10 妖怪と山の秘密 2
この子、誰だろう? 暑いのに帽子もかぶってないし。
「誰だろうって思っただろう」
男の子はそう言って、ニヤリと笑った。
なんだかあんまりいいかんじの顔じゃない。こういうのは好きじゃないなあ。
ぼくがひそかにそう思うと、男の子はまた笑って言った。
「好きじゃないって思ったな」
ううーん、ぼく顔に出ちゃってたのかな。よくないね、それ。
もっとちいさいころは、なんでもかんでもくちにしちゃって、まわりのおとながいやな気持ちになってたから、気をつけようって思ってるんだけど。ダメだなあ、ぼく。はんせいしなくちゃ。
「反省しなくちゃって思っただろう」
「うん、ごめんね。気をつけるよ」
「……おまえ、イヤじゃないのか」
「なにが?」
どっちかっていうと、あやまるのはぼくのほうだよね。目のまえで、こいつイヤだなーって顔したら、ぼくめちゃくちゃ悪いヤツじゃんか。
「えっと、ここでなにしてるの? ぼくは散歩だよ。それと、夏休みの宿題の下見」
「宿題?」
「絵を描く宿題があるんだ。夏休みの思い出。ぼく、おばあちゃんの家にあそびに来てて、それも思い出かなって。きみはこのへんに住んでるの?」
男の子はうなずいた。
やった。おすすめスポットとか知らないかなあ。
たとえばキレイな景色が見えるところとか。木ばっかりじゃつまんないっていうか、緑色ばっかりの絵になっちゃうから、できればほかの色も使いたいし。
「景色が見たいのか」
「あ、どこか絵に描けそうなところ、ある?」
「見たいなら、木に登ればいい」
「木登りかー。タマさんは得意だよね」
「危ないことは止めておきな」
「登るなんて言ってないよ。ぼくだって上手じゃないのはわかってるし」
ニャーオとタマさんがぼくに忠告をする。タマさんはぼくの保護者なのだ。
男の子はぼくとタマさんを見て、むずかしい顔になった。ちょっとだけうしろにさがった気がする。
もしかしたら、猫がニガテなのかも。だったら悪いことしたなあ。
「ごめんね、猫ニガテだった? いちおう、ヒモでつないでるから、いきなり飛びかかったりはしない、と思うんだけど……」
タマさんときたら、本能だとか言って、いろんなものに猫パンチをするから、ぜったいにだいじょうぶ、とは言いきれない。
たとえばコウキくんがあそびにきたときなんかは、いきおいあまってコウキくんの手を引っかいたりしちゃって、あやまるハメになる。
コウキくんは、ちいさいころからのともだちで、タマさんのこともよく知ってるから、「べつにいいよー」って言ってくれるけど、知らないひとはイヤだよね。
「……その猫、妖怪か。おまえも妖怪なのか、だからオレのことも平気なのか」
「え……。えーと、その……」
「かまいやしないよ、アタシの声だって聞こえてるんだ」
「え、そうなの?」
男の子はうなずいた。
「おまえはなんだ」
「ぼく? ぼくはクサナギタケル」
「草薙の者なのか」
「クサナギノモノがなにかわかんないけど……」
「オレはサトリだ」
サトリくんか。いくつかな? ぼくとおなじぐらいっぽいけど。
「……年齢なんて知らない。オレは
「うん?」
「そこの猫とおなじだ。オレは
「見た目どおりの年齢じゃないってことさね」
タマさんもうなずく。
たしかにタマさんはいくつなのかわかんないし、訊いてもおしえてくれない。コンさんも「いつのまにか学校にいた」って言ってたし、ハクさんにいたっては、なんかめちゃくちゃ長生きしてるっぽいよ。
「サトリくんは、なにをする妖怪なの?」
「サトリだ」
「うん。それで――」
「知らないのか?」
「えっと、サトリっていうのは、本で読んだことあるよ。たき火が跳ねてヤケドして、ビックリして帰るんだよね」
「それだけ聞くと、ただのバカだねえ」
タマさんがすごく失礼なことを言うので、ぼくはサトリくんにあやまる。
「ごめんね。ぼくが知りたかったのは、サトリくんがぼくの考えていることがわかったとして、それでなにをするのかなってことだよ」
たしかに、自分の考えていることをぜんぶ当てられたらおどろくと思うし、めんどうだなって思うかもしれない。だけど、ぼくがいままで言ってきたことも、相手にとってはおどろいたりめんどうだったり、こわかったり気持ちわるいことだったりしたんだと思うから。あんまりひとのことは言えないんだ。
「あのね、ぼくは秘密ノートを持ってるんだ。そこに、いろんなことを書いていくことにしたら、くちで言うきかいが減って、イヤな顔されるのもすくなくなったよ」
「ノート」
「ぼくのはおとうさんにもらった大学ノートなんだけど、べつになんでもいいと思うんだ」
「……おまえ、変わってるな」
「よく言われる」
□
サトリくんに案内してもらって、眺めがいいところを探しに行くことにした。
たんに「キレイ」ってだけじゃダメなんだ。こう、自分でも描けるかなっていうかんじのところがいいよね。
道っぽくないところを進む。ぼくひとりだったら完全に迷子になってるところだ。
地面にはコケとが生えてるせいで、すべりそうになるから、タマさんにはわるいけど、自分で歩いてもらってる。チリチリ鈴が鳴るからいることはわかるけど、草がいっぱい生えてるからどこにいるかわかりづらい。
「サトリくん、なんか暗くなってきたけど、だいじょうぶ?」
「山も深いところに来たからな」
「それって、山のなかのほうに来てるってこと?」
景色が見える場所からは遠いんじゃないかなあ。
ぼくのギモンは、声には出していないけど、たぶんサトリくんには聞こえてるはず。それなのに、なにも答えずにどんどん進んでいくんだ。
じめっとしてて、ひんやりしてる。山に行くから、長袖と長ズボンにしてきてよかった。半袖だったら、さむくなってたと思うし。
影が多くて、林のなかは暗い。
だけど、ずっと上のほうから光がもれてきているから、まだ昼間なんだっていうことはわかる。
バサバサいってるのは、鳥の羽音。セミの声は、思ったほど聞こえない。上のほうで、ざわざわと風が吹いている。シーンとしてて、ぼくたち以外の人間はいないんじゃないかなってかんじだった。
「人間はおまえだけだろう」
「んー、でもさ、ここさいきんでぼくが知ってる妖怪は、みんな動物なんだもん。人間の姿をしているのはサトリくんがはじめてだよ」
「姿を似せているだけだ」
「それって、人間となかよくするためなんでしょう?」
「……おまえは本当に変わったヤツだな」
だって、そうじゃないかな。本で読んだ「サトリ」っていうのは、たき火をしている人間のところにやってくるんだよ。あぶないよーって言いにきたのか、せっかくだからお話しようと思ったのか、どっちかでしょう?
どんどん暗くなる。まわりは木がいっぱいで、道らしい道もない。どこから来たのかもわからないぐらいだ。
サトリくんはひとこともしゃべらない。なんとなく、ぼくもしゃべったらいけないような気がして、ついついだまってしまう。聞こえるのは、タマさんが鳴らす鈴の音だけだ。
「ここだ」
「ほらあな?」
というか、トンネル。けっこう奥のほうまでつづいてるみたいだけど、ぜんぜん先が見えないや。
「どうするんだ」
「いいところに連れてってくれるんだよね? だったら行くよ」
「……おまえ、ほんとうにヘンなやつだ」
チリン、と鈴の音が聞こえて、タマさんのしっぽがぼくの足をくすぐる。
タマさんがいっしょなら、たいていのことはへいきだ。
ぼくはサトリくんに付いて、穴のなかにすすんだ。
■ ◆ ■
山の気配が変わった。
鼻を鳴らして気配を嗅ぐ。どうも侵入者は子どもであるらしい。ならば、
しばらくののち、戻ってきた覚は男児と
二又の尾を持つ町中の妖ものは、フーと鋭い息をふきながらこちらを見据えたが、男児がそれを諫める。
「タマさん、失礼だよ。ごめんなさい、えーと、サトリくんのおとうさんですか?」
覚は何をどう
「おまえ、草薙の者か」
「サトリくんも言ってたけど、クサナギノモノってなんですか?」
「……知らぬのか、己の血を」
「ち?」
小首を傾げる様子は、あどけない童そのものだ。
「
「おじいちゃんを知ってるの?」
子どもは、目を丸くして驚いたようであった。本当に、なにも知らぬらしい。
さて、ならばどうするべきか。
山を統べる
子の足もとに控える猫又がギロリと瞳を光らせ、吾輩を睨みつけている。放つ気は鋭く、ここに無事辿りついたのは、この妖が小鬼どもを蹴散らしてきたからなのであろう。
「おまえ、名はなんと申す」
「クサナギタケルです」
「そうか。吾輩は、三宝山を統べる大天狗である」
「そのお面の下って、どうなってるの?」
「探るでない。秘すべき事柄だ」
「……ごめんなさい。ぼく、すぐに知りたがるからダメなんだよね」
とたん、意気消沈したタケルに吾輩は告げてやる。
「ならば、この山について説いてやろうか。今では三方などと記されておるが、もともとは三つの宝と書いて、さんぽうであった」
「宝ものがあるの?」
「それもまた秘するものだが、知りたくばそなたの祖父に訊ねるがよかろう」
「おじいちゃん?」
「ところで、ここへ参った理由があるのではないか?」
「そうだ、ぼく夏休みの宿題の絵を描くんだけど、その場所を探してて。写真撮ってもいいですか?」
背負った鞄から取り出したのは、ひとが扱う写真機。
「――絵画とは、その場に身を置いて描くものではないのか?」
「絵具は持ってきてなくて。色を塗るのは、家に帰ってからにするから」
なんとも物怖じをしない子どもで、久方ぶりに軽やかな心地になってくる。
吾輩が覚に目をやると、決まり悪げに視線を逸らせる。それでも、子どもに「サトリくん」と声をかけられるたび、口の端があがるのが見て取れた。
「描くのに良い場所を教えてやろう」
「ほんとですか?」
「秘密に出来るのであれば、だが」
「だいじょうぶ。ぼくには秘密ノートがあるから」
そう言って子どもは、鞄の中から何かの冊子を取り出して、こちらに掲げた。
木漏れ日の下、それは白く輝きを放っていた。
■ ◆ ■
山から下りたら、もう夕方だった。
うわー。あんまりおそくなると、おこられちゃうよ。
「タマさん、走って帰ろう」
「なら競争だね」
「ええー、ムリだよ。タマさんみたいに走れないもん」
「ほれ、さっさと行くよ」
チリンと鈴を鳴らしたタマさんのしっぽを追いかけて、ぼくは全力ダッシュをはじめた。
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