第10話 僕の努力は空振りに終わる

 重い足取りで本堂から出てきた僕の前に、夕子が駆け寄ってきた。

「ありがとう、建義くん」

 結果を告げないうちから、お礼を明るい声で言われても困る。

「いや、本堂は……」

 何も言わないうちから、夕子は僕の返事を先取りして口にした。

「見たら分かる。ダメだったって」

 思いっきり、頭を下げるしかなかった。

 いい格好して大見得切って、とどのつまりはこういうわけだ。

 夕子とつくる最後の舞台は、幻に終わるのだ。

「悪かった」

 腹の底から絞り出すような声で詫びる。

 だが、夕子は軽く答えた。

「いいの。稽古場、見つかったから」

 意外な返事に呆然としながら顔を上げると、そこには既にいないはずの人物がいた。

 父親と帰ったはずの篠井一徳が、そこに飄然と立っていた。

「ウチの事務所、使ってください。今月いっぱいくらいは、人もモノも入ってこないらしいので」

 高く昇った夏の太陽の下で、夕子が眩しいばかりの笑顔で篠井に尋ねた。

「何で稽古場使えないって知ってたの?」

「片付けの途中で急に外に出てったから、どうしたのかなってついていったら、スマホで話してるのが聞こえて」

 気づかなかった僕も僕だけど、要領良すぎる……こいつ。

 喜んでいた夕子は夕子で、急に深刻な顔になった。

 篠井から目をそらしながら、聞きづらそうに尋ねる。

「どうするの? お父さんの仕事は?」

 美味しい条件が転がり込んで来ても、その裏を考えるのは、実に夕子らしかった。

 誰かを犠牲にしてまで、求めるものを手にしようとはしない。

 僕は、夕子のそんなところも好きだった。

 篠井はと言うと、別に恩を売る様子もない。

「極端なこと言えば、ノートパソコン1台で充分なんです」

 そんなこと何でもないという口調だった。

 だが、それが余計に夕子の興味をかきたてたらしい。

「何やってるの?」

 ちょっと前のめりになった夕子から身体を引いて、篠井は答えた。

「テレビ会議のアプリ開発です。こんなことになって、一気に注文増えて」

 ウィルス感染防止のために、企業でも出社に制限がかかるようになった。

 その影響で、在宅作業とかリモートワークがどうたらというのが最近、話題になってきていた。

 もっとも、この辺りは、休日に都市部から人が逃げてくるに過ぎない。 

 ネット経由で仕事をどうこうという問題には、まだまだ縁がなかった。

 そのせいか、夕子は余計に篠井との話に夢中になる。

「何かわかんないけど、すごいね」

 一徳も、個人的な身の回りのことを、ぽつぽつ話すようになっていた。

「もともとは、パソコンで操作できるようなオーディオ系のデバイスとかソフト作ってたんですけどね」

 夏の太陽の下、ぱっとしない僕ひとりを置き去りにして、美少女と美少年の話は、ますます弾んでいく。

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