第9話 稽古場がない!

 何でも、寺の手伝いの途中で、夕子のスマホに顧問からの連絡が入ったのだという。

「稽古場がない?」

 別に夕子の落度を追及したわけではないのだが、その返事は実に申し訳なさそうだった。

「風通し悪いって、体育館のステージが」

 ステージが、演劇部に割り振られた唯一の活動場所だ。

 僕はそこを失うのが納得できなかった。

「上袖と下袖のドア、開けっ放して練習してるじゃないか」

「でっかい冷房機材入れるんだって、熱中症対策で。それでドア塞いじゃうからって」

 顧問は、今日、いきなり決まった話だと言ったらしい。

 夕子に言っても仕方のないことだったが、他に不満を持っていく場がなかった。

「勝手じゃないか、そんなの」

 夕子は夕子でムキになって言い返す。

「仕方ないじゃない、私たちは学校から場所借りてる身だし、ほら、このバイトも」

「バイトって言うなよ」

 無届がバレたら、部の存続に関わる問題になってくる。

 いや、タダ働きなんだから、そもそも気にすることはない。

 今、考えるべきは、代わりの稽古場だった。

 夕子も手詰まりなのか、どこかで聞いたようなことを繰り返す。

「小学校のグラウンドとか、そこらの川原とか……」

 僕も、聞き覚えのある言葉を繰り返す。

「雨が降ったらどうするのさ」

 熱中症の心配もあるし、そもそも顧問が責任を持てる場所でなくてはならない。 

 顔を見合わせて、お互い、無言でしばし考える。

 やがて、夕子が口を開いた。

「思いついたんだけど……」

 その閃きは、僕からみても悪くなかった。

「本堂借りる?」

 20畳もあれば、広さは充分だ。

 問題は、そこまで顧問が稽古を監督しにやってくるだろうかということだった。

 何もしないくせに、何をするにも許可の有無にこだわってくるのである。

そこについては、夕子なりのプランがあった。

「土日だけ。ボランティアのついでにってことで、顧問には目つぶってもらうから」

 手を合わせて、拝むような眼差しで僕を見つめる。

 こうなると、嫌とはいえなかった。

「分かった。やってみる」

 だが、こういう時の結果は決まっている。

 僕の場合。


 他の人に、特に夕子にいいところを見せようとすると、僕は必ず失敗する。

 ご住職は、穏やかな声で、きっぱりと断った。

「残念ですが、ご協力できません」

 夕子の期待を背負っていては、はいそうですかと引き下がることもできない。

「いや、顧問の了解は取りますから」

言ってから、しまったと思った。

 それはつまるところ、常楽寺の本堂を稽古で使いたいというのが、責任者の頭越しの申し出だということを意味する。

 ご住職は、僕を静かにたしなめた。

「そういうごまかしは、よくありません」

 それでも、食い下がるしかなかった。

 確かに思いついたのは夕子だが、引き受けたのは僕だ。

 失敗して、そのまますごすご引き下がるくらいなら、最初から夕子を止めればいい。

 僕は、初めてご住職に食ってかかった。

「それ言ったら、このタダ働き……ボランティアだって」

 言ってはいけないひと言を、ぐっと呑み込んで言い直す。

 だが、そこのところは聞き逃してもらえなかった。

「お礼はするつもりでしたが、部長さんが固く断られましたので」

 確かに、その通りだ。

 この辺り、ご住職は実に食えない人だった。

 ジャコウネコのウンコから手間暇かけて拾い上げた豆から抽出した1杯8000円のコーヒー。

 これにこだわって、タダ働きでいいと言ったのは夕子の方だ。

 反論の余地はない。

 僕たちがハメられたのなら別だが、そもそも、ご住職は律儀で義理堅い夕子の性格を知らないのだ。

 もし、部長として手伝いを申し込んだ電話だけで、それを察したのなら別だが。

 そんな詮索は脇へ置いておいて、僕は情に訴えることにした。 

「僕たちの、最後の公演なんです」

 ご住職は、あの笑顔で頷いた。

「そうでしたね」

 このひと言の恐ろしさを、ようやくのことで僕は思い知った。

 確かに、すべてを受け止めてしまう柔らかい言葉だ。

 しかし、とらえどころがなく、何ひとつアテにはできない。

 それでも僕は、演劇部に迫った目の前の危機を分かってもらおうと必死だった。

「もしかしたら、これからずっと大会なくなって、部員たちも辞めてしまうかもしれません」

 再び、ご住職は笑顔で答えた。

「厳しい試練ですね。もしかすると、あなた方自身に、お芝居がどれだけ好きかが試されているのかもしれませんよ」

 早い話が、それだけ芝居が大事なら、いかなる犠牲を払っても自主公演をやりとげてみせろと言っているのだ。

 そんなこと、言われるまでもない。

 高校生にはどうにもならないくらい、

 だからこそ、なりふり構わず、僕はこんな虫のいいお願いをしているのだった。

「だったらなおさら、助けてもらえませんか? 僕たちの力では、もうどうすることもできません」

 息を詰めながら、僕は言葉を少しずつ区切る。

 胸の奥から湧き上がってくる何物かは、そうやって抑えれば抑えるほど強くなる。

 それをひとつひとつ言葉にしていくうちに、感情は自然に涙となってあふれてくる。

 これも演技術のひとつだった。

 泣き落としといえば泣き落としだが、ずるいとは思わなかった。

 むしろ、いま使わないでいつ使うのかと思っていたくらいだ。

 だが、ご住職は僕よりも役者が上だった。

「本堂の改修が、明日から始まるんです」

 そんなどうしようもないことなら、先に言えばよかったのだ。

 無駄な説得を、こちらも省くことができる。

 もっとも、言い足りないことは不満となって残っただろう。

 分かっていて、それを先に吐き出させたとすると、やはりご住職は手強かった。

 だからこそ、僕も手段を選んではいられない。

「遅らせてください! 来月まで」

 笑顔のご住職は、更なる高笑いをした。

「気持ちのいい無茶を言うようになりましたね」

 そこでまっすぐに僕を見つめてくる。

 ここは、期待できそうな気がした。

「じゃあ……」

 本堂を稽古に使わせてもらえるかもしれない。

 息を呑んで最後のひと言を待っていると、ご住職は、おもむろにこう告げた。

「大きな目的があるなら、目先のものには飛びつかないことです」

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