第24話 夏の終わりに、一歩先へ
そこで、ご住職が本堂にやってきた。
トラックの運転手が、寺の駐車場で待っているのだという。
盆過ぎの炎天下、夏日をアスファルトが照り返す中へ駆けていった僕たちは、息を呑んだ。
「モニタースピーカーが4台……」
コンテナの中には、部活で使っているのよりも少し小さいスピーカーがあった。
これを使えば、客席の周りから音を出して、嵐の臨場感を高めることができる。
灯体を運び出しながら、夕子も呆然としながら感動の声を漏らした。
「スポットライトがフレネル12灯、凸が10灯……」
フレネルも凸も、レンズの名前だ。
フレネルは光をぼんやりと広げるので、地明かりを作るのに向いている。
凸レンズは光を集めるので、舞台上の誰かを暗闇の中で浮かび上がらせることができる。
こんなものを送りつけてくるような奴は、ひとりしかいない。
最後に巨大な扇風機を運び出した僕は、そこに括りつけられた1枚の紙を発見してつぶやいた。
「篠井だ……照明の回路図まで」
やることがいちいち嫌味ったらしい。
だが、夕子は単純に喜んでいた。
「やっぱり大好き、一徳くん!」
それが面白くなくて、僕はつっけんどんに言った。
「部長、顧問に電話。パーライトと三脚、すぐ運んでって」
こうして、リースも含めて、上演に必要な照明が全て、本堂に設置された。
地明かりにフレネル12灯。
これに青いカラーフィルターを入れて、舞台全体を照らす。
上からのスポットライトに2灯。
エドマンドたちを登場させる舞台奥と、グロースターや僕の演ずるエドガ―が芝居をする辺りに当てる明かりだ。
シーリングに8灯。
これで、顔や身体の正面が明るく見える。
斜めからのフォロー明かりに、上手と下手のパーライトを3灯ずつ。
これで、登場人物の全身を立体的に浮かび上がらせることができる。
次のシーンは僕の出番ではないので、その効果をしっかりと確かめることができた。
舞台の奥では、ようやくリア王を探し当てたコーディーリアが、スポットライトに照らし出される。
「お父様、私が分かります?」
リアは、それが末娘だとは分からない。
「妖精だろう、この世でも天国でもない、あの世の……」
コーディーリアについてきた医師は、首を横に振る。
「まだ、正気ではございません」
それでも、コーディーリアはリア王に近づく。
ソーシャルディスタンスを守るための演出ではあるが、リア王は怯えて後ずさる。
父にすがりつけない悲しみを、追放された末娘は求愛の言葉で訴える。
「私をよくご覧になって、どうか祝福を」
その切なる響きが、玉座を失った老王を狂気から解き放った。
リア王が叫ぶ。
「コーディーリア!」
夕子が手を叩いて、芝居を止める。
「最高! もう、めちゃくちゃ泣けたわ」
僕も同感だった。
これで、舞台の準備は整った。芝居そのものは、いつでも上演できる。
しかも、稽古を始めたときからは考えられないほど、理想的な状態で。
だが、問題はまだ残っていた。
「部長、本当に、関係者だけでいいの? 見せるの」
演劇は、観客なしでは成立しない。だからこそ、部員から招待させるのだ。
それでも、うまくいっているだけに、僕はそれが不満だった。
夕子はというと、その辺は割り切っていた。
「仕方ないじゃない。風通しは扇風機で解決したし、あとはお客さんの隙間を作るだけよ」
客席が15畳ということは、観客1人あたり1枚の畳を割り振っているのと同じことだ。
だから、最高15人。
だが、呼ばれた者がそのまま来るとは限らない。
もっとも、その不安を口にすれば、部活全体の士気を挫く。
だから、僕はこう言った。
「もったいないよ、1日だけ、10人ちょっとに見せて終わりなんて。部長もここまでやったんだし」
そこで夕子も、ちょっと考えてから言った。
「ネット配信でもする?」
あり得ない方法ではなかった。
だが、篠井がいればともかく、僕たちにはそんな設備も、技術もない。
いわゆる絵に描いた餅、猫の首に鈴を着けに行く相談と大して変わらない。
結局、僕と夕子の間では、ネット配信のアイデアもこのときだけで終わってしまった。
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