静まり返った夏の終わりに
兵藤晴佳
第1話 蝉しぐれとコーヒーと
頭のてっぺんに8月の太陽を頂き、炎天下に鳴り渡る蝉時雨を聞くのは、日本人にとっては夏の風物詩ということになっているらしい。
でも、今年の夏はいつもと違った。
蝉しぐれはどんなに騒がしくても、耳障りだという気はしない。
むしろ、懐で僕を呼び立てるスマホの着信音のほうがよほどうるさかった。
「
部員全員に集合をかけておいて、それはないと思う。
だが、僕はどうしても、それを責める気にはなれない。
「別にいいんだけどさ、部長。いつものことだから、間に合わないの」
正直な気持ちを口にしたつもりだったが、帰ってきたのは不機嫌なひと言だった。
「何よ、それ、皮肉?」
演劇部の部長、
この気の強さに辟易する部員は多いが、そこは副部長として波風立たないように抑えてきたつもりだ。
「忙しいだろ? 土日の喫茶店は。お客さんも多いし……モーニングもランチも」
「そうなのよ……マスク着けてまで飲みに来るかな、まったく」
飲食に危険信号が灯っているこのご時世に、そこまで客を悪しざまに言うのはいかがなものか。
だが、それも夕子の意地と情熱あってのことだ。
確かに喫茶店の娘でコーヒーと銭勘定にはやたら細かいが、見据えているものはもっと遠くにある。
高校3年生の夏は、進路決定の天王山だ。
大学入試対応の模擬試験はもう終わっていて、夏休みが終わる1週間前には、結果も戻ってくる。
僕は手堅く県内の国立大学文系学部への進学を目指していたが、夕子は違った。
「俳優修業のためだろ、仕方ないじゃないか、大学じゃなくて専門学校に行く条件なんだろ、店番が」
なだめるつもりが、いわゆる逆鱗に触れてしまったらしい。
「大きなお世話よ! それより、お寺には部長として電話しといたから、後はちゃんとお願いね。言い出しっぺ、建義なんだから」
「そりゃそうだけど、自主公演の会場のことなんだから、やっぱり部長がいないと……」
だが、向こうから掛かってきた電話は、そのまま勝手に切られてしまった。
僕がやるしかない。
通話の終わったスマホの画面で、僕は改めて、自分で夕子に紹介したSNS上の情報を確認した。
「お力添えをお願いいたします。ささやかではありますが、世間相場には見合ったお礼をさせていただきたいと存じます。 常楽寺」
そのコメントの隣では、人の好さそうなお坊さんがニコニコと笑っている。
近所のお寺のお坊さんだ。
SNSを駆使してお寺の情報を発信していて、人形や遺品の供養を受けたり、話を聞いてもらったりしようとする人が日本中からやってくるらしい。
聞いた話ではお布施の額も莫大で、それでお墓を整備したり供養塔を立てたりして、またSNSでそれを発信する。
周りの人は坊主丸儲けとかオタク坊主とか陰口もたたいているようだったが、頼れるところを他には思いつかなかった。
もはや、藁にもすがる思いだったのだ。
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