エピローグ

「ハァハァ……。やっと追いついたぞ」

 息を乱すティグリスが目にしたのは、滝つぼの中心に作られた一本道の先にある小島で互いに手を差し出し、今まさに触れようとする寸前の光景であった。

「おうおう。男二人で仲良しごっこか? きしょく悪いのぉ」

 吐き捨てるように言いながら、一本道を歩いていくティグリス。

「そんなんええから早く俺と勝負……」

 ティグリスが両手を強く握り拳を作った丁度そのとき、突如カイザーの掌から黒焔が発火する。

「──離れろッ!」

 腹の底から出たカイザーの激声に、ただならぬ危機感を覚えたレオンは、慌てて小島から飛び退り、ティグリスも踵を返す。

 一方黒焔は、数秒で跪き悶え苦しむカイザーの全身を覆い尽くし──それどころか体積を超えも尚、天に昇るように膨張する様に激しさを増し、徐々に形を変えていく。

「「……⁉」」

 全長四メートル程にまで伸びたその表面は無数の鱗に覆われ、鮫の鰭のような突起物が連なる。前方には体長見合わない短さの腕が二本生え、先端には触れるだけで両断されてしまいそうな程鋭利な鉤爪。そして先端に浮かび上がったのは、二本の髭を生やし、数百本もの鋭利な歯を携えた龍の顔。それは紛れもなく、この領域を破滅に導こうとした元凶、黒龍そのものであった。

「ギャォォォォォ────ン‼」

 空を裂くかの如く響く厳めしい咆哮に二人は耳を塞ぎ、苦悶な表情で黒龍を見上げ──対し黒龍は精悍な眼差しで二人を一瞥すると、滝に体を打ちつけ、産卵地に向かう鮭の如く遡上していく。

「源泉が狙いかっ!」

「させるかっ! 獅子・肉球炎弾(しし・にくきゅうえんだん)!」

 掌から放たれた肉球型の炎弾は黒龍の胴を捉えるも、黒焔に触れた瞬間、相殺される。

「そんな……」

(やっぱりクリスタルの力でしか対抗できないのか……)


 茫然と立ち尽くすレオンたちを背に猛烈な勢いで遡上していく黒龍は、レオンたちが訓練で半日かけて登った地点へ、僅か数十秒で到達した。

 その刹那。突如、猛烈なスピードに乗った雷の牙が二人の頭上を飛来すると、それは黒龍の眼前に突き刺さる。当然のように雷牙を生成していた電気は一瞬にして滝全体に流れ渡ると、感電した黒龍の黒焔は徐々に弱まっていき──やがて勢いを失うと、そのまま体を打ちつけるようにして小島へと落下した。

「蔓玉がなくなってると思ったら、案の定ここだったか」

 それと同時に、十メートルはくだらない大木の頂上から跳躍したヴォルクスは、髪をふわりと浮かせ二人の前に着地した。

「……先生」

「一か八かでやってみたが、どうやら癒水との相性は悪いみたいだな」

「やとしても、どうやってあんな凶暴な奴からカイザーを助けたらええんや……」

 三人は懐疑の眼差しを悶える黒龍に視線を向けた。そのとき、黒龍は全身を丸めていくと、密着した部分が接合されていき、やがて一つの巨大な黒い玉が形成されると、突如、黒い玉を突き破るようにして巨大な手足が生える。

「「「──⁉」」」

「グオオオォォォォォォォ──‼」

 一つ一つの部位の剛健さと纏う黒焔の苛烈さが十二分に増した巨人は、割れんばかりの咆哮を天に放つ。

「……お前たちは下がってろ。俺が終わらせる」

 そう二人の前に出たヴォルクスの背中には、並々ならぬ覚悟が滲む。

「……終わらせるって、どういう意味ですか」

 レオンは恐る恐る口を開く。自分の解釈と違うことを切に願いながら。

「黒焔を完全に消し去るには、あいつ自身を消す以外に方法はない。誰かがしなければ、また忌々しい過去が繰り返されることになる」

「そんなの駄目だっ!」

 猛々しいレオンの声がヴォルクスの肩を掴む。

「やっと、やっと、分かり合えた。カイザーの方から手を差し伸べてくれた。あいつは、俺を信じてくれたんだ!」

 レオンは力強く地面を踏みしめながら進み、ヴォルクスと肩を並べる。

「だから、先生も信じて」

 決然たる瞳でひたとヴォルクスを捉え──その中に宿るものを目にした途端、ヴォルクスは記憶の波に飲み込まれ、それらの記憶が次々と『信じる』という言葉と繋がっていく。

「どうやって助ける」

 僅かな沈黙の後放たれた一声に、レオンの表情が少し緩む。

「こいつの力を使って」

 その手に握られていたのは、飛び退った際に、咄嗟に手にした蔓玉であり、水晶甲虫が帯びたクリスタルの力を使い、黒焔に対抗するというのが算段であった。

 それを見たヴォルクスは、一層冷厳とした眼差しでレオンを見つめ、蔓玉に手を伸ばす。

「クリスタルの力を使えば最後、その先がどうなるかは誰もわかんねぇ。そんな役目を、未来ある若者にさせるほど俺も馬鹿じゃない」

 が、レオンはその手から遠ざけるように蔓玉を手繰り寄せる。

「水晶甲虫が帯びているクリスタルの力だけじゃ、巨人には対抗できない。だからこそ、唯一巨人の動きを封じることができる先生力が必要だ」

 これまでにない説得力に満ちたレオンの言葉に、ヴォルクスは伸ばした手を戻す。

「一度だけだ。もし失敗すれば、お前諸共殺すことになる。それでも、やる覚悟はあるか?」

 ただ黙しながら深く頷くと、その信念と呼応するように蔓玉が開き、水晶甲虫が露になる。同時にヴォルクスは両手に雷狼牙を生成を始める。

「いくよ、リエフ」

(いつでもこい!)

 鷹揚と水晶甲虫に左手を翳すと、甲虫が帯びたクリスタルの力が光塵となり、手を伝い全身に纏わりついていく。

「……クッ。耐えろっ、耐えろッ!」

 これまで一度も感じたことのない心身を走る激痛。僅かな量のでさえ、成熟しきっていないレオンには、途轍もない負担であった。

(あともう少し……)

 光塵が体を覆っていくごとに朦朧とする意識。それでもカイザーを必ず助けるという強い意思を噛みしめながら必死に耐え続け──が、ついに辛うじて保ち続けてきた意識の糸がぷつりと切れると、魂が抜けたように膝から崩れ落ち

 パンッ──

 落ちていく体が何かにぶつかり止まる。同時に、知っている感覚がレオンの心に広がり、切れた糸の両端が結ばれる。

 そして答え合わせをするように目を開けた。

「こんなとこで死ぬなよ、まだ決着ついてないねんからな……」

 苦笑いを浮かべながら、レオンの腕を肩に回し、体を支えるティグリスは、片手に握った融蔦を差し出す。

「こんな体力じゃ、あいつの体はぶち抜かれへん。わかったら、はよ握れ」

「……あぁ」

 レオンは半醒半睡のまま融蔦を触れるように握ると、二人は瞬く間に蔦に覆われ──やがて徐々に蔦が解け露になったのは、髪、鬣、全身の獣毛が黄金に染まり、口元には、左右半々にリエフとティグリスの描かれたマスクと、双方の鋭い牙が一本ずつ突き出す合獣『レオリス』であった。

 その姿を見て取ったヴォルクスは、持ちうる全ての脚力を使って跳躍し、特大に成長した雷狼牙の一本を巨人の足元に向かい投げつける。そして、凄烈な勢いで小島に突き刺さると、巨人の足場であった小島が一瞬にして粉砕され、滝つぼへと沈んでいく。

 次いで、もう一本の雷狼牙を溺れゆく巨人の額へと突き刺し、即座に飛び退る。

「今だっ!」

「「はいっ!」」

 着地するヴォルクスと入れ替わるように跳躍したレオリスは、盛大な水飛沫を上げながら入水し、感電し悶える巨人を眼前に捉える。

「「これで最後だッ‼」」

 決然たる言葉に呼応するように、構えた左の拳に黄金の炎が宿り──加え、それに覆いかぶさるように電気が迸る。水中であるのにも関わらず、その炎は急激に激しさを増していくと同時に、リエフとラオフの半顔が合わさった厳めしい顔へと形作られ。

「──⁉」

「「獅(し)虎(こ)・炎雷拳(えんらいけん)──‼」」

 放たれた拳は寸分の狂いなくカイザーが眠る胴のど真ん中への直撃。同時に、爆発的な水の波動を響き渡らせると、黄金の炎は巨人を形成していた黒焔の全てを飲み込み、カイザーを残し跡形もなく消滅させた。


「すまなかった、カイザー……」

 黒焔から解き放たれた直後、昏睡状態のカイザーの心の深層部に、シルバの声が響く。

「……どうして。どうして、黒焔が宿っていることを言ってくれなかった⁉ 何かに記すでも、オーカを通じてでも、伝える手段はあったはずだっ!」

「知らないことが、黒焔から遠ざかる唯一の方法だったからだ。祖父は、いつどこで、何をすれば黒焔の力が解放されるかを知らなかった。だから黒焔の力を解放しないまま、この世を去った。その後、俺は思いついた方法を片っ端から試していった。だが、どれも発動のトリガーにはならなかった」

「なぜそこまでして、使命を全うしようと……」

「全うしようとしたのではない……。全うしないために、発動条件を知る必要があったのだ」

「……⁉」

「俺だって、皆を殺したくはなかった。故に、いつ発動するかわからない力と隣り合わせで生きていくのは、怖く、とても辛かった。だが、その心に積もっていく負荷の積み重ねこそが、力が発動するトリガーだった……。それがわかってから、俺は心を殺し、必死に平常を装った。亀島大会に出場したのも、百獣の王になれれば、自分を慕う者が増えれば、少しは心が楽になると思ったからだ。だがあの日。俺はゴルドに負け、全てが崩れ去った……」

「心の負荷……」

 脳内にその言葉が反芻されたとき、ふと、全てを許してくれたときのレオンとの記憶が蘇り、理解する。自分が巨人に変化してしまったのも、レオンの心の寛大さに触れたと同時に、無意識に己の心の広さと比較し、生じた強大な劣等感が原因だということに。

「お前には同じ思いはしてほしくないと心の底から思った……。どうやらその考えも間違っていた……。お前は黒焔に打ち勝った。お前の心の強さを信じようともしなかった俺は、父親失格だ……」

「そんなこと……」

 初めて父親の心の叫びを聞いたカイザーは、沈みゆく中で目尻から一滴の涙を流し──それはすぐさま水中の水と混ざり、消える。

「いいか、カイザー。これが本当に最後の別れだ。俺はこれから最後のけじめとして、穴の内側にいる黒龍を冥界に道連れにこの世を去る」

「嫌だっ、父さん……ッ!」

 激情に反し、カイザーの体は人差し指が僅かに水を撫ぜるだけで。

「何もしてやれなかったお前に、今更親父面するつもりもないが……。最後に、一人間として言わせてくれ」

 ふっ、と体が持ち上げられる感覚と同時に、その言葉はヴォルクスの全てに響いた。

「信じ続けろ。俺の分まで」


「ハァ……」

 カイザーを地上に上げ、安堵で緊張が切れた途端、融合が解かれた二人は頽れるようにして仰向けに倒れ込んだ。

「……一生の、黒歴史や」

「でも……。信じてくれて、ありがとう」

「……あほ言え。お前と決着つけるために、ちょっと自分を騙しただけや……」

「心は騙せないよ。だって、そうできてるんだからさ」

 照れくさそうに顔を傾けていたティグリスは、呆れた様子で鼻で笑う。

「ま、もうどっちでもええわ……。ただ技の名前は変えてくれ。あれ、めっちゃダサかったわ」

「なんだよそれ、きまったと思ったのに」

 とても互いを敵視する者達とは思えない軽快な会話で、穏和な空気が流れる中、目を覚ましたカイザーが二人に歩み寄り、そっと両者に手を差し出した。

「もう、出ないよね?」

「出てもまた、助けてくれ」

「……あほ言え。いや、もう勘弁や」

 二人は口を綻ばせながら、カイザーの手を握る。

 繋がったその手は、何よりも固いもので結ばれていた。



 おわり

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