第13話 口から出まかせじゃ彼女は振り向かない

 いくら稽古中とはいっても、何回か小部屋に出たり入ったりしているのは、夕子の目にも止まっていたらしい。

 1時間ほど稽古して、夕子は再び10分間の休憩を告げた。

 それは、僕が顧問と何をしていたのか問い質すには充分な時間だった。

 もとより、僕も隠す気はない。

 聞かれたことには、正直に答えた。

 夕子は、困ったような顔でため息をついた。。

「そんなことまで頼んでない」

 小学校の体育館を使うことなど、最初から想定してはいなかった。

 公民館が使えなかったら、どこか自由に出入りできる場所を舞台にしようという程度のことだったのだ。

「悪かったよ」

 いいところを見せようとしてしくじるのには、もう慣れていた。

 更に、夕子は僕を責めたが、もう気にもならなかった。

「顧問の手は煩わせないって」

 高校が盆休でも、関係諸機関はまだ休みではない。

 高校生ではできない問い合わせは、顧問に頼まなければならなかった。

 この時点で、自主公演を支える土台はぐらついたことになる。

「そこまで考えてなかった」

 そう言い訳はしたが、実のところは結果的に、そうせざるを得なかったのだ。

 開き直りと言えばそうだが、どうせ失敗するなら、できることを全てやっておこうという気になった。

 夕子は再び目を開くと、いつものように僕を見据えた。

「で、どうだった?」

 はっきりとした、そして冷静な口調から、夕子が気持ちを切り替えてくれたのが分かった。

済んでしまったことには、こだわらないことにしたらしい。

 夕子がそういうつもりなら、少し気が楽になる。

 できることはやり抜けばいい。できなかったことには、こだわらないことだ。

 僕も、ちょっとおどけて肩をすくめてみせた。

「もっとややこしかった」

「……っていうと?」

 やっぱり、という顔で夕子は詳しいことを尋ねてきた。

 僕は、携帯電話の通話機能だけで顧問があちこちに問い合わせてくれたことを、かいつまんで話した。

「もともと、僕たち校区の外だし、それ突破しようと思ったら、役場のとか教育委員会の許可取ったりしなくちゃいけないらしいんだ。しかもほら、感染症の心配があるからさ」

 そこで、夕子は僕をまっすぐ見つめて言った。

「対策はないの?」

 僕が考えないわけがない。

 芝居に集中できなかったのも、そのせいだ。

 その中で、とりあえず顧問にぶつけた思い付きを並べ立てる。

「不特定多数の来場はさせない。部員から招待した人だけにすればいい。接触とか飛沫で感染する心配がないように、座席は離す。広さは充分あるから……」

「そこまで言っても?」

 夕子は不満げだった。

 打つ手を必死で考えた僕のことは評価してくれなかったが、いつものことだから仕方がない。

 僕は質問にだけ答えることにする。

「小学校の体育館じゃ、換気ができない。たぶん許可は下りないだろうって、顧問が」

 夕子は、寂しそうに肩を落とした。

「……もう、いいよ。無理しないで。やっぱり、人に余計な負担かけてまで、やることじゃないんだ」

 いきなり弱気になった夕子に、僕はうろたえた。 

 この2年ちょっとの間で、初めて見る夕子だった。

 どうやら、人に借りを作るのが大嫌いな性分が、悪いほうに気持ちを切り替えさせたらしい。

 そんな夕子は、見たくなかった。

 気が付くと、自分でも信じられないほどきっぱりした口調で、僕は反論していた。

「そんなことない。させてもらうんじゃなくて、やって当然なのが芝居だって、いつも言ってたじゃないか。だから、卒業したら大学の演劇科入って、俳優修業するって……」

 長々と喋りすぎたかもしれない。

 夕子が低い声で、僕の言葉を遮った。

「それ、大きなお節介……私が決めることだからさ、他人にどうこう言われたくないんだ」

 そのまま、さっさと帰り支度を始める。

 だが、止める方法がひとつだけあった。

 夕子が背負っているものを、思い出させることだ。

 つまらない意地のためにそれを投げ出すことは、もっと大きな借りを作ることになる。

「ごめん! さっきのシーンからやり直させてよ! ……エドマンド!」

 僕が呼んだのは、グロースター伯爵の庶子で、エドガーの弟だ。

 リア王の物語を陰で操る大黒幕が、はっと振り向く。

 上の娘ふたりを誘惑できるほどの美男子なので、3年生のうち、敢えて背格好のいい女子を夕子が抜擢したのだ。

 察しはいいが事情を知らないリア王が、道化が、グロースターが、さっきの位置に着く。

 みんな、この2年ちょっと、一緒に芝居を作ってきた仲間たちだ。

 この既成事実を前に、夕子はちょっと目を拭っただけで、敢えて物も言わずに手を叩いた。

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