚は認められてなかったし、形だけのものになっちゃうじゃん。それが嫌だったものだから、ちょっと剣姫としての権限使ってギルマスのコネ回してもらって、宰相の娘であるルデアとお近付きになったの」


「…………」


「そんで剣姫たるわたしがこの国の守護柱となる代わりに、法律を改正してくれってルデアに頼んで宰相に説得・・してもらったところ、無事わたし達二人は結婚・・できるようになったってこと」



……話が大掛かりすぎて、私の脳ではそれら全てを処理するのに少し時間がかかった。


しかしそれら一切合切全て理解した時、私は今までの自分の言動を振り返ってみて……そして顔を真っ赤にさせた。




――全部私の勘違いだったってこと?




かぁぁ、と自分の顔が熱くなった。

結局のところ、私はふたりの会話を勝手に盗み聞きして、勝手に勘違いして、勝手にリーシャを突き放して、勝手に号泣して、勝手に一人で絶望してたってわけだ。



確かに考えてみれば『説得』というのがルデアの両親へのもの、って解釈したのは私の勘違いからだし、話の流れが悪かったとはいえ『結婚』だってリーシャとルデアがするだなんて、彼女らは一言も言っていなかった。


リーシャのドレスを選びたいというルデアの発言も、婚約者という関係からではなくただの友達としてという意味で、言ってしまえば全部私の勘違いによる一人相撲……。



「……あ、あう……」


「エミルさん、何か言うことなーい?」


「……ご、ごめんなさい……」



にっこり凄みながら微笑んでくるリーシャに心からの謝罪をすると、彼女は「いーよぉ」と緩く許してから、もう自分より小さくなった私の体をそっと抱き竦めた。



うう、初対面のルデアって娘に呆れた顔をされてるのがちょっと……というかかなり恥ずかしい。


っていうか、あの娘には私の恥ずかしい勘違いとか号泣してる場面とか、情緒不安定になって最愛の人を責めまくってる愚かな私のことをずっと見られてたわけで……うわ、うわぁぁ。私は羞恥心から逃げようと、私を抱きしめるリーシャを抱き返してその手に力を込めた。



そんな私の様子をくすりと大人っぽく笑ったリーシャは、おっとりとした声で私に言う。



「エミルさん、大好き。エミルさんはちょっとわたしの愛を舐めてるみたいだけど、これから何があっても、たとえエミルさんがわたしのことを嫌いになっても、わたしがエミルさん以外の人のことを好きになるなんてこと絶対にありえないから」


「……うん」


「まあエミルさんがわたしのこと嫌いになるなんて絶対させないし、もしわたしのこと嫌いになっても絶対に逃がさないんだけど。だからわたしのこと嫌いになったりしたらすぐ言ってね、監禁して調教してあげるから」


「……う、うん?」


「エミルさんはちょっと自己肯定感が弱めだけど、わたしはエミルさんのこと好きだよ。愛してる。世界でいちばん、この上ないくらい大好き。お姉さんぶったその態度も、わたしのために世話を焼いてくれたあのお母さんみたいな姿も、恋愛事になるとすぐに逃げ出しちゃうその情けないところも、わたしのこと大好きなくせに、年の差とか性別とか世間体とか、くだらないことばっかりに理由をつけて自分の気持ちを否定しようとする、その素直じゃないところとか……言ってしまえば全部。エミルさんの全部を、わたしは愛してる」



抱き竦めていた私の体を解放して、再びその美しいアメジストのような瞳で私を見つめるリーシャ。


彼女の愛は重い。

どうしてさっきあんな勘違いをしてしまったのだろう、と自分でも不思議になるくらいに、重い。


私からのプレゼントであるタオルやボロボロになった剣を今でも喜んで使っているところや、私の仕事終わりを待ち伏せして私の好物を貢いでくれたりするところや、こうして愛しさで満ち溢れた、って感じの目で見つめながら愛を囁いてくれるところとか、もっと言えば三年以上も私のことを愛し続けているところとか。


……それら全部の重たすぎる愛が、私にはとても心地よかった。



「もう竜を殺したからとか関係ない。あの時の約束を守って結婚しろなんて言わない。……だから、今ここで答えて欲しい。あの約束があるから仕方なくとかじゃなくて、エミルさんがわたしのことどう思っているかどうか。エミルさんの本当の気持ちで、わたしの愛に答えて欲しいんだ」



……わかっているくせに、と心の中でぶつくさ言う私の中の悪魔を踏みつぶした。



約束を破って待たせ過ぎた、とかそんなことでは無い。


三年前から素直になれず、一度もリーシャに答えてこなかったことがいちばん悪いわけで。


リーシャはこんなにも好きだ好きだと言ってくれているのに、私はその愛が無償で、永遠に続くものだと思ってずっと逃げ続けてきたのだ。



リーシャはそんな私にどれだけ傷つけられたことだろう。好きな人からいつまでたっても答えて貰えないというのは恐怖でしかないだろうし、もしかすれば自分の三年が無駄になるかもしれないなんて考えていたかも…………いや、そんなことはないか。

私はリーシャの目を見て、ようやく理解する。


この娘に諦めるなんて気持ちは多分ないのだ。

この子は私を振り向かせて、私を自分の虜にして、私に結婚してと言わせるためだけに今まで努力してきた。


竜を討伐してみせると豪語したのも、弛まぬ努力の末実際に竜を一人で討伐して見せたのも、私にバレないように裏で色々細工して、法律だって変えて見せたのも、全部私への愛によるものなのだ。



そんな重すぎる愛に、私はまだ答える自信はない。でも私がリーシャを好きなのは紛れもない事実で、これ以上隠し続けることなんてもう不可能で。


だから、私は私にできる、ありったけの愛の重さを、その結晶をリーシャにぶつけなければならないんだ。


今までリーシャからどれだけのものを貰ってきただろう。今こそ、私がそれを返す番だ。



私はリーシャの手を払い除けると、リーシャの顔が絶望に染まる前に自分の部屋へと駆け込んだ。


追いかけてこようとするリーシャを手で制しながら、私は部屋の一番奥にある金庫を解錠する。


そしてその中にあったものを取り出して、リーシャの元へ戻った。



「……えっと、リーシャ」


「……うん」


「私に、リーシャからのその純度の高すぎる愛に答えられる自信なんてないわ。きっと結婚してもリーシャのこと不安にさせちゃうことだって多いだろうし、幻滅させることだって多いと思う。実際リーシャがさっき言った通り、私はリーシャを目の前にするとついお姉さんぶってしまうのに本質は情けないし、今まで返事のひとつさえ返そうとしなかった臆病者だもの」


「そ、そんなこと――」


「でも、そんな私も受け入れて欲しい。私もできる限り、リーシャの全てを愛するから。だから、私のわがままなんて小さなものを、私のために竜を殺して、剣姫になって、法律さえをも変えて、その条件として国の守護柱にまでなっちゃったその無償の重すぎる愛で、私を愛して欲しいの」



自分で言っていて恥ずかしくなってくる。私はいい歳して、七つも下の女の子になんてわがままを言っているんだろう、と。



でも今更それを取り消すつもりは無い。もう体裁なんてないのだ。



私のプライドなんてものも、リーシャの重い愛の前では塵芥に等しい。

理想のお姉さん像、憧れの対象に値するような素晴らしい私は、きっともう消えてしまったことだろう。



でもそれでいいのだ。


だってそんなもの虚像なのだし、本当の私はこんな臆病で情けないちっぽけな人間なんだから。


それをリーシャに受け入れてもらえるなんて、私からしたらとてつもない喜びなわけで。



私は赤くなる顔を手でパタパタと仰いでから、右手で握って背中の後ろに隠していたソレ・・を、リーシャの前に差し出した。



白銀の美しい輪の上に、私の目の色である緑色を象徴するエメラルド、それが装飾された重々しいソレ。



「指輪……」


「リーシャ、愛してる。……えっと、上手いことは言えないけれど……その、私もこれ以上ないほどに大好きなの。リーシャと同じように、3年前から、ずっと。リーシャの愛の重さに答えられる自信は、さっきも言った通り無いわ。でも……それには少しずつ、こういう風に答えていくから……だから、その……」



喉の奥が突っかかる。どこかで躊躇っている自分がいるせいだろう。



でもここまできて止めるなんて愚かなことはしない。


婚約指輪を見て目を輝かせ、もう少しで泣きそうな顔をしているリーシャを見つめて、私は言った。



「結婚……してください」



目を逸らさず、視線を真っ直ぐに合わせて告白した私に、リーシャは一瞬硬直した。


そりゃそうだ、三年前に告白して、今ようやく私から返事を貰えたのだから。



しかしその硬直はすぐにとけ、そしてその瞳から大粒の涙をぽろぽろと流しながら、再び私に抱きついた。



「うん……うんっ!!」


「……ごめんなさい、今まで待たせて。私もリーシャのこと、その……大好き、愛してるから」


「わたしもだよぉぉ〜!!」



泣き腫らした顔を私の胸に押し付けてくるリーシャに、私はもう一度指輪を差し出す。



「えっと……リーシャ。私の告白ついでに、これも受け取ってくれる?」


「もちろんだよぉ! っていうかそれどうしたの!? 給料三ヶ月分とかそんな感じじゃないよね!?」


「……実は三年前……リーシャに告白されてからお金を貯めてたのよ。本当はリーシャが竜を討伐したその日に買いに行ってたんだけど……給料三年分の指輪なんて重たいだろうなぁって思って、ずっと渡せずにいて……」


「エミルさぁぁん!! 最高に重たい愛だよ! そっかぁ、だから最近素っ気なくって、仕事ばっかりに専念してたんだ…………全部わたしのためだったんだね!」


「私のために竜討伐までしちゃったリーシャには、全然かなわないけどね……。でも、これからは負けるつもりなんてないわよ。リーシャの全部を愛してやるんだから。世間体とか自分のプライドとか全部捨てて、あなたに差し出してあげるわ」


「それじゃあわたしは、そんなエミルさんの強気な態度をへし折ってこれでもかと言うほど愛してあげるからねっ!!」


「剣姫なのもあって言葉に嘘感なくて怖いのよあんたは……」



あはは、と屈託なく笑いながら目尻に溜まった涙を拭うリーシャにつられて、私も笑って見せた。



情けなさや恥ずかしさではなく、ただ純粋なる喜びで私達は涙を流して。

そしてそのまま抱きしめあって、何度もキスを交わす。


数十分ほどそうやって過ごしていた後、散々迷惑をかけたルデアに「あの……」と声をかけられるまで私達は愛し合い、そして我に返った私はルデアに何度も何度も謝罪をした。



そんなルデアにおめでとうございます、との祝福を受けると私達はまた泣き出してしまって、ルデアは困った顔をして、結局収集がつかなくなってしまう。



私の家の扉が全壊していることに気づいたご近所さんが私の家の様子を見に来るまで、私達はそんな幸せな時間を過ごしたのだった。














「今日は私が上って言ったじゃないのっ!!」



王都バトリーサ、その中央区にひっそりと建つ小さな一軒家のベッドの上で、私はとある少女……いや、私のお嫁さんであるリシュエスタ・ハミルトンに向かって、そんな言葉を叩きつけた。


十八歳となった彼女は、そんな反論をする私をはいはいと押し倒しながら、その唇を押し当てようとしてくる。



「ちょっ……と、人の……話をっ、聞け!」



そんな言うことを聞いてくれない妻、リーシャを手で押し返そうとするも、『魔王殺し』と名高い【剣聖姫】の力に勝てるはずもなく、私は彼女のなすがまま押し倒された。


しかしそんな反抗を見せる私を煩わしく思ったのか、リーシャは不満げな顔で私に尋ねてくる。



「だってー、エミルさん下手じゃん?」


「まだ私、一回も上になったことないんだけど!?」


「下手そうじゃん?」


「私、今までそんな憶測でずっと下になっていたの!?」


「もー。どうせ始まったらそんなの忘れて気持ちよさそーにあんあん喘ぐんだから、文句言わないの」


「で、でも……年上の威厳ってものがっ!」


「ヒモに今更そんなのないから、大人しく世帯主に抱かれてねー。はい、脚開いて」


「私をヒモにならせたのはあんたでしょうが!!」





私達が結婚してから、もう三年もの月日が経過していた。



法律の改正や、剣姫が一介の冒険者ギルド受付嬢と結婚……というのは一時期世界的に見ても大ニュースとなったが、意外と不満の声をあげる人はいなかった。


それどころか剣姫が同性婚を結んだということで、同性愛に関しての関心は増え、不快に思う人も少なくなっていったことだろう。



そんな中無事結婚を果たした私達は、新居を買うことなく、リーシャが十二歳だったときに暮らした私の家で一緒に住んでいる。


リーシャほどの稼ぎがあればもっと良い土地、もっと良い家に住める上に、王国からも新しい新居を贈呈しようかだなんて言われたのだが、リーシャがこの家がいいと言って聞かなかったので、全壊した扉を修正して再び住んでいる。





さて、そんなリーシャは今、先程言った通り『魔王殺し』の【剣聖姫】と呼ばれるに至っている。


魔王とは王国と常に冷戦状態にあった魔族の軍隊の大将であり、リーシャはそんな魔王を討伐した――なんてことはなく、圧倒的な力を見せつけて説得しに行ったところ、王国と魔族の国で行き違いがあったことが判明し、両国で和親の条約を結んで平和的に解決をしたのだ。



魔王の勢いや憎しみの心を殺し、聖なる力で軍勢を押さえつけた……そんなことから、リーシャは今や『竜殺し』の【剣姫】ではなく『魔王殺し』の【剣聖姫】と呼ばれるようになったのだ。


そんな王国の英雄ともなったリーシャには国王すらも刃向かえず、絶大なる力、富、名声を彼女は本当に手にして見せた。



そうやって圧倒的な富を手に入れた彼女は、『今思えば女の人が冒険者ギルドで働くのって危ないんだよ。もうエミルさんとは家で会えるからギルドにいてくれる必要性ないし、ぶっちゃけわたし一人の収入で充分に賄えるなーって思ってさ』なんてことを言い、勝手に私の職場である冒険者ギルドに退職届を提出しに行った。


そのお陰で、私は今絶賛リーシャのヒモになっている。


でも私は全然リーシャに負けていたりなんてしない。



「……んっ、はぁ……ま、負けないからっ……愛の強さも、上下、だって……んぁっ」


「わたしの指、ぎゅうぎゅう締め付けてきてるくせに何言ってるのやら」


「言うなばかぁっ! ひぅっ……」



負けてないったら、負けてないのだ。


私はそんな強すぎるお嫁さんの背中を抱いて、ちらりと視線を部屋の奥に向ける。


そこには私達の結婚式を挙げた頃の写真が少しばかり大きすぎる上に荘厳すぎる額縁に入れられていて、その写真の中では、ウエディングドレスを着た私が、七歳も下である、同じくウエディングドレスを纏ったリーシャに俗に言うお姫様抱っこ、というのをされていた。



中に入ってくるリーシャの指の温もりを感じながら、私はぼうっとする頭で過去の様々な記憶を振り返る。



彼女が十二歳の時、年相応じゃない少し重すぎる告白を私にしてきた時のこと。



私が突きつけた竜討伐という結婚の条件を、迷わず引き受けて見せた時のこと。



実際にたった三年で竜を討伐し、私に嬉しそうに換金と結婚を迫ってきたこと。



彼女の愛から逃げ続ける私に痺れを切らして、法律さえも変えてみせたこと。




そして、情けないところも沢山見せてようやく告白した私のことを、その大きすぎる愛で全部認めてくれたこと。




もうきっと私は、このリーシャという少女がいなければ生きていけないだろう。

彼女がそういう風に私を作りかえたのだ。



七つも下なのに敵わないなぁ、なんて今更すぎることを思いながら、私はリーシャの唇にそっとキスを落としたのだった。






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百合短編集 はるしゃ @nezimiiro931

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