03 音楽祭とカエルの秘密 1
それが「初夏の野外音楽祭」ってやつ。
一年生から三年生まで、それぞれのクラスが、校庭で歌をうたう。
なんの歌かっていうと――
「カエルって、クワなんて鳴かないよね」
「それをいうなら、ケロケロじゃなくて、ゲェーゴとか、そんなかんじ」
「あれを人間の言葉であらわすのは、むずかしいと思うよ」
ぼくたちのグチにそっけなく答えたのは、カミルくんだ。
一学期の学級委員は先生が指名するんだけど、選ばれたのがカミルくん。二年生のときも学級委員をやっていたらしい。たぶん、すっごく頭がいいんだと思う。いつもむずかしい言葉をすらすらしゃべるから、ぼくはときどき恥ずかしい。
くばられたプリントには、大きく「かえるのうた」と書いてある。
ぼくたちは、これを歌うのだ。
ご近所のひとたちも聴きにやってくるおなじみのイベントで歌われるのは、ぜんぶおなじ歌。ついこのあいだ入学した一年生も、何百日も学校に通っている三年生も、みんながおなじ歌を合唱する。
いや、ちょっとちがう。
合唱するんじゃなくて、
一年生はみんなで歌う。
二年生は、横に並んで、順番に歌を重ねていく。
うん、ここまではいいんだよ。問題は、三年生。
別名、サドンデスかえるのうた
かつておなじ小学校にかよっていた、中学二年生の
三年生の「かえるのうた」は、いつ終わるともいえない輪唱地獄。ただ歌っていればよかった低学年のときとはちがって、そこには「動作」がつく。
歌っているひとは立って、それ以外のひとは、その場にしゃがむんだ。
つまり、お客さんからみれば、ぴょこぴょこ跳んでるみたいに見えるってわけ。
おまけに、歌う順番には並んでいないので、もぐら叩きのゲームみたいに、ランダムに飛び出すという、見ているひとは楽しいけど、やってるほうはつかれるだけ。一巡して終わりじゃなくて、いつ終わりにするのかは指揮者の先生が決めるという、鬼のショギョウなのである。
家に帰ってプリントをわたすと、おかあさんが笑った。
「そうか、タケルもついにかー」
「キチクだよ、キチク」
「来年は笑って見られるんだから、いいじゃない」
そんなおかあさんも、上坂小学校のサドンデスかえるのうた体験者。
っていうか、あれを見にくるひとたちはほとんどが体験者なんじゃないのかなあ。そうして、あのおそろしいかえるのうたをやっている子どもたちを、見物するためにあつまっているにちがいないのだ。
まったく、気楽なもんだよ。
ランドセルを置いてもどってくると、台所の椅子でタマさんが寝ていた。
「ただいま、タマさん」
ぼくがあいさつすると、薄目をあけてこっちを見る。そうして、クワーと大きなアクビをして、椅子から降りた。茶色い毛に黒色が巻きついたみたいなしっぽをぼくの足にからませて、タマさんがこっちに身体をこすりつける。
下を見ると、タマさんの黄色い目とぶつかった。
まんなかにある、黒と緑をまぜたみたいなところが動いて、なにかをうったえる。
ぼくがうなずくと、タマさんはすっと離れていった。冷蔵庫からジュースを取り出してコップに入れて、ポテトチップスのちいさい袋を持って、自分の部屋に行く。
タマさんは、ぼくの部屋に置いてある猫用のベッドには入らず、机の上に乗って待っていた。
「塩辛いものは食べちゃダメだって、おとうさん言ってたよ?」
「そんなもんは知らないよ。アタシは猫であって猫じゃないんだ」
最近のタマさんは、ポテトチップスがお気に入りらしい。犬や猫には、人間が食べるものは身体に悪いから食べさせちゃダメだっていうけど、タマさんときたらおかまいなしなんだ。
たしかにタマさんは猫又かもしれないけど、見たところ猫だし、マンガに出てくる猫娘みたいに人間の女の子になるわけじゃない。だったら食べるのはよくないんじゃないかなって思ってるんだけど、味をしめちゃったみたい。お供えのポテチ、なくなっているのはタマさんのしわざじゃないかなと、最近ぼくはうたがっている。
そういえば、犬は「遠吠え」っていうのがあるけど、猫はそういうのあるのかな。あんまり聞いたことない。ケンカの声はよく聞くけど。
わからないことは、訊けばいい。
ぼくは、ポテチを食べおわって顔を洗っているタマさんに、質問した。
「猫はうたったりするの?」
「しなくもないが、それがどうかしたのかい?」
「音楽祭があるんだ。ユーウツだよ」
「なんだい、去年は楽しそうに練習してたじゃないか」
「そんなの、むかしの話だよ」
「昔、ねえ」
タマさんが笑う。むー、すごく失礼だ。
ただ楽しく歌っていればよかったときとおなじにしないでもらいたい。三年生のかえるのうたが、こんなにもおそろしいものだったなんて、知らなかったんだから。
「そもそも、あれは梅雨時期の雨乞いが起源だろう?」
「なにそれ、知らないよ?」
「いつだったか忘れちまったけどね。
「へー、そうなんだ」
おもしろいネタだから、忘れないようにノートに書いておこう。
ぼくは秘密ノートを取り出して、「おんがくさいのはじまりについて」と題名を書く。
それにしたって、歌をうたえば雨が降るものなのかな。もしもそれが本当なら、野外コンサートはいつも雨になっちゃうじゃないか。
晩ごはんのとき、おとうさんに訊いてみたら、「それはおもしろい見解だなあ」って笑って、答えてくれた。
雨が降る理由には、あったかい空気とつめたい空気が関係しているらしい。
あったかい空気が空にのぼっていくと、上のほうは空気がつめたいから、水になったり固まって氷になって、そうやって、いっぱいあつまったのが雲。
あつまりすぎて重くなると下に落ちてくる。
落ちてくるあいだに、氷はとけて水になっちゃうから、雨になるんだってさ。
冬は寒いから、とけないまま下まできて、雪になるらしい。
「古来、雨乞いには火を
「ねえ、じゃあ、カエルが鳴いたら雨が降るのは?」
「ツバメが低く飛んだら雨が降るっていうのもあるわよね」
おかあさんがくちを挟んできて、そこからはうそだか本当だかわからないような話ばっかりになって、ぼくのギモンはうやむやになった。
おかあさんがでてくると、いつもこうなんだ。
音楽祭が近いから、音楽の時間だけじゃなくて、ほかの時間でも「かえるのうた」の練習をする。一学年に三クラスあるわけだから、いつもどこかで「かえるのうた」が聞こえてくることになる。
おかげで、いまは国語の時間だけど、頭のなかには「かえるのうた」が流れている。
と思ったら、校庭でどこかのクラスが歌ってた。
ついに、本番とおなじ状況での練習になったみたいだ。立ったり座ったりしているから、三年生かな。一組か二組、どっちかだ。
ミキモト先生が、「もっと大きな声で!」って怒鳴っている。先生のほうがよっぽど声が大きい。身体の大きさがぜんぜんちがうのに、むちゃを言わないでほしいと思う。
このミキモト先生っていうのは三年生の担任じゃないんだけど、こういうお祭りみたいなことが好きなのか、音楽祭や運動会のときは目立っているから、名前を知っている先生。筋肉モリモリってかんじの男の先生で、いつもジャージを着てる。
ぼくらのクラスも、このあいだ、ミキモト先生の「大きな声で」をやられたばかりだ。
つくづくめんどうなイベントだなあって思う。
あーもう、いっそ雨でも降らないかなあ。ほら、そうしたらさ、外でなんか歌えなくなるじゃない?
てるてる坊主をさかさに吊るそうかな。
ぼくはちょっとだけ本気で考えている。
つぎは音楽の時間。担任のアンドウ先生がピアノを弾いて、かえるのうたの練習をする。
アンドウ先生はピアノがとても上手なので、音楽祭や合唱コンクールでもピアノを弾く係なんだ。ひらひらのスカートを着て、黒いピアノを弾いているのは、テレビに出てくるひとみたいですごい。いつもとは別人みたいなのだ。
さて、輪唱していく順番はランダムということになっているけど、当然ぼくたちはわかっている。そうじゃないと、ぶっつけ本番とかムリゲーってやつだし。
ぼくのまえに歌うのは、ドレミちゃん。
ドレミちゃんはピアノを習っている女の子で、歌もうまい。うっかりつられそうになっちゃって、そのたびにぼくは「クサナギくん、またまちがえた!」って怒られる。テキビシイんだ。
ぼくは、ぼくの次に歌うことになっているカミルくんに、カエルと雨の関係について質問してみることにした。頭のいいカミルくんなら、なにか知っているかもしれないし。
「よく言われているけど、べつにカエルが鳴いたから雨が降るわけじゃないよ。カエルは気圧が下がると鳴くらしいから、夜にしか鳴かないわけじゃない」
「えーと、つまり、あんまり関係はないってこと?」
「カエルが鳴くから雨になるわけじゃなくて、雨が降りそうだから鳴いてるってこと。前提が逆なんだよ」
天気図を見ればわかるよ、と言ったけど、ぼくはそもそも「テンキズ」とやらがわからない。テレビの天気予報に出てくるやつだって言われたけど、あれを見て、どうして天気がわかるのか、さっぱりだ。カミルくんは国語も理科もどっちも得意ですごいと思う。
帰ったら、忘れないように、秘密ノートに書いておこう。
帰り道、田んぼのあいだを通っていると、カエルの声がうっすら聞こえてくる。
カミルくんは、ずっと鳴いているっていうけど、夜のほうがもっとたくさん鳴いていると思うんだけどなあ。
落ちている小石を蹴飛ばす。
今日はこれを落とさないようにして家まで帰ろう。できたら、ぼくの勝ちだ。
こういうのは、大きすぎても小さすぎてもダメで、選ぶのがむずかしい。今日の石は、なかなかにいいセレクトだと思う。
コウキくんがいっしょなら、ふたりで順番に蹴っていくんだけど、今日はぼくひとり。コウキくんは、三年生になってからサッカークラブに入ったから、あそぶ時間がへったんだ。
「……あっ」
うっかりへんなところを蹴っちゃったから、石が用水路に落ちてしまった。ざんねん、今日はぼくの負け。
それと同時に、べつのものを発見した。
タマさんだ。
地面を見つめて、なにやら猫パンチをくりだしている。
「タマさーん、なにしてるの?」
ニャーと鳴いたタマさんが、なにかを前肢で押さえこんだまま、ぼくのほうを振り向いた。
今日の相棒を用水路ポチャしたぼくは、早足でタマさんのところへ向かう。そして地面を見ると、大きなカエルがもがいていた。
よく見かける緑色のアマガエルじゃなくて、灰色と茶色がまざったような、まだらのカエルで、しかもよく見ると、うしろの足がいっぽんなくなってる。
「え、タマさん、カエルの足、食べちゃったの?」
「冗談お言いでないよ、誰がこんなもの」
「こんなものとは心外心外、オイラだって御免御免」
「――え?」
不機嫌なタマさんの声のあとで、甲高くて、それでいてガラガラとしゃがれた声が聞こえた。
「いいかげんに解放解放!」
「……もしかして、このカエルがしゃべってるの?」
「なんだ小僧、おまえ耳を所持所持? グエエェ」
言葉のさいごでつぶれたみたいな声をだしたカエルは、タマさんの前肢と地面のあいだでぺったんこになっている。
さすがにちょっとかわいそうだ。
「タマさん、はなしてあげようよ。どうしてこんなことしてるの?」
食べもしないのに――と訊いてみると、「本能だよ」とタマさんは答えたのである。
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