第2話

「フラン。もう帰ろうよ?」

「大丈夫よ。この辺に出る魔物ならあたし等でも大丈夫なんだから。ここに来るまでだって問題なかったじゃない。行ける行ける」


 薄暗い森の雰囲気に不安げな声を出す小柄な少女と、快活そうな長身の少女。


「そうだけどさ、受付のお姉さんも言ってたよ。森は何が起きるかわからないって。とりあえず、素材は集められたんだから帰ろう」

「でも、あれっぽっちじゃ一日分の生活費で終わりだよ」

「そうだけどさ」


 少女が口を尖らせる。彼女とて分かっているのだ。冒険者家業というのはその日暮らしだということが。二人は冒険者として登録して半年、最初のFランクを経て最近ようやくEランクに昇格したばかり、魔物との闘いも少しずつこなせるようになってきたというところ。フランという名の長身の少女は、剣士である。腰には何の変哲もない鉄製のロングソードが提げられている。


 一方のネルという小柄な少女は、身長と変わらない長さの杖を手にしている。魔法使いであるネルは駆け出しとはいえ、四大精霊である火・水・風・土の初級の魔法を習得している。


「ぐるるるる」


 森を歩いていた二人の前に、木々をなぎ倒し巨大な魔物が現れた。下級しかいないはずの森に出現したのは、鷲の頭に、ライオンの体を持つグリフォンという中級の化け物。


「え、なにこれ」

「うううそ、うそよ。こんなのいるなんて聞いてないよ」


 剣を構えるのも忘れてフランが声を震わせ、ネルは杖を手から滑らせてその場にへたり込んだ。危険に慣れていない新米冒険者らしい失策。格上の魔物が相手でも、逃げるなり攻撃を仕掛けるなりしたほうがまだましだ。少なくとも、その場で立ち尽くすというのはありえない。


「ぐるあああ」


 木々の間を抜けて、巨体が駆け出した。


「ネル!」


 どうにか我に返ったフランが剣を構え、腰を抜かしたネルの前に立ちはだかる。手元の震えが切っ先まで広がっている。怯える心を押し殺し、唇を噛みしめてグリフォンに立ち向かう。眼前に現れた敵に、渾身の斬撃を叩き込む。だが、まるでゴミを払うように前足を横に振るうと、フランは軽々と弾き飛ばされた。


「いやあああああ」


 目の前で相棒が吹き飛んでいき、ネルは為すすべなく、ただただ悲鳴を森に響かせる。


「いや、やめて。おねがい」


 彼女の悲痛な言葉も魔物には通じない。地面に座り込んだまま、ネルは目の前に迫ってくる死から逃れようと後ろに向かって体を引きずっていく。

 ゆっくりと獲物を追い詰めていくグリフォンの鋼鉄のくちばしからは涎が滴っていた。それが一滴地面に落ちるたびに、ネルはヒィと小さな悲鳴を上げた。恐怖に縛られながらも、グリフォンの鋭い目から視線を逸らすことができなかった。


 一撃で弾き飛ばされたフランは、幹に強かに背中を打ちつけながらも、まだ息はあった。魔法使いのネルとは違い安物とはいえ、革の鎧を身に着けていたのが幸いしていた。だが、このままでは二人が行き着く先は、遅いか早いかの違いしかない。


 のそりのそりとグリフォンは、ネルに近づいていくと嘴を大きく開いた。


 死ぬ。


 絶望したネルはぎゅっと目をつぶった。


 ドン


 大きな音が聞こえ、恐る恐ると目を開けると目の前にあったはずの恐ろしい魔物はいなくなっていた。魔物と入れ替わりに立っていたのは、どこにでもいるような黒髪の少年。魔物はどうなったのかと、キョロキョロと左右を見渡したとき、フランの飛ばされた右手のほうにグリフォンの巨体が転がっていた。そのときになってようやくフランが無事に生きていることが分かった。


「大丈夫か?」

「え、ええ」


 何が起きたのか分からず、少年から声をかけられたネルはあいまいに頷く。大丈夫ではない。いまのところ怪我はしてなかったけども、大丈夫な状況とはいえなかった。何しろ、目の前の少年はとてもラフな格好で、武器と呼べるものを持ってなかったのだ。


 それに、なぜか全身ずぶぬれである。


 下級のゴブリン程度の魔物ならともかく、中級クラスのグリフォンを相手に素手で何が出来るというのだろう。或いは彼も、ネルと同じような魔法使いなのだろうか。そんな風に考えていると、突然、少年が服を脱ぎ始めた。


「は、いや、ちょっと、何を…いやあああああ」


 フランが攻撃を受けたときと同じような悲鳴が森を騒がせる。悲鳴を浴びている当人は気にした風もなく、上着を脱ぎ捨て、ズボンを脱ぐとパンツ一枚になった。肉体は引き締まっており、まるで鋼のような硬質な印象を与える。


 だけど、なんで脱いだの?

 変態なの?

 という状況にそぐわない疑問だけが沸きあがる。


 転がされたグリフォンは、立ち上がると少年を睨みつけ吼えた。大地を震わせるほどの重低音の怒号。


「来いよ」


 左手をちょいちょいと動かし、グリフォンを挑発すると少年は身構える。本来なら大剣や槍、大槌といった大型の得物で持って対峙するべき相手に、少年の手には何もない。どこか涼しい顔で、化け物と相対するのはパンツ一枚の素手の少年である。悪い夢でも見ているのか、あるいは、もう死んでしまったのだろうかとネルは思った。


 意識を取り戻したフランにも目の前の光景が何を意味するのか理解することが出来なかった。ただ、グリフォンが少年に気を取られているのなら逃げるべきだと、そう考える。気付かれないようにネルのほうに動き出した。

 彼女のすぐ近くに転がされたグリフォンは、フランになど眼中になりとばかりに少年に向けて駆け出した。


 ああ、少年は殺される。


 そう思った直後、先ほどと同じような大槌で巨体を叩いたような大きな音が響き、グリフォンが横倒しになった。グリフォンの尻尾しか見えなかったフランには何が起きたのか詳細は分からなかった。だが、倒れたグリフォンの陰から現れた少年は、ただ真っ直ぐに拳を突き出していた。


「は?いやいやいや、うそでしょ。ありえないって」


 思わず言葉がついて出る。まさか、彼はグリフォンをただ殴ったのだろうか。結果だけを見えればそうとしか思えなかった。だが、果たしてそんなことがありうるのか?


「大丈夫か」


 横たわるグリフォンを見下ろし、少年がネルとフランに声をかける。


「え、ええ」


 本当に死んでいるのだろうか。そんな疑問をもちながら、ネルは立ち上がるとフランのほうに向かって駆け出した。ネルに向かってきていた彼女の足取りはおぼつかなく、今にも崩れそうだった彼女に肩を貸して支えた。グリフォンに殴られて無事であるはずもない。


「フラン。ちょっと待ってて、いま治癒魔法唱えるから」

「おねがい」


 痛む腕を支えながら、フランが微かに笑う。助かったのだろう。少なくともグリフォンは動かないし、目の前のパン一の少年も警戒を解いていた。脱ぎ捨てていたズボンをはいて、シャツに手をかけている。

 なぜ脱ぐ必要があったのか、フランにも当然理解が出来なかった。


 彼の様子をうかがっていると、腕が仄かに温かくなり、淡く光り始めた。ネルの治癒魔法の効果が体を巡っているのが分かった。しばらくそうしていると、痛みが引いてくる。


「ごめんね。私の力じゃ、このくらいが限界みたい」

「ううん。十分だよ。ありがとう」


 申し訳なさそうなネルにお礼をいう。先ほどまでの鈍痛は薄れているので、ある程度は骨もつながっているのだとフランは思う。ネルの現在の魔力では治療にも限界がある。


 フランの受けたダメージは大きい。グリフォンにとっては何気ない一撃であっても、冒険者としてレベルの低いフランの腕は砕け、肋骨も数本折れていた。それが、”ほぼ”とはいえ回復しているのだから十分ともいえる。フランとネルは改めて少年に向き直り頭を下げた。


「あの、ありがとうございました」

「いや、てっきり俺のせいだと思ってたから」

「俺のせい?」

「ああ、いや、こっちのこと。それより、ナイフかなにか貸してもらえないか?魔石とか取った方が良いんだよね」

「いいけど、持ってないの?っていうか、こんな森の奥になんでそんな格好なの」


 疑問符を頭に浮かべながらも、フランは腰に差しているナイフを少年へと差し出した。どう見ても森に入るような格好ではないのだ。狩人のような連中であれば、ラフな格好でいることもあるが彼の着ているそれは街中で着るような普段着にしか見えない。


「崖から落ちたときは鎧を着てたんだけどさ。そのままじゃ泳げげないだろ」

「えっと、なんで崖から落ちたのか聞いた方がいいのかな?」


 ナイフを受け取った少年は死んでいるグリフォンに刃先を差し入れる。その様子を見ながら、二人と話を続ける。


「アヴィとかいう化け物が出てね。殴られて崖から落とされたんだ」

「アヴィって、そんなのまでいるの?もう、なんなのよ。ここは下級の魔物しかいないはずでしょ」

「らしいね」

「らしいねって…。よく無事だったわね」

「でも、グリフォンを軽々倒してましたし、アヴィには通じなかったんですか」


 もっともな疑問をネルが口にする。

 そもそも、素手で中級の魔物を殺すこと自体非常識極まりないが、それが可能ならアヴィに崖から落とされる理由がないのだ。


「剣と鎧が邪魔で」

「いやいやいや、馬鹿なの?」

「ちょっと、フラン。失礼だよ。命の恩人に」


 おもわず突っ込みを入れてしまったフランをネルがとりなすが、不思議に思うのは同じである。素手で魔物を殺せる人間が、武具を身に着けて遅れを取る理由がわからない。


「…すみません。おもわず。っていうか、大丈夫。さっきから全然解体出来てないんだけど」


 少年が無理矢理に切り開こうとしているグリフォンに目を向けて、フランは助け舟を出す。魔物の解体は冒険者として最低限のたしなみであるし、ネルとフランは田舎育ちのため、小さい頃から獣の解体は当たり前のようにやってきた。その二人から見て、少年の解体は素人同然である。


「ごめん。自分でやるのは初めてで」

「???冒険者なのに?」

「いや、冒険者じゃないっていうか…」


 少年の煮え切らない態度に、二人は怪訝な顔をする。冒険者じゃない人間が森に入る?そんな馬鹿なことがあるだろうか。たしかにいまの格好は街中で過ごすようなラフなものだけども、鎧を着て、剣を持っていたというのであれば、それは冒険者としか思えない。


 フランは少年からナイフをひったくると、ネルへと渡した。ある程度傷が治っているが、完治してるわけではないので解体作業は難しい。少年がメタメタに切り裂いていたため、遣り辛い部分はあるものの、ネルは慣れた様子でナイフを差し入れる。作業に集中している彼女に変わってフランが話を進める。


「まあいいわ。名前を聞いてもいいかしら。私がフランで、獣の解体をしてるのがネルっていうんだけど、あなたは」

「イチロウ」

「イチロウ?変わった響きね」

「みたいだね」

「それで、イチロウは冒険者でもないのに、どうしてこんな所に」

「えっと、それは…迷子?」

「何で疑問系なのよ」

「いや、なんていうか、説明が難しいんだよ。そんなことより、二人とも街に帰るんだろ。付いて行ってもいいかな?」

「まあ、それはいいけど。っていうか、居てくれた方が助かるかな。グリフォンじゃなくても、私も満足に動けないし、それにネルは魔力を使い果たしてるから」

「うん。じゃあ、街まで一緒に行こう。それと、もし迷惑じゃないなら、グリフォンの魔石を売ったお金を分けてもらって良いかな。手持ちが全然ないんだ」

「それは崖から落ちたから?」

「えーと、まあ、そうだね」


 いちいち要領を得ない返答をするイチロウに不信感を抱くも、助けてもらった事実は否めない。それに、さっき口にしたように、下級の魔物だけでなく中級の魔物までいるのなら尚のこと、無事に街に戻れるかどうかも分からないのだ。


「お金は分けるも何も、イチロウが総取りでいいわよ。倒したのはイチロウなんだから」

「いや、それは悪いよ。半分で十分。良く分からないけど、宿代くらいにはなるんだよね」

「いやいやいや、宿代っていうか一月は余裕だよ。グリフォンだよ!!」


 ため息混じりにマジマジとイチロウの顔をのぞきこむ。彼は少し照れくさそうに顔を逸らせると、獣の解体を続けるネルのほうに視線を移した。無事に体が切り開かれて、拳よりも大きなエメラルドのような輝きを放つ魔石が取り出されていた。さらに、グリフォンの嘴や、鋭い爪、尻尾が切り落とされていた。


「うん。こっちも完了したよ」


 血まみれな少女が笑顔で報告するという姿にイチロウは若干引き気味になっている。その様子にネルは悲しそうな顔になった。


「ありがとう」


 慌ててイチロウが口にするけども、二人との距離感はいまだに大きい。獣の解体が普通のことである二人であるが、それを忌避されては気持ちよくはないだろう。たとえ命の恩人であっても。


「よし、それじゃあ、街に向かおうか」


 少し悪くなった空気を払拭するように、イチロウが号令をかける。


「フラン、歩ける?」

「うん、大丈夫だと思う」


 怪我の状態を心配して、ネルが声をかける。だが、歩き出したフランは、少し歩いたところで体の痛みに身を強張らせる。完治には程遠いのだろうが、ここにずっと居ることはできない。イチロウは背後を振り返ると、地面に屈みこんで背中を親指で示した。


「乗って。背負っていったほうがいいだろう」

「えっと、いや、その」


 躊躇いがちにネルと目を合わせるフランを見て、イチロウは立ち上がる。


「ああ、ごめん、ごめん。そうだったね」


 そういって、上着のシャツに手をかけると、一瞬で上半身裸になった。


「って何で脱ぐのよ!!馬鹿なの?変態なの?青少年突発性脱衣症候群なの!?」

「いや、濡れた服だと嫌かと思って…」

「はぁ?だからって裸の方が嫌でしょ。意味わかんないわよ。さっきも突然脱ぎだしたし」

「ちょ、ちょっと。フラン。イチロウは親切で言ってくれてるんだよ……たぶん」

「そうかもしれないけど、けど…」


 フランは上半身裸のイチロウを見つめ、大きくため息をついた。街まで安全に戻るならこの男の親切を受けた方がいいだろう。でも、だけど、どうしても躊躇したくなる。


「わかったわ。けど、服は着てて。裸はちょっと」

「そうか。わかった」


 イチロウは服を着ると、再び背中を差し出した。フランはもう一度大きくため息をつくと、イチロウの背中にその身を預ける。確かに濡れた服の湿り気を感じて、多少の気持ち悪さはあった。だが、見た目どおり鍛え上げられた筋肉質の大きな背中は想像以上に安定感と信頼感があった。


「それじゃあ、行こうか」


 イチロウの掛け声に合わせて、三人は町に向かって歩き出した。

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