第17話 オタク坊主の過去
さっそく、本堂での稽古の準備が始まった。
顧問が自分のワンボックスカーで持ってきた、大きくて重いミキサーが持ち込まれる。
続いて運ばれてきた上手用と下手用のアンプに、僕たちはミキサーから引っ張ってきたケーブルを接続する。
篠井はこの辺りには詳しいらしく、せっせと働いた。
その間にも、ご住職とはよく喋った。
「私が東京に出たのは16歳のときでね」
どうも、篠井にはどこか共感を覚えるところがあるらしい。
「高校1年生くらいですか?」
篠井もケーブルとケーブルを接続しながら、熱心に聞き返す。
ご住職は、苦笑しながら答えた。
「いや、中学のうちに有無を言わさず得度させられてね」
「得度?」
聞き慣れない言葉に、篠井は首を傾げた。
ご住職は、懐かしそうに答える。
「坊主になる資格をもらうことですよ。別になる気なんかなかったのに」
「じゃあ、その後、小坊主さんか何かに?」
篠井にしては珍しく、興味深そうだった。
ご住職の目は、だんだん遠くなっていく。
「そういうことはさせられないんですけど、景気のいい時でね。こんな田舎にくすぶってるのがいやだったんです」
「出てっちゃったんですか」
篠井は驚いたようだったが、僕もそれは知らなかった。
ご住職が、ぽつりとつぶやいた。
「私の父……先の住職と大喧嘩してね。家出同然に」
しばしの沈黙の後、篠井が口を開いた。
「東京で、どうしてらしたんですか?」
ちょっと考えてから、ご住職はしみじみと語った。
「いろんなところでいろんな仕事して、そうそう、こんな小さな劇場のお手伝いもしましたよ。しなかったのはヤクザくらいのものでね」
ご住職ならどこでもやっていけただろうが、ヤクザだけは似合わない気がした。
篠井は、怪訝そうに尋ねる。
「でも、戻っていらっしゃったんでしょう? どうしてですか?」
田舎が嫌で出ていったのに、わざわざ坊主になりに帰ってくるというのは、確かに分からない。
ご住職は、思い出を噛みしめるように語り続ける。
「30歳くらいになったころに、バブル景気っていうのが来たんですけど、何でもできた不思議な時代でね。定職に就かずに、夢を追っても暮らしていけたんです」
この経験が、今のオタク坊主を生んだのだという気がする。
篠井が感嘆のため息をついた。
「何だか、それが羨ましいです」
同感だった。
だんだん、世の中がみみっちくなってきている気がする。
その上、この夏はワクチンのないウィルスだ。
ものすごい貧乏くじを引かされている気がする。
ご住職も、さもありなんというふうに頷いた。
「君たちくらいのうちは、それでもいいんです。でもね、何でもできるっていうことは、何もできないのと同じなんです」
よく分からない。
まるで、なぞなぞのようだ。
それが解けたのか、敢えて気にしなかったのか、篠井は締めくくりの質問をした
「だから、ここへ? こんな何にもないところのお寺に?」
効率最優先の篠井には、絶対に理解できないことだろう。
実を言うと、僕も理屈は分かるが、どうも実感としてはしっくりこないところがある。
その辺りも、ご住職は別に気にしてはいないようだった。
ただ、こんな通りいっぺんの返事をしただけだ。
「住職になるには、それなりに勉強したり資格をとったりしなくてはならないんですが、帰ってきてよかったと思います」
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