かくてお嬢さまは船長になりにけり

 居並ぶギャラリーから歓声や罵声が飛び交う中、2隻の艇は横一列に並ぶようにゴールを切った。


 接戦の末、僅差でのゴール。いや、全く差が無いのかも知れない。

 漕ぎ手の面々は限界まで漕いで勝ち負けを確認などできないし、セラフィーナも周囲に目を向ける余裕は無かった。ただ独りニールがガッツポーズで勝ち名乗りを挙げていたが、それはそれ、勝負の行方は誰もが気になる。


「どっちが勝った?」


「ウォルフォード様の艇のほうが少し早かっただろう」


「ボールドウィン卿の艇じゃないのか?」


「同点では?」


 各々勝手な憶測や希望を囃したてながらギャラリーがざわつく。

 競技預かりのアルシオーネ卿が「静粛に!」と野次馬連中に沈黙を促すが、勝手雀たちにはこれっぽっちも効き目がなく、早く結果を教えろと逆に噛みつく始末。

 もちろん知りたいのは当人であるセラフィーナも同じで、陸に上がった早々「結果はどうだった?」と、待っていたマージェリーにいのいちばんに尋ねた。


「当事者が戻って来ていないのに、公表もないだろうということで、未だ控えられています」


 アルシオーネ卿の配慮の説明に「そうなんだ」と頷くセラフィーナに「しかしながら」と、答えるマージェリーの表情が冴えない。


「ゴールの瞬間は、わたくしも見ていましたが、ほんとうに紙一重。つまり裁定はどちらに転ぶかはまったく分かりません」


 微妙な差配だけに、口調は重く言い回しも慎重。だがセラフィーナは「大丈夫」と明るく否定する。


「みんな頑張ったんだから、きっと良い結果につながっている」


 些か楽観的だが、クルーを信じる信念にあふれていた。


「だから、行きましょう。勝ちを名乗りに」


 心配するマージェリーと遅れて参じたランドールを引き連れると「ただいま戻りました」とエドワードに優雅に一礼する。


「よく頑張ったな」


 父の労いに「ランドールたちのおかげです」と胸を張る。

 実際セラフィーナがしたのはランドールたちを信じたことだけ、彼らが応えて頑張ってくれたからこその結果である。


「指揮者としてよい答えだ」


 ふと横を見れば、ドラ息子のニールが胸を張ってウォルフォード卿に戦果を報告している。部下の努力を自分の采配と自画自賛する様は、見ていて気分が悪くなるが他人は他人。エドワードも娘の気持ちを与したのか、後ろに控えるランドールにも労いの言葉を忘れない。

 主役2人が戻ったことを見届けたアルシオーネ卿が、ウォルフォード卿とエドワードの双方に向けて「異議は申し立てないように」と釘を刺してから「結果を発表する」と声を張り上げた。

 発表の一言にやじ馬連中の怒声もピタッと止まり、さっきまでの騒々しさが嘘のように、辺りは異様な静けさに包まれる。

 誰もが息を呑む沈黙の中、アルシオーネ卿が勝負の結果を口にした。


「この勝負、双方の艇が全く同時にゴールに飛び込んだ。よって引き分けと判定する!」


 満足な結果にセラフィーナは「やった」と安堵する。

 が、己が勝利を確信していたニールは「なんだ、と?」と卿の裁定に目を剥く。


「どこをどう見たら引き分けになるんだ? 俺の艇が先にゴールを切ったのは明白だろう!」


 結果が不服とアルシオーネ卿に食ってかかった。


「我々の目には同体と映りましたが」


 一方的な裁定不服に、当然ながらアルシオーネ卿は取り合わないが、ニールの腹の虫は治まらない。


「そんな筈はない、もう一度よく精査しろ。絶対に俺たちが勝っている!」


 ろくに根拠も示さず、ただただ裁定を取り消せの一点張り。最期には地団駄を踏むという、まるで駄々をこねる子供の様なヒステリーぶり。

 いや、まだそれだけならば勝ちに執着があるのだと、無理やり好意的に解釈することもできる。だがニールはそれだけで済まない。


「オマエも隣にいたのだから分かるだろう。誰が見たって俺たちの艇が勝っていたんだ」


 あろうことか競争相手のセラフィーナにまで強要する始末。さすがに「バカなこと言わないで」と突っぱねる。


「引き分けと裁定が出たでしょう? わざわざ裁定役をして頂いたアルシオーネ卿の判定に文句を付けたいの?」


「文句じゃない。事実だ!」


 周りがドン引きする中でも一向に収まる気配もなく、己の主張をゴリ押ししようとする。

 事ここに至って、今の今まで沈黙を守っていたウォルフォード卿が「止めよ!」ど怒声を放った。 


「さっきから黙って聞いておれば見苦しい。アルシオーネ卿が引き分けと申しておるのに、なぜ素直に認めぬ?」


「しかし、父上。この勝負は間違いなく我らの勝ちで……」


 いきなりの大声に、おどおどしながら具申するニールに「たわけ!」と一喝。


「儂も一緒に見ておったが、アルシオーネ卿の判定は公正明大、引き分けは納得の裁定じゃ。それよりも反省すべきは、何故引き分けになったのか、その理由ではないのか?」


「それは。漕ぎ手の連中が不甲斐なく、前半せっかくリードしたのに、根性が足らず活かせなかったと」


 弁明するニールに対して、周囲を憚ることなく「愚か者!」と特大の雷を落とした。


「汝が指揮の不手際の責任を部下に押し付けるなど言語道断! 軍人の風上にも置けぬわ!」


「しかし、父上!」


 なおも言い訳しようとするニールを「くどい」と一蹴。


「その腐った性根を叩き直してやる。漕艇の指揮官など10年早いわ! 一介の漕ぎ手として出直してまいれ!」


 強引な裁定に「理不尽だ!」と叫ぶが意に介さず。セラフィーナたちが呆気にとられる中、部下に命じてニールを更迭する。




「見苦しいところをお見せしましたな」


 ニールを〝片付ける〟と、ウォルフォード卿が「済まなかった」とセラフィーナに頭を下げる。

 父親と同年代でしかも格上の侯爵御自らが謝罪と、さすがのセラフィーナも「とんでもない」と恐縮すること然りだが、ウォルフォード卿は「なんの」と一蹴。


「詫びるべき事柄はちゃんと詫びねば、貴族どころか人に非ずだ」


 非礼は我が方にあるとばかりに陳謝したうえで「ニールはだな」と、更迭した愚息について言及する。


「きゃつは余りに短絡的で思慮がなく、慎重さに欠けている。我が息子ながら軍人として些か問題があり、性根を叩きなおす必要があると常々考えておったのだ」


「それで、今回の勝負を企てられた。と?」


 娘をダシにされた不満を胸にエドワードが「仔細を説明して戴きましょうか」と会話に加わると、ウォルフォード卿が「息子の件はきっかけでな」と困った顔で経緯を口にする。


「噂は聞こえていると思うが、愚息は始めとして軍内には昇進に不満を持つ若造が多いからのう。昇進に見合う能力はないクセに、野心だけは一人前、しかも理屈と弁だけは立つから困る」


 苦々しく吐き捨てると「後は私から説明しよう」と、アルシオーネ卿が後を引き継いだ。


「地位に不満を持つ者の大半は貴族子弟だから、ユングライナー賜与の経緯は知っている。そこにウィリアム殿の訃報が重なり、相続の一件で「元々軍艦なのだから軍が接収すれば良い」などとと考える問題児が、飽きることなく次から次へと現れたのだ」


「交易船所有の法の所為ですか?」


 ぶっちゃけて確認すると「貴殿の家の事情も、上級貴族の子弟なら当然知っておるからのう」とアルシオーネ卿もぶっちゃける。


「社交界などと上品ぶっとるが、その実貴族間の腹の探り合いの場だからな」


 ぶっちゃけついでに公然の秘密にまで口にする。


「うわっ、面倒くさい」


 思わず本音を漏らしたセラフィーナに「それが現実だよ」とアルシオーネ卿が諭す。


「しかし、だから接収せよとは乱暴な話ですな」


 困った顔で顔をしかめるエドワードに「その通り!」とウォルフォード卿が全面的に賛同。


「真祖陛下が建国の功労として賜与した船を、我らが勝手に徴用など出来るはずがなかろう。単に軍籍だというだけで自由にしようなど、バカどもはまったく王命を理解しておらん!」


 憤慨するウォルフォード卿を「まあまあ」と宥めると「そこで一計を案じて、この勝負を企画したという次第なんだ」だと、今回の茶番の全容を暴露した。


「つまり勝負をすることで白黒をはっきりつけて、徴用を主張する層を黙らせようとお考えになった。と?」


 エドワードの問いに、正解とばかりにアルシオーネ卿が首を縦に振る。


「まさか、審判役にまで駆り出されるとは思わなかったが」


 理屈は通るが、踊らされた身として素直に納得できるかと言われたら別問題。


「ムチャクチャですな」


 黙って聞いていたランドールが呆れ果てる。


「もし、我々が負けていたら、どうするおつもりだったのですか?」


 根本的な疑問に対して、ウォルフォード卿は「どうもしやせんよ」とあっけらかん。


「こう言っては失礼だが、ボールドウィン卿のご令嬢と漕艇漕ぎで勝っても、当然であって自慢にもならない」


 奇しくもエドワードが語ったことと同じ内容をウォルフォード卿も口にする。訊いたランドールも納得できる回答なのか「ごもっとも」と頷いただけ。


「ところが、このお嬢様は我々が想像する以上の成果を成し遂げてくれた。連中を鍛え直すには格好の口実だよ」


 望外の成果にカイゼル髭を持ち上げてニヤリと笑う。

 何のことはない。セラフィーナを低く扱い、逆にニールを煽り立てたのも、すべては綱紀粛正への布石。


「つまりは、ウチの娘は軍紀維持のダシになったと?」


 エドワードの皮肉に「まあ、そう言うな」と意味深な返答。


「ご令嬢が望外に優秀だった証だろう。軍と競って引き分けに持ち込んだのだ、これで「女だから」とほざく輩は出ないだろう?」


 どうだとばかりに胸を張ると、不本意な方法ながらも問題点が解決してエドワードは苦笑い。

 そして、セラフィーナは……


「じゃあ、軍隊さんはわたしがトリートーンの船長だと認めてくれるのね?」


 言質を取ったとばかりにウォルフォード卿に問い直すと、意外な質問だったのか「は?」と逆に訊き返される。


「違うのかね?」


「未だ、見習い扱いで」


「立派な指揮をしていたと思うが?」


 まだ何か不満があるのか? とでも言いたげにエドワードとランドールに視線を向ける。

 軍の最高幹部に睨まれて居心地が悪かったのか「その、なんだ」と、ぎこちない口調でランドールがセラフィーナに告げる。


「最後の潮を見る判断は見事だった。あれだったら、お嬢に、トリートーンを任せても、良いと、思う」


 視線が明後日を向いているのはご愛敬。エドワードも一言「頑張りなさい」と添えて、正式にセラフィーナを船長と承認した。

 


 うふ。うふふ。うふふふふ……

 やった、ついにやった。



「これで、わたしが船長よ!」


 少々はしたないと思うが、両手を高々と突き上げて宣言する。

 ランドールは「まだ学ぶことはいっぱいあるぞ」と釘を刺し、エドワードも「謙虚でなければいけないよ」と窘めたが、やっぱり嬉しさは隠せない。喜びを分かち合えるマージェリーに「やったわよ」と報告すると「おめでとうございます」と称えられた。


 が……


「しかし、立派な淑女になることもお嬢様はお約束されています。まずはそのための準備。手始めのお仕事として」


 と、つらつらと次のスケジュールを告げていくと、比例するようにセラフィーナの顔から血の気が失せていく。


「それは、また、今度ということで」


 恐る恐る問いかけるが、厳格なメイド頭は「なりません!」と一蹴。


「性急の事案が片付いたことですし、遅れているスケジュールをこなしますよ」


「ちょっと、待って! タンマ、タンマ!」


 叫んで拒否したが効果なし。マージェリーがセラフィーナの首根っこを掴むと「行きますわよ」と引きずるように馬車へと連行する。

 トリートーンが大洋に出るのはもう少し先になりそうだ。






ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


まだまだ書きたいことはあるのですが、キリが良い処でストックが尽きたので、ここで一旦完結とさせていただきます。

いつか続編は書きたいと思っていますので、その折にはまたご愛顧していただけたら幸いです。

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レディー・ホー 貴族令嬢のお嬢様が船長となって、七つの海を駆け巡る!  井戸口治重 @idoguti

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