閑話1
深い湖に沈みこむような気分で私は王城の廊下を歩いていた。
周りは喧騒に包まれ、右に左に兵士が行き来している。
無理もないだろう。
勇者が死んだ。
安全な下級の魔物しか出ないはずのクヌカの森に訓練に出かけた勇者と二人の騎士。満身創痍で帰還した騎士によりもたらされた凶報。
アヴィという中級の魔物の出現により、護衛の一人は死亡。
勇者はアヴィの腹に聖剣を突き刺したところで、反撃を受け谷底に落ちたということだった。すぐに捜索隊が編成されたが、川底で見つかったのは聖鎧のみ。勇者の姿はどこにもなかった。
聖鎧が回収できただけでも僥倖だったといえるだろう。
勇者には武神の加護があり、ステータスも常人の10倍以上と期待していたのだが、あれは完全に失敗だった。それだけの力がありながら、聖剣を握らせてもまともに戦うことができなかった。
本人は素手のほうが強いなどと戯言ばかりで、いつの間にかただのお荷物になっていた。
それに引き換え、ソウ様は素晴らしい方だ。
勇者召喚に巻き込まれた一般人ということだったが、彼こそがこの混沌たる世界に光を導く勇者様なのではないかと、そんな風に考えていた。
見た目はさえない若者なのだが。
しかし、ソウ様にとって、あんな勇者でも同郷の友人なのだ。
その死を伝えるというのは、気が重くなるばかりである。
ソウ様の研究室の前で、一呼吸を置いてノックをした。
反応はない。
だが、それはいつものことだ。研究に没頭しているソウ様は、切りがいいところまで決して手を止めようとはしない。聞こえているはずなのだ。
何度も何度も扉を叩くのはソウ様に失礼なので自嘲する。
「どうしました?」
我々を導く方とは思えないほど、丁寧な物言いで返事が返ってくる。これから伝えなければならないことを思えば、余計に恐縮してしまう。
「ソウ様。お忙しい中、申し訳ありません。ゼルビアでございます。大変申し訳ないのですが、ソウ様にお伝えしなければならないことがございまして」
最後まで言い終わらなうちに、扉が開けられソウ様のご尊顔が現れる。
伸び放題の長い髪が無造作に紐でくくられ、無精ひげまで生えている。研究に没頭して睡眠時間まで削っているのか、目の下には深い隈ができていた。
我々のために、そこまで身を挺してくださっているのかと思うと涙がこぼれそうになる。
「それで?」
「はい…その…残念なお知らせなのですが……ソウ様のご友人が…お亡くなりになりました」
「……」
一瞬、ソウ様の目が大きく開かれた。
「死体は?」
「いえ、それが谷底に落ち、我々が発見できたのは鎧のみでした。おそらく魔物の手によって…」
ソウ様の心中を思えば、食われたとはさすがに口にできなかった。しかし、聡明なソウ様のこと、理解してくださるであろう。
「話はそれだけですか?」
私はその言葉にハッとして、ソウ様の顔を見てぞっとした。
そこには友人の死に対する悲しみや、喪失感、悲壮感を見出すことができなかった。まるで夕食のメニューを聞いた時のように、淡々と友人の死を処理している。
「は、はい」
「そうですか。それで魔法都市行きの件はどうなりました?」
「あ、あの…?ご友人の件はよろしいので?」
事実を受け止められていないのだろうか?そう思って私は失礼かと思いながら聞き返した。それに対する反応は、
「ええ、大丈夫です。それで、先ほどの件は?」
大丈夫です?
ソウ様は何を言っているのだろうか。
まさかご友人がご無事だと考えられている?確かに死体は見つかっていない。だが、状況からすれば答えは明白なのだ。誰よりも賢いソウ様に限って、理解できないはずもないというのに。
「それで?」
「は!その、残念ですが、魔法都市への道は大変危険であるため、許可が下りませんでした。代わりといっては何ですが、部下に可能な限り魔法書を入手するよう手配しております」
「自分で調べたいんだけどな…ちなみに転移魔法とかはないんですよね」
「転移?でございますか」
「ないってことか。だったら、空間魔法、次元魔法に関する書物を中心に集めてもらえますか」
それだけ言うと、ソウ様は扉をバタンと閉じた。
勇者召喚に巻き込まれた一般人。
それが最初のソウ様の立ち位置だった。
しかし、場内にある訓練場で、下級の魔物との実践訓練をしている勇者を眺めていたソウ様はおもむろに懐から何かを取り出し、ほんのわずかな挙動で魔物を殺して見せた。
”何か”というのが銃と呼ばれるもので、爆発の衝撃で小さな鉛の弾を高速で弾き飛ばしているということを、いまでは理解している。しかし、彼がこの国にもたらしたものはそれだけにとどまらず、次から次に恐ろしいまでの破壊力を秘めた新兵器を産み落としていった。
閉じられた扉の向こうにいるソウ様を想う。
友人の死に対するあの反応。
あまりに突然の死は、人から正常な思考力を奪うことはある。身近なものの死を受け入れられず、まるで何事もなかったかのように過ごす人を見たことがないわけではない。
だが…。
ご友人の死を告げたとき、彼の目は一瞬大きく開かれた。そして死体の有無を確認したのだ。友人の死そのものは理解しているように見えた。そもそも、死体の有無を聞いた時の目があまりにも冷たく恐ろしかった。
我々はパンドラの箱を開けてしまったのだろうか?
魔法都市に向かう部下への伝言を伝えようと歩き出した私の脳裏にはそんな考えが澱の様にこびりついて離れなかった。
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