第20話

ひんやりと冷たい夜風が砂浜を撫ぜる中、両者は鋭利な目つきで睨み合っていた。

「……まだわかんねぇのか。どんなに強くなったって、どうせあの巨人には誰も敵わねぇんだよ!」

「目を覚ますんだロッハー! あのとき、お前はゴルドを見て本当の強さとは何かを理解したはずだ。それを信じ続けることこそ、あの巨人を倒す唯一の術なんだ!」

「お前こそ目を覚ませ! そんなくだらねぇものにしがみつき続けたから、あんだけの数の騎士が無駄死にしたんだ!」

 掴まれていたロッハーの拳は怒りで震え、ヴォルクスの体へと伝わっていく。

「無駄死になんかじゃない! 彼らがいなければ、この領域は全壊していた。俺たちだって死んでいたかもしれないんだぞ!」

「あぁ、そうか。じゃぁいっそのこと、死んだ方がマシだったかもな!」

 その不躾な言葉がヴォルクスの怒りの琴線に刺さると、反射的にヴォルクスの拳がロッハーの頬に撃ち込まれ、ロッハーは砂浜に倒れ込んだ。

「……死んでいった両親を目の前にしても、同じことが言えるのか?」

「……。」

 もうロッハーの中に怒りの感情はなかった。あるのは思ってもいないことを勢いで言ってしまったという後悔の念だけだった。

「彼らが残していった意思は、巨人を倒すことができる唯一の希望だ。俺たちはそれを受け継ぎ、次の世代へと繋がなければならない」

 繋ぐ。その言葉は、強制的に融蔦を差し出してきたスクリロの顔を蘇らせた。

「そうしていつか、俺たちは本当の強さを手に入れることができる。俺は……、俺はそう信じてる」

 ヴォルクスはロッハーの隣にそっとレオンを置いた。

「だからもう一度だけ、お前も信じてくれ」


 翌日。

 レオンは夢心地のまま目を覚ますと、腕を組みながら仁王立ちしたロッハーが瞳いっぱいに映り、慌てて立ち上がった。

「あっ、あ、あの、ちょっとだけ寝ちゃってました……」

「ちょっとどころじゃなかったぞ」

「あ、あははは……」

「……ったく。一つだけ聞く。なぜ強くなりたい?」

 レオンは照れくさそうにしながらも、その問いに少し顔を俯かせる。

「強くないと、守れないものがあることを知ったんです。だから、自分の手で守れる人を一人でも多く増やしたい。だから、強くなりたいんです」

 その見えないはずの未来と希望を見るような瞳が、昨日のヴォルクスのものと重なると、ロッハーは無意識に目を逸らした。

「やるからには本気でやる。死ぬ気でついてこい」

「弟子にしてくれるんですか⁉」

「察しの悪いガキだな……」

 レオンは飛び上がり子供のように喜びを露にすると、ロッハーは溜息を吐き、呆れ顔を浮かべた。


「今日からお前に教えるのは拳闘術(けんとうじゅつ)の技の一つ、カウンターだ」

 翌日、ロッハーは砂を包んだ葉布(ようふ)で作った自作のボクシンググローブを両手に着け、特訓の説明を始めた。

「それなら知ってます! 相手の攻撃を躱して反撃するやつでしょ?」

「あぁ。だが今回習得してもらうのは、ただ攻撃を躱して反撃するじゃなく、攻撃が当たる寸前に躱して反撃するものだ。こっちの方が、相手の防御が遅れる分、大ダメージを与えられる。だがその分、自分もダメージをくらう可能性が高くなる。つまり諸刃の剣ってわけだ」

 レオンは正拳突きのときの二の舞にならないように、頭の中を整理しながら話を聞く。

「筋力的な部分はマスクで補う。鍛えるのは瞬発力と動体視力だ。俺がどちらかの拳を放ち、お前はそれを寸前で避ける。そして俺の体に一発でもパンチを打ち込めれば特訓終了だ」

 レオンの緩んでいた表情に少し力が入る。何を隠そう、それはレオンがピトフーイに敗れた原因であった二つの能力であった。

「この特訓のミソはギリギリで避けるってことだ。ビビッて早く出したカウンターは防がせてもらう」

 ロッハーはグローブのまま口をなぞりマスクをつけると、膝を軽く曲げながら左足を一歩前に出し、両腕を上げ構えた。レオンも見様見真似で同じポーズをとると、両拳をじっと見つめ、そのときを待つ。

「……⁉」

 ふと眼前にあった右拳がなくなっていることに気づいた瞬間、左頬に何かが触れた感触を感じたのが最後、体はバランスを崩し砂浜に打ちつけられた。まさに一瞬の出来事であった。

「……。」

「どうした? ビビる暇もなかったか?」

 ロッハーの煽り文句通り、レオンは拳が動くために必要な挙動を何一つとして捉えられられなかった。

「俺たち一族が使う拳闘術は、お前たちが習ってきた空手とは違う武術の一種だ。空手の突きよりも力が乗らない分、手首のスナップを使ってスピードを出す。そして今のは最もスピードが速いジャブだ」

 レオンは切れた口元から滲んだ血を手の甲で拭いながら、立ち上がる。

「まずはこれを避けられるようにならなけりゃ、話になんねらねぇぞ」

「……大丈夫。次は必ず避けてみせます」

 あれほどまでに反応できなかったのにも拘わらず、静かに闘志を燃やしながらレオンは断言し、再びロッハーの前に立った。

「ふんっ。口だけは立派だな」

 レオンの構えや間合いは先ほどと同じであった。しかし視線は拳ではなく、その先にある肩を一点に見続けていた。

 そして、ほんの数ミリの動いたその一瞬に全細胞が反応し──ロッハーの左拳はレオンの頬をかすめ、同時にレオンはロッハーの左脇腹に渾身のパンチを打ち込んだ。

 がしかし、その拳はロッハーの掌に吸い込まれるように納まった。

「……やるじゃねぇか。二回目でこれは悪かねぇ」

 パンチを喰らった直後、失敗した理由を頭の中で考え、ある仮説に辿り着いた。見るべきは、飛んでくる拳ではなく、それを飛ばすために一番最初に動く肩だということに。

「だが、まだまだ避けるのが早すぎる」

 レオンは不敵な笑みを浮かべながら、掴まれた拳を力づくで引き抜き、すぐさま無言で両拳を構えると、深呼吸をし、もう一度肩を一点に見つめた。

「もう一回、お願いしますッ!」

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