第20話 やってきたけど行ってしまうヤツ

 再び、稽古が始まる。

 姿を消したグロースター伯爵が向かったのは、リア王を捨てたゴネリルとリーガンの陣営だった。

 (といっても、リア王がゴネリル、道化がリーガンを演じるのだが。)

 囚われの身となって引き出されたのは、庶子エドマンドの前である。

「俺の愛をめぐって、リーガンはゴネリルと諍いを始めた。どっちもたっぷりとたらし込んだからな。リア王の身柄を巡っては、イギリスとフランスの戦が始まる。こちらはたっぷりと利用させてもらおう」

 そこで初めて、グロースター伯爵は不肖の息子の企みに気付く。

「たばかりおったな、エドマンド! ワシを亡き者にして、家を乗っ取るつもりだな!」

 謀略が成就しかかっている方としては、そんな避難など痛くも痒くもない。

「人聞きの悪い。兄を追い出したのは父上ではありませんか」

 冷たく言い放つと、自らが誘惑している女ふたりに向き直る。

「いかがなさいます、リーガン様」

 愛する男が妹の判断を仰いだのが、姉のゴネリルにとっては面白くない。

「控えなさい、リーガン。私を差し置いて」

 エドマンドにとっては、ふたりともリア王の娘としてまだまだ利用価値がある。

 喧嘩をさせても面白くない。

 素直にも自らの非を認めた。

「では、ゴネリル様」

 そこで今度は、押しのけられた妹が割り込んでくる。

「いいえ、ここは私が」

 エドマンドは風見鶏のごとく、付く相手を変える。

「どうぞ」

 リーガンは、自らの権威をひけらかすかのように、グロースターの処遇を決めた。

「目をつぶして追い出しなさい!」


 このシーンの稽古が終わったところで、演出の夕子が再び休憩を告げた。

 僕は本堂の外へ出る。

 外の空気を吸うためというのもあったが、いちばんの理由は、夕子と篠井が仲良く話しているのを見たくなかったからだ。

 それは自覚できてもいたし、そんな自分が嫌でもあった。

 だが、その篠井は、今度はわざわざ僕を追いかけてきたのだった。

 ソーシャルディスタンスも守らずに、すぐ隣に駆け寄ってきて、こう囁いたものである。

「今週いっぱいで部活辞めますんで、あとは宜しく」

 突然のことに、僕は身を翻して身体を引いた。

「何だよ、その勝手な言いぐさ……」

 勝手なうえに、いきなりもいいところだった。

 早退を繰り返したあげく、舞台づくりまでも途中で投げ出すとは。

 その自覚はあるのか、篠井は珍しく、ぺこりと頭を下げる。

「すみません、ここ、出ていくんです」

「何やったんだよ、なんかやましいことでも……」

 篠井は僕の言葉が終わらないうちに、事情を話した。

「あるといえば、ありました。父に……」

「分かった。もう聞かないよ。部長に言ったら?」

 実際、篠井がいなくなることでせいせいするという気持ちがどこかにあった。

 もちろん、そう感じている自分も嫌だった。

 話をさっさと終わらせて、稽古に戻りたかった。

 だが、篠井は僕を引き留めた。

「副部長にお話しします。部長だと、なんかこう、あれですし……それに、誤解とか無責任な噂、嫌いなんで」

「立てやしないよ、そんな噂」

 見損なわないでほしかった。

 確かに、篠井も夕子の接近を意識しているのは面白くなかった。

 だが、僕は勝手な噂話をするような人間ではないし、そんな面倒臭いことはする必要もない。

 だが、篠井は一方的に話し続ける。

「もともとここ、土地が安いから来たんですけど、もっとはるかに安い土地が見つかったんです」

 いろいろな意味で、腹が立った。

 だから、その気持ちを簡単にまとめて言ってやった。

「切り替え早いな」

 短い間だったが、一緒に芝居を作ってきた僕たちとの関わりはいったい何だったのか。

 篠井もまた、短い言葉で答えるなり、本堂へと駆け去っていった。

「性分ですから、僕と父の」

 その後ろ姿を見ながら、僕は吐き捨てるように言った。

「そらみろ」

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