第3話
家の近くの道を歩いていると、一枚の紙が風に舞って、僕の足で止まった。離れようとせず、張り付いたままのそれは僕に執着する。
それには、国会議員月村による汚職の記事が一面に載っていた。
あまりに突然のことすぎていったい何が起きたのか理解できない僕は、その場所から走り出していた。
鼓動はバクバクと鳴り響き、もはやそれは口からあふれ出てきそうだった。
家の前までやってくると、それが現実であることがすぐにわかった。物分かりが良く、頭もよかった僕には、その状況を理解することは容易かった。
家の前には、うんざりするほどの数の記者と、カメラ。僕が家に帰れることはできるはずもなかった。
シャッターの音はトラウマになるまで聞かされた。大声で騒ぐ記者と、それを見に来た、周りの野次馬。もはや収拾のつかない状態だった。
僕自身もその場に立ちすくむことしかできなかった。
「あ。」
その時、そこに親友の海里がいるのを見てしまった。同時に、いろいろなことが頭をよぎった。絶望するしかなかった。僕は、「犯罪者の息子」というレッテルを張られていくんだと思うと吐き気がした。こんな状況、夢なのではないかと疑ったが、近所の家の晩御飯のにおいが、食欲の秋の風につられ、鼻を通り過ぎた時には、もうわかりきっていた。人は本当に絶望すると、声も出ない。そして、漫画のように膝から崩れ落ちる。涙があふれ出て、抑えることはできない。自分が今何を思っているのかもわからない。「自分」という存在すらわからなくなる。
「母さん。嘘って言ってくれよ。」
僕の心の叫びは、だれに聞こえることもなく、マリーゴールドの色に染まった夕焼けとともに、消えてなくなる。
そんな僕を、周りで見ている人はどう思っていたのだろうか。地面に落ちた涙は、水たまりを生み出し、僕の顔を反射して映し出した。
「笑え。笑え。笑え。笑え。・・・・・・・。」
なんども自分に言い聞かせても、湧き出てくるのは、憎しみと涙だけ。耐えられない痛みが、心に重くのしかかる。
あまりにもその事実は現実性がなかった。いまだに信じられない。そんなわけがないじゃないか。僕の母さんに限ってそんなことするはずない。そう自分に言い聞かせても、変わることはない。
「うわあああああああ。」
発狂した。その声がどこまで聞こえていたのかはわからない。悲劇の主人公へとなり果てた僕は、「自分」を見失っていた。
僕はそのままの状態で、家に帰ることを決断した。僕の日常を潰した母に会いに行くために。記者とカメラの中を僕は無視して家の中へと進んでいく。家のドアを開ければ、そこには、母が立っていた。
「母さん。なんで、こんなことになってるんだ。」
「私は悪くないのよ・・・。」
「何言ってるんだ。どう見たってあなたが間違っていることくらい誰にだってわかるだろ。」
「違うの。違うのよ。はめられたの。あんたのお父さんに。」
「父さんを悪く言うな。言い訳なんかしてないで、謝れよ。」
「私じゃないって言ってるでしょ。」
母は怯えていた。怒り狂った僕と、窓一枚挟んだ先にいるマスコミと野次馬。それは、人の情緒を崩壊させるのに十分な条件がそろっていた。
「あんたまで私の敵になるのね。」
「当り前じゃないか。お前が俺の日常を奪ったんだ。」
この時、僕の中に、「半欠けの僕」が生まれたのだ。今までの僕とは180度違う性格の持ち主。「僕」とは対極にある存在。
「あんた、体が半分になってるわ。」
これが僕が半欠けの僕に初めて体を奪われた時だった。
母にとってみればそれは幻覚のように思えたかもしれない。自分がおかしいのか、世界がおかしいのか。そう、この時母は、本当に、父にはめられていただけだったのだ。彼女もまた、「現実」を壊されたものの一人だった。精神は判断力を鈍らせ、湧き出てくる怒りがすべての感情を先行する、
「こんなの、現実じゃない。」
そう思うことしかできなかった彼女は、半欠けの僕に向かって、棚に置いてあった日本刀を手に取り、刃先を向けた。
その鋭さといえば、人を殺めるのことなどあまりに容易かった。半欠けの僕は倒れこみ、鮮血を流した。そのまま気絶し、倒れこんだ。背中に一筋の剣跡を残して。ただ救いだったのは、母の力が弱く、深く切り刻むことはなかったことで、死ぬことはなかったことだ。
「ああ。あかり・・・・・・。」
背中の傷によって追い出された「半欠けの僕」は、「僕」とまた入れ替わった。
「もとに戻った・・・。」
母は安堵していた。人を殺めそうになっておきながらも。それほど、未知の者に息子が奪われることが恐ろしかったのだろう。
実際その時に、僕は本来の僕を取り戻していた。当然体は傷つけられたままだったので、意識を取り戻すことはできなかったが。
そしてもう一つ、「僕」もこの時未知の体験をしていた。絶望を体験し、それが具現化して生まれた「半欠けの僕」に体を奪われた時、あの「理想郷」にたどり着いていた。
サラサラサラサラ
「ここは、天国なのか。」
開けた大地には、一人僕が立ってた。木々が揺れ合い、葉っぱが僕を呼んでいた。寝転んでみると、そこに広がるのは雲一つない晴天。日光浴をして気持ちよさそうな植物は、歌を歌い、遠くの方でかけている動物の群れはじゃれ合っていた。
「もう現実に帰りたくないよ。」
僕は声を漏らす。ここにいれば、何も考えなくていい。もう、あの世界に戻らなくていい。そう思うと、気が楽になった。舞っていた蝶が、僕の右手の甲にとまった。こんなに自由に空を飛べれば、どれだけ気が楽だろうか。何も知らないくせに、こうして他の物を羨ましく思う。蝶にだって彼らの世界がある。そんな側面には興味を持たず、人間にはただ、舞っているだけにしか見えない。僕のもとから離れていく彼らにとっては、僕は通過点でしかない。
「あ。」
去っていくあの蝶を見ると、余計に現実へ帰りたくないと強く思うようになった。
僕が初めて「半欠けの僕」と出会ったのは、そんな時だった。
「あかりくん。」
この世界には僕一人しかいないはずなのに、何者かに声をかけられた。どこかで聞いたことがあるような、親近感のあるその声が聞こえた。後ろを振り向いてみると、そこには体が半分しかない僕が立っていた。
「え。・・・・。」
その反応が残念だったのか、彼は不本意な顔をした。
「もっと驚いてくれてもいいんじゃないかな。普通、からだが半分しかない人となんて人生の中で出会えないよ。」
しかしそんなことはどうでもよかった。僕は話を遮る。
「君は、僕な・・・の?」
「そう。俺は君の半分だよ。」
「ああ、やっぱりそうなんだ。」
「せっかく君に会いに来たのに、なんだか損した気分だよ。」
「なんか、ごめん。さっきっから、あまりにも現実離れしすぎたことが起こりすぎて、君を見たくらいじゃ驚かなくなっちゃったみたいなんだ。」
「そうかい。」
そういうと、彼は遠くの方に行ってしまう。
「ちょっと待って。」
大声で彼を呼び戻そうと叫んだ。その声はやまびこすることもなく、遠くの方にまで響き渡る。
「なんだい。俺に何のようだい。」
彼はまるで僕に呼び戻されることがわかっていたかのようにして、けだるそうに僕のところに戻ってきた。
「ねえ。ここはどこなの。君なら知ってると思って。」
「ここがどこなのか。それは俺にも正確なことはわからない。けど、天国でも、地獄でも、現実でもない。きみが作り出した『理想郷』のようなものだってことはわかる。」
「『理想郷』か。」
「君が望めば、ずっとここにいることだってできる。それがこの場所の役目だから。その代わり、現実では俺が君の代わりに生きるから。」
「そんなことできるのか。」
「今の君にとっては、本望だろう。」
「うん。」
「でも、二つだけ条件がある。一つはこの一連の記憶は消えてしまうこと。二つ目はあと二年は現実で生きなければいけないことだ。」
「今すぐには無理なの?」
「お前が母さんにつけられた傷のせいで、俺はお前の身体に入れないんだ。その傷が治りきるまでは、お前になることができない。代わりに俺がここで退屈しといてやる。」
「どうしてこの傷のせいで僕の代わりが務まらないんだ。」
「そういうタイプの傷は、お前自身の意思を確かめきるまでは、他の者を受け付けないんだ。だから、あと二年は頑張ってくれ。」
「なんで、あと二年も必要なのさ。」
「二年後、お前に転機が訪れる、その時もう一度俺が会いに行ってやる。」
「僕になにか起きるのか。」
「そうだ。それがどうであろうと、耐え忍んでいろ。俺がお前の代わりになれるその日まで。」
「わかった。頑張るよ。」
「ああ、その気で、現実でも頑張ってくれ。さっきも伝えたように、お前には、母の件も、俺のことも、この場所のことも、すべて忘れてもらうけどな。」
「きっと、君が僕の前にもう一度現れることを待ってるよ。」
「ああ。そうしてるんだな。」
そういうと、彼は僕の前から消えた。
夜も半ば、気が付けば、家のベッドの上にいた。
それからは本当にあっという間のことだった。母の件で揉め、父が捕まり、彼女は無罪。しかしその後、学校では壮絶ないじめが始まった。海里だけは、僕のことを忘れずにいてくれたが、徐々に離れていった。冬も過ぎ、春の息吹を感じるころ、家を売り払い、県を離れたが、やはりそこでも僕はうまくいかず、「日常」を失っていた。そして、そんなころだった。「転機」は訪れた。「急性骨髄性白血病」を患った。
彼のことを、「世界一不幸な少年」と周りの大人は呼んだ。救いの手を伸べるわけでもなく、ただ虐げているだけのくせして。その頃、彼はもはや傷つくことに疲れていた。感情を持つことすら、自分にはできないんだと錯覚していた。そして、「死にたい」という思いが募るたびに、自分のことが嫌いになる。そんな時だった、「急性骨髄性白血病」を患ったのは。彼にとって、それは死ぬことができるチャンスだった。自分で首を吊るだけの勇気もない彼にとって、まさに天使のほほえみであった。
「これが、僕の過去の記憶なんだね。」
目の前に立った母は泣いていた。
「ごめん、母さん。僕、何もかもを忘れていたんだ。」
「いいの。私だって間違ってたわ。」
「これから、取り戻せばいいさ。失ったものは。」
「・・・。」
「母さん?」
「私の話をよく聞いて、欲しいの。」
彼女の目から涙が止まることはなかった。
「あなたがこの手術を受け終わった次の日に、「半欠けの僕」との契約日が来るの。あなた、死ぬのよ。」
「いや、この傷は、まだ僕の意思を聞いていないじゃないか。」
「いいえ、そんなことないわ。」
「どうゆうことなんだよ・・・・。」
「あなたの意思、それは、『この世界で生きていく』ことよ。今のあなたは、『死にたがっている』わけじゃない。」
「それは、そうだけど。」
「その傷は、あなたを失いたくなかっただけなの。だから、あなたが生きることを決断するその瞬間に立ち会いたかっただけなのよ。」
「じゃあ。僕は・・・。」
「ものわかりのいいあなたにならわかるでしょう。」
「じゃあ、母さん。僕は、現実であなたに謝ることも、できないのか。」
僕が彼女にそう語りかけると、もう母の姿はなかった。
この瞬間をもって、ドナーの移植手術は完了したのだ。
手術が終わったその夜の日、僕は目覚めることができた。まだやり残したことを明日までにやりきらなければならない。半欠けの僕の契約が絶対なことはもうわかっていた。感心でいるだけの時間はない。僕にはあと十四時間しか残されていないのだ。
上半身を起こすと、そこには半欠けの僕が立っていた。
「そんなに焦ってるということは、すべてを思い出したみたいだね。」
「おかげさまで。」
「現実が恋しいんじゃないのかい。」
「くっ。」
「残念だけど、明日の正午を持って、君は『理想郷』に飛ばされ、俺が君の代わりになるんだ。もう安静にしてな。どうせもう遅いよ。すべてに気づくのが。」
「僕が、間違っていたのか。」
「君の唯一のミスは、初めて出会った僕のことを信用したことだ。」
「そんな。僕は自分自身に騙されたというのか。」
「あの日の君と今日の君じゃ、何もかもが違う。でも、俺には何の関係もないのさ。」
僕は右手の拳をベットにたたきつける。
「今になって生に執着するのか。」
「悪いか・・・。」
「いや、人間なんだからその方が正解だろうよ。」
手術は、麻酔を打たれているため、ただ寝ているだけのようにも思えるが、実はとても体力を使う。医者よりも負担が重い。そんな僕の身体は、もう動くことなどできやしなかった。
「走り出したいんだろう。」
「もうこの体はそうもさせてくれない。」
「じゃあ、俺が力を与えてやろうか。」
「もうお前のことななんて信じやしないよ。」
「それならいいんだがな、ただ、この状況で君が頼れるのは俺だけだ。」
僕には何も残っていない分、いざ頼れる人はこいつしかいないのか。これには今までの人生を恨むしかなかった。
「なんだよ、言ってみてくれよ。せめて条件と内容くらい。」
僕は知っている。こいつは、もう一人の自分ではなくて、神でも、悪魔でもない者なんだと。でも、もう、どうなったっていいんだ。
僕は最後の最後にまで、彼と契約をする。
「『理想郷』にはいけなくなる。明日君を待つのは、別の何かだ。でも、その対価として、俺に残った力をすべてやろう。」
「要するに、俺は本当に明日死ぬってことだろ。」
「どうだろうな。」
すると、彼は僕の右手にブレスレットをはめた。
「もう君には力を与えてある。その証拠に、君は自分自身を失い、『俺』なんて言っちゃってる。」
半欠けの僕はとても嬉しそうだった。俺もその力を受け取ると、力がみなぎり、呼吸器具や体に張り付けられたパッドや点滴など、すべてを脱ぎ捨てた。
そしてそのまま病室を飛び出して、走り出していた。
息を切らして駆けてきたこの道を振り返ることはなくただ走り続けた。俺を知る人のいないような街を目指して。何の目的があってそうしたのかはわからない。いや、わかってはいる。ただそれから逃げようとしているだけ。けれど僕には、そうすることしかわからなかった。自分自身の心だけで、体を支えることはできなかった。そんなことにも気づかずに、夢中になって走っていた。眠たくはならなかった。「生きる」ことの喜びと「生きている」と感じたその瞬間に精神が肉体を凌駕していたから。時々目に留まる街灯の明かりが僕のスポットライトになった。舞台の上に立った喜劇の主人公のように、舞う。心が躍る。心の中にある小さな蕾が自分の身体を支配していく。自分でも気づかぬうちに、体をどうにかしてくれていたらしい。生き抜いているという興奮の絶頂。脳が遠くに吹っ飛びそうになった時、有頂天の中、ついに彼の力は底をついた。もうその一歩が踏み出せないくらいに疲れ果てていた。立ち止まり後ろを振り向いてみても、何もなかった。自分には影さえも存在しないのではないかとまでも疑うほどだった。僕を灯す月光さえまどろむかの如く消えかけている。目から垂れ流れたものはしょっぱかった。地面にしたたり墜ちたその粒と共に心の余裕まで堕ちていった。傘もささずに夕立の中を駆けていくような。一瞬にしてずぶぬれになった。自分がたった一人でそこに立っているかのように感じるこの気持ち。その気のゆるみで、体は温まっていく。加速した血流が体中にいきわたるのを感じた。息を吸って吐く音と、心臓の拍動音までイヤホンフォンで繋がれているかのように聞こえる。
ドク。ドク。ドク。ドク・・・
疲れ切った全身は次の一歩を踏み出させてはくれなかった。膝が最初に限界を迎えた。時に人は限界を超える力を発揮することがある。それには理由が伴うものである。でも俺には、もうそうするための何かさえも見つからなかった。
身体と精神を繋いでいた蜘蛛の糸よりも細いその生命線は途切れかけた。どこでどうやってかは忘れたが、睡魔が襲いかかり、夢を見させられた。途切れたと思っていた生命線はかすかに耐えていた。蜘蛛の糸は時に自分の体の何百倍もの力の物を耐える。そうすることで敵から守り、自然界の長い歴史を生き抜いてきた。そう。神はまだこの時の僕を捨ててはいなかった。
次の日、朝方まばゆい太陽の光で目を覚ますと、そこはベットの上だった。半欠けの僕が運んでくれたのだろうか。
かすかに開く目を開けると、そこには母が座っていた。
「母さん。」
僕は声を出すことすらできなかった。
「あかり。」
僕の名前を呼ぶと、母は右手を繋ぎ、握りしめた。僕は、昨晩のこともあり、疲れ果て、起き上がることすらできなかった。目は普段の半分も開かず、思考も停止し、ボーっとしている。
「あなたの名前は、『明るく生きてほしいから明(あかり)』にしたわけじゃないの。人を照らす「明」になって欲しかったの。父さんと長い時間悩んだ挙句決まったのよ。それでね、私もね、あんたと一緒に死のうかと思ったの。あの日。でもね、あんたを見てると、なんだがその気が薄れていったのよ。あなたが私を照らす明りでいてくれたからね。あなたにお礼が言いたくて、今日までの二年間、必死になって私も生きてたのよ。がんになって、死ぬんじゃないかと思った時には、さすがに終わったと思ったわ。でもね、ドナーになれた。これで、あなたの明になれるって思ったの。」
これが彼女の本音。母は隣で泣いていた。地獄を駆け抜けてきた僕らにしか理解できない命の最後。
「僕は、まだ死にはしないよ。」
声が出たのかはわからない。けれど、心を通じて、どうやら聞こえていたらしい。
「ええ。容姿はあなたのままですものね、彼。」
半欠けの僕は、少し離れた場所で僕らを見つめていた。今彼が何を思っているのかはわからない。
「もう。何も、あなたに伝えることはないわ。」
自分に言い聞かせていた。見ているこっちが辛いくらいに。意識があることが余計につらかった。
時は流れて、正午になる五分前。
棚の上に飾られたスズランの花が、しおれていた。毎日水をやっていた割には短命だった。
「ねえ、明。スズランの花言葉って知ってる?」
「・・・・・・」
「『再び幸せが訪れる』って意味なのよ。私、あなたに、幸せになって欲しかったの。」
その言葉を聞いたとき、半欠けの僕に言われたことを思い出した。
『生まれてくることが人生最大の幸福で、それだけで幸せ者なんだ』ということを。
なんだ。僕だって幸せ者じゃないか。
残り僅かな命の前に、ぼくはようやく真理にたどり着いた。だが、何もかもが遅すぎた。
「母さん。そんなことないよ。あなたのおなかから出てきたその瞬間に、幸福を授かった、世界一の幸せ者だよ。」
泣いていた。明日が来ないことに、母と別れることに、「明」の人生が終わることに。
「そう。あなたがそう思えるなら、私は救われたわ。」
最後まで私の「あかり」でいてくれてありがとう。
人生最後の日、そう聞こえたような気がした。
僕の魂は、本来の「理想郷」という終着点を失い、さまよっていたが、天国の扉はすぐそこに現れた。
そこには、半欠けの僕も立っていた。
「十七年間お疲れ様。」
彼は何を思ってそんなことを僕に言えるのだろう。
「ありがとう。最後に母さんと話せたからもう後悔はないよ。」
もう疲れ果てたんだという顔をして、彼の前を通ろうとした。
「なら、よかったね。」
「僕は、これから天国に行くんだ。そこをどいてくれないかい。」
「いや、まだ君は天国に行くには早い。」
「え。」
理想郷から帰るときのあの嵐がやってきて、天国から吹き飛ばされると、そこには病室で寝たきりの僕と母がいた。
「これは・・・・・・。」
「今日から君が、俺にとっての半欠けの僕になるんだよ。俺が死ぬまで、見守っておいてくれ。」
半欠けの僕とは、人間でも、神でも、悪魔でもない存在。もう一人の自分でいて、自分とは全く違う存在。
「いつでも俺の前に現れてくれてもいいよ。」
「どうして僕が、」
身体の右側は欠けていた。その左腕には、いつか見たことのあるような青色のブレスレットが巻き付いていた。
「君と俺は、いつまでも一緒さ。」
僕の疑問はその一言で解決された。
この体になってまず初めにしたことは、母さんの中から、僕の記憶を消すことだった。
いつまでも悲しまないように、「僕」のすべてを消した。初めから、この世界に存在していたのは、「半欠けの僕」の方ということにした。自分でそうすることがどれだけ苦しいことか。
誰にも存在を知られず、記憶にも残らない、でも死んではいない。一方的に、母さんと、もう一人の自分を見ているだけの残りの人生。
それは、「世界一不幸な少年」の最後にふさわしかった。
幸せじゃなくてごめんなさい ペコチーノ @pekoche
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