第23話 嵐の前の危機

 それでも、お互いに厳しい現実を共有できると、気持ちはちょっと楽になる。

 篠井がいなくなったのも、痛手ではあった。 

 だが、舞台での音と光に関しては、残された時間で教わったことを繰り返し練習するしかない。

 再び10人になった部員のうち、実を言うといちばん不安げなのが夕子だった。

 篠井に頼りきりだった天罰だと思うと、ちょっと愉快だった。

 その夕子は、ミキサーの調整をしている僕の手元を2m先からじっと見つめている。

「本当にできるの?」

「やるしかないだろ」

 音響ケーブルの先に付いたプラグをミキサーのどこに差し込もうかと考えながら、僕は答えた。

 だが、夕子にはいまひとつ、信頼がない。

「文系でしょ?」

 分かっているなら、話しかけないでほしい。

 気が散る。

 返事をするのがやっとなのだ。

「マニュアル見れば、なんとか」

 それも、新品同様だった。 

 このミキサーが、いかに使いこなされていなかったが分かろうというものだ。

 それが現実なのに、演出としての夕子の注文は厳しい。

「公演なんだから、それなりの音にしないと」

 保証はできない。

 できるのは、言い訳だけだった。

「いつもは会場スタッフが仕込んだの使ってたから」

 夕子は夕子で、篠井から習ったことをもとに、拙いながら指示を出す。

「基本的なこととしては、右と左のアンプの分離をスイッチ操作で」

「ST……ステレオのスイッチだな」

 僕はマニュアル片手に、音源から左右に分けられたケーブルを、そえぞれ別系統の接続口につなぐ。

 ミキサーには、1から4までの番号が振られていた。

「上手から流す音を4のグループ、下手の音は1のグループに設定して」

 夕子の注文に、僕は首を傾げた。

 あまりややこしいことをすると、失敗のリスクが高くなる。

 ただし、そういうネガティブな言い方は避けて、こう聞き返した。

「上手は2でいいんじゃないの?」

 だが、夕子には夕子の考えがあったらしい。

「端っこ同士のほうが左右の違いが分かりやすいでしょ?」

 確かに、それは一理あった。


 風の音、雨の音、遠雷の音、ありとあらゆる音源をミキサーに流し込んで、次の稽古が始まる。

 嵐の音が、右に触れては、左に大きく揺れ始めた。

 僕の演じるエドガーは舞台中を歩きはじめる。

 目を潰されたグロースターは、その呼びかけに応じて、舞台をうろうろとさまよう。

 これが、自殺を図ろうとするグロースターを止めるための策略だった。

 やがて、立ち止まったエドガーが声をかける。

「さあ、ここがドーバーの崖です」

 グロースターは言われるがままに、そこに立って別れの言葉を口にする。

「ここでいい。では、さらばだ……おや、生きている!」

 崖の上から身を投げたつもりが、すぐ地面に転がってしまったのだ。

 そこでさっそく、エドガーが駆け寄る。

「崖の上までお連れしましょう」

 グロースターが怪訝そうに尋ねる。

「トムか?」

 エドガーは、そこでシラを切った。

「彼は去ってゆきました。私をここまで連れてきてくれたのです」

 別人になりすましたエドガーに、グロースターはなおも聞いた。

「あなたは?」

 それでもエドガーは、まだ名乗れない。

「通りすがりのお節介です。まずはゆっくりお休みください。戦の様子を見てまいります」

 名乗るためには、やらなければならないことがあるのだった。

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