第18話 珍しく部長がほめてくれた

 稽古の前に、外へ出てランニングやストレッチで身体をほぐした後、境内で発声練習をした。

 学校では、ウィルス感染を予防するとかいう観点から、なかなかやらせてもらえなくなっている。

 新しい稽古場でも出せなかった声を思いっきり発した後、僕たちは小休止を取った。

 もちろん、ソーシャルディスタンスを取ってのことだ。

 僕と夕子は、本堂の縁側に離れて腰掛けていた。

「結局、建義のお手柄ってところかな」

 ようやくのことで、夕子は僕を褒めてくれた。

 もちろん、そこは謙遜する。

「いや、それは運がよかっただけで」

「運も実力のうちよ」

 夕子は力強く言い切ったが、なぜか嬉しくない。

「こういうときに使うかなあ、それ」

 勝負が絡むときにこそ、ふさわしい言い回しではないかという気がした。

 だが、夕子としては、これは勝ちへの流れらしい。

「これで会場も機材も揃ったし、あとはお客さん呼ぶだけじゃない」

「そこなんだけどさ」

 肝心な、そして根本的な問題が解決されていなかった。

 演劇というメディアは、舞台の前に観客がいないと成立し得ない。

 夕子は、そこについて心配はしていないようだった。

「部員が招待状出すんでしょ?」

 その認識は、甘い。

 僕はそこを指摘した。

「出した人数だけ来るとは限らないだろ?」

 夕子はちょっとムッとした。

「いつからそんなにネガティブになったの?」

 僕は縁側に胡坐をかいて、夕子に向き直った。

「いや、部長が無観客でいいっていうんならそれでいいよ。でも……」

 それでは、本当に自己満足の舞台で終わってしまう。

 夕子は、僕に横顔を向けたまま、不満げに答えた。

「どうして来ないと思うの?」

 僕は、今、いちばん深刻な問題を口にした。

「お寺で上演するにしても、人が集まることには変わりないだろ?」

 ようやく、夕子もそこに思い当たったようだった。

「ひょっとして、感染症の心配?」

 招待状を貰っても、来る来ないは本人の勝手だ。

 こちらとしては、無理に来いとは言えない。

 最低限のことをするのが、せめてもの誠意だ。

「同じ場所にいた人の把握は、僕たちの責任だろ?」

 僕の主張に、夕子はひと言だけツッコミを入れた。

「責任者は顧問だけど……」

 あの顧問に、そこまで背負う気があるとは思えない。

 ここは、上演する側として明らかにしておかなければならないところだった。

「言いだしたのは僕たちだろ? 自主公演やるって」

 義理堅い夕子としては、いちばん痛いところを突かれたかたちになった。

 客の把握は必要だが、ウィルス感染の疑いがあるとき、追跡調査ができるように住所を書かせるのは、無理強いできないことだ。

 夕子は縁側にちょこんと正座すると、素直に謝った。

「ごめん、私のこだわりで」

 何だか、僕が非難を浴びせたような形になってしまった。

 慌ててその場を取り繕う。

「別に、そういう意味じゃ」

 気まずい雰囲気になったところで、意外な人物が救い主となった。

 篠井が、何やら大きな横長の帳面を持ってきたのだ。

「住職さんが、これやっていいかって」

 夕子が、差し出された帳面を見てつぶやく。

「お布施……?」

 篠井が、それを訂正した。

「逆。本堂の改修にお金がかかったから、来てもらった人に、いくらかでもお志を願えればって」

 向こうが払ってこちらが受け取るという点ではどちらも同じだ。

 ただ、お布施が自発的なものであるのに対して、こちらはお願いという形を取っている。

 もっとも、僕たちはお金が欲しくてやっているわけではなかった。

 夕子が、ぽんと手を叩く。

「その手があったか」

 篠井も、相槌を打つ。

「そういうことです」

 つまり、お金は常楽寺に、住所はこちらに残るわけだ。

 受付に貯金箱でも置いておけば、たいていの日本人は10円でも100円でも入れて記帳するだろう。

 それにしても、不思議なことだった。

「絶妙のタイミングじゃないか?」

 篠井に尋ねてみると、軽くかわされる。

「そうでしたか?」

 さらに踏み込んで尋ねた。

「もしかして、聞いてた?」

 夕子とやましい会話はしていないのに、篠井は目をそらしてすっとぼけた。 

「さあ、どうでしょう」

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