第16話 バチ当たりな本堂
そして、盆明け。
あの、ジャコウネコの糞から拾い上げたコーヒー豆の貸し借りから解放された僕たちは、再び本堂の中にいた。
そこには、朝の光の中、新しい木と畳の清々しい香りに包まれた、これこそ極楽浄土とでもいうべき光景が広がっていた。
木彫りの欄間には、美しい草花の中、鮮やかな衣をまとった飛天が待っている。
その向こうには、きれいに磨かれた蓮の台の上に、荘厳な姿の阿弥陀如来が鎮座ましましている。
だが、不思議なことに、仏壇めいた金ぴかの飾りがどこにもない。
その理由は、すぐに分かった。
本堂の隅で、ご住職が柱にある大きなスイッチを押すと、どこかでモーターの動く音がする。
夕子が、驚きの声を上げた。
「これは……」
極楽浄土の中で、バチ当たりなことが起こっていた。
こともあろうに、ご本尊の載った蓮の台が、機械仕掛けで本堂の奥に後退していく。
後に残ったのは、芝居をするにはおあつらえ向きの、30畳ばかりの板の間だった。
ご住職は、本堂を、舞台に改造したのである。
まず、雨戸を締めれば本堂を真っ暗にできる。
ご丁寧に、舞台袖には衝立があって、これに隠れて縁側に出ても外の光が入らないようになっている。
縁側に沿って本堂の裏を通れば、反対側の袖に出ることもできる。
さらに、板間と畳の上には、ワイヤーで吊った横向きの鉄パイプ……バトンが天井から降下してくる。
板間の分は、地明かりやスポットライトを吊るのに使う。
畳の上の分は、シーリングだ。
もちろん、これは篠井のリクエストだった。
「本堂の端に巻き上げ機あるの見て、何でだろうと思ったんです」
別に気負った様子もなく講釈を垂れる篠井に、夕子は感動のまなざしを向けた。
「すごいじゃない、一徳君」
僕はそうは思わなかった。
そもそも盆前の5日間、篠井は部活を早退してばかりいた。
夕子の前から姿を消すのはいいが、その態度には苛立たされたものだ。
篠井もまた、照れもしなければ誇りもしない。
「あれ、最初に学校行ったときに見た、ステージの横にあるのと同じだったんで」
大した観察眼だった。
夕子も、唸るより他はない。
「SNSの写真は見たけど、気が付かなかったな……そこまでは」
更に篠井は、たいそうなお節介を、何でもないことのように口にした。
「だから、要りそうな照明の見当つけて、頼んどきました。オヤジの伝手で」
夕子は、篠井に抱き着かんばかりに喜んだ。
いや、ソーシャルディスタンスの縛りがなかったら、本当にしがみついていただろう。
「さっすがあ! 頼りになる! もう、大好き!」
そこまで言われて、篠井も動揺したらしい。
しどろもどろになりながら、知っている事情を正直に説明した。
「いや、住職さん、最初から、そのつもりだったって言ってました。その……副部長の話、聞いたときから」
夕子は、きょとんとして振り向いた。
「それは……ちょっと」
ただし、僕ではなく、ご住職のほうを。
ご住職はというと、いつもの笑顔で答えた。
「そんなことは気にしなくていいよ、私がやりたくてやったことだ」
しかし、義理堅い夕子は納得しない。
「でも、これはいくらなんでも……」
無理もない。
坊主丸儲けと言われようが、オタク坊主と言われようが、ほとんど僕たちのために散財してくれたようなものだ。
だが、ご住職は平然と答えた。
「あり得ないわけじゃない。岐阜県にこういうお寺があるらしいと聞きましてね」
本当かどうかは、たぶん、この目で見るまで分からないだろう。
夕子もまた、不思議そうに尋ねた。
「でも、何のために、こんな……」
ご住職は、小劇場に変わった本堂を、感慨深げに見渡した。
「ここをね、文化のない土地にしたくないんですよ」
夕子は、ちょっと考えてから答えた。
「なんか、無理な気がします……」
すると、ご住職はいつになく真面目な顔で言った。
「この顔が、その場しのぎのデタラメを言う顔に見えますか?」
ふだんは笑っているだけに、かえって違和感がある。
僕は返事に困ったが、夕子はご住職との付き合いが短いだけに、正直に答えた。
「ちょっとだけ」
ご住職は苦笑しながらつぶやいた。
「これだけ情報のやりとりが発達しているのに、人間ができることが住んでいる場所次第で決まるというのはおかしなことです」
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