第12話 うまくやってモテる奴と見栄張ってドツボにハマる僕
寺の手伝いが終わってから新たな稽古場に移動すると、僕の気分は更に重くなった。
篠井の父親が貸してくれたオフィスは20畳ほどだった。
広くはないが、稽古には充分だった。
活動時間になって、のっそりと面倒臭そうに現れた顧問も、その隣にある小部屋で待機することになる。
その点に問題はない。
さらに、準備してあったのは、ノートパソコンが1台、小さなミキサーが1台、アンプが2台だけだった。
それでも、音響効果担当の部員はもちろんのこと、夕子までもが目の色を変えた。
「すごい! ありがとう、一徳くん!」
音響効果担当にオーディオインターフェースがどうたらという説明をしていた篠井は、夕子に振り向きもせずに答えた。
「型落ちですけどね。OSもサポート終わってますし」
要は、パソコンの画面上で大掛かりな音響の操作ができるということなのだ。
こうしたものは、演劇大会でプロの音響業者が会場に持ち込んだ機材の中で見たことがある。
実を言うと、ずっと役者ばかりやってきた僕は、この方面には疎い。
舞台監督や演出をやることが多かった夕子も、直接には音響機材を扱ってはこなかった。
だが、このくらいのことは分かるようだった。
「充分! 充分! 充分よ! いちいちでっかいミキサー運ばなくて済む!」
舞台監督をやると、稽古から本番までの段取りを全て考えなくてはならない。
さらに、部活で使っているミキサーはやたらと大きいのだ。
これは、文化祭で複数のクラスが舞台発表するときなどでも使うからである。
たくさんの音源や、会場となる体育館の複数のサブスピーカーに接続するので回路が多くなり、その分、大きなものが必要になる。
もともと校外に持ち出すことは想定していないので、重くても差し支えないのだった。
それと同じ機能がパソコン1台にまとめられているので、音響効果担当者としても、夕子と同じくらいテンションが上がる。
そんなわけで、ようやくマスクを外して稽古が始まった。
リア王による荒野の彷徨は、臨場感あふれるものとなった。
「風よ吹け、嵐よ吹き荒べ!」
その叫びと共に、音響効果の強い雨が絶妙の間で叩きつけてくる。
リア王についてきた宮廷の道化は、王の怒りと悲しみなど意にも介さない。
「そんなこと言ってる間にさ、雨宿りしようぜ」
冷やかに突き放されても、自分しか見えていないリア王には痛くも痒くもない。
世界と運命を罵り続ける。
「ワシを追い出した娘ふたりの味方なぞしおって、負けはせんぞ!」
その抗議を、道化はこれまた混ぜっ返す。
「本当の味方だった末の娘を足蹴にするからだ」
だが、そんな本音も嵐のせいか、リア王には聞こえない。
かえって、優しい言葉を返したりする。
「道化よ、お前も寒いか」
こんなふうに、自分に都合のいいことについては、道化もちゃんとした返事をする。
「おや、こっちにあばら家が」
実際には、あばら家の舞台装置などない。
時間と予算の関係で、演出兼舞台監督の夕子が「あること」にしてしまったのだ。
実際は、そこに潜んでいることになっている男が、舞台上に現れるだけである。
「おっと、触るんじゃねえ、哀れな悪魔憑きのトムだぜ、俺は」
この男、実はエドガ―という。
庶子の弟の陰謀で家を追われた、伯爵家の嫡子だ。
これを演じているのが、僕ということになるのだが……。
休憩に入ったところで、2年生の部員が話しかけてきた。
「それで、肝心の会場はどうするんですか」
うやむやになっていたのが、また蒸し返された。
同じことを聞かれてから何日も空いている。
時間をくれなどと再び言えば、自主公演ができるかできないか分からないのを理由として、本当に部を辞めかねない。
「……小学校のグラウンドとか」
とっさにそう言ったが、それはどこかで誰かが言ったことを、また繰り返しただけだった。
部員もまた、冷ややかな口調で、どこかで聞いた言葉を口にする。
「雨が降ったら?」
さすがに、川原とはもう言えなかった。
思いつくままに答える。
「じゃあ、体育館」
それでなぜか、部員は納得した。
「じゃあ、また、盆明けに相談します」
そこで夕子が、稽古の再開を告げたので、僕は立ち位置についた。
出番前に、余計な悩みを抱え込んでしまったのを感じながら。
演出の夕子が手を叩くと、僕が演じるエドガーに驚いた道化が喚く。
「うわ! なんかいる、なんか!」
そこへ転がり込んでくるのが、エドガーを追放したグロースター伯爵だ。
リア王の、忠実な臣下である。
「陛下! お助けに参りました、ここに、末娘のコーディーリアさまが嫁がれたフランス軍が助けに参るとの知らせが!」
道化が慌ててひっくり返ると、孤独なリア王の不幸を嘆く。
「おいたわしや、こんなところでこんなお供をお連れとは!」
ここで、エドガーは父の前で正体を明かそうとしない。
エドガーは誇りを重んじる。名誉が回復されない限り、名乗ることはできないのだ。
だが、ここで言葉が出ないのは、演技ではなかった。
夕子が手を叩いて芝居を止める。
「エドガー、集中!」
僕は我に返る。
すみません、と頭を下げると、夕子が尋ねた。
「どうしたの? 何か心配事?」
そう言わなければならないほど、僕の様子は尋常ではなかったのだろう。
気遣ってもらえたのは嬉しかったが、ここでは言えないことだ。
夕子に了解もなく、小学校の体育館での上演を検討すると、2年の部員に告げてしまったというのは失策だった。
たぶん、それは他の2年生部員にも伝わっていることだろう。
だが、今は稽古のことを考えるしかない。
僕がエドガーとしてここにいる、全ての瞬間のことを。
「続けてください、お願いします」
だが、夕子は聞いてはくれなかった。
「エドガー、ちょっと休んで。何か、様子が変だから」
そこで台本を手にして立ち上がるのは、演出が自ら代役に立つということだ。
僕は、おとなしく従った。
立ち位置を離れると、そこに夕子が立つ。
「じゃあ、始めます」
その手が鳴ると、稽古場にいる全員の目が、リア王に、道化に、グロースターに、そして代役のエドガーに注がれる。
出番を外されたのは寂しかったが、今、副部長としてできることは、ここにあった。
僕は稽古場の隣にある、顧問が控えている小部屋へと滑り込んだ。
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