第26話 坊主が語るシェイクスピア
そして、1週間後の昼下がり。
全ての準備を整えた上で、僕たちは常楽寺の本堂に集まっていた。
招待した客は、どうにか10名。部員1人につき、1人呼んできた勘定になる。
雨戸を閉めなければ照明効果の妨げになるが、上手と下手のを1つずつ空けた。
その一方には、大きな扇風機を置いて換気に使う。
本堂の奥には、バチ当たりにも蓮の台ごと下げられた阿弥陀如来。
何もない空間の上には、照明が吊られている。
だが、そこに現れたのはリア王ではない。
その物語が自らの身につまされると自虐的に語った、老いた独身のご住職だった。
そこで始まったのも、僕たちの自主公演ではない。
常楽寺がSNSを通じて世界に発信する、ネット法話だった。
ご住職が静かに、僕も聞き覚えのあるお経の一節を読み上げる。
極重悪人唯称仏
我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見
大悲無倦常照我
確か、こういう意味だ。
どんな悪人でも仏の名を唱えるだけで
誰彼の区別なく、その中に受け入れられる
煩悩が目を塞いで見えなくなっているが
仏は慈悲深く、いつでも私を見つめている
そこでご住職が語りはじめたのは、こんな話だった。
「人間、何でもできるようになると、次にすることがなくなって、退屈になるものです。
……とある極悪人がおりまして、盗みに人殺し、やらない悪事はございませんでした。
そこでやはり退屈になりまして、戯れに念仏を唱えてみたのです。
ところが仏さまは仏さまで、その名を唱える者は誰でも、その大きな手の中にお救いになります。
そこで、この極悪人、仏さまに文句を言いました。
俺はお前など信じていない、こんなことをしてくれと頼んだ覚えはない、と。
すると仏さまはこうおっしゃいました。
お前に私が見えずともよい、私にはどうしたってお前が見えている、と。
そこでこの極悪人、ひょいと仏様の見ている先に目をやりますと……」
ご住職が静かに板の間を去ると、ゴネリルとリーガン、コーディーリアが舞台の中央へと集まる。
もちろん、2mのソーシャルディスタンスを取ってのことだ。
やがて、そこにリア王が現れると、3人の娘はひざまずく。
だが、ネット法話を見ている人には、まだ、何のことやら分からないはずだ。
それでも、劇は劇だ。
リア王は、最初の台詞を口にする。
「わが娘たちよ。わが王国の相続を巡って、その夫と共に争うことがないように」
3人の娘が、いちどきに答える。
「承知しております、お父様。御心のままに」
ここで見るのをやめる人がいるかもしれない。
だが、これが法話の続きだと思っている人は、オチが知りたくて先を見ようとするだろう。
リア王は、そこで娘たちの愛情を確かめようとする。
ゴネリルもリーガンも言葉巧みに父への愛を語るが、純粋なコーディーリアは、いい加減な言葉で深い愛を語りたくはない。
正直に、こう言ってしまう。
「夫となる人への愛を誓えば、お父様への愛は今の半分になります」
コーディーリアは激怒したリア王によって追放されるが、フランス王に妻として引き取られ、国を出ていくことになる。
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