第21話
「「……」」
カイザーの見舞いにやってきたヴォルクスは、バニーと共に誰もいないベッドを見て茫然と立ち尽くす。
「……逃げたな、これは」
「逃げたって、いつからいないんですか?」
「う~ん。朝の検診のときはちゃんといたんだけどねぇ~」
バニーの危機感のない軽い喋り口調に、少し苛立ちそうになりながらも、誰もいないそのベッドから醸し出される不穏な空気に、ただならぬ違和感を覚えていた。
「レオン! この前の闘いはまだ終わってへんぞ!」
突き破る勢いでレオンの部屋のドアを開けたティグリスだったが、がらんとした室内に響くだけであった。
「レオンなら、砂林で修行中だ」
その騒がしい音を聞きつけやってきたゴリオは、バルーンミートの丸焼きを片手に言葉を放つ。
「修行?」
「もっと強くなるためにって、この前偶然会ったラピッドさんが言ってたよ」
「……あいつ」
どこからともなく湧き出る嫉妬に近い感情に突き動かされたティグリスは、すぐさまマスクをつけ、すぐさま砂林の方へと疾駆した。
「……ハァ、ハァ」
ロッハーのパンチを初めて頬をかすめるミリ単位の寸前で見切り、放ったレオンの渾身の一撃は、見事にロッハーの脇腹を捉えた。
「……中々いいパンチ持ってんじゃねぇか」
初めてロッハーの口から出た褒め言葉に、あざだらけになった顔に笑みを浮かべると、そのまま砂浜に大の字になりながら倒れた。
「やっと……、終わった……」
「俺が手助けしてやれんのはここまでだ。用が済んだならさっさと帰るんだな」
ロッハーは未だ脇腹にじんと残る痛みを感じながら、レオンを見つめた。
コツを掴んで以降、驚異的な速さで成長していったレオンは、たった二日で習得に至った。これは歴代の長尾驢族をみても誰も成し遂げた者はいない異例の期間であった。
そして、最もその成長を間近で体感したロッハーの心の内では、無意識のうちにレオンに対して嫉妬に近い感情が積み重なっていた。
「……ロッハーさん。なんで僕のこと弟子にしてくれたんですか?」
「何言ってやがる、弟子にした覚えはねぇ。お前がしつこかったから、ちょっと相手してやっただけだ」
「じゃぁ、もう一つお願い聞いてください」
レオンは疲労が溜まった体を重そうに起き上がらせ、ロッハーの前に立つ。
「騎士団に入ってください。約束してくれるまで帰りません」
「はぁ⁉」
突拍子もないレオンのお願いに、ロッハーは口をあんぐりと開けた。
「ロッハーさんの力があれば、もっと僕たちは強くなれる。巨人だって、倒せる可能性は高くなる」
「そりゃ無理な話だ。クリスタルが砕け散った今、天地がひっくり返っても俺たちの力じゃ巨人には勝てやしねぇんだよ」
「そんなの、やってみなきゃわかんない!」
ロッハーは、その揺るぎない信念を纏ったレオンの目を見たとき、ふとあの夜のヴォルクスの言葉が頭を過った。
『彼らが残していった意思は、巨人を倒すことができる唯一の希望だ。俺たちはそれを受け継ぎ、次の世代へと繋がなければならない』
「力を合わせれば倒せるんだって、信じることをやめちゃったら、負け続ける未来しかない」
『そうしていつか、俺たちは本当の強さを手に入れることができる。俺はそう信じてる』
「だから、ロッハーさんも信じてよ!」
『だからもう一度だけ、お前も信じてくれ』
ロッハーはいつしかレオンの凛禅としたその姿に、亀島大会で見たゴルドの姿を重ね合わせ──本当の強さとは何かを悟ったあの頃の自分が蘇り始めていることに気づく。
『他人の力を頼るなど弱者がすること。肝に銘じておくんだな』
が、同時にその自分を打ち消すかの如く父親の言葉が蘇ると、熾烈な葛藤が巻き起こり──区切りをつけるように息をゆっくりと吐いた。
「……まだ完全に最強を諦めたわけじゃねぇ。講師も、面倒な雑務も、全部やる気はねぇ。ただ敵が現れたら戦う。それだけだ」
「ほんとに⁉」
レオンは連日の訓練で溜まった疲労など感じさせない様子で、ロッハーを見つめる。
「……同じことを二回も言わせるな。わかったら、さっさと帰りやがれ」
ロッハーはどこか照れくさそうに顔を背け、そのままハンモックに体を預けた。
「ありがとう、ロッハーさん!」
一層厚みを増した背に心からの感謝の言葉をぶつけ、砂林を後にした。
「……大人になったんだね」
その数分後、聞き覚えのある声がロッハーの背筋をいたずらに撫ぜる。
「……て、てめぇ。いつからいやがったんだ」
ほんの少しだけ人を嘲笑し見下すような声の持ち主は、この領域で一人しかいない。
「それは秘密。とにかく、ようこそ騎士団へ。僕も支騎士団として支えるよ」
スクリロは両手を大きく広げ、歓迎するようなポーズをとったが、依然として背を向けハンモックに寝そべったままのロッハーに、拗ねるように下唇を前に出す。
「振り向いてくれたっていいじゃん。せっかくの再会なんだからさ」
「うるせぇ。そもそも、誰に俺の居場所を聞いた? また、ラピッドの野郎か?」
「それも秘密。後輩君の訓練で疲れてるんだったら、また出直すよ」
スクリロが背を向けたとき、ヴォルクスは心の奥底にしまわれていた言葉を拾い上げる。
「……あのときは、ありがとな」
その言葉に手が届いたとき、心がすっと軽くなっていくのがわかった。
意気揚々と自宅に向かっていたレオンだったが、砂林を出た瞬間、溜まっていた疲労がどっと体を襲い、頽れるように近くの癒水の溜池に体を投げた。
「なぁ、リエフ。俺たち、あとどれだけ頑張れば父さんたちに追いつけるのかな」
全てを預ける様に仰向けで浮かぶレオンは、満月を見つめそう呟いた。その間も、体内の疲労は癒水に溶けるようになくなっていく。
(さぁな……。ただ、共鳴三層に到達してこれだけは言える。五層まではまだまだ遠いぞ)
「わかってる。だけど、俺たちならなれる。誰よりも、そう強く信じ抜くことの大切さを教わったんだからさ」
レオンは鷹揚に左手を満月に掲げると、それを掴むようにぐっと拳を作った。
天を指す月光を帯びた表面と、手中に渦巻く闇。そのどちらも自分を成長させてくれる要素として必要不可欠であることを、レオンは心の底から理解していた。
そうしている内にあらかたの疲労が取れ、体を起こそうとしたとき、突如頭上から足音が近づいてきたかと思えば、間もなくして音は止み、その少年は満月とを遮るようにレオンを見下ろした。
「……カイザー!」
レオンは水飛沫を上げながら体を起こし、すぐに視線を同じ位置に合わせる。
「もう体は大丈……」
「ヴォルクスから命令だ。真実の滝に来いと」
憂いの声はカイザーの冷淡な声に遮られる。
「先生が? こんな夜に何の用だろう」
頭上に大きな疑問符を浮かべるレオンを気にも留めず、カイザーはどこから調達したのかもわからない蔓玉を懐からを取り出す。
と、そこへまた一人。
「やっと見つけたぞレオン! この前の決着をつけさせろ!」
ティグリスはいつもの調子でマスクをつけ、全身から闘気を溢れさせる。それを捉えたカイザーは強引にレオンの手を取り、せかすように一声がなる。
「集中しろ!」
同時に水晶甲虫と繋がった蔓を強く握りしめ。
「ご、ごめんティグリス。真実の滝に行かなくちゃ……」
「はぁ⁉ 何言うとんねん……って、ちょっと待てぇ‼」
二人はクリスタルの僅かな光跡を残し姿を消した。
「……おい、ラオフ。走る準備できてるか?」
(お前正気か? こっからやと六時間はかかるぞ⁉)
「これまでの俺等やったらな……。一時間や。一時間で追いついたる!」
両手を地面につけ四足になると、満月に向かい、喊声に似た遠吠えを上げた。
「ゴポポポポポポポポ……」
突然のテレポートに集中が足りなかったレオンは、いつものように滝つぼの中へテレポートした。予測していたかのように即座にレオンの首ネックを掴んだカイザーは、片手の膂力だけで強引に地上に引き上げた。
そこは地上から続く一本道を渡った先の小島、滝の正面であった。
「ゴホッゴホッ……」
両手をつき、むせるレオン。対しカイザーは気遣う様子すら見せず、強引に左手首を掴み、無理矢理立ち上がらせ──いつもとは違う獰猛さを帯びたカイザーの一挙手一投足に違和感を感じたときには既に、レオンの左手は滝の表面に接していた。
「なにするんだっ!」
「俺には知る権利がある。あのときの全てを!」
そう強かに言い放つと、カイザーも己の左手を滝の表面につけ──すると、二人は瞬く間に暗闇に包まれ、ある映像が天から見た視点で映し出された。
「なぜ、お前が黒焔の力を⁉」
『──⁉』
それはクリスタルの力を授かり一つになったゴルド夫妻が、巨人の胸中で司令塔的役割を担っていたシルバと両手を突き合わせ、取っ組み合っているものだった。
「黒龍が封印される寸前、黒龍は己の身を切り裂き、海中に微量の血を残した。そのとき、最も近くにいた我々の先祖が黒龍の血と共に使命を受け継いだのだ」
「その使命っていうのが、皆を殺すことっていうの⁉」
右半身のマロネは眉根を寄せ、詰問する。
「あぁ、そうだ。あの頃のように全ての生命体を破壊し、この星を無に還す。それこそが我々が受けた使命」
「そんなことをして、一体なんの意味がある⁉」
「これ以上、この星を傷つけないためにだ! 再び人間が生活を営んで何になる──⁉ お前たちの傲慢のせいでこの星は一度壊滅したのだ。いずれまた同じ過ちを繰り返すに決まっている! そうなる前に、黒龍様は元凶を取り除こうとしたのだ!」
「「……」」
予想の遥か斜めから訪れた、完全に否定できない然るべきその理由に、二人は口を噤む。心の隙間に生まれた僅かな軋轢に付け入るように、シルバは突き合わせてていた両手にありったけの力を込め──夫妻の体は巨人の体外へと徐々に押されていく。
「……確かにそうかもしれねぇ」
奥歯をぎしりと噛みしめた夫妻は力を入れ直し、すんでのところで堪える。
「確かに人間は弱い。時に目の前の欲に溺れちまうことだってある。だが、どれだけ堕落したとしても、命を貰った以上は使い続けなければならない。その使い方が間違っていたとしてもっ!」
続くマロネの激声。
「黙れっ! やはりお前たちは、何も変わっていない。自分たちが生き残るためなら、平気で関係のないものを破壊し、自分たちの過ちに目を向けようともしない。そうしてこの星も破壊されたんだッ!」
「それは違う! 目を背けてる人なんて誰一人としていない。現に私たち人間は動物たちと共生し、日々感謝している」「確かに先祖たちは大きな過ちを犯し、この星を破壊した。だからこそ俺たちは学んだんだ。目に見えないもの信じることの大切さをっ‼」
「……何が感謝だ、何が信じるだッ! そんなものは全てお前たちが作り上げた妄言ではないか!」
ゴルド夫妻が纏う閃光の閃きと、シルバの黒焔が裂帛の炸裂音を立て軋み、せめぐ。
「本当にそう思っているなら、なぜオーカにこのことを伝えない!」
「──⁉」
一筋の閃光は、シルバの心底にある黒焔の源泉を貫く。
「本当は、あなたも信じたいんじゃない? こんなこと何の意味もないって」
黒焔の力が宿っていることを伝えるのは代々祖父から息子に伝えるという暗黙の掟があった。が、シルバの相棒グラムパスはオーカにはおろか、妻オルカにさえ伝えていなかった。そう、指示したのは紛れもなくシルバ本人であった。
巨人が纏っていた黒焔は徐々に衰え始め、シルバの体から力が抜けていく。
やがて完全に戦意喪失したシルバは、項垂れるようにして顔を俯かせ──同時に自分が犯した罪を重さを骨の髄から実感する。
「俺は……、俺はッ……」
「悔やむのは後だ。まずはここから出よう」
シルバは一つ大きな息を吐いた後、差し出された手を掴もうとした──そのとき、自分の意に反し不自然に拳へ変わっていき、そこから漏れ出す黒焔が全身を覆っていく。
「駄目だっ……、体が言うことを聞かないっ……」
それとシンクロするように巨人を覆う黒焔も勢力を増していく。
「こ、殺せっ……、早くッ!」
懇願するシルバに対し、意地でもしないとばかりに頭を横に振り、最善の策を考え続け──間もなく天啓を得たゴルド夫妻は、最後の力を振り絞り、シルバを巨人の体内から引き剝がすと、そのまま生源の海へ突っ込み、閃光の如く海底へ突き進む。
「何を……」
冥界の穴に辿り着くと、ゴルドは海底に刻まれた一本の爪痕に左手を翳す。すると、爪痕は中心部から目が見開くように開らいていき──やがて眼球部に無限の闇が渦巻く、冥界の穴が生まれた。
「黒焔を消す術が見つかったら、必ず、皆を説得してここから出す。だから、そのときまで待っててくれ」
全てを理解したシルバは、鷹揚と目を閉じ、力強く頷いた。
「……あぁ。信じてるぞ」
カイザーは握力を失い、握っていたレオンの手を落とすように離した。レイブンの話は真っ赤な嘘で、本当は被害者ではなく、加害者だったことを知ったカイザーは茫然自失となっていた。
「……俺を殺せ。それで気が済むなら」
二人の間に流れるのは重々しい空気と落水の音。
「できるわけない……」
そこにレオンの震えた声が重なる。
「せっかく父さんと母さんが、カイザーたちを繋げるチャンスを作ったんだ。それを壊すなんてできるわけない」
レオンは何かを隠すように背を向け、徐に月を見上げる。
「……憎いか、俺が」
「ほんとはね……」
涙混じりの声とその寂寥感溢れる背は、どんな表情よりも悲哀を表していた。
「……でもそんなこと言ってたら、きっと天国にいる二人に怒られる。この苦しみも、成長するために必要なんだって」
再びカイザーの方を向いたレオンの眼の奥には
「だから、信じるしかない。明日の自分のために」
フォースクリスタルと同じ輝きが宿っていた。
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