番外其の仁:琴鳥の子はいろはを詩ふ

 ある日の放課後。その日は生徒会は無かったのだが、俺は呼び出されていた。しかし、生徒会以外で俺を呼び出す人なんて、この学校には一人しかいなかった。麓川高校唯一の音楽教師であり、俺や神崎のクラスの担任、詩間琴音である。容姿端麗で冷静沈着な詩間先生は男女問わず生徒から密かに人気だったりするのだが、俺はこの人の、ちょっと変わったところを知っていた。

「鬼山くん、この写真はどういうことですか。」

詩間先生が見せてきたのは遊園地で俺と神崎が歩いている写真だった。

「どうして先生がこれを…。」

「私の友人に遊園地で働いている人がいるんです。ある日その遊園地が貸し切りになって、なんていう人が来ていたのかと聞くと『神崎』と答えました。この写真はその人にもらった写真です。」

詩間先生も友達いたのか…。ていうか俺の名前は?それに、なんで平然と盗撮してんだよ。

「なぜあなたが、遊園地の貸し切りチケットなんて意味の分からないものを持っているんですか?」

「それは…その…財閥の力で…。」

「天文寺くんからもらったの?」

「いや、天文寺じゃなくて、むしろ逆というか…。」

「まさか神崎さん…?そんなはずはないです。あの子、倉庫みたいな家に住んでいるでしょう?そんなもの、持っているはずがありません。」

まあ実際ほんとに元は倉庫らしいんだけどね。

「まあそこはもういいです。鬼山くん、今週の土曜日、空いていますか?」

「空いてますけど、何か用事ですか?」

何か課題でも出されて、教室に閉じ込められ、一日中やらされるのではないだろうか。そう思ったが、先生の口から出たのは予想外の言葉だった。

「鬼山くん、明日一日私に付き合ってください。」

少し前の文と全くつながらないので、俺は困惑した。


♪♪♪


 土曜日。詩間先生には家で待っていてくださいと言われていたので、それなりに着替えた状態で、自室でまったりとくつろいでいた。最近買った『BLADE5』のCDを流していると、家のインターホンが鳴る。それに気付いて下に降りると、既に姉が出ていた。

「はーい。」

「鬼山歩夢くんの担任の、詩間琴音です。」

「あ、もしかして教育実習できてた、琴音ちゃん?ちょっと待ってて!」

教育実習?つまり先生は、姉がいる時代に教育実習生として来ていたということなのか?BLADE5の時と言い、この町少し狭すぎないか?

「鬼山香織さんですね、お久しぶりです。」

「いやあ、琴音ちゃんがまさか歩夢の担任をやってたなんて驚いたよ~。」

俺はあの先生を琴音ちゃんなんて呼ぶ勇気はないんだが。

「弟さんは今いらっしゃいますか?」

「うんいるよ。歩夢―?って、あれ?」

俺は姉のすぐ後ろまで来ていた。

「歩夢…いつの間に…?」

結構前からいたんだが。

「おはようございます鬼山くん。さて、行きましょうか。」

「え、歩夢?琴音ちゃん?どこ行くの!?」

「弟さん、今日一日お借りします。」

そう言って、詩間先生は家のドアを閉めた。そして家の目の前には、何やら見慣れぬ車があった。

「先生…これは…。」

「今日は二人で、ドライブをしに行きましょう。さあ、乗ってください。」

先生が車のドアを開いて待っている。俺は動揺しながらも、助手席に乗った。


♪♪♪


 車内で、どこに向かっているかもよくわからないまま、流れゆく景色を見ていた。なぜかこの車はMT車なようで、詩間先生は華麗な手さばきでクラッチ操作をしていた。

「音楽を聴くのは好きですか?」

「ええ、それなりに。」

「それならよかったです。今から、近くの文化ホールに行って、オーケストラを聴きに行く予定なので。」

オーケストラか…。流石音楽の先生といったところである。

「鬼山くんは、オーケストラを見に行ったことはありますか?」

「いや、初めてですね。なんなら、どこかの会場で音楽を聴くといった行為自体が初めてです。」

「それは意外ですね。てっきり、BLADE5のライブに入ったことがあると思っていました。」

「なぜか俺の周りにファンがいないもので…。一人でライブに行くのも少し抵抗があって。」

「友達がいないだけではありませんか?」

そこは別に言わなくてよかっただろ。

「転校生の天文寺くんと、たった一日で友達になっていましたね。なぜそのコミュニケーション能力をもってして、友達がいないんですか?」

「それは…。」

俺は詩間先生に、不運のことを話すか悩んだ。このことで昔は悩んでいたが、神崎のおかげで今は比較的柔和になっている。それに真面目な詩間先生のことだ。きっと本気で聞いてくれるだろう。でも今はそこまで悩んでいるわけではない。なので、言わないことにした。

「昔から俺は、友達がいらないと思っていたんです。友達なんていても、きっと俺は何もしてやれない。むしろ迷惑をかけてしまうんじゃないか、そう思っていたんです。だから、友達を作る癖がない。だけど、最近それは違ったのかなと、そう思い始めました。おそらくそのきっかけが、神崎なんです。」

「なるほど理解しました。というより、もうすでに理解していたのかもしれません。あなたたちは、そういう関係ではないと。」

そう言って、詩間先生は駐車場に車をとめた。

「さて、着きましたよ。あ、そういえば鬼山くん。」

「なんですか?」

「教師と生徒が一緒にいるというのは世間的にあまりいい目をされません。なので、私のことは名前で呼びなさい。では、行きますよ。」

名前ってことは「琴音さん」でいいのか?少し疑問を思い浮かべつつも、琴音さんとともにホールに入った。


♪♪♪


 オーケストラは初めて聞くが、俺は感動した。これだけの種類の楽器があって、それをすべて別々の人が演奏している。それなのにも関わらず、圧倒的な調和性。大げさかもしれないが、奇跡を音で具現化しているようだった。何時間聞いても飽きなかった。

 演奏は気付けば終わっていた、人生でここまで曲に集中したのは初めてかもしれない。オーケストラでは寝るという話を聞くが、そんなことは全くなかった。ほんとにいるのか、これで寝る人。感想を言い合おうと、俺は琴音さんのほうを向いた。

「すぴー…。すぴー…。」

「琴音さん?琴音さーん。」

「はっ…。」

「琴音さん、今寝てませんでした?」

「いえ、そんなことはないですよ。ずっと起きてました。いい曲でしたね。」

絶対寝てただろ。

「この文化ホールの建物内に、おいしいかき氷屋があるんです。そこで感想を言い合いましょう。」

琴音さんは立ち上がり、スタスタと次の場所へ向かった。いや、絶対寝てただろさっき。思いっきりすぴーって言ってたぞ?しかし、そんなことを考えていたらおいて行かれそうになったので、速足で追いかけた。


♪♪♪


 かき氷屋に着くと、琴音さんは俺に「先に座っていて。」といった後、俺の分も一緒に頼んでかき氷を買ってきた。

「本当にいい演奏会でした。連れてきてくれてありがとうございます。ところで…」

「はい、なんですか?」

「なんで今日は俺を呼んだんですか?別に、オーケストラに行くだけなら、一人でもよかったのではと思うんですが…。」

結局琴音さんの意図が未だにわからない。どうして目の敵にしているはずの俺を連れて、オーケストラを見に行ったのか。どうしてかき氷をおごってくれたのか。俺には、さっぱりわからなかった。

「なぜかと言われても、特に理由ないですよ?」

「へ?」

「オーケストラを見に行きたかったけれど、感想を言い合う相手がいないのでは消化不良です。なので、どうせ休日暇にしているあなたを連れてきたんです。鬼山くんなら、音楽の感性もあると踏んでいたので。」

「でも、俺じゃなくても休日暇してる知りあいなら、他にもたくさんいるんじゃないですか?」

「いえ、私には友人と呼べる人が、以前言った遊園地で働いている女性しかいません。あなたと同様に、友達を作ってこなかったんです。」

なんだ…、やっぱり友達いないんじゃないか。

「それなら、神崎と行けばよかったんじゃないのか?このかき氷屋を調べてたのも、もしかして神崎のためだったり。」

「…。」

琴音さんは、うつむいたまま黙り込んだ。しかしよく見ると耳が、真っ赤に染まっていた。どうやら図星だったようである。

「あれ~、図星ですか?もしかしてほんとは、神崎と行きたかったんですか?」

「黙りなさい!それ以上言うと…あなたの席を窓から落としますよ!?」

それもうどっかで見たいじめやん…。

「今度、神崎に言っておきますよ。詩間先生がお前と出かけたいらしいぞーって。」

「…ほんとですか!?」

琴音さんが顔をかなり近づけて聞いてきた。

「別にそれくらい全然いいですよ。今日のお礼です。」

「…ありがとう…。」

「え、今何か言いました?」

本当に聞こえなかった。

「何も言っていません。今日これだけのことをしてあげたのですから、それくらいはして当然です。」

「じゃあ今度神崎に会ったときに、言っておきますね。」

「はい、よろしくお願いします。」

「さ、そろそろ帰りますよ。荷物の用意をしてください。」

琴音さんはすっと立ち上がり、またスタスタと歩いていく。しかしその足並みは、さっきよりも、軽快に見えた。学校でもたまには話してやってくれと神崎に頼んでおこう。そう思った。

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神崎みおはツイている。 鯖根 大 @sabane3

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