第97話

 城壁の先には避難民が集まり、それを守る形で王城で戦っている騎士以外が集まっているはずだった。街を破壊していた魔物や、魔王の力で周辺の森から集まってきた魔物を狩っていたはずの彼らである。だが、それが血と肉塊に変わっていた。

 戦いの痕跡すらない。

 ただ巨大な何かで押しつぶされたような一方的な結果だけがそこにあった。


 燃え上がりそうな感情とは裏腹に血の気が引いていくのを感じた。

 ネルは?

 フランは?

 シエスは?

 エスタは?

 それにソウはどこに行った。

 この血と肉塊に変わったなんて言わないよな。


 断裂した空間はそのまま残っている。

 だったら、そこへ入るための転移陣はどうなった。どこにある。南門から延びる街道沿いにあったはずのそれはどこに消えた。


 よく探せばそれは見つかった。

 血だまりで覆い隠されているが、わずかに地面に描かれた魔導回路の一部が視える。その血だまりは何だ。誰の血だ。近づいて確認するのが怖かった。

 怖くて怖くて怖くて城壁の上から一歩も動けなかった。


 魔王らしき影との無駄な会話。

 意味が分かった。


 ただの時間稼ぎ。

 俺がここに戻らないように時間を稼いだのかもしれない。

 一方的な殺戮。

 だからといって、1秒もかからずに事を成したとは思えない。

 俺を恐れたのか。

 俺は魔王に届きうるということか。

 いや、そんなことはどうでもいい。


 首を振って状況と冷静に向き合おうとする。死体の中に仲間のものはない。街を燃やす炎が唯一の明かりであるが、仲間の服を見間違えるはずがない。そもそも、転移陣の一番近くにいたのが仲間たちなんだ。いざとなれば真っ先に逃げるはず。アイツがそう簡単にくたばるわけがねえ。

 あの隔絶された空間の向こうで無事に生きているはずだ。

 だけど、どうすりゃいい。

 転移陣はもう血の海の下。

 ソウみたいに天才じゃない俺に、一目見ただけで記憶できるはずはない。


「ソウみたいに…?」


 慌てて手に持っているコートのポケットに手を突っ込んだ。

 マジックバッグを使うのは初めてだが不思議なものだ。手を入れた瞬間に、内部の構造が頭の中に浮かんだ。ソウの作ったであろう各種の武器や魔石、食料品に水、研究書類の束や丸められた布がある。感覚的に答えがわかった。今必要なのは最後のものだ。

 それを取り出して中身を確認する。

 全部で六枚あるそれを一枚一枚確認すると、朧気ながら地面に書いていた転移陣に似た文様のものがあった。それを広げてわずかに残った地面の痕跡と符合を合わせる。それでもまだ確証はない。

 ダメで元々なのだ。

 使い方はさっき見ている。

 コートの中に入っていた魔石を転移陣の中央に設置して魔力を流した。


 最初に感じたのは、周囲に立ち込めていた血の匂いがしないということだった。次に目に入ったのは見慣れた仲間たちの安堵の表情。


「よかった」

「それはこっちのセリフ」

「無事でよかったです」

「ああ、ネルも。それで何があった」


 避難民の数は千人を超えている。それでも、王都の人口から考えればほんのわずかにすぎない。彼らは集まって震えている。まだ、安心はできないのだろう。


「魔王だと思います」

「どんな姿だった」

「わかりません。それが現れた瞬間、ソウさんが転移陣を起動させたんです」

「戦うべきじゃないと思ったんだよ。運べるだけ運んだけど、全員ってわけにはいかなかったんだ。けど、ネルさんたちを連れてくることができてよかったよ」

「外はどうなっていたんです」

「逃げて正解だったとしか言えない」

「そう……ですか」


 俺の言葉の裏側を読み取ったのだろう皆の顔が昏く沈みこむ。わずかな間とはいえ、南門の前で共闘していた兵士たちをすべて救えたわけではないのだから。気持ちを明るくするためにも持ってきたものをソウに投げつけた。


「で、それがあれば現状をどうにかできるんだろうな」

「アレが現れる前だったらよかったんだけどな」

「どういう意味だ」

「アレと戦いながら実行できる気がしないってところだな。といっても、ほかに手はない。だけど、この際だ休息と連中の転送を行おう」

「どうするんだよ」

「とりあえず避難民をドニーに移す。あの部屋の転移陣は生きてるからな、そこに全員逃がす」

「なあ、お前ソウだよな」

「誰に見えるんだよ」


 俺の言葉を無視してソウが地面に魔導回路を描き始める。魔法都市ドニーのアパート用の転移陣なのだろう。アパートに入れるのは精々が20人程度だろう。千人運ぼうと思えば、50回は魔法を起動しなければいけないんだろうけど、どうするつもりなのだろうか。

 いや、それよりも別の疑問が湧く。

 ソウが他人を助けようとしていることに。

 ソウは良くも悪くも合理的な人間だ。頭が切れるが冷淡ともいえる。王都にいる避難民を助けるために行動したり今もまた助かった命を一つでも多く逃がそうとしている。

 人として普通だけど、俺の知っているソウらしくないと感じる。


「いや、なんでもない。それでどうする」

「魔石を一つ用意してくれ、ワイバーンクラスの魔石が欲しい。俺たちが飛んできたような転移はほんのわずかな時間空間と空間を繋ぐ。だが、今回はその時間を10分程度まで延長させる。ああ、それでいい。そのくらいの魔石があれば多分維持できる。俺の方から言っててなんだが、そのレベルの魔石がホイホイ出てくるって恐ろしいな」

「ククリ山脈は魔物の巣窟だったからな」

「ははっ、このレベルの魔物がゴロゴロいるって、ほんとお前は変態だよな」

「ほんとにね」

「おかげで少しは強くなれた気がする」

「よし、準備はできたぞ」


 わずか数分で複雑怪奇な魔法陣が地面の上にできていた。こいつの頭はどうなっているのだろうかと思うが、そんなことを問いただしている暇はないだろう。一緒にこの空間に転移されていた騎士に話をして、彼らを中心に先導を頼む。


 不安そうな顔をしている人たちも多いけども、行き先が魔法都市ドニーと聞いてわずかにだけど安堵の表情を見せる人たちもいる。少なくともこんな場所にいるよりかははるかに安心できるのだろう。

 ソウが魔力を流して転移陣を起動させると、アパートの一室が歪んだ空間の向こう側に見えた。


「時間はあまりない。転移陣を通り抜けた後はそのままアパートから外に出てくれ。そこから先のことは騎士殿にお任せする」

「かしこまりました。ソウ様はこの後どうされるのですか」

「魔王を討つさ」

「……ご武運を」


 挨拶は短めに騎士が先導して住民の避難を始めた。

 ここに避難出来た騎士の数は少ない。みたところ10人程度だろう。しかし、魔法都市にも街兵はいるし、そもそも研究者として魔法使いは多い。国家機密にも等しい魔法書などの書物を守るために防衛体制は整っている。

 魔王の襲撃を受けた際に、国王陛下は亡くなったらしいが王族や貴族の一部は難を逃れ街の外へ逃げ出せたという。すべての都市の中で王都に次いで二番目の防衛力を持つことから緊急時には魔法都市ドニーが臨時の王都となるらしい。それゆえ、脱出できた王侯貴族は魔法都市ドニーを目指しているはずである。


 すべての避難民が転移門を潜り抜けたのを確認してソウは転移陣を閉じた。さっきまでアパートの一室につながっていた空間はただの草原に戻っている。


「で、これからどうする」

「今度はこっちの転移陣を使う」

「どこにつながっているんですか」

「前線基地だよ。ゼノビアさんに念のために転移陣を渡していたんだけど、ちゃんと展開していてくれると助かるんだが」

「なんでだよ」

「こういう時のためにな。魔界殲滅のためにかなりの戦力を前線に投入したんだ。その隙に王都が狙われないとも限らない。その場合に、前線の兵が戻れるようにとおもって用意しておいた。魔界を消したとはいっても、魔王軍と激突していた前線を攻撃範囲に含めることはできないからな、魔導兵器を使用した後も残された兵にて残敵掃討を行う算段になっている。魔王が王都に攻め入った時間から見ても、前線を通り抜けて進軍してきたとは思えない。転移とかそういう手段を用いたと考える方が論理的だ。前線ではまだ戦いは継続していると思って間違いないだろう。つまり、あそこになら多くの戦力が残っている」

「そういうことか」

「ああ、お前みたいな脳筋は一人で戦うつもりだったかもしれないけどな、勇者が一人で魔王と戦う必要はないんだよ。魔王だって一人じゃない、無数の魔物を率いているし、王城で暴れているのは別の魔物なんだろう」

「ああ、よくわからんがバカでかい犬型の魔物だった」

「おそらくそいつが昼の王なんだろうな」

「昼の王」

「お前、城にいる間に教えてもらったことほぼ忘れているな。魔王軍には魔王を頂点として三体の王がいる、朝の王、昼の王、そして夜の王。けど、夜の王は倒したんだよな。で、朝の王は寝坊助だという話だったから、魔界殲滅のタイミングは朝に設定した。朝の王は巻き込まれてくれていると思う。残すは昼の王だけだ。そいつがいま王城で暴れている魔物だろう」

「ただの獣っぽかったけどな。強さだけ言えば王なのかもしれないけど」


 王城のど真ん中で精鋭を相手を翻弄している魔獣が下っ端ということはないだろ。


「魔王を倒すにも、集まっている魔物の排除に加えて昼の王に割く戦力は必要だ。だからこそ前線基地からの戦力の引き抜きだよ。それに魔導兵器も戻ってくるなら、それも使いたい。魔石も捨てるほどあるんだからな」

「話は分かった。けど、ソウでも魔王討伐とか考えるんだな」

「……悪いかよ。俺がぶっ殺したいのは轟一郎ただ一人のはずなんだけど、魔王も討たなきゃいけないとは思っている」

「俺は魔王と同列なのかよ」


 やっぱり変な感じだ。


「それで、どんな風に進めるんですか」

「まずはさっき魔法都市につなげたように前線に転移門を繋げて一旦全員移動する。そこで前線の指揮官と話をしてから必要な人間と魔導兵器をもってここに帰還する」

「態勢を整えるなら魔法都市でもいいんじゃないですか」

「俺もそう思うぞ」

「王都の残存戦力も集まる予定ですよね」

「それも一つの手だと思うけど、魔王が確実にここにいるってわかっている間に仕掛けたい。魔界をせん滅した魔導兵器で魔法都市から王都を消し飛ばすっていうのも出来なくはないんだが」

「昼の王と戦っている連中がいるから無理ってことか」

「そういうこと。それに王都の中にだって逃げ遅れた人は残っているだろう。だからいま考えているのはこの空間と同じように魔法を使って王都そのものを取り囲んでから中に残っている人間を転移陣で救出後、空間ごと消し去る」

「そんなことできるのか」


 思わず聞き返してしまったが、ソウにそんなことを聞くのは野暮だろう。


「できる。ただ、唯一の懸念は、魔界を消滅させたときどうやって魔王が逃れたのかということだな。たまたま範囲外にいたのか、巻き込まれる前に転移をしたのか。後者だとしたら殺せない可能性がある」

「問題はそれだけじゃないですよね」

「ああ、どうやって避難を完了させるか。避難民を転移させている間、魔王や昼の王を抑える必要がある。それに、自分たち自身が転移するための時間が必要になるだろう。それがお前の仕事だ。殺せるならそれでいいが、無理でもその時間を作ってほしい」

「わかった」

「はは、そんなにあっさり納得するなよ。俺自身無茶言ってんだからさ」


 乾いたように笑うソウの顔には自信がみなぎっていた。

 それゆえ、俺は一抹の不安を覚える。

 ソウは間違いなく稀代の天才だ。

 それは元の世界にいるときからそうだったし、この世界に来てからもその能力は如何なく発揮されてきた。こいつがやれるといえば、大抵のことは可能なのだと信じることができる。

 ただ、その自信のある表情だけは信用できなかった。

 俺と仕合い破れ、様々な武器を生み出し再戦を挑んできた。


「今度こそ、お前をぶっ殺してやる」


 自信満々の顔で挑み、そして敗れてきた。

 その時と同じ顔をしていた。

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