第71話

 視線を外して三人を探す。

 いつの間に三人も動き出していた。いつもなら戦いの最中にも周囲に目を向ける余裕はあったが、ヴァンパイアロードに意識のすべてが傾いていた。フランもボロボロながらも立ちあがり、ネルがシエスに治癒魔法をかけていた。自分自身に治癒魔法を使えないネルはその身を引きずっている。

 傷がふさがっても流れ出た血は戻らない。

 シエスは青白い顔をしたままぐったりとしていた。そして、ネルは自分のことを置き去りにフランの治療に映る。

 だったら俺が、とネルのために魔術回路の構築を始めたとき血だまりを残してヴァンパイアロードの姿がないことに気が付いた。

 ここはダンジョンではなく現実の世界。

 魔物が消えることなどありえない。


 ぶわっと毛穴が開いて怖気がたつ。


 気配を頼りに振り向くと、ヴァンパイアロードが立っていた。胸に空いた穴はそのまま、向こう側の景色がのぞいて見える。なんだそれは。木の杭を打ち付けなければ、あるいは銀のナイフでなければ、もしくは十字架かニンニク。太陽光がなければ殺せないというのか。


「なんで生きてる」

「誇れ人間。我の心臓を一つ潰せたのだ。120年来の偉業ぞ。とはいえ、この奇跡を語る機会は永遠に訪れないのであろうが」


 言い捨てると同時にヴァンパイアロードの爪が迫る。

 だが、予想に反してその動きは遅い。

 心臓が果たしていくつあるのかはわからないが、心臓一つ潰した事実は大きいのだろう。こっちもボロボロだが、あっちもボロボロ。さっきまでの速度も膂力もなければ鮮血のブレードもない。

 

 ――だったら。


 爪撃を受け止め拳を打ち出す。

 蹴りを捌き膝を叩きこむ。

 だが、素の身体能力だけでは届かない。

 お互いの拳がぶつかり合い、血をまき散らし、体力を消耗し、傷を増やしたところで届かない。

 

 武神の加護はなく、魔力も底をつきかけ限界突破は使えない。

 唯一の望みは敵もまた満身創痍ということ。

 しかし、レベルの差か、生き物としての根本が違うのか肉体の基本性能が違い過ぎる。それでも拮抗しているのは技術の差。優れた肉体があってもヴァンパイアロードの攻撃は精彩を欠いている。現時点で言えば、速度も膂力も向こうの方が上だろう。だが、研鑽し続けてきた技術。800年の年月の中で研ぎ澄まされた技が押し返す。

 しかし、相手の攻撃を辛うじて受けとめ反撃してもダメージが入らない。

 拳が、つま先が、肘が、膝が、頭突きが入っても意味を無さない。


 左腕痛い。

 頭がずきずきする。

 体中が悲鳴を上げている。


 どうすりゃいい。


 相手の拳を躱した瞬間、血で足が滑った。

 猛禽類の様な爪が振り下ろされる。

 バランスを崩した俺の体はいうことが利かず、迫りくる爪をただ受けるしかなかった。

 逆袈裟に振り下ろされる爪が右胸に突き刺さり、そのまま骨も内臓も削り取られるとそう思った。だが、次の瞬間ヴァンパイアロードの顔が鈍器で殴られたようにはじけ飛んだ。


 ネルの魔法だと遅れて理解する。


 地面に手をついて荒い呼吸をするネル。瞑想するように仁王立ちのフランが上段の構えから剣を振り下ろす。大量の魔力が込められた魔刃が吹き飛んだヴァンパイロードの胸を大きく切り裂いた。

 しかも、それで終わりじゃない。

 青白い顔をしていたぐったりしていたはずのシエスが、枝葉の中から飛び出した。10数メートルという高度から勢いよく落下する彼女の手にあるのは魔力を込めると重くなる魔法のナイフ。

 体を大きく切り裂かれた状態で動けるはずもないのに、ヴァンパイアロードはその身を起こす。


「人間風情が!!」


 ゴポゴポと口から大量の血を吐き出しながら眼光を炯々させながら叫ぶ。

 そして上を見上げる。

 空中で自由に動けるはずもないシエスに向かってにぃーっとヴァンパイアロードの口角が上がる。


 考えるよりも先に体が動く。

 大地を陥没させる勢いで踏み込み、ヴァンパイアロードに迫る。

 奥歯が鳴るほど噛みしめる、足の筋肉を引きちぎる勢いで力を籠める。

 ヴァンパイアロードの貫手がシエスへ届く寸前、その顔が驚愕に包まれる。彼我の距離からまさか間に合うとは思わなかったのだろう。だが、シエスを狙えば俺が動く可能性も思考の片隅に置いていたのか、俺への反応は早い。

 シエスの攻撃を無視するように俺に視線を合わせると、いつ産み出したのか逆の手には剣とは呼べないような武骨な鮮血色の得物が握られていた。

 

 薙ぐように横一線に振られる剣。

 拳が届くよりも先に、それは俺のわき腹に切っ先を潜り込ませる。

 殴るのを諦め肘を落とせば剣を止められる。

 それがわかっていながら、俺はかまわず拳を繰り出した。

 頬骨を砕く感触が手に伝わりそのまま振りぬいた。

 わき腹に刺さった剣はさらに俺の肉を切り裂き骨に届く。しかし、殴り飛ばしたおかげでそれ以上はえぐられない。


 着地したシエスがナイフを持ち替え一閃させる。

 切れ味の強化されたナイフはヴァンパイアロードの喉を裂いた。それでもなお化け物は腕をふりあげシエスを弾き飛ばした。


「いい加減、死ねよ」


 喉を抑えながら立ち上がろうとするヴァンパイアロードの肩に飛び乗り足を置くとそのまま地面に押さえこんだ。限界を超えた力で拳を叩きつけ化け物の顔を陥没させた。

 手の骨が砕けた。

 シエスのもとに駆けたときから俺は、魔力を伴わない限界突破を行使していた。

 本来の轟流奥義陸ノ型『梧』、刹那の時であれば100%の力を引き出すこともできる奥義。

 しかし、スキルと違い限界を超えた力は己の肉体をも破壊する。


 だが、それでいい。


 この化け物を殺せるのならそれで十分じゃないか。

 

 打つ、撃つ、討つ。


 拳が破壊されようと、手首が砕けようと、ヴァンパイアロードの顔が原型を失うまで殴り続けた。心臓が一つ以上あっても頭をつぶせば一緒だろう。だったら脳みそを破壊してやる。

 何度も何度も何度も何度も何度も拳を落とした。


「イチロウ」

「もう、終わったよ」


 二人の声が聞こえて、顔を上げる。

 シエスもよろよろと立ち上がるのが見えた。

 心臓をつぶしても死ななかった化け物。心臓を一つ潰されたといったが、元がいくつだったのかわからない。だから、頭を破壊しても安心はできなかったが、二人の視線を追いかけるとヴァンパイアロードは足元から灰になって風に流されていった。霧化とは明らかに違っている。

 

「勝てたのか」


 倒せたという実感がなかった。

 最後はもう無我夢中で拳を振るっていたに過ぎない。


「勝ったんだよ」

「そっか…みんな、ありがとう」


 振り返り立ち上がろうとして、足に力が入らずそのまま倒れこんだ。

 手を付くこともできずに地面にぶつかる。

 頭がずきずきと脈打っていた。

 限界を越えたのは肉体だけではない。

 ヴァンパイアロードの速度について行くために脳を酷使していた。


 三人の声を遠くに聞きながら意識は深く深く沈んでいった。


――――――――――――――――――――――

あとがき

ここ数週間出張やらで忙しくて、書き溜めのストックが大幅に減っています。あと6話分くらいしかありません。週4から週2か3にアップする数が減るかもしれませんが引き続きよろしくお願いします。

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