第30話 祈りの声が劇の幕を閉じる
そこで現れたのは、グロースター役が演じる医者と、リーガン役が演じる使者だった。
各々の口が、それぞれゴネリルの毒殺とリーガンの自殺を伝える。
今度はエドマンドが、自嘲的に笑う。
「どうだ、俺も捨てたものではあるまい、女ふたりに命懸けで愛されていたようだ」
エドガーは兄として、弟を憐れむ。
「もっと早く気づけばよかったのだ、自分の価値に。こんなことにしでかす前に」
だが、エドマンドは最後まで同情を嫌った。
「もっとたいしたことをやってみせよう……命令だ、リア王とコーディーリアを解放しろ!」
ここが、夕子のいちばんこだわった演出だった。
報われない庶子として屈折した思いを抱えたエドマンドは、悪事に悪事を重ねた末、ようやく改心したようにみえる。
だが、夕子は登場人物の生き方がブレるのを許さない。
自分自身がそうであるように。
エドマンドは、決闘で負けたうえに、人間としても兄に及ばなかったのが納得できなかったのだ。
これで悪党の命が失われたとしても、囚われの身の哀れな父娘が自由の身となればまだ救いのある話になるだろう。
だが、現れたのはリア王だけだった。
「娘は死んだ! コーディーリア! 他の奴らは生きていて、なぜお前だけが!」
エドガーは、王の前にひざまずく。
「みんな死にました。わが父グロースターも弟エドマンドも、それを愛したあなたの娘ふたりも」
だが、悲しみに沈むリア王には聞こえていない。
「コーディーリア! お前さえ生きていれば、この世に善人も悪党もないものを!
そう叫んだリア王が去ってから、はたと困った。
後を追うエドガーには、お経を唱える余裕などないはずだ。
しかし、そこで聞えてきた声があった。
仏光照曜最第一
光炎王仏となづけたり
三塗の黒闇ひらくなり
大応供を帰命せよ
ご住職の声だった。
これで、演技に集中できる。
袖に駆け込むと、そこにはご住職がいた。
僕が真っ先に尋ねたのは、これだった。
「ヒューズは?」
ご住職は、障子明かりの中で、柔らかい笑みを浮かべた。
「いらないんじゃありませんか? いいお芝居ですよ」
どうやら、照明の回復は期待できないらしい。
そこへ夕子がやってきて、苦笑いした。
「最後も頼むね、建義」
そのひと言で、僕は腹を決めた。
しばしの沈黙と静寂の後、エドガーはひとり、障子の淡い光の中に現れた。
そこで観客に告げるのは、物語の終わりだ。
「とうとう、亡くなられた。俺たちは、この重荷に耐えなくてはならない。だからそれを感じたままにを語ろう、誰に強いられることなく。最も老いた方は最も耐えてきたのだ、若い私たちが及ばないほど」
そこで聞こえてきた低い声が、この劇を締めくくる。
願以此功徳
平等施一切
同発菩提心
往生安楽国
それは、常楽寺の長い長いネット法話の終わりでもあった。
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