第96話

 南門の先で皆に合流したとき、そこには何もなかった。それどころか南門から続いていた街道の途中から先が消えていた。闇が広がるというよりも、光が反射しない空間が広がっているらしい。

 ソウは結界を張るといったが、現実的には全く別物だった。

 空間そのものを切り離しているらしい。それだけではソウの作り上げた安全な空間に入ることができないので、転移用の魔法陣が用意してあった。転移陣があるなら、そのまま魔法都市まで送ればいいと思うのだが、距離がある分必要とされる魔力量が膨大になるため、一度で運びたいそうだ。そのために、一時的に避難民の安全を確保するために用意したそうだ。

 魔法に関しては門外漢だが、規格外すぎる気がする。


 避難場所へと移動する転移陣を守るために王国の兵士が周囲を固めていた。ソウの顔は王国兵には売れているのだろう。そうでもなければ、安全だと言われても転移陣の上に乗ったり、目の前の隔絶された空間を見て騒ぎになるはずだ。


「魔石は足りているか」

「ああ、問題は魔石よりネルさんの魔力だろうな。魔石がいくらあっても発動には魔法使いの力が必要なんだ。物理的な距離が近い分、魔力量も抑えられているが限界はあるだろう」


 避難民を転移させたばかりのネルが荒い呼吸をしている。顔色も悪い。しかし、ここに集まっている王国兵の中に魔法使いはいないようだ。


「俺の魔力ももうあまりない。俺の方はもともと少ないし、あれだけの人数を飛ばすとなると最大でも三回が限界だ。マジックポーションは持ってるか」

「シエス」


 俺と同じタイミングで南門に戻ってきたシエスに声を掛けると袋からマジックポーションを取り出した。その数は全部で6個。


「魔力は回復するけど、消耗した体力までは戻らないからな」

「わかってるって、ネルさんに無茶させるわけないだろ」

「あっそう」

「一つ頼んでいいか」

「ん?」

「俺の研究所知ってるよな」

「そりゃあな」

「あそこにいろいろ置いてるんだけど。取ってきてくれないか」

「おまっ、かるーく無茶言うな!! 思い切り爆心地じゃねえかよ」

「この状況を打破できる秘策がある」

「マジか」

「マジだ」

「けど、転移陣が機能しないってことは、部屋ごと無くなってるんじゃないのか」

「その可能性はあるだろうな。けど、目的のものはマジックバッグの中にあるから多分無事だろう。何とか探してくれ」

「まあ、魔王ともいつかはやる可能性があるとはいえ、無茶を言うなっての。大体研究ばっかりしてたお前がなんでマジックバッグなんてもの持ってんだよ」

「創った」

「あっそう」


 息を吐き王城の方に目を向ける。

 いまだ爆発音やがれきの崩れる音が収まる気配がない。戦闘が始まって一体どれだけの時間がたっているのか、宮廷魔導士の魔力も限界じゃないだろうか。騎士たちもどれだけの人が死んだかわからない。

 いっそ、俺が挑んだ方がいいんじゃないのか。


「変なこと考えるなよ。正直あれは人の手に余ると思うぞ。いくらお前が勇者であってもだ」

「見たのかよ」

「見てないけど、魔王と真正面から戦うのは漫画やゲームの世界で十分だ」

「そりゃあ、そうかもしれないけどさ。じゃあ、行ってくるけど見た目はどんな奴だ」

「俺のいつものコート」

「そういうこと」


 そりゃあそうか。

 ただのバッグなら持っていればよかったわけで、持ってこなかったのは式典用の衣装に身を包んでいたからというわけか。

 魔力を全身に巡らせると、爆音の鳴り響く王城を目指して一直線に走り出す。外壁や建物という障害物を一切合切無視して一直線に。がれきに足を乗せて宙に飛び上がる。

 王都の外壁の高さは10メートルを超える。

 それをやすやすと飛び越えると、重力に引かれて地面に落下、ではなく何もない空気を蹴り上げ前方屋根の上に飛び乗った。

 そのまま、走る、飛ぶ、ついでに魔物を殺す。

 瞬く間に王城を取り囲む内壁に立った俺の目の前には、巨大な魔物とそれを取り囲んで攻撃を仕掛ける軍隊があった。


 魔物はどう形容すればいいのだろうか。

 四つ足、どちらかといえば犬系の顔。でも、俺の知る犬種には存在しない。毛は短く深い緑色をしている。目は四つあり、耳は二つ、そして巨大な一本角が生えている。帯電しているのか時々稲妻みたいなものが体表を走っていた。

 大型バスほどのサイズのその魔物は、俊足で広場を駆け回り騎士団にぶつかっていく。大きなタワーシールドを構えた騎士団が動きを食い止める。

 剣士や槍術士は時折攻撃を仕掛け、そうして作られた時間で練り上げられた魔導回路が完成すると、大規模な攻撃が仕掛けられている。

 しかし、雷がバリアとなっているのか魔獣に効いているようには見えない。


 これが魔王なのだろうか。

 知力の欠片もなさそうなただの獣にしか見えない。

 いつまでも連中の戦いを見ている余裕はない。とっとと必要なものを見つけて撤退するのが正解だろ。ソウの研究所のあったあたりに目を向けるが、予想通りというかなんというか完全に建物は崩れていてどこが正解なのかさっぱりわからない。

 とにもかくにも俺はあたりをつけて降り立つと、がれきを一つ一つ動かし始めた。背後から聞こえてくる戦闘音は一切合切無視する。


「……」


 がれきを持ち上げる俺の手がとまる。

 座布団ほどのコンクリートのような建材を除けた下から出てきたのはつぶれた人の頭。記憶にある顔じゃない。でも、服から見てメイドか何かなのだろう。魔王が突然現れ、破壊の限りを尽くした。きっと逃げる暇なんてなかったのだ。

 考えてみればこれはソウだったのかもしれない。

 いつもならこの場所で研究に従事していたのだ。実際には、式典の最中だったのだろう。でも、それが行われそうな広間のあたりも建物は完全に崩れている。

 式典が嫌で逃げ出したのは僥倖だった。


 メイドらしき女性の死体をがれきから出すと近くの地面に横たえた。いま彼女に対してできることはない。死体なら街を走っている間に何度も目にしている。慣れたなんて嘯くつもりはないが胃の中のものはとっくの昔に出し尽くしている。

 がれきを除く作業を続けていると、ようやくそれが見つかった。

 召喚される前からソウが来ていた茶色のロングコート。開発した武器のすべて――俺の知る限り22種、32の武器――を仕込んでいたのは知っているが、この世界に来てからマジックバッグ的な機能をつけたりバージョンアップしていたらしい。

 

 それを拾い上げ立ち去ろうとしたとき目の前に人型の影があった。いや、目の前というと語弊がある。正面ではあるけどもかなり離れていた。

 戦闘中の中庭から生じる明かりの所為で輪郭だけしか見えない。人か魔族かもわからない。だが、こんなところで戦闘に参加せずうろうろしているのは俺を除けば魔物しかありえない。

 

「役割を与えられしものか?」


 断定しているようで、疑問のような不思議な響きで俺に話しかけるというよりも自分自身と会話しているようなそんな言葉。

 いつでも動けるようにと体中の魔力を循環させる。

 声は低くも高くもない。だが、かなりの距離があるはずなのに、耳元で囁かれているようによく通る声だった。


「どういう意味だ」

「人族の勇者なのだろう」


 妙な言い方をする。人族以外にも勇者がいるのだろうか。


「あれをやったのはお前か?」

「あれ」

「神の領域にすら手を伸ばすあのバカげた魔術」

「ちがう」

「そうか。いや、そうだな」


 一人納得するが、俺には意味がさっぱり分からない。間違いなくアレが魔王なのだろう。それ以外ありえないと思う。しかし、姿を現したところから一歩たりとも動く気配がない。

 何が目的なのだ。

 殺気どころか存在感が希薄過ぎる。

 ここまで気配を絶てるようなものなのか。


「魔王なんだよな」

「王と呼ばれることはある」


 なんというかやる気のそがれる相手だ。

 殺せるような気もするし、全く手が出ないような気もする。ソウが馬鹿なことを考えるなといっていた。あいつがそういうのならそうなのかもしれない。直接戦うにしても、あいつの策を試してからでも遅くはない。


「悪いけど行ってもいいか」

「やはりお前ではないのだな」

「どういう意味だ」


 俺の質問に答えは返ってこなかった。俺に対して攻撃を仕掛けてくる気はないらしい。会話がしたいのか。だが、その割には俺の返答に対する答えがよくわからん。興味を持っているようには思えない。

 じゃあ、なんだ。


「何が目的なんだ」

「二人いるのか」

「何が」


 この男の言っていることは何一つわからない。

 いや、そもそも魔王とまともに会話できると考える方がおかしいか。


「あんたの相手をしている暇はない」

「そうか」

「ああ」


 足に込めた魔力を爆発させる。魔王の影とは真逆の方。背後を振り返るが、影はその場に佇んでいた。追いかけてくるわけでも、どこかに行くわけでもない。

 最後の最後まで意味の分からない魔王だった。

 魔獣との戦闘は継続しているが、それもまた無視して来た時と同じ道を戻る。廃墟となり炎上している屋根から屋根を渡り、最短距離で南門へと戻ってくる。


 ソウのコートを片手に外壁の上に立った俺の目に入ったのは辺り一面の血の海だった。

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