第22話 現実は更に厳しい
そして、自主公演の1週間前がやってきた。
稽古もかなり進んでいて、いつ上演しても恥ずかしくない芝居になっていた。
僕たちはきっちり1週間かけて、篠井から音響と照明の機材の扱い方を教わったが、ぎくしゃくしていた関係は、その間に落ち着いていたのだった。
その証拠に、僕たちは常楽寺の本堂の縁側に、離れてはいるが、並んで座っている。
「もう行っちゃったの?」
夕子が言うのは、篠井のことだ。
「オヤジさんの都合で」
前の日は公演のリハーサルだったが、それを最後に篠井は姿を消してしまったのだ。
朝になってから、稽古の監督にやってきた顧問が、親子で引っ越していったことを告げただけだった。
夕子が力なく言った。
「また?」
僕は念のため、スマホをチェックしてから答えた。
「連絡もつかない。チャットも未読だろ?」
だが、夕子は諦めなかった。
「そのグループ、まだ抜けてないでしょ? 少なくとも」
部活で使うチャットのグループには、まだ篠井の名前がある。
それについて夕子がどんな気持ちでいるのかは、実を言うと、僕には分からなかった。
「やっぱり、気になる?」
僕にはそんな言い方しかできなかったせいだろう、夕子も通り一遍の返事をした。
「みんな、まだ配線慣れてないの」
「事故、起こるかもしれないな」
とりあえず、話の中心をそちらに逸らす。
夕子も、気のない返事をした。
「そのくらいなら……中止しようか」
本気で言っているわけではないようだった。
だから、僕も話を合わせる。
「それでいいんなら、そうする?」
「建義らしくない」
ムッとする夕子に、僕も言い返した。
「部長だって」
しばらく、お互いに顔を見つめ合う。
慌ただしかった夏の終わりを告げるかのように、ツクツクボーシが間の抜けた声で鳴いた。
やがて、夕子の方から聞いてきた。
「何があったの?」
「僕の問題だから」
言いたくない事情があったので、すっとぼけてみせた。
夕子は口を尖らせて、そっぽを向く。
「私のは、聞いてくれないの?」
機嫌を損ねるのはイヤだったので、慌てて尋ねた。
「何か、あったの?」
顔も見せずに、ぼそりとつぶやく声が聞こえた。
「普通の大学行く」
意外な返事だった。
「役者は?」
これだけは絶対に譲れないという気持ちでいたはずだ。
だからこそ、いくつもの無理を承知で、自主公演を押し通すこともできたのだ。
だが、その夕子でもどうにもならないことが起こっていた。
「親が反対してね。劇場でクラスタ―感染起こっちゃったし、いつ終わるか分かんないし」
「それでいいの?」
困難を前にして、挫ける夕子は見たくなかった。
できることなら、気持ちを再び奮い立たせてやりたかった。
しかし、夕子はもう、無理をしようとはしなかった。
「学内の劇団でも何でも入って、芝居のことだけは忘れないようにする……建義も?」
やはり、落ち込んでいるのは見抜かれていたらしい。
「分かる?」
聞き返してみると、夕子は笑ってみせた。
「2年ちょっと付き合えばね。どんな感じ?」
いい格好するのにも疲れて、僕はため息交じりに答えた。
「地方大学C判定じゃなあ……」
夕子は、まるで自分のことでもあるかのよう肩を落とした。
「ギリギリか……お互い様だね」
気を遣ってくれていることは、よく分かった。
それに応えたいとは思ったが、こんな言葉しか見つからなかった。
「たぶん……みんなそうなんだよ」
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