決戦開始


「元々負ける気なんかなかったけど、この勝負。ぜったいに負けないわよ!」


 息まくセラフィーナに対して、発破をかけられたランドールはいたって冷静。


「さっきの話を聞いてなかったのか? 相手の練度は高いんだ、まともに勝負したら俺たちに勝ち目はないだろうな」


 普通に戦ったらまず負けると、さらりと言ってのけた。


「ちょっと。戦う前からもう白旗?」


 セラフィーナの嫌味にランドールが「まともにやったらな」とバンザイのポーズを作ると、その上で「でも」と話を続ける。


「俺たちだってウォルフォードのドラ息子には苛立っているんだ。そう簡単に勝たせてやるわけにはいかないさ」


「何か秘策でもあるの?」


 身を乗り出して訊くセラフィーナに「そんなものねえよ」とランドールは否定する。


「けど、勝てないまでも引き分けになら持っていけるかも知れない方法ならある」


「引き分け? ずいぶん後ろ向きな作戦よね」


 引き分けと聞いて落胆するセラフィーナに、ランドールは「おいおい」とツッコミを入れる。


「引き分け上等だろう。向こうは漕艇専門だから絶対に勝たなきゃならないが、こっちは負けなけりゃいいんだ」


 盲点を突いた発言に驚く中、マージェリーまでもが「そうですね」と同意する。


「勝負ということに拘り過ぎていたのかも知れません、わたくしたちは負けさえしなければ良いのです。引き分けならば向こうのメンツは丸つぶれ、わたくしたちにとっては勝ちも同然です」


 聞けばなるほど。言わんとすることは理解できる。 

 ならば、その案に賭けてみよう。


「いいわ、なら聞かせて貰える? その、引き分けにする方法を」


 そして漕艇の勝負が始まった。




「もう一度コースの確認をしますよ。コースは港の沖合にある無人島を目指して、島をぐるりと半周回ってから戻ってくる。これさえ守って戴けたら、どのルートを採ろうが自由です」


 半ば強引に見届け役に徴用された法務局の職員が、競争する2艘に対して再度ルールの確認をする。


「あと言わずもがなですが、コース妨害の類は一切禁止です。あくまでも純粋な競技として戦ってください」


 更には私闘でないことを強調し「良いですね?」と念を押す。

 もちろん、セラフィーナに異存がある筈もなく「はい」と答える。対するニールも、相手が女となめているのか「もちろんだ」と二つ返事。

 注意をちゃんと聞いてくれたと「では、準備はよろしいですか?」と最終確認。

 双方が頷くと、中立で公平だからという理由で引っ張り出されたアルシオーネ財務卿が「何で私が」とぼやきながら、旗振り役として壇上に立った。



「ドン!」


 卿の号令を合図に、2隻の漕艇が同時にスタートを切った。


「お飾りの小娘と、お遊戯をするような軟弱な水夫たちの漕艇になんか絶対に負けるな!」


 スタート早々。ニールが軍刀を天に向かって高々と掲げると、部下の水兵たちに激しく檄を飛ばす。


「手を休めるな! オールに力を籠めろ! 1メートルでも多くやつらを引き離せ!」


 余程セラフィーナたちに私怨があるのか、口から泡を吹きながら矢継ぎ早に号令をかける。

 一方、セラフィーナは舳先に座ったまま、一定のピッチで「漕いで、漕いで」としか言わない。


「漕ぎのバランスが崩れると、無駄な波ができてそれが抵抗になって、漕いだ割にはスピードが出ないんだ」


 勝負の前。ランドールが掲げた指摘の対策に、合図を出すことで漕ぐタイミングを揃えることにしたのだ。

 その甲斐あってかスタートしてからほぼ横並び、五分に勝負を進めていた。


「漕ぎが遅いぞ! 連中に追いつけられないほどの差を付けろ!」


 逆に檄を飛ばすだけで的確な指示を出さないニールの艇は、せっかくの経験値が全く生かされておらず、さしたるアドバンテージを得られないままでいた。

 入り江の中での勝負は拮抗、位置も船足も横一列で全くといって良いほどに差が開いていない。


「もっと気合を入れろ!」

 先行逃げ切りのために檄を飛ばし加速していくが、思うほどには離れていない。トリートーンの漕艇もまた同じペースで加速していた。 

 港を出て艇の速度が上がったところで、セラフィーナは「オペレーションBをやるわよ」と叫んだ。


「おし」

 呼応するようにランドールが合図をすると、1列目と3列目の漕ぎ手ががオールを水面から引き上げる。


「お嬢、アンタは合図は続けろよ」


「2番、4番、頑張ってよ」


 短く激励を飛ばし、再び「漕いで、漕いで」と合図を出す。

 2列目と4列目の漕ぎ手が、目を三角にしながら必死の形相でオールを漕ぐ。

 これもまた事前に決めた作戦で、スタミナの浪費を防ぐために、巡航に至ったら漕ぎ手の半分を休ませようと画策したのである。


「漕ぎ手を半分に削ったらスピードが半減しない?」


 作戦を聞いたとき、いの一番に思い至ったのは速力の減少だ。体力温存の趣旨は分かるが、速度が落ちれば本末転倒。勝負を放棄したとしか思えない。

 正直に不安をぶつけると「そりゃ、落ちるさ」と身も蓋もない答え。


「けど半分も落ちはしない。巡航との比較だったら、概ね7割から8割程度の速さだろうな」


「それだと勝ち目がなくなる」


 反対を唱えるセラフィーナに「まあ、待て」と話を続ける。


「半分休むことで休憩時間を挟み込めるから、体力全開で漕ぐことができる。疲労の蓄積を押さえつつ奴らに食らいついて、ラストスパートを全員で漕げば、勝機が見えるかもしれない」


 要はラストに体力を温存して追い込みをかけようという作戦だ。


「そんなに上手くいくかしら?」


 当然湧きあがる疑問に「そこは賭けだ」と身も蓋もない答え。


「だが、正面切っての正攻法じゃ勝ち目はないな」


 技量や体力が同等以下なら策を弄して対抗するしかない。


「いいわ、やってみましょう」


 セラフィーナはランドールの考えた策で、ニールとの勝負に打って出ることにした。




「3分間死ぬ気で漕げ! そうしたら3分間休憩ができるぞ!」


「おう!」


 4人の漕ぎ手が気勢を上げるが、漕ぎ手半減で食らいつくのはムリというもの。ランドールの見立て通り、セラフィーナの漕艇は徐々に船足が落ちはじめた。

 互角だった勝負が一転、ニールの艇にリードを許すこととなる。


「ギャハハハハ! 漕ぎ手の半分がもうバテてやがるぜ」


 漕ぎ手が半分になったセラフィーナたちの艇を見て、体力が枯渇したと思ったニールが嘲る。


「何、勝手なことを!」


 漕ぎ手をバカにする言い草にカチンときたセラフィーナを、ランドールが「止めておけ」と短く叱責。


「舐めてもらうの上等。せいぜい油断してもらったほうが、こっちにとっちゃありがたい」


 あたかも計算づくであるかのように「見てみろ」と顎先でニールの艇を指し示す。


「ニールの野郎、俺たちがバテたと思って、千載一遇のチャンスと漕ぎ手に「もっと漕げ」と発破をかけていやがる。ラストスパートならともかく、序盤から全開なんか体力が続くはずもない」


 腕を振り回し漕ぎ手を鼓舞するニールを冷静に分析する。

 遮二無二オールを漕ぐニールの艇はセラフィーナたちを引き離すが、その差はほぼボート3艇分と、気負って漕いでいる割には開いていない。


「ひょっとして、わたしたち善戦している?」


 半分の漕ぎ手でまあ僅差、客観的に見れば大健闘だが、ランドールは「いや」と否定。


「冷静に普通に漕いでいればもっと差がついたのに、発破かけるだけで統制していないから、漕ぎムラが多くて相当量ロスしてるんだ」


「つまり、自滅ね」


「だから俺たちはペースを崩すな」


 己に言い聞かすように「分かったか?」と諭すと、時間だとばかりに「漕ぎ手の交代だ」と声を張り上げる。


「1番・3番、気合入れるぞ! 2番・4番、今のうちに呼吸を整えておけ!」


 ランドールがてきぱきと指示を出し、セラフィーナに「合図を止めるな」と注意を促す。


 慌てて合図を再開すると、リードを許したニールの艇をキッと睨みつける。


「絶対に引き離されないわよ」


 拳を固めて決意するが、如何に漕ぎムラが多かろうと8人全員が漕いでいるニールの艇に対して、片やタイミングを揃えてるとはいえ半分の人数で追走するセラフィーナの艇。地力の差は如何ともし難くその差はじりじりと広がっていく。

 漕ぎ手の健闘もあり前半はまだ食らいついていたが、無人島を回り後半戦に差し掛かった辺りから、明らかな差が見え始めていた。


「向こうの艇と差が開きすぎてない?」


 合図を出しながらセラフィーナが徐々に大きくなる不安を口にする。

 当初2~3艇分の差しかなかったのに、今では5艇以上の差。半減させた漕ぎ手分、明らかに速度の差が出ている。


「だが、このやり方は変えられないぞ。長距離を全力では、漕ぎ手のスタミナが持たない」


「それは、分かっているけど……」


「必要以上引き離されなければ、ラストの全力で取り戻せる」


 かすれた声で返事をする。

 だが……実はとてつもなく大きな誤算をしていたことに、ランドール本人は気付いていなかった。

 ウィリアムの体調不全を理由に、ここ最近全くといって良いほど航海に出ておらず、練度に大幅な差がついていたのである。

 更には訓練不足が原因によるスタミナの低下。

 全盛期の自分のイメージがあるだけに、今現在の己が体力が大幅に落ちている事実を素直に認めていないのだ。


「ランドール!」


「分かっている。野郎ども、もっと気合を入れろ!」


 ランドールが檄を飛ばすが、練習不足とスタミナ不足は如何ともしがたく、時間が経つたびにだんだんと引き離されていく。


「ダメ。このままじゃ負けてしまう」


「半休憩止め、全員で漕ぐぞ! 全力で漕げ! 死ぬ気で漕げ! 死んでも漕げ!」


 この期に及んで体力の温存など言ってられない。全員でオールを漕ぐように命じ、矛盾するような無理難題を怒鳴るが、努力も空しく一向に差が縮まらない。

 漕ぎ手の額から球のような汗が流れ、ゼイゼイと荒い息を吐くが、差は縮まるどころか開く一方。


「ギャハハハハ! 所詮は俺たちの敵じゃなかったな」


 10艇近い差がついて安心したのだろう、下品な笑い声を轟かせてニールたちが先行逃げ切りの態勢に入る。

 岸まで2キロを切り絶対に勝てると確信を得たのかいっそうの高笑い。


「クソッ。追いつけない」


 どんどん開いていく差にランドールが悪態をつく。


「お願い。もうちょっと、もうちょっとだけ頑張って」


 セラフィーナが懇願するが、気合でどうにかできるのなら、とっくにどうにかしている。


「すまんなお嬢。俺たちの力不足だ」


 負けを覚悟したのか、とうとうランドールが弱音を吐く。


「ダメ。諦めないで!」


「しかし……」


 なんとかしなきゃ。考えろ、考えるんだ。

 何か策はないかと必死に前方を睨んでいると、左側の海の色が周りと幾分違うことに気が付いた。

 違いの元がどこか辿っていくと、遥か沖合のほうから潮の流れのように岸に向かって押されているような印象。

 これはひょっとして? 


 最後の望みを確認するために、セラフィーナは「ねぇ?」と尋ねてみた。

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