第70話
ヴァンパイアロードが何を思ったのか自身の爪で、左の掌を切り裂いた。血がこぼれる様に流れ、それが地面に落ちる寸前で凝固する。細いサーベル状に形成された深紅の剣が生まれ、傷口はきれいにふさがった。
素手でも強かった相手が武器を持てばどうなるか。
連続して繰り出される刺突、斬撃を躱し、素手でいなし反撃を試みる。ただでさえ高速で動く上に転移や霧化をも駆使してこちらの攻撃をやすやすとかわす。しかも、ヴァンパイアロードの攻撃は鋭く重い。
防御するのが精いっぱい。
武神の加護と限界突破の重ね掛けで底上げされた身体能力をもってしても捌ききれない。頬が切れる。肩が切り裂かれる。腕から血が流れる。
一つ一つは気にするほどもない浅い傷。
しかし、それは相手に押されている確たる証拠。
ギガントサウルスという強敵をどうにか倒したばかり。
おかげでレベルも上がり、その時点より身体能力は向上している。それでも通じない。額から汗が零れ落ちる。目の前の敵が魔王と呼ばれる存在であればまだうなずける。
だが、ヴァンパイアロードは魔王に仕える部下の一人にすぎない。
それでも俺より上。
ならば魔王はもっと上なのだろう。
ギガントサウルスを倒した時、これだけの力があるなら魔王も倒せるのじゃないかと一瞬でも考えた自分の愚かさにあきれ果てる。
山を消し飛ばしたソウにも負けない成果だと思った。
強くなったつもり。
特別な力も何もないただ大きいだけの巨獣を倒したくらいでいい気なものだ。
深紅の刃が振りぬかれ、金属糸の編みこまれたグローブで辛うじて受け止めるが勢いを殺すこともできずに派手に吹き飛ばされた。地面を転がり大岩にぶつかってどうにか止まる。
打ち付けた頭を擦り、ヴァンパイアロードをにらみつける。
悠然と構えるヴァンパイアロードは剣の切っ先をこちらに向けると姿を消した。気配を頼りに右下から突き出されたサーベルを体を反らして避ける。避けた剣が背後の岩を爆散させる。まともに受ければ一撃で死ぬ。
それが肌で感じられ、集中力が増す。
出せる力はすでに出している。
ならば限界を超えるまで。
轟流奥義伍ノ型『桐』その一改。
強敵を前に五感を一つでも失うのは愚かだ。
素早い動きをする相手に、視界を強化するのは戦術としては正しい。だが、嗅覚も触覚も聴覚も戦いの上では必要な感覚。それも相手は空間を渡る能力もあるのだから。
他の感覚を犠牲に視覚だけを強化するのが轟流奥義伍ノ型『桐』その一。しかし、失わずに底上げすることも可能とするのが『その一改』。
俺の見ている世界がセピア色に染まる。
普段見ている世界は数多の色彩に飛んでいる。だが、色の齎す情報量は過多なのだ。カラー写真と比較してモノクロの写真のデータ容量が小さいように。
脳に入ってくる情報から色を削除する。
その瞬間、世界がスローになった。
先刻まで回避するのがぎりぎりだったヴァンパイアロードの斬撃がゆっくりと映る。袈裟斬りに振り下ろされる剣にそっと手を添えて流すとボディブローを叩きこんだ。俺の打撃のほとんどが通じていなかったようだが、相手の攻撃に対するカウンターであれば威力は底上げされる。
黒目が上がり苦痛に歪む顔を見て、ようやくダメージが通ったことを確信する。くの字に折れ曲がったヴァンパイアロードの首裏を蹴り落とし地面に叩きつける。
バウンドして跳ね上がったところに追撃を加える。
「舐めるな!」
このまま仕留められればと思ったが、そう簡単にはいかないらしい。サーベルを一閃して俺の追撃をはねのける。だが、霧化や転移して逃げる余裕はないらしい。
やはり、ダメージは受けているのだ。
数メートルの距離をとってお互いに向き合う。
ヴァンパイアロードはサーベルを構え、俺は腰だめに拳を握りこむ。脳みそへの負担が大きすぎるのか、鼻から一筋の血が流れ落ちる。長くは持たないか。
次の一撃に掛ける。
どんな攻撃が来ようと全力を叩きこむ。
奥義に奥義を重ねる。
それは肉体的にも精神的にも限界を超える。
だけど、限界を越えねば勝てない相手なのだ。
無理をしてどうにかなるのなら無理をするまで。
サーベルを構えるヴァンパイアロードが音もなく消えた。
だが、視える。
転移ではないただの超速移動。
左。
そして右。
速度からすれば力強く地面を踏み込んでいるはずなのに、地面は陥没することもなく土埃すら舞わない。こちらを殺す気満々のくせに気配もなく動きがつかみにくい。辛うじてその姿が捉えられるからこそ対処できる。
相手も一撃必殺を狙っているのか、さっきまでの手数の多さが嘘のように俺の周りを動き回り隙を付こうとする。しかし、それは俺も同じ。
攻撃を仕掛けられる時こそが好機。
ならばと、あえて隙をさらす。
見え見えのそれにヴァンパイアロードはつられてくれる。
斜め前に残像を残したまた背後に転移したのがわかった。
音速の刺突が迫る。
隙をさらすということは、たとえ罠であり身構えているとしても隙であることに違いはないのだ。ならば乗ってみるのも一つの手。そう敵は考えているのだろう。
だが、セピア色の世界が齎すのは動体視力の上昇だけではない。処理する情報を落とすことで、思考もまた加速する。高速移動でなく転移、それを理解した俺は視界に敵の姿がないのを理解すると同時に体を反転させる。もはや、俺の目にとらえきれない速度などない。
いまなら雷すら目視できる。
伸びてくるサーベルを振り返りざまに捌く。とはいえ、あえて隙をさらした代償は大きい。必殺の拳を守る様に左の肩口にその刃を受け止める。激痛を無視して間合いの中にあるヴァンパイアロードに向かって渾身の一撃を叩きこむ。
轟流奥義二ノ型『椿』
打撃は大砲の一撃のような音を響かせヴァンパイアロードの胸を穿った。
拳が肉体を貫き、ヴァンパイアロードが血を吐き出した。如何に化け物とはいえ、心の臓を失って生きていられるはずもない。
が、相手はヴァンパイア。
血を吐いた口は牙をむき出しにすると、俺の首を食らいつこうと顔を近づけてきた。左手でこめかみをつかみ、右腕を抜き取り地面に叩きつけ、ボールを蹴る様に足を振りぬいた。大木がその身を受け止める。
ドクドクと血が流れ広がり立ち上がる気配はない。
頭痛がする。
気が付くと片膝をついていた。
限界なのだろう。
世界に色が戻る。
腕が痛い。
足が痛い。
関節が軋む。
酷使しすぎた脳が痛い。
体を覆うオーラはいつの間にか鳴りを潜め通常の状態に戻っている。
武神の加護が解けている。
だが、ギガントサウルスとの一戦を思い出せば、加護が消えたからといって敵を仕留めたとは限らない。物言わぬヴァンパイアロードを見つめ立ち上がった。
動きはない。
5秒、10秒、15秒。
しばらく見つめても動きはなかった。
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