第72話
目が覚めると雨音が天幕を叩いていた。
日は上っていたけども、あたりは薄暗い。長いこと眠っていたらしい。
「お兄ちゃん」
いち早く気がついたシエスが大きな声を上げた。
「おはよう。シエス」
体を起こしてみると、フランとネルが朝食の準備をしているところだった。いい匂いがしてきて、腹が鳴った。ヴァンパイアロードの襲撃は野営の準備を始めたところだったので夕食を抜いていたことに気が付く。
「みんな、体は大丈夫か?」
「あんたが一番やばそうだったけどね」
「そうですよ。どこか痛いところはありませんか?」
「いや、俺は問題ない。ネルが治してくれたんだろ。ありがとう。それより、ネルの方こそ大丈夫か。自分自身の治療はできないんだよな」
「治癒ポーションを飲ませてもらったので大丈夫ですよ」
そういってネルは笑顔を見せてくれる。自身の治療もできないネルのために、念のために仕入れていたキュアポーションである。マジックポーションは魔石をどうにかこうにかして液化させたものらしいのだが、キュアポーションは魔石に治癒魔法を付与した魔道具を液化したもので、マジックポーションよりも遥かに高額である。それでも手に入れていて正解だった。
平気な顔をして動いているところをみれば怪我の具合は悪くなさそうだが、俺だけじゃなくフランやシエスに対しても治癒魔法を連発したのだろう。
「でも、疲れているだろ。マジックポーションで無理やり魔力を回復させながら治療をしてくれたんだろ」
「ちょっとは疲れてますけど大丈夫です」
「代わるよ」
立ち上がって朝食の支度を交代する。スープを温めるくらいなら俺にもできる。フランが刻んだ具材を鍋に入れて俺は焦げ付かないようにただスープをかき混ぜる。そうしながら、別の火の魔石の上でパンを温めていく。
味の調整はフランがやってくれるので、本当にただかき混ぜるだけだ。
「……」
いつもなら、何かしら会話があるはずなのに誰も何もしゃべらなかった。昨日のことを考えているのだろ。それは俺も同じだった。フランはもくもくと具材を切ると炒め物を作り始めたし、シエスはスープボールを手にニコニコしながら座っている。ネルはやっぱり疲れが出ていたのか、座ったまま目を閉じて船を漕いでいた。
三人が無事で本当によかった。
あんな化け物と戦ってくれたのだ。狙いは俺だった。だから、きっと三人が逃げたとしてもヴァンパイアロードは追いかけたりしなかったと思う。でも、みんながいたからこそ倒すことができた。でも、この先もそれを望むのは……望んだらダメだろう。
「昨日はありがとな」
「……仲間なんだし当たり前でしょ」
フライパンを振るう手が少し止まった。
「仲間でも礼は言うべきだろ」
「かもしれないけど、改まっていうほどのことでもないでしょ。魔物が現れたからみんなで倒した。いつものことじゃない」
何でもないことの様にフランがいう。
ネルがぱちりと瞬きをして目を覚ました。シエスも何かを感じ取ったのか丸い大きな目で俺を見上げる。
「いつものことか。まあ、そうだな」
相手がただの魔物ならと続く言葉を飲み込んだ。
ヴァンパイアロードは俺を狙ってきたのだ。”勇者”である俺を。
ダンジョンの下層で、俺が勇者であることがわかってからも一緒にいることを選んでくれたことをうれしく思った。でも、それは命を狙われる前の話だ。
「スープ温まってるよ」
ポコポコと音を立てているのに気が付いて、慌てて火の魔石から鍋を動かす。お玉でスープボールに注ぎ入れてみんなに回した。パンもいい感じに温まっている。それぞれにパンも渡して適当なところに腰かけて朝食を食べ始める。
「雨止みそうにないですね」
「だねー、本当嫌になるよ」
「うう。シエスも雨は嫌いです」
「雨が強くなる前にどこか村か集落にでもつくといいんですけど」
「こっちの街道通ったことないからよくわかんないよね。せっかくお金あるんだし、地図でも買えばよかったね」
「ふふっ。何となく節約が身についているっていうか」
「だよね」
沈黙を嫌うように取り止めのない会話を交わす。
雨の日は水をはじくコートを羽織りながら移動をするのが冒険者の基本だ。視界は悪るくなるし、雨で魔物の接近する物音やにおいを消す。それに足元はぬかるむので移動しないという選択肢もあるけども、よほど雨脚が強くなければ移動する事の方が多い。
街道沿いであれば、少し歩けば小さな農村くらいならあるものなのだ。だから、野営をするといっても何日も連続してということは少ない。
だから雨の日でも小さな集落を目指して移動をする。
「あのさ」
会話にほとんど参加することのなかった俺は、途切れたタイミングを見計らって口をはさんだ。
「村に戻ったらみんな驚くだろうね。私たち相当レベル上がったものね」
「そうそう、40越えだよ。ギルドランクは低いままだけど、十分中級冒険者名乗れるよね」
ギルドを出る前にステータスを確認していたけども、びっくりするくらいレベルが上がっていた。それは確かにすごい話だと思う。でも、いま話したいことはそれじゃない。
「あのさ」
「イチロウはレベルは低いけど、ステータスはもうわけわかんないしね。まあ勇者だからといえばそうなんだけど」
「たしかにね」
何かを言おうとしても、言葉をかぶせてくる二人。
「あのさ、ちょっと聞いてくれ」
「いやです」
はっきりと拒否された。
俺が何を言いたいのか予想しているのかもしれない。聞きたくないというようにネルが耳を塞ぐ。その反応に困惑しつつもうれしく思う。フランは少し冷めた目で俺を見て、シエスは何が起きているのかよくわかっていないのか、きょとんとしている。
「パーティを解消しよう」
それでも俺は言った。
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