勝負の行方は?

 どんどん開いていく差に何か策はないかと、セラフィーナは眉間に力を込めて必死に思案する。

 すると進行方向左側の海の色が、周りの海と幾分違うことに気が付いた。

 違いの元がどこか辿っていくと、遥か沖合のほうから潮の流れのように岸に向かって押されているような印象。


「ねえ、この辺りって、潮の流れがあるの?」


 いきなり出した質問に付いていけず、ランドールが「はあ?」と訊き返す。


「ほら、あれを見て。海の色に違いがあるでしょう?」


 見つけた潮目を指差すが「どこが?」と視線が泳いでいる。


「確かに、この辺りの潮目は複雑だが、お嬢の指しているところに変わったところは何もないぞ」


「見えるでしょう。沖から岸に向かって潮が流れているのが」


 強く主張すると「おい、見えるか?」と他の漕ぎ手にも尋ねるが、誰もが一様に「何も変わらない」と主張する。


「お嬢の見間違えじゃないですか?」


 全員が変化なしと結論付けたが、セラフィーナは「あそこが潮の境目よ」と譲らない。

 流れにさえ乗れば、絶対に勝機はある筈。

 ならば。


「今から左に舵を切って、三十メートルほど漕いで」


「は?」


 呆けるランドールに「良いから言ったとおりにして!」と怒鳴る。

 突然の怒声に自棄になったと思ったのだろう「まあ、何か分からんが、お嬢の仰せのままに」と言われるままに左に舵を切る。


「取り舵方向、三十メートル。急いで漕げ」


 半ばやけくそでランドールが命令し、オールを漕いで行くと、突然後ろから押されるように船足が急に増した。


「なっ!」


 いきなりの加速に驚くランドールにセラフィーナは「漕いで!」と言い放つ。

 潮のアシストを使って加速すれば、挽回のチャンスはあるはず。

 我に返ったランドールが「野郎ども、気合を入れて漕げ!」と漕ぎ手を奮い立たせた。



 

 セラフィーナの漕艇を大きく引き離して、ニールは一人悦に入っていた。


「ふん。圧倒的だな」


 いくらデカい口を叩いても、水夫と水兵では訓練の質が違う。ましてやお遊戯を踊るような鈍ら水兵が、俺の兵士たちに勝負を挑んだところで適う訳がない。

 前半三分の一で既にバテ始めて船足を落とした連中を尻目に、こっちは全力で漕いだ結果、折り返し地点でボート十艇分近くの距離を引き離してやった。

 ゴールの入り江まで一キロを切り、もはや勝ちは確実。生意気女の鼻っ柱を折れるのが実に気持ちいい。悔しさで泣き崩れるセラフィーナの姿を想像するだけでワクワクする。

 いくら見た目が綺麗でも、あんな跳ねっかえりは問題外。女は出しゃばらずに大人しくしていれば良いのだ。


「トリートーンは勝ちの褒章として軍に接収してもらい、ゆくゆくは俺が艦長に就任。あの女は徹底的に躾して側室に娶るのも悪くないかな」


 すでに勝った気で、真昼間から寝言を口にしていると、最後尾の漕ぎ手が「後方からボールドウィン家の漕艇が、凄い勢いで迫ってきてます!」と叫んだ。


「はあ!」


 何を言っていると訝るように後方に目をやれば、報告通りにボールドウィン家の漕艇が猛追している。しかも尋常じゃない速度に乗って、一気に距離を詰めてきているのだ。

 折り返し地点で十艇分を優に超える差が開いていた筈なのに、その差は既に半分近くにまで縮まっているではないか!


「こんなに差が詰まるって、どういうことだ?」


 まるで見えない帆でも張っているような韋駄天ぶり。

 途中から全員で漕いだとしても、とても実現できる速度ではない。


「連中があんなに速いのはおかしい、きっと俺の船が遅いのだ。だとしたら、オマエたちがサボっているからか?」

 あり得ない船足を否定、己がクルーの怠慢だと決めつける。


「お言葉ですが、我々は全力で漕いでいます」


「では、この理由は何だ!」


 意味もなくキレるニールに「恐らくは」と具申する。


「連中の艇は潮の目に乗って、潮流で加速していると思われます」


 潮流の変化を味方に付けたと説明するが、ニールは「戯言を抜かすな!」と一蹴。


「潮流に乗ってとほざいたが、波の変化などどこにもない。手抜きの言い訳だろう」


「いえ、そんなことは……」


 訂正を申し入れようとするが、そんなことに構っている暇はない。

 入り江は目前とはいえ、ボールドウィンの艇もすぐ後ろに迫っている。ちんたら漕いでいては追い越されてしまう!


「漕げ! 絶対に抜かされるな!」


 怒声を発し、漕ぎ手にスピードアップを要求する。

 後ろからボールドウィン家の漕艇がひたひたと詰め寄り、ニールの艇にあと一歩のところまで肉薄している。


「オマエら、あんな女に負けたら一生の恥だぞ。 漕げ! 漕げ! 漕げ!」


 お尻に火が付き、遮二無二に「漕げ!」を連呼する。

 ヒステリックに叫ぶニールの背中には、冷や汗がダラダラと流れ落ちていた。




 潮のアシストを得て怒涛の猛追をしたセラフィーナの艇は、入り江の目前でニールの艇を捉えることができた。

 一時は絶望的なまでに引き離されていたが、ランドールたちの踏ん張りもあってその差はボート1艇分にまで縮まっている。

 追い越すまであと少し、あとほんの少しで逆転ができる。

 だが運命の女神は気まぐれ。ニールと僅差まで詰まったところで、今までの努力をあざ笑うかのように、急激に船足が落ちる。


「潮の流れが消えた」


 さっきまで猛烈な勢いで後押ししてくれていた潮流が、まるで幻だったかのように雲散霧消してしまった。


「港に入った証拠だ」


 ランドールがボソッと呟く。

 港口の入り江が外洋からの潮流を断ち切り、セラフィーナの艇から神の加護を奪い去る。

 すでに疲労の極致に達している水夫たちは、漕ぐ力も使い果たしてスピードアップがままならない。

 鏡のようにフラットな水面は、今のセラフィーナたちにとって、ぬかるんだ泥のように重く櫂の枷となる。


「ぐぬぬぬぬ!」


 額から珠の様な脂汗を流しランドールが唸る。顔は真っ赤に紅潮し、息も荒く肩は小刻みに揺れている。気力体力ともに限界に達しているのは明らか。

 だが休めとは言えない。もう一層の奮闘をしなければ、今までの苦労が全てムダになる。


「ランドール!」


 無茶を承知で頼み込もうとするセラフィーナに、ランドールは皆まで言うなとばかりにニタリと白い歯を見せる。

 と、荒い息が嘘かのように、ドスの効いた声で「オマエたち」と言い放つ。

  

「潮のご利益が終わった、後は俺たちの力だけが頼りだ。気合を入れるぞ!」


 最後のひと押しを宣言し「死んでも漕げ!」と、雄たけびを上げて漕ぎ手を鼓舞する。

 セラフィーナは口を真一文字に結んだまま何も言わない。号令をかけることさえ、テンポを狂わすと封印、先頭でオールを漕ぐランドールにすべてを任せていた。

 ニールの艇とはボート半分と僅差まで詰まっていたが、ゴールまでも100メートルを切るような土壇場、その僅かな差が埋まらない。


「命令だ! 何としても逃げ切れ! 負けは許さんぞ!」


 髪を掻きむしり半ば半狂乱のニールが喚き、ウォルフォードの艇もラストスパートを敢行する。


「あと少しだ、死ぬ気で漕げ! 死んでもいいからオールを漕げ!」


 後を追うセラフィーナの艇も漕ぎ手全員が唸り声をあげる。

 岸に居並ぶギャラリーの歓声や罵声が飛び交う中、2隻の艇が横一列に並ぶようにゴールを切ったのだった。

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