第3話 荒野のリアと冷たいコーヒー
庫裏に通された僕たちは、長机を囲んで座布団の上に正座することとなった。
ご住職からは楽にしていいと言われたのだが、さすがに金銭がらみのことをお願いするとなると、胡坐をかいてもいられなかった。
やっぱり満面の笑顔で尋ねてくる。
「何をやるんですか?」
「リア王です、シェイクスピアの」
ご住職は、ちょっと気負った僕に応えるように、大きく頷いた。
「なかなかの挑戦ですね、そんな大作を」
「いえ、長い作品を1時間くらいにまとめるので」
作品の規模は、ずいぶん小さいものになる。
何のハッタリもなく、正直に答えたところで、待ちに待った問いが返ってきた。
「お手伝いといっても1日、1時間くらいが限界ですが……ひとり、どのくらい御入り用ですか?」
「部費で足りない分ですから……。最後の公演、先生にも親にも頼らずに、自分たちの力で何とかしたいんです」
すかさず答えたが、肝心なことには触れないでおく。
ご住職は、微笑して相槌を打った。
「いい心がけですね」
いい感触だった。
僕は畳みかけるように、本題へと移った。
「そうですね、リハーサルと本番の2日分の会場使用料で20000円くらい、照明とか音響効果の機材の使用料で30,000円くらい、それから、照明の灯体を舞台の上から吊るのに会場スタッフを2人お願いするので人件費がひとり15000円で80,000円ですから……10人で、ひとり8,000円」
「顧問の先生からは何も……」
確かに、高校生が部の活動費を責任者の判断抜きで稼ぐなどということは、不審に思われて当然だ。
僕の言葉は、この場で失速した。
「すみません……それは」
説明できない。
携帯電話の通話機能しか使ったことのないアナログ人間の顧問には、内緒のアルバイトなのだ。
因みに、これ自体が校則違反だ。僕たちは、結構危ない橋を渡っている。
それを察したのか、ただ単に間が悪かっただけなのか、住職は僕の話を遮った。
「ああ、いいコーヒーが入ったんですよ。ご連絡をいただいて夕べから水だけで出したんです。飲んでいきませんか」
鮮やかな手つきで、9人分のグラスに、切り子細工のガラスのポットからアイスコーヒーが注がれる。
冷えているのに何とも言えない、芳醇な香りが庫裏中に漂った。
だが、夕子を差し置いて、何か振る舞われるのも気が引けた。
それが特別なコーヒーなら、なおさらだ。
僕は、そわそわしながら告げた。
「できれば、部長が来てから……」
「ああ、私にお電話くださったお嬢さんですね。たいへん真面目な方だという感じがしました」
それには、僕も同意する。
みんなでマスクを外して飲んだ、キンキンに冷えたコーヒーが美味しかったせいもあって、つい、別に言わなくてもいいことまでしゃべってしまった。
「ええ、やるといったらやる、受けた恩や義理は絶対に返す、というのがモットーで……」
話が大脱線しそうなのに気付いたのか、ご住職は微妙な軌道修正を図る。
「私のようなジジイが、末娘をその愛情に気がつかないで追い出してしまって、頼りにしていた姉2人にはたらい回しされて、荒野をさまよった挙句に死んでしまうという……身につまされる話ですね」
「ああ、どちらかというと、その、荒野の彷徨が中心です」
「すると、何人でやるんですか?」
「リア王、グロースター、エドガーにエドマンド、道化の5人で、あとは照明と効果が2人ずつ、演出が舞台監督を兼ねて……10人ですね」
因みに僕がエドガーで、演出・舞台監督は夕子だ。
指折り数えて答えると、気持ちのいいツッコミが入る。
「おや? ケントは? コーディーリアやゴネリル、リーガンは?」
全て、劇中の主要人物だ。
知らない人ではなかなかできない指摘である。
僕もつい、演出の肝の部分の説明に熱が入る。
「ケントは時間の関係で……女たちは早変わりの、ひとり二役で」
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