第2話 僕は頑張っちゃいけない

 たまにいいところを見せようとして、常に失敗してきたのが僕の人生だ。

 仕方がない。

 僕は小柄で童顔でパッとしない、マジメに基礎練や稽古をするしか能のない、田舎の高校の演劇部員にすぎない。

 入部してから2年ちょっとの努力に応えてくれたのは、僕自身の鍛えられた身体と声、そして表現の技しかない。

 だが、それを分かってくれる人がいないわけでなかった。

 本堂でお経をあげているお坊さんが、その人だ。


  帰命無量寿如来

  南無不可思議光

  法蔵菩薩因位時

  在世自在王仏所……。


 読経を終えると、口にウィルス感染予防のマスクをはめたご住職は、庫裏の玄関へとやってきた。

「逞しくなりましたね、鴫野建義くん」

 同じようにマスクをつけていても、すぐに分かったらしい。

 制服を着た、マスク姿の高校の演劇部員が僕の後ろに控えていても、この人にフルネームで呼ばれると、小学生の頃に戻ったような気がする。

 渡会わたらい弘誓ひろちか

 僕が久々に訪ねた常楽寺じょうらくじのご住職だ。

「ご無沙汰してます……6年ぶりくらいですか」

 切羽詰まった頼みごとを胸に秘めていると余計に、普段は使わない丁寧な言葉がすらすら出てくるものらしい。

 寺の庫裏の玄関で、ご住職は懐かしそうに笑った。

「まあ、みんな小学生の間だけですよ、境内でのラジオ体操の後に本堂でお念仏を上げるのは」

「今も?」

 子どもの頃と比べると、すっかり時代も変わった。

 田畑と狭い川原しかなかった静かな山間の土地には、当たり前のように県外ナンバーの車が押しかけて来るようになっている。

 やることといえば、川原でのバーベキューしかないが。

 夏場ともなれば日よけのテントが隙間もなくひしめき合うのだが、ここのところは、とんと見かけない。

 理由は、ご住職が語る通りである。

「今年はなくなりました、例のウィルスで」

 バーベキューの話ではない。ラジオ体操の後のお念仏のことである。

 亡くなった先の住職が始めたものを今のご住職が引き継いだものだ。僕も通った覚えがある。

 だが、感染力の強い新たなウィルスが今年の頭から、日本とは言わず世界中で蔓延していた。

 風通しの悪い所で寄り集まったりじゃれあったり、向かい合って飲み食いしたりすると、感染しやすくなるのだという。

 そのとばっちりは、僕たちも及んでいた。

「夏の演劇大会中止が先週、正式に決まったんです。顧問の会議で」

「じゃあ、もう引退ですか?」

 ご住職は、実に残念そうな顔をして尋ねた。

 ここでようやく、僕は本題へと慎重に話を進めていった。

「いえ、自主公演を」

 このままでは終わりたくなかった。

 だが、それはウィルス感染のリスクを背負うことである。当然、顧問は渋った。

 それでも、10人いる部員のうち6人を占める僕たち3年生は、高校演劇にかける思いを切々と訴えた。 

 顧問もようやく、厳しい条件を課したうえで許可してくれたのだった。

 会場費は部活動予算から援助しないでもないが、それにも限度がある。目途がつかなかったら、諦めること。 

 換気と、舞台や観客同士の距離と、使った場所の消毒は徹底すること。

 そんな事情を告げると、ご住職はちょっと真剣な顔になった。 

「どこで?」

 僕は、さらに具体的な話をした。

「町の公民館です」

 ときどき、地区大会もそこで開かれたりする。

 舞台の広さも設備も客席数も、最後の公演には充分だった。

 ご住職は納得したようにうなずいたが、ここで終わったら、ただの世間話でしかない。

 本題をどう切り出したものかと考えあぐねていると、ご住職のほうから水を向けてきた。 

「それで、ご用件は?」

 僕はこの機を逃すまいと、すぐさま頭を下げた。

「何でもやります。バイトさせてください。どこでも断られちゃって」

 ご住職は、きょとんとした顔をしたが、すぐに笑顔で答えた。 

「本堂の改修をするんですよ。ついでに寺の片付けをと思ったんですが、こうなってしまっては……」

 ご住職の振り返るほうには、何やら大きな箱やつづらや帳面が山と積まれている。

 明らかに、還暦を過ぎた独身の年寄りではどうこうできない量だ。

 そこで、最後のひと押しに、僕は思いっきり頭を下げた。

「お願いします。公式大会なら県から会場費が下りるんですが、自主公演では」

 僕の後ろで、3年生と2年生も「お願いします」と頭を下げた。

 1年生は、いない。

 誰も入部しなかったのだ。

 ウィルス感染のリスクから劇場が敬遠されているのか、演劇そのものが校内で黙殺されているのか。

 そんなわけで、公演の先にある来年度の部員勧誘も、危ういものになっていた。

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