第69話
俺が悪いのか。
俺が悪いのだろう。
「おにいちゃん」
シエスに袖を引かれ、はっとする。
落ち込んでいる場合ではない。強敵を前にして俺は何をしているのだろう。もしも、目の前のヴァンパイアロードがその牙を剥いたとしたら殺されていた。それくらい意識が敵から逸れていた。
犠牲になった冒険者のために何ができるとか、俺のせいで死なせてしまったとか、それを考えるのは今じゃない。
ヴァンパイアロードはこれまで出会った強敵より一回りも二回りも上。
自ら強いと宣言しているのだ。
ギガントサウルスを倒したことを知ったうえで、確実に俺を殺すために現れたというのだから、見掛け倒しということはあり得ない。接近する予兆をわずかに感じられたが、目の前に現れる過程は一切わからなかった。
感知できない速度があるのか、あるいは空間を渡るようなスキルか魔法があるのか。ネルの展開した結界の内側に現れていることを思えば後者だろう。
そうなのだ。男は結界の内側にいるのだ。いまさらながらにその異常性に気が付く。雰囲気にのまれていた。
気づくとともに身を引き締める。
68人の冒険者の命を奪った遠因が俺であろうと、指示を出したのが目の前のヴァンパイアロードであるのなら俺の感情をすべてぶつけるだけだ。
だが、勝てるのか。
体格は人と大して変わらないが、おそらく単純な強さはギガントサウルスを上回る。例え同じ程度だとしても、武神の力を借りずに勝てる相手ではない。
武神の加護を得ようと思えば祈りの時間がどうしても必要になるのだ。
どうすればいい。
ちらりと三人の顔を順にみた。
抑えきれるか。
これ以上、俺のせいで誰かが犠牲になるのなんか我慢できない。
「私たちで時間を稼ぐから」
俺が視線を送った意味を理解したフランが応え、その言葉にネルとシエスが力強くうなずいた。俺が引き付けている間に逃げてほしいと思うと同時に、ギガントサウルスと戦った時のことを思った。”仲間なんだから”と三人は言った。今だってそうだ。目の前の男がギガントサウルスを超える化け物だと悟ったうえで言ってくれたのだ。
だったら……
「フラン、ネル、シエス、頼む」
「まかせてください」
「やるですよ!!」
全力以上を出さなければ勝てない相手。
武神への祈りは必須。
だが、それを引き出すにはどうしても時間がかかる。
「ほう、只の人族二人に進化した袋ウサギが一匹、舐められたものよ」
言葉を残し、ヴァンパイアロードが掻き消えた。
次に出現したのはフランの背後。フランは後ろも向かずに剣を払った。ふわりと宙返りをして攻撃はかわされる。ステータスとしては人並みであるが、ネルを守りながら戦ってきたフランはもともと全方位にたいする感覚が鋭い。その傾向が轟流の瞑想を繰り返すことでより研ぎ澄まされている。
俺にできるのは三人を信じて任せるだけ。
神への祈りをないがしろにはできず、丁寧に心を込めて儀式を行う。形だけでいいはずはない。ダルウィンで武神は必死の声に応えてくれた。だから俺は逸る気持ちを抑えて祈りをささげる。
祈りの言葉を唱えながらも、三人の戦いは目に入る。
ヴァンパイアロードの最大の標的は俺なのだ。武神へ祈りを捧げる意味を理解しているのだろう。敵と思っていない三人を無視する形で俺を狙ってくる。だが、その動きを読んだ三人は次から次にヴァンパイアロードに攻撃を繰り出す。
瞬間移動しているかのような高速機動に感覚だけでついて行くフランに、かすかに遅れながらも追従するシエス。ネルは魔道回路を練り上げながら、攻撃のタイミングを見つけ出す。捉えることのできないヴァンパイアロードの動きではなく、フランの動きから、敵の居場所を想定して魔法を放つ。仲間を巻き込まないよう広範囲の攻撃ではない点の攻撃。ストーンバレッドと名付けられた高速で石の弾丸を放つ魔法。ゴーレムに通じなかった魔法であるが、その時からさらなる改良が加えられているのだろう。
当たったとしてどの程度のダメージがあるのかわからないが、ヴァンパイアロードはその攻撃を受け止めるのではなく躱していた。
音速を越えて飛来する親指ほどの小石を視認できているのだとしたら恐ろしいが、当てることさえできればダメージになるのだと思えば希望になる。
三人と一体の戦いを見ながら行う儀式により体に徐々に力が湧き上がってくるのを感じる。
およそ30秒。それで儀式は完了する。だが、その時間が永遠よりも長く感じる。
一対一であれば、5秒と持たない相手であっても、三人がほんの少しずつタイミングをずらして攻撃を繰り出せば、格上の相手にも十二分に通用する。しかし、多少格上であればそれで十分だったのだろう。
目の前のヴァンパイアロードは三人とはレベルが違い過ぎる。
一瞬でも油断すれば、一度でも攻撃のタイミングがずれてしまえば状況は一変する。それを理解している三人は額に汗をにじませて全力の攻撃を繰り返す。
攻撃を仕掛けているのは三人の方でありながら、追い詰められているのも三人の方である。それも実際には手加減している節がある。わざわざ格下の三人に本気を出す必要もないと思っているのかもしれない。
緊迫した状況に精神をすり減らされた三人の呼吸は上がり、きっかけもなく限界を迎える。
「小癪」
シエスのナイフを躱したヴァンパイロードは背後から繰り出されたフランの剣を避けるではなく素手でつかみ取った。一見すれば何ら変わらない斬撃に見えても、ほんの僅か疲労が蓄積して腕の振りが微かに弱まったのだろう。
それを見切られた。
斬撃の勢いが急激に止められフランの態勢が崩れる。次の瞬間を狙っていたネルも攻撃のタイミングを失い、シエスもまたどう動けばいいかわからずたたらを踏んだ。
つかんだ剣を手繰り寄せ、つんのめったフランにヴァンパイアロードの拳が突き刺さる。腹部に強烈な打撃を受けたフランが宙を舞い大木に叩き受けられる。
うめき声を漏らし口から血を吐いて、そのまま崩れ落ちた。
奥歯をぎりりと噛みしめ、怒りに我を忘れそうになるのを必死に耐える。今飛び出せばすべてが無駄になる。せっかく三人が作ってくれた機会を台無しにしないようにと儀式の完了を優先させた。どれほど耐え難くても!!
そして、その間にもヴァンパイアロードの魔の手が残った二人を襲った。
フランよりも防御能力の低いネルとシエスはヴァンパイアロードの攻撃を受けて地面にぐったりと横たわる。打撃でなく鋭い爪で切り裂かれたシエスの周囲に流れ出た血の量はシャレになっていなかった。だが、まだ生きている。
三人とも胸が上下に動いているのが辛うじて見て取れた。
治療はすぐにでも必要。
だったら、目の前のコレの相手を長々としている暇はない。
止めを刺す必要など感じないのだろう。
ただ、邪魔だから排除した。
ゆえに、ヴァンパイロードは息をしている三人を無視して俺に向かって爪撃を放ってきた。
「待たせたな。そして消えろ」
軽く身を引き攻撃を躱すと、白銀のオーラを纏った俺はお返しとばかりに回し蹴りを叩きこんだ。初めから全力中の全力。『武神の加護』に加えて限界突破を全力で発現させる。
白銀のオーラに朱が混じり、竜巻の様に立ち上る。
蹴り飛ばしたヴァンパイアロードに詰め寄ると、連続した打撃を繰り広げる。
顔、胸、腰、腕、肩、腹。
拳の嵐が間断なく、そして無事な部分などないように隙間なく叩く。
その力がふいに抜ける。
拳が接触した瞬間、体が霧散したのだ。
リスベンの宿屋で遭遇したヴァンパイアロードの様に霧となった体が風に舞うように流れ数メートル離れたところで一つになる。漆黒が形となりヴァンパイアロードが無傷な状態で顕現する。
「驚嘆したぞ、人間」
「こっちもな」
いささかもダメージも受けたようすのないヴァンパイロードを見て吐き捨てる。
手を抜いたつもりはない。出来うる最大の速度、最大の膂力で繰り出した連撃をもってして一ミリもダメージがないのだとしたら壁はとてつもなく高い。
一筋の汗が背中を流れ落ちた。
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