第2話
俺はついに「体全身」を手に入れることに成功した。死神でも、悪魔でも、天使でもない、「半欠けの僕」は、記憶と、体と、命を引き継いだ。「月村(つきむら)明(あかり)」の運命の歯車を動かし続ける役目を果たすために、この体で生き続ける。「急性骨髄性白血病」に患い、かつ寿命まで残り二週間を切っているというあまりに絶望的状況のため、この体は本当に不便だ。まあ、せっかく譲り受けた命だ。苦しみ続けてたった二週間だけ生きるなんてもったいないことはしない。この体にも、まだ助かるチャンスがあるかもしれないと俺は信じているから。
しかし本当に「僕」には何もないんだな。
この体になって改めて「世界一不幸な少年」という言葉がふさわしいと感じる。
一時になると、薬を入れられる。医者も絶望的だと思いながらも、こうすることをやめはしない。それがこの国のルールであり、道徳。「生きる」ことを捨てさせてはくれない。
それが本当にきつかった。死にたくても死ねないのは、本人だけがわかる辛さ。これを死ぬまで続けられるなんて、想像するだけでも、絶叫できるほどだった。今もこうしているうちに、着々とタイムリミットは近づいてきていた。
俺には時間を無駄にしている暇もない。寝る暇があれば、生きていることに執着した方がいい。俺は必死になって、調べものをした。
気が付けば、寝落ちしていて、次の日を迎える。この生活をいつまで続けるのだろうか。
そして朝が来る。
体温を測るなり、俺は先生に食い気味で聞いた。
「先生。まだ、助かる可能性はありますか。」
それはあまりにも意外な質問であっただろう。昨日まで生きることをあきらめ、「死にたい」と言っていた少年から、突然告げられた「不可能」に近いはずの望みだったから。
「え。」
先生はすっとんきょうな顔をして、それでもどこかちょっと嬉しそうな顔をした。
「ちょっとまってて。」
すると、先生はそう言い残して、何かを捜しに行こうとして、小走り気味に部屋から出ていく。すぐに帰って来ると、辞書よりも分厚いファイルを開いて、説明し始めた。
「ずっと待ってたんです。この時を。」
先生はうれしそうな顔をして、俺の目を見つめる。
「どういうことですか。」
俺にはさっぱり何が起きているのかわからないが、何か良いことが起きそうな気がした。
「骨髄ドナーの許可をお母さまからいただいています。明くんがもしもの時には、お母さまの意思で、手術を強行突破するつもりでしたので。」
聞いただけではよくわからないことだらけで、疑問が湧く。
「骨髄ドナーですか・・・。」
先生は急ぎ早に口を動かす。
「簡単に説明すると、骨髄の移植です。明くんの体の中の白血球の生成を、お母さまの骨髄で行うというものです。」
「そんな方法があるんですね。がん治療なんて薬だけだと思ってました。」
「当初はその予定でしたが、今回はかなりレアなケースだったんです。兄弟も、お父様もいない明くんにとって、ドナーが見つかることは、ほとんど奇跡のようなものですから。なんせ親がドナーになれる確率なんて約3%しかないんですよ。」
「ラッキーですね。僕。」
人前で話すときは、今はまだ「月村明」じゃないといけないから、「僕」って言わなきゃいけないんだよな・・・。
「ええ。神様がまだここは、死に場所じゃないと告げてくれているようなものです。ですが、治癒するまでは、油断できません。喜ぶのは、まだ早いんですよ。」
「この手術自体はどれくらいの確率で成功するもんなんですか。」
「そうですね。成功率で言えば、約90%ほどです。ほぼほぼ成功が見込めると思います。」
徐々に生への活路が導きだされていく。
「あの、僕に残された時間、たったの二週間しかないんですけど、可能なんでしょうか。」
「・・・・・・。」
先生は黙りこくって僕に深く頭を下げた。
それを見て察した。やっぱり無理だったんじゃないかと。僕のすさんだ顔を見て、先生は頭を下げ続けた。
「嘘なんです。」
「え・・・・・・。」
この状況にきて、何が嘘なのか全く見当もつかない。
「明くんは、まだ余命を宣告されるほど大ピンチなわけではないんです。」
先生は突然そう告げると、さっきの資料をだして、説明を始めた。
「急性骨髄性白血病というのは、六十五歳以下の完全寛解率が80%を超えている病気なんです。なので、比較的治癒が期待されるタイプですので、まだ十七歳の明くんの健康状態なら、寿命を考えるほど重いものではないんですよ。」
そう。俺に寿命があるということは母さんと先生のついた優しい嘘だった。
「じゃあ、じゃあ。僕は、まだ生きていられるんですか。」
「そういうことになります。申し訳ございませんでした。」
その言葉を聞くと、喜びが体からあふれ出し、全身を駆けめぐり、全神経に伝わり、右手の拳を強く握りしめた。それは、先生と母が意図的に作り出した正真正銘の「奇跡」だった。
「実は、お母さまからの要望で、あえて寿命という言葉を使わせていただきました。今にも死にたそうな顔をしてたので。」
「わかるものなんですね。」
「お母さまが教えてくれたんですよ。あの子はこの病気を理由にきっと死にたがってるって。」
「母さんがですか・・・。」
「ええ。ですが体を精密検査しているうちに、そうおっしゃる理由がわかりました。」
「この傷ですか。」
「思い出させてしまうのは辛いですが」
「そんなこともありましたね。」
そう、この事件は、俺を生むきっかけになった、「月村明」のすべての根源。
俺がこの記憶を思い出そうとした時だった。体の内側が燃え滾るように熱くなり、その傷が痛み始めたのだ。
「なにをするんだ。」
何が起きたのか理解できなかったがあ、自分の身体を確認すれば、それは一目瞭然だった。傷によって、「月村明」の体から追い出されたのだ。
「まだ、この傷は、あいつを許していないというのか・・・。」
魂が抜け、器しかなくなったその体には、僕の魂が乗り移った。
「理想郷」にたどり着いたはずの僕は、なぜか病室に座り込んでいた。
「なんで。僕は死んだはずじゃ・・・。」
現実を飲み込むことができないまま、あの頃の記憶が、僕の心の中に着々とたどり着いてきている。それも、思い出したくないあの記憶。
背中の傷は、もう消え去っていたと思っていたのに。
「傷跡は、いずれなくなり、それとともに記憶も薄れてく。でもね、記憶を思い出し始めると、その傷跡もまた出てくる。君自信に忘れられないためにね。そして憎悪の気持ちが増えれば増えるほど、なぜか初めより深く、そして色濃く残るものなんだよ。」
背中に入った一閃の剣跡が、ズキズキと痛み始める。
「思い出してきただろう。地獄を。」
それは遠くから聞こえる声だった。目覚めの鳥の声でもなく、看護師の声でもない。
自分の心の声のようで、そうでもない。だが決定的にそうとも言い切れない。なぜならば、
そこには半欠けの僕が立っていたからだ。
「どうして、君がここに立っているんだ。」
僕が問いかけると、半欠けの僕はばつの悪そうな顔をして詰め寄り、耳元でささやいた、
「どうやら、君はまだ死ねない運命にあるらしい。まだ僕は半欠けのまま生きなければならないんだ。」
「なんで僕はこの世界に戻ってきちゃったんだよ。」
「さあな、ただこれだけは言える。俺はお前の身体のその傷に追い出されたんだ。きっと、その傷が君を呼んでいるんだ。」
「今さらどうして、この傷が僕を呼ぶんだ。」
「自分のご主人様が恋しくなっちまったんじゃねえのか。」
「この傷が、僕に何かを求めているというのか・・・・・・・。」
「まったく、困った野郎だなあ。」
「その様子だと、やっぱり君は、僕の身体が欲しかったんだね。」
「なんか文句でもあんのか、んん?」
威圧的で攻撃的。まるで僕とは180度違う彼の性格に困惑する。
「なんなんだ。お前は。どんな運命をしょって生まれてくれば、こんな人生を歩むことができるんだ・・・。」
半欠けの僕は、あきれ顔で僕のもとから離れていこうとする。
すると突然僕の頭の中に、いくつものシーンが流れていく。それは走馬灯のように、消えかけてはなぜか僕自身の空箱にすっぽりと埋まるようなものだった。僕はその時、「記憶」の形を見た。
「君の言ってることはよくわかないけど、今、君が僕を乗っ取っていた間の記憶が復元された。」
「そうか、よかったな。たったの数時間だけどな。」
それは嫌みのようにさえ聞こえる。僕だってこんなの嫌だよ。
「なるほど。僕がまだ生きる運命にあるとはそういうことか。」
記憶が戻ると、すべてを理解する。一瞬の間に、何時間もの旅をしたような、苦しい気分になる。
「絶望はしないんだな。死にたいと本気で思ってるくせに。」
「絶望するのをやめただけだ。たった今、生きる目的が見つかったからな。」
「お前にそんな変化が起きるとはな。」
「誰よりも自分が一番驚いているさ。」
その言葉を聞くと、どこかうれしそうな顔をして、半欠けの僕は姿を消した。置き土産に、彼の持っていた青数珠のブレスレッドを残して。
深夜を過ぎると、一度目を覚ました。ふと思ったその時、「理想郷」から帰ってきたことの後悔をしのぐほどに、何かをやり残した気分になっていた。一度死んだはずなのに、覚悟したはずなのに、もう一度チャンスが与えられた。僕はその運命に、何かを感じ取っていた。
そして日がたつにつれ、僕の移植手術の話は現実味を帯び始めていく。「死」への実感を身を持ったからこそわかる、「生」への執着。そして日がたつにつれてもう一つわかったことがある。
この傷が、半欠けの僕を追い返し、僕を生かしたこと。それは、僕の未練を断ち切るためのものだということ。すなわち、この傷の根源を解決しなければ、生きるも死ぬも、僕の思い通りにいかないということだ。
「僕の身体は、いったい何を欲しがっているんだ。」
自分に問いても、何の答えもヒントも出てこない。この傷は、問は出すくせに、答えは出してくれない。
「どうしてだと思う。」
半欠けの僕は突如現れては、僕に問いかけた。
「わからない。」
「いいや、君は知ろうとしていないだけだと思うよ。」
「思い出すことが怖いんだとは思う。」
「どうしてその傷ができたのかを、本当に思い出せないのかい。」
「うん。あのころの記憶がないんだ。」
「記憶がないんじゃなくて、君自信が消してしまっただけだろう。思い出すのが怖いから。」
「・・・・・・。」
「記憶の扉を開けるカギを持つのは、君自信だ。考えてるだけじゃらちがあかないよ。たまには頼ってみたらどうだい。君の母さんに。」
「あの人には、頼れないよ。」
「それも過去から目をそらしているだけだろう。」
「そ、う、だね。」
言葉が詰まる。あの人が、僕を救ってくれるなんて到底思えない。
「でも、君の勇逸のドナーでもあるんだよ。きっとまだ君には死んでほしくないんだ。じゃなきゃわざわざあんなうそをつく必要もないだろ。」
「どうせあの人のことだ、何か裏があるに違いないよ。」
「君がひねくれものになったのは、彼女のせいなのかもしれないね。」
「それは僕にはわからないな。」
「そうやってまたはぐらかすのか。君がそんなでいるうちは、その傷も君自身を許したりしないと思うけどなあ。」
半欠けの僕は右手でバイバイの合図をすると、消えていった。
「まったくお前は自分勝手な奴だ。」
あの日から二日がたった。ついにドナー手術は始まる予兆を見せた。
もうどれだけこの病院にお世話になったのかも覚えてはいない。ただ、毎日生きてるのか死んでいるのかよくわからない、渦中にいたころに比べれば、今はそんなにきつくはない。理想郷という奇跡に出会い、半欠けの僕という自分自身と出会い、いい意味で退屈つぶしになったからだ。そして、今直面しているのは、僕の過去を縛る背中の傷と、生死の定めとなる、ドナー移植手術。よし、まずは、後者の方から、臨むとしよう。
手術一時間前。僕は、部屋で先生に呼ばれた。
「どうですか。気分は。」
「悪くはないです。」
「ならよかった。何か質問ありますか。」
「僕、生きて帰ってこれるんですよね。」
どうしてもそこだけは気になってしまう。
「先月の君からは、間違いなく出てくることなかった言葉ですね。もちろん、万全はつくします。」
医療に絶対はない。だから、「大丈夫」とは言わない。
「ほんとに、顔色も、顔つきも、よくなりましたね。」
「ちょっとした、目標ができたんです。」
「それならよかったです。病は気からですから。」
「本当にそうだったのかもしれないです。だから、あんなにきつかったんだろうと今になれば思います。」
その言葉を聞いた先生は、少し安心したのか、安堵した顔をして、僕を見つめた。
「お母さまの細胞を、体の中に入れることになります。それにいたって、稀ではありますが、お母さまの記憶が、体を流れるかもしれません。ですが、しっかり『自分』でいてください。」
そう言い残すと、僕の返事も聞かずに、深くうなずいて、部屋から出ていった。
「自分」でいるか・・・・・・。
考えることが多い一日になりそうだ。
まもなくして、オペ室に運ばれ、僕は、移植手術を始めることとなる。
手術が始まると麻酔をかけられ、夢でも、現実でもない世界にいた。すると突然闇の中に体が吸い込まれていくような感覚に陥った。そしてそこには、どこか聞き覚えのある、懐かしさすら思い起こす声もしていた。
そこには、母が立っていた。
「母さん・・・・・・。」
「あなた、半欠けのあなたに会ったでしょう?」
母は時間がないと焦り顔を見せて話しかけてきた。
「うん。結構前に出会ってからは、ほぼ毎日病室に来てるけど。」
約二年も話していなかったはずの母と会話をしている自分に驚きつつ、彼女に対して怒りを覚えていた。
「あれを生んだのは、過去のあなたなの。死にたがっていたあなたは、自分を殺してくれる存在を、未来に作り出したの。」
「確かに彼は、僕の身体を乗っ取ろうとしたけど、そんな奴じゃない。」
「騙されちゃだめよ。私のところに戻ってきなさい。」
それは過去を忘れた僕にとっては身勝手な言葉でしかなかった。
「結局言いたかったのは、そんなことなのか。」
「私があなたの命を救ってやったのよ、なんで話が聞けないの。」
「そりゃ、あんたが間違ってるからだろうが。」
怒鳴った。これは、僕が「半欠けの僕」から習ったもの。
「・・・・・・。」
「何も言い返せないじゃないか。結局あなたは何も変わっちゃいないんだ。」
僕が強く母に言い放つと、目の前から彼女の姿は消え、だれの物なのかもわからない記憶が、僕の頭の中で暴れまわる。母の記憶なのか、失った僕の記憶なのか、それとも、半欠けの僕が残したものなのか。
どうやら、この記憶は僕の過去のものらしい。そこからは「僕」の香りがしたんだ。
~二年前~
僕はその日、普通の少年だった。どこにでもいる中学三年生。ちょうど季節はもみじが色づき始めたころだった。帰路の途中で、友達と別れ、自宅前まで、小石を蹴って帰ってきていた。
その日が、なんの変哲もない少年が、「世界一不幸な少年」と呼ばれるまでの物語の始まりだった。
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