ふるさと

るつぺる

ふるさと

 何年も会ってない両親に電話をした。随分と聞いていなかったはずの声はすぐに耳に馴染んだ。私は精一杯弱音を吐かないようにしながら話し終えると帰郷のために支度を始めた。着替えはとりあえずこれぐらいあればいいだろう。捨てられていなければいくらかは向こうにもあるはずだ。都合よく考えた。ひとつずつ、ひとつずつ。スーツケースに詰め込むたびにマンションの一室が広くなっていく気がした。私はふと手にしたカメラを見つめた。持っていくべきかどうかを思案した。夫に買ってあげたものだ。それなりの値段がしたのを覚えている。私はそれを首にさげて鏡に映る自分へ向けた。人一人の半分くらいしか映せない鏡の中でさえ途方もなく広がって感じられた。

 夫は宇宙人。当然両親は反対した。私もなぜバカ正直に「彼は宇宙人なの」などと言ったのだろうか。目があって、口があって鼻があって耳があって、手足の指も五本ずつ。見た目は完璧に私たちと変わらない彼のことをふつうに紹介したってよかったはずなのに。父や母は娘がおかしくなったんだと感じたのだろう。それを彼にぶつけた。私は「私だって彼から見れば宇宙人だよ!」と啖呵をきって彼の手を引き家を飛び出た。両親とはそれ以来だ。

 彼との生活はほんとに普通だった。一般的な男女のそれと何も違わない。ただ少し話が合わない時があった。それもそうである。彼は地球を知ってるけれど私は彼の星を知らないから。彼がときたま寂しげに話す故郷のことは私には何も分からなかった。「帰りたい?」と尋ねてみても彼は首を横に振り私との生活の方が楽しいと言った。

 二人で暮らすマンションで近所付き合いみたいなのは殆どなかったけれど、誰かと顔を合わせたとして彼が宇宙人だなんて誰も気づかなかった。夫はうまくやっていた。すっかり地球人だった。

 彼とデートで言ったショッピングモール。私は彼の誕生日を知らなかった。だから初めて会った日が彼の誕生日ということになっていた。その日がそうだった。私は彼に洋服を買ってあげようと連れ出したのだ。ただ中々似合いそうな服が見つからず休憩がてらに珈琲片手。その近くのスペースで写真展が開かれていた。私は彼に「見てみようよ」と誘って手を取った。彼はしばらく一枚の写真をずっと見つめていた。その写真は川の中に一羽の鷺が佇んでいる静かな一枚だった。彼はそれをしばらく見つめると涙を一筋流した。私は慌てて「大丈夫」と聞いた。彼は「ごめん」と言うと続けて「ぼくも撮ってみたいなあ」と言った。私は洋服を買うのをやめた。

 カメラを手にした夫は子供のように無邪気だった。行く先々の全てを撮るつもりかというほどにそれを手放さなかった。流石に道端に転がっていた空き缶を撮りだしたときは注意したけど。それでも無邪気に笑う夫につられて私も笑ってしまうのだった。

 二人でテレビを見ていると彼が物憂げな顔をした。乱獲によって絶滅しそうだというウナギの特集だった。彼にとって「絶滅」や「滅亡」といった言葉だけで辛かったに違いない。なぜなら彼の故郷はそれによってもうないからだ。夫はこの星に調査に来たわけでも侵略に来たわけでもない。ただただ逃げてきたのだ。故郷にはもちろん両親がいて奥さんや子供もいたらしい。夫はこのことについて悲しみぬいたと言い、今の生活に馴染むことが自分の幸せだと言った。でも私は知っている。彼がまだそのことを思い出して、夜一人ベランダで泣いているのを。彼の星は彼の思い出にしかいない。彼の家族も。だから彼が忘れてしまったらもうどこにもなくなってしまう。私は私で複雑だったけど無理して忘れなくていいんじゃないかなと告げ、彼が地球で一番気に入ってるカルピスを入れてあげるのだ。すごく薄いやつ。故郷に帰りたいかなんて聞く意地悪な私の目一杯の懺悔なのだ。

 彼は夢中になって写真を撮った。一緒にいるはずの私のことなんて見えてないかのように。初めは笑っていられた。不思議なもので私はいつからかカメラに嫉妬していた。何も一緒に撮ってほしいわけじゃない。どちらかといえば小っ恥ずかしくて写真は好きじゃない私だ。でもあんまりにも夫が夢中になって我を忘れているので私はそんな夫に無理矢理抱きついてほっぺにキスをしながら片手スマホで自撮りしてやった。我ながら器用だと思う。夫は察したようにゴメンと謝ったけど私は「もう知りません」と機嫌の悪い役を演じた。

 友達と結婚の話になった。私は彼のことを友達には黙っていた。生憎彼の写真を持ち歩いてない私だからバレるなんてこともなかった。

「あんたいつ結婚すんのよ」「お前もな」

 私のことを知ってか知らずかそういう友達の言葉が私の深い部分に残った。私たちは籍を入れてない。そもそも彼に戸籍なんてないからだ。だけどそんな具体的なカタチをとらなくても私は私たちが夫婦だと思えた。夫婦が味わう幸せを私は持ててる。だけど彼が恋人じゃなくて夫であってほしいと思う私こそどこかでカタチに固執してたのかもしれない。いつか皆んなに祝ってほしい。誰もが私たちの幸せを願ってほしい。他愛ない望みだった。音信不通になってる両親の顔を少しだけ思い出した。

 彼が熱っぽいといって横になっていた。私は大丈夫かと聞いて夫は大丈夫だというけれど私が心配で会社を休もうかと言っても大丈夫だからと言った。私は何かあったらすぐ電話してとだけ伝え家を出た。その日の就業時刻が終わっても彼からの連絡はなかった。私は大丈夫なのだろうと思った。スーパーでカルピスとグレープフルーツを買ってレジを抜けた時、そう言い聞かせてるだけだと気づいた。だってこっちから何度連絡しても出ないんだもん。私は鳴り止まない呼び出し音を聞きながらできるだけ急いで帰った。「ただいま!」かえってくる言葉はない。私は寝室に一目散に向かった。「大丈夫!?」そう叫んだ声は虚しく響いた。ベッドの上には水溜り。そこに夫のスマホが浮いていた。私は慌てて拾い上げた。画面にはいつだか私が撮った二人の写真が映ってまもなく真っ黒になった。私はその場にへたり込んだ。そんなわけないよね。嘘だよね。なんか言ってよ。どこに行ったの。全部独り言になった。

 携帯ショップに行った。修理は出来るけどメモリーは完全にオシャカですねと言われた。もう何も残ってない空っぽの機械を私は処分してくださいとお願いした。一人で住み続けるには広かった。だけれど引き払う踏ん切りがつかなかった。待ってれば帰ってくるんじゃないか。祈るように私は待ち続けた。使われていない番号に電話した。既読にならないメッセージだけが増えていった。悲しみぬくなんて出来ないよ。私はずっと泣いた。

 何の気なしに送ったという。父がスマホを買ったのをきっかけに。父は夫について何も触れずただ「元気か?」とだけ聞いた。私は実家に何年かぶりに電話した。とりあえず帰って来いと言われた。私は答えれなかったけどそうしてみようと思った。

 電車の窓が田舎の景色を写しだすと懐かしさが広がった。何もない町。私にはまだ故郷があった。ホームに降りると匂いがした。二〇年いた町の匂い。忘れてなかった。私は夫もやっぱり忘れていないんだろうなと思った。彼に買ってあげたカメラを持って、懐かしい景色を一枚撮ってみた。変な音がなってよく見るとメモリーがいっぱいで保存できなかったみたいだ。私は呆れて笑った。それで初めて夫が撮った写真を見ることになった。なにせ私はコイツらに妬いていたのだ。何気ない景色だった。どこにでもありそうな、だけれど初めて見るような。そしてそのどれにも私が写っていた。彼がいつだか言った。「君と僕でまたあの星に行けたらな」私はこの写真が彼の故郷なんだと思った。私は知らない間に彼の暮らした場所に連れてかれていたのだ。私はずっと写真を見返した。それはだんだん滲んでぼやけて見えたけど私は見るのをやめなかった。このままずっと彼の愛した故郷にいたいと思った。

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