第27話 荒野のリアと落とし穴
順調な滑り出しに、舞台袖でエドガーの出番を待つ僕は安心した。
これで最後の上演を、多くの人に見てもらうことができる。
だが、2m離れたところにいる夕子は、肩をすくめて笑っていた。
言いたいことは、何となく分かる。
「払った犠牲は大きかったね」
こんなところだろう。
まず、これは常楽寺の法話チャンネルだから、僕たちの上演を見せたい人には必ずしも見せられない。
しかも、事前の告知をするわけにはいかなかった。本堂まで見に来る人がいてはたまらない。
さらに、ネット配信に使うWebカメラの解像度は、法話が終わったところで落とさなければならなかった。
部員の肖像権については顧問に動いてもらったが、頑として了解しない保護者がいたからである。
そんなわけで、多くの不都合は生じたが、どうにか公演と呼べる形で、観客は確保できたのだった。
「よし……」
このひと言で、自分に気合を入れる。
そろそろ、リア王がゴネリルとリーガンの城から追い出され、荒野に嵐が吹きすさぶ頃だ。
だが、来るべきタイミングで、その音は来なかった。
「建義……」
駆け寄ってくる夕子の囁きが聞こえる。
とっさに位置を入れ替わったが、別にソーシャルディスタンスを意識したわけではない。
客席となっている座敷の隅にある効果席に夕子が向かうには、僕が邪魔だっただけの話だ。
だが、この場のフォローを頼まれたのは間違いない。
とっさに僕が取ったのは、この行動だった。
弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく
世の盲冥をてらすなり
小学生の頃、ラジオ体操の後で読まされたお経の文句だ。
法話の後に演じられる劇だから、不自然はない。
リア王も状況を察したのか、僕の声に合わせて荒野をさまよいはじめる。
智慧の光明はかりなし
有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし
真実明に帰命せよ
目を見開いていても真実は見えない。
これが「リア王」のテーマだ。
末娘の愛を見誤り、偽りの愛に目を狂わされたリア王は、今、先の見えない彷徨の中にある。
やがて、少しずつ雨風の音が聞こえ始めた。
客席のあちこちに仕掛けられたサブスピーカーの効果だ。
その音は次第に高まり、嵐となって右から左へ、前から後ろへと吹きすさぶ。
僕は静かに、お経の文句を唱え続ける。
解脱の光輪きはもなし
光触かぶるものはみな
有無をはなるとのべたまふ
平等覚に帰命せよ
全てを失い、ただの老人となったリアの前に、道化が現れる。
自分が見えていないリア王をからかう道化が。
ちょうどその頃、夕子が戻ってきた。
僕はちょいちょいと手で差し招いて、衝立の向こうから縁側へ出る。
ソーシャルディスタンスを取って、状況を確認した。
「音は?」
夕子は、ぐいと親指を立てて言った。
「大丈夫」
「何があったの?」
また、音が出なくならないか心配だった。
夕子はため息交じりに言った。
「ケーブルの断線。公演終わったら、総とっかえしなくちゃ」
「よく分かったな、あんな短時間で」
僕が感心すると、夕子は悪戯っぽく笑って言った。
「一徳くんが教えてくれたの」
さすがに、ちょっと動揺した。
この期に及んで、夕子の前でいいところを持って行かれたくはない。
「来てるの?」
どぎまぎしながら尋ねると、からかうような答えが返ってきた。
「顧問にマニュアル預けてたの、トラブルシューティングの」
これには、ムカッときた。
「先に渡せよな」
怒りに任せてぼやくと、夕子になだめられた。
「何のことだか分かんなかったんだって。顧問も」
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