第68話

 迷宮鉱山を出発して半日、日が暮れてきたところで野営の準備をしていたところだった。最初にそれに気が付いたのはシエス。体をびくりと震わせたかと思うと、俺の手をひき不安そうな顔で見上げてきた。


「どうした?」

「変な感じがするです」


 耳をぺたんと落とし明らかに怯えている様子のシエスに俺は周囲への警戒を強める。俺たちの様子に気付いたのかフランとネルの二人も食事の用意を止めた。フランが得物に手をかけ、ネルは結界の魔術回路の構築をする。

 俺は瞑想をするようにして轟流零ノ型を発動する。

 魔力による周囲探知。

 それには何も掛からない。

 街道から少し林に入っているため周囲には広葉樹がまばらにそびえている。50メートルほど離れたところには二羽の鳥がいる。それ以上探るがシエスを怯えさせるようなものは何も感じ取れなかった。


「何もなさそうだけど」

「……」

 

 俺の言葉にシエスは無言で首を振る。怯える彼女は額に汗をにじませ、顔が青白くなっている。その様子を見ていれば、何もないとは思えない。

 日が沈み夜の帳に覆われた空は星がいくつも煌めいていた。風は日中に比べると少し冷えるくらいだが、それでも寒いということはない。風も穏やかで、時々林がざわざわと声を上げる。焚火の爆ぜる音、遠くの鳥の声、しかし何者かが接近するような気配はない。――ないのだが、何かを感じる。

 周囲を見ているとフランと目が合った。

 彼女が小さくうなずく。

 何か感じているらしい。


「ネル」


 魔法の結界を頼んだ。野営の際にはいつも結界を張っているのだからいつも通りだと言える。俺の感知できる外側から何者かが監視しているのだろうか。

 何、とはっきり口にはできないが気味の悪い気配のようなものがある。鳥肌が立つような感覚、霊的なものだろうか。

 感覚を研ぎ澄まし、違和感の正躰を探るべくあたりを見渡す。


 五感すべてを使って周囲を観察する。夜のとばりに覆われた森も、焚火の光に照らされて浮かび上がる樹木の影が森の奥に向かって広がっている。光の届かぬところまで伸びたところで周囲の闇に同化して一体化する影。それでも、星明りがあるのでうっすらと輪郭だけなら100メートル程度の距離までは認識することができる。

 

 緑のにおい、土のにおい、焚火のにおい。

 これから料理をするために取り出された干し肉や野菜の凝縮された濃厚な香り。

 一日歩いて汗ばんだ体からの体臭。三人のにおいも感じられるが、特段いつもと違いがあるわけでもない。


 耳に入ってくるのは風が作る枝葉のこすれる音、遥か彼方の獣の唸り声、鳥の歌声、それに俺たちの息づかいに衣擦れの音。よく耳をすませば、小さな虫の動く音も聞こえてくる。

 だが、それだけだ。


 肌が感じるのは体を撫でる柔らかい風。

 本当に微かな。

 無風といってもいいようなレベルの僅かな風。


 それが凪いだ。


 風が止むことなどきっと特別なことではない。

 ただ、その瞬間、濃厚な気配が物理的な力を伴って俺たちのそばを駆け抜けた。

 反射的にその場を飛びのき、三人を守れる位置で身構えた。


「なるほど」


 低音が響いた。

 そして遅れて姿が顕現する。瞬きほどの間隙に、それまで何もなかった空間に人が立っていた。果たしてそれを人と呼んでいいのか、夜を纏うような漆黒のコートを羽織った紳士然とした男。半径50メートル以上の空間に俺たち以外に人はいなかったはずなのだ。


「進化した袋ウサギを見るのは随分と久しいな」


 見た目は兎人族となんら変わらないシエスを見て男はつぶやいた。

 シエスの何を見て判断したのか気にはなるが、それよりもシエスが魔物であることを知るものは何人たりとも許されない。迷宮鉱山のギルドで手に入れた魔封殺の腕輪のおかげで、シエスの行動範囲が増えた矢先のことだ。


「…なんのことだ」


 つとめて冷静に聞き返すが、一瞬言葉に詰まった俺を見て男は笑みを見せた。


「戦闘能力の低い袋ウサギが進化するのは稀なこと、誇ってこそ隠す必要などあるまい。それほどの攻撃性を持ちながら、人族などと共にあるのかは不思議であるがな」


 男の表現に眉根を寄せる。俺たちを”人族”と呼称する男が人であるはずもないだろう。だが、兎人族に酷似しているシエス以上に、男の見た目は人と変わりはない。纏っている空気を別にすれば貴族といっても通じそうな高貴さすら携えている。


「まさか、ヴァンパイアなの?」


 恐る恐る尋ねたのはフラン。

 競売都市リスベンで襲ってきたのは白目が黒かったが、目の前の男は普通に白い。シエスが進化したように、ヴァンパイアもレベルが上がればそうなるのだろうか。


「いかにも」


 予想通りとはいえ、是と答える男に驚愕する。人と同じ姿を取れるなど許されるのだろうか。シエスを街に入れるために試行錯誤した俺たちは、魔物が結界を通り抜ける方法を知っているのだ。だから、目の前の男が魔物であり、ネルの結界を抜けたとしてそれは問題ではない。

 しかし、結界を抜けられる魔物がいたとして、人と同じ姿形というのは許容できない。


「だが、我はロード。主らが退けたリスベンの者らと同じと思うでないぞ」

「知っているのか?」

「かかっ、知らぬわけがなかろう。勇者を殺せと指示をしたのは我なのだから」


 まるで夕食のメニューを答える様に、平然と答えられ二の句が継げなくなった。目の前の男―ヴァンパイアロードの指示で、俺たちは殺されそうになった。つまり78番はあの夜の襲撃とは関係がなかったということか。敵であることを宣言しながらも、いきなり襲い掛かろうとはしない男に質問を重ねる。


「なぜ勇者とわかった」

「知れたこと。ダルウィンにいるブブラルガ――貴様らのいうダンジョンより報告があったのよ。『武神の加護』を得たものが現れたとな」


 ダンジョンは魔物の一種とはいうが、まさにその通りということか。しかも、報告できるほどの知性があるというのには驚きを禁じ得ない。あの時、神に祈りを捧げなければ気付かれなかったのだろう。だが、そんな仮定の話をしても仕方ない。何がうれしいのか、嬉々としてその後の話を聞かせてくる。


「すぐに抹殺指令を出したが、貴様らはすでにダルウィンを離れておった。しかし、そのすぐ後にリスベンの部下より報告があった。街の中に取り残された間抜な配下であったが、役に立つかと思えばやはり間抜けだったな。人族如きに後れを取るとは」


 つまりは偶然ということか。

 だが、男の言葉が本当なら結界を抜ける術を魔王軍は知らないのだろうか。目の前のヴァンパイアロードは別格ということか。しかし、ダンジョンがどういう理屈で魔道具を産み出しているのか不明だが、それは魔物が魔道具を作れることを意味している。それを使うこともないのだろうか。


「次はスマニーのダンジョンで見つけられたというわけか」

「いかにも。報告を受け、すぐに殺すように指令を出した」


 鷹揚にうなずく。

 なぜこうも淡々としていられるのだろかと不思議に思う。抹殺対象を目の前にして、お前を殺す指示を出したと宣うのだ。殺してくれというようなものだろう。あいにく目の前のヴァンパイアロードに隙と呼べるものはないのだが。


「驚愕したぞ人間。ブブラルガの体内にいる貴様を殺すことなど容易い。そう思っていた。空を飛ぶこともできない人間など、高所から落とせばそれだけで十分だと思ったのだ」

「えっ……」

「落下の衝撃にも耐えたこともそうだが、ギガントサウルスを倒すか。ダルウィンやリスベンでの報告を受けた貴様にそこまでの力はなかったはず。僅かな期間でのあり得ぬ急成長。武神の加護とは恐ろしいものなのだな」

「ちょっと、待て」

「歓喜しろ人間。貴様は我の手で直接屠ってやろう。夜の王にして魔王エード様の精鋭の――」

「だから、待てって言ってるだろうが!!」


 俺は声を荒げてヴァンパイアロードを睨みつけた。


「俺を殺すために、ダンジョンの構造は変わったのか?」

「そう言っておろう」

「じゃあ、なにか? 俺がダンジョンに潜らなければ、ダンジョンの構造が変わることはなく、中にいた冒険者が危険にさらされることもなかったと」

「かかっ、それがどうした」


 俺の憤りの意味を理解しないヴァンパイアロードが小首を傾げる。


「イチロウ」

「あんたの所為じゃないって」


 三人の言葉が霞の様に耳に入り、抜けていく。

 スマニーのギルドで聞かされたギルマスの言葉がこだまする。


 『 68名の冒険者がダンジョンから戻ってきておりません』


 俺のせいだ――。

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