第21話 彼女は僕をどう思ってる?

 こんなことがあると、やはり稽古には集中できなくなる。

 続くシーンは、目を潰されたグロースターが放り出されるところからだった。

 その下手人たちが見つめる先には、悪魔付きのトムに身をやつしたエドガーがいる。

「許してくれ、エドガー! 私が愚かだった!」

 視力を失って初めて感じ取った真実だったが、エドガーはそれを言葉で覆い隠す。

「おいらは……哀れな悪魔付きのトムだよ」

 グロ―スターは叫ぶ。

「ドーバーだ! ドーバー海峡の崖へ連れていってくれ! そこにフランスの軍勢がいる!」

 そんなものがいたとしても、そんな危なっかしいところにいるはずがない。

「まさか、そんなところに……まさか父上!」

 エドガーは、絶望したグロースターが崖から飛び降りようとしているのを察する。

 

 だが、この最後のひと言の間が、うまくつかめなかった。

 仕方なく次の休憩を告げた夕子が駆け寄ってくる。

「建義?」

 もちろん、ソーシャルディスタンスがあるから、胸につかえていた秘密を耳打ちすることはできない。

 境内に呼び出して、ようやく篠井が引っ越すのを伝えることができた。

「一徳くん、いなくなるの?」

夕子のショックを見るのは、やはり面白くなかった。

「しょうがないだろ、親父さんの都合なんだから」

「もう来ないの?」

 その焦りように、僕もつい、突き放すような物言いをしてしまう。

「今週いっぱいは来るって」

「よかった……」

 夕子の安堵の息が、何だか腹立たしかった。

「気になるんだ」

 ムスッと答えたが、夕子は当然だという口調で答えた。

「だって、もう仲間でしょ? 私たちの」

「もう仲間じゃなくなるよ?」

 思わず、冷たい言い方で返していた。

 夕子が、怪訝そうな顔をする。 

「嫌いなの? 一徳くんのこと」

 胸が痛んだ。

 僕は、篠井に嫉妬している。

 それを自覚したとき、僕も夕子に聞かずにはいられなかった。

「部長は……好きなの?」

 夕子は、きっぱりと答えた。

「好きよ。今の建義よりは」

 そこで、僕の名前を出す理由が分からなかった。

「何で? 何で俺と比べるの?」

 夕子は、急に真面目な顔をして僕を見つめた。

「感謝はしてる。でも、頑張り過ぎ。無理しすぎ。どうして?」

「それは……」

 全部、夕子のためだとはとても言えなかった。

 一緒にやってきた夕子と、この部活を笑って引退したかったのだ。

 でも、それを言ったら、この2年ちょっとが全て壊れてしまいそうな気がした。

 黙っているしかない僕の代わりに、夕子が口を開いた。

「一徳くん、いつも自然じゃない。そりゃ、ちょっと冷たいけど」

 やっぱり、面白くなかった。

 だが、それは嫉妬からではない。

「分かってないよ、部長」

 上手く言えないだろうけど、これだけは伝えておきたかった。

「何が?」

 夕子は怪訝そうな顔をしているが、でも、真剣に聞いている。

 だから考え考え、言葉を選びながら話した。

「僕は……僕たちは、ここから離れられない。でも、篠井は、どこにでも行けるんだ」

 夕子が相手だと、どうしてもうまく行かない。

 ご住職相手なら、割と無理も言えたのに。

 だから、夕子にはたぶん、言いたいことの半分も伝わってはいない。

「私だって……」

 夕子も何か言いかけたが、言葉にはならなかった。

 もしかすると、本当に分かり合えるきっかけを、僕は自ら手離したのも知れない。

 しばらくの間、気まずい沈黙が続いた。

 ようやく口を開くことができたのは僕のほうだったが、こんなことしか言えなかった。

「ごめん、配線、ちゃんと教わっておこうよ。照明とミキサーの」

「……そうだね」

 夕子も、そう答えただけだった。


 次のシーンの稽古が始まる。

 いつも夕子の側にいた篠井は、いつの間にかいなくなっていた。

 父親が迎えに来て、帰ったらしい。

 演出の夕子が手を叩くと、エドガーを演じる僕は、グロースターと共に舞台奥を振り向いた。

 今まで僕たちの芝居を見つめていたエドマンドと悪役姉妹は、別の人物として、別のシーンを演じ始める。

 エドマンドが早変わりしたのは、リア王が溺愛しながらも追放した末娘のコーディーリアだ。 

 客席をまっすぐ見つめて、叫ぶ。

「父上は荒野をさまよっておられます。その狂った心を癒せるなら、私の全財産を投げ出してもかまいません!」

 ゴネリルは、医者に変わってひざまずく。

「コーディーリア様、フランス王妃よ、まずはお父上を探し出し、ゆっくりお休みになっていただくことです」

 リーガンもまた、前線からの使者としてひざまずいた。

「イギリス軍が、すぐそこまで迫っております」

 荒野を彷徨するリア王をめぐって、イギリスとフランスの両軍が激突しようとしていた。

 だが、それはコーディーリアの望むところではない。

 専制攻撃を促すかのような使者の言葉に、ため息が漏れる。

「戦に来たのではない、ただ、お気の毒な父上をお守りしたいだけなのに! 早くお会いできないものかしら」

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