番外:歩む道

 弟は昔から運がなかった。よく靴にうんこつけて帰ってくるし、よくにわか雨に会ってるし、よく鳥の糞が彼の自転車のサドルにだけついている。そんな弟が心配で、私は専門学校を出た後も就職をせず、せめて高校を卒業するまでは家にいることにした。別にしばらく家を空けることになると言った親を恨んではいないし、弟の不運も迷惑なんて思ってはいない。きっと私がいなくても、器用な弟は何とかやっていくだろう。でももしも何かあったらと、そう思ってしまった。これはきっと私が心配性なだけなのだが、それでも弟の高校生活を見届けることを選んだのであった。今日はそんな弟の高校の入学式だったのだけれど、そろそろ晩ごはんの用意をしようと思った頃合に電話がかかってきた。

『もしもし姉』

「なんだい弟。」

『今日家に人を呼んでいいか?』

「え?」

それはあまりに意外な発言だった。小さいころから麓に友達など作ってこなかった歩夢が、高校の入学式でいきなり人を呼んでくるものだから少し驚いてしまった。だけれどそれ以上に、うれしかった。

『今日できた友達が、帰る家がないらしいのだがいいだろうか。』

「ついに私の弟に友達ができたのね!いいよ~。というかむしろウェルカムだよ!しっかりもてなさなきゃね!嫌いな食べ物とかあるかな?」

『嫌いな食べ物は?あー、ないのねわかった。…だそうだ。』

「はいりょうかーい!」

そういって電話を切り、ご飯の支度を始めた。

▼▼▼

 本当に、なぜこんなことになってしまったのかと思う。なぜ俺は今日あった人をうちに呼び、姉と三人で食卓を囲んでいるのだろうか。こいつは一体何者なんだ?こいつ自身にはそういうことに抵抗はないのか。正直俺はこの状況がさっぱりわからなかった。

「そっかー。地元の中学から来たのねー。じゃあ家も近いの?」

「はい!こっから徒歩3分くらいです。」

「え!めっちゃ近所なのね!晩御飯作りすぎちゃったときは届けに行けちゃうくらいの距離だわ。」

「よくこんな未知の存在と喋れるな。」

「こら、人を宇宙人みたいに言わないの!」

「でもほんとによかったんですか?私なんかをこんなにおもてなししていただいて。」

「いいのいいの!歩夢の初めてのお友達よ?しっかりもてなさなきゃ。」

「うるせえ!俺は食い終わったし部屋に戻るぞ。ごちそうさま。」

「はーい。」

むかついたふりをして自室のベッドに転がり込む。ていうかあいつ風呂はどうするんだ?入るのか、うちの風呂に?寝巻はまあ、母や姉のを使えばいいわけだし、両親の寝る寝室も今はもっぱら空き部屋となっているのでそこで寝ればいい。基本的に問題はないのだ。あいつあそういうのを気にするのか…?てかそういうのってなんだ…?なんでカモノハシは卵を産むんだ…?

「失礼します!!!」

「うっわああ!ノックしろカモノハシ!じゃなくて神崎!」

「あ~ごめんごめん。入っても大丈夫?」

「別にいい。決してきれいではないがな。」

新学期に心機一転と思い先日部屋を片付けていたので、過去の自分をほめたたえたい瞬間だった。

「へー、男の子の部屋初めて入ったよ。」

そういいながらベッドに座っていた俺の隣に平然と座る。

「あれは何?」

「あれはBLADE5っていうバンドのポスターだ。親父がきっかけで俺もよく聞いている。」

「あれは?」

「非常食だ。受験勉強の時はお菓子にかなりお世話になっていたのでその名残なんだろうな。」

「えっちな本は?」

「ない。」

「そっかー。」

期待に沿えず申し訳ないが本当にない。

「じゃあ私お風呂先に入らせていただくね!」

「え、ちょ、ま…。」

「お風呂沸いたわよー。」

「わかりましたー。じゃあ入るねー。」

「お、おう。」

▼▼▼

というわけで、入りづらい風呂が完成した。別に潔癖というわけではないのだが、昔から家に友達を呼んだことなどなかったので、慣れない状況にかなり困惑している自分がいる。正直ここまで考えてなかった。これに入れる人間はそういうことをまったく気にしていない人間であって、一度意識してしまった俺は入ることができないのだ。いや、待てよ?不通に入らなければいいだけなのでは?頭と体だけ洗って出ればいいのか。なぜそんな単純なことに気づけなかったのだろう。俺はそれらをササっと済ませて、風呂から上がった。少し体は冷えるが、すぐに布団に入り就寝すれば問題ないだろう。そう思い、その日はそのまますぐに寝た。

▲▲▲

 お皿洗いも終わったあとは三番風呂だったけれど、歩夢が一瞬で風呂から上がっていたのであまり冷めていなかった。おそらく歩夢が何かを気にして湯船につからなかったのだろう。そういえば、神崎ちゃんはどうしているんだろう。さっき案内した寝室に入っていったけれどそのまま寝たのだろうか。気になったので行ってみることにした。

 ノックをして部屋に入ると、部屋の照明はもう消えていた。よし、夜這いしよう。神崎ちゃんの入っている布団に体をねじ込んでいく。

「え、ナニゴト!」

「どうも、歩夢の姉です。」

「香織さん!どうしてここに…?」

「ちょっと襲いに来ました。」

「でも、お化けとかじゃなくて安心しました。」

そういって神崎ちゃんが半分寝かけのポヤポヤした状態でにこっと笑う。やばい、この娘この距離で見るとほんとにかわいい。キュン死しそう。くりくりっとした目に優しそうな口元…と、女子高生を視姦していると、あることに気づいた。

「あれ、もしかして昨日コンビニに来てた女の子って神崎ちゃん?」

「はい。昨日はお世話になりました。プリンおいしかったです。」

「そういうのは歩夢に言いなよ~。」

ま、まあ「そうか。」ぐらいしか言わないかもだけど。

「あれ、どしたの?」

神崎ちゃんが複雑な表情をしていたので問いかける。

「私、やっぱり鬼山くんにやばい女って思われてますかね…?」

「どうして?」

「私は昨日のことがあったから鬼山くんがいい人だって知ってるけど、鬼山君は昨日のプリンが私だって気づいてないみたいだし、これじゃあ今日初めて会った人に、しかも男の子に家泊めてもらってるやばい人じゃないですか。」

焦ったような表情で神崎ちゃんは言った。最初のうちは深く考えていなかったけど、後になって気づきだしたのだろう。でもうちの弟をなめてもらっては困る。

「歩夢がたしか、小学校6年生くらいのころにね、女の子からチョコレートをもらって帰ってきたの。」

「それって…。」

「そう、その日はバレンタインだった。私と歩夢五つ離れてるから小学校は一年だけ一緒だったんだけど、見に行くといつも特に誰とも話さず一人で教科書とか本とかを読んでたの。多分今までずっとそんな感じでいたんじゃないかな。最近少しは変わろうとしているみたいだけど。」

「確かに鬼山くんから話しかけてくることなかったです。」

「そんな歩夢を好きになる子もいたんだろうね。でも歩夢はそもそもバレンタインを知らなかったの。」

「え、知らなかったんですか!」

神崎ちゃんがあり得ない…みたいな顔をしている。

「んでもって私が『一か月後に自分で選んでお返しをするんだよ』って教えて、ちゃんと返してたみたいなんだけど、その歩夢が選んだプレゼントで相手の子は大喜びだったらしいの。」

「誰とも喋ってないのに…?」

「そ。多分一か月でその子の好みをバカまじめに調べてたんだろうね。本人そのバレンタインチョコにどういう意図があったかっていうのに気づいてるのか知らないけどね。だからまあ、そんなに気にしなくていいんじゃないかな。バカだし。」

「そうします。」と神崎ちゃんが笑いながら言った。私も可笑しくなって一緒に笑った。

この娘はとてもやさしい娘だ。こんな女の子出会えたのなら、歩夢も変われることだろう。そのまま二人でゆっくり眠る。長く続いた夜に、明るい陽が差し込んでゆく。

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