本番前の舞台裏


 ボールドウィン家を失脚させるべく、もともと虎視眈々と機会を伺っていたのであろう。

 エドワードが勝負を承諾してからの軍部の動きは速かった。

 それこそあれよあれよという間に、勝負の日取りやら内容やらが次々と詰められ、当事者たちが置いてきぼりを喰らる始末。


「勝負の方法が決まった。海軍らしく漕艇の競争で行うそうだ」


 まさか剣を振り回しての勝負はできないので、落としどころとしては順当な内容だろう。

「お互いそれぞれに艇長1人と漕ぎ手の8人を選び、漕艇で競争をするんだ。要は早くゴールしたほうが勝ちという単純明快なルールだ」


 それは良い、勝負する相手がビスマルクのクルーに決まったことは更に良い。

 しかも相手側漕艇のメンバーの中に、ウォルフォード家のドラ息子ニールが艇長として乗っていたのでパーフェクト。

 そうでなければ勝負を受ける意味が半減するというものだ。

 それはそれとして……


 話を聞いたのは勝負のわずか3日前。それも館に呼び付けられたランドールと同席の場でという、対決する当事者はどうでも良いのかと言いたくなるような放置ぶり。


「わたしの決闘なのに~」


 拗ねるセラフィーナに「セラひとりでは、どうにもならないだろう」とエドワードが諭す。

 

「要は団体戦ですか?」


 後ろで控えるマージェリーの質問にも「そういうことに、なるな」と丁重に答える。


「俺は巻き添えですかい?」


 ランドールの盛大にため息に「何よ、文句ある?」とセラフィーナが噛みつくが、エドワードが「落ち着きなさい」と窘める。


「現役の軍人が伯爵令嬢であるセラと1対1で勝負など、どう考えてもフェアじゃないからな。勝ったとしても自慢どころか物笑いの種にしかならん」


「まあ、確かに」


 真っ当な指摘にランドールがなるほどと頷く。


「侯爵家の人間が理由はともかく、伯爵家のお嬢相手に決闘なんかしたら、勝っても負けても醜聞が悪いですな。その点漕艇同士の早漕ぎ競争なら、競技だからと大義名分が付くし、団体戦になるから家同士という形でイメージダウンは小さいと」


「そういうことだ」


 事情を聴いて、ニールの矮小さにますます胸糞が悪くなる。


「まったく、姑息よね」


「それだけ強かということです」


 セラフィーナの感想にマージェリーが「お嬢様。それは違います」と訂正をかけてきた。


「向こうの策略で、ボールドウィン家とウォルフォード家の争いに争点がすり替えられています。しかもあちらは負けても競技だからとダメージが小さく、こちらは勝たないと無理難題を押し付けられる、一方的に不利な展開です」


「それ、ムチャクチャ不平等じゃない?」


「そうですよ」


 言外に「今頃気が付いたのですか?」とジト目で睨まれる中、軌道修正をするかのごとく「だからだ」とエドワードが咳払いをする。 


「巻き添えと言われるといささか心苦しいが、娘の名誉だけでなくボールドウィン家並びに商会の存亡もかかっている。力を貸してもらえないか?」


 本来の用向きだとばかりに、ランドールに向かってお願いをした。

 貴族の家長が使用人に対して頭を下げる。

 あり得ない行為に驚いて、ランドールが慌てて居住まいを正した。


「貸すも貸さないも、俺だってウォルフォードのドラ息子に侮辱を受けた当事者です。頼まれたら否とは言えんし、謹んでお引き受けいたします」


 恭しく同意すると、うって変わって「それにしても」と意地の悪い笑みを浮かべる。


「競争する内容が、漕艇ですか? 何というか、微妙に姑息ですな」


「どういうこと?」


 置いてきぼりをくらい、慌ててセラフィーナが尋ねると「そりゃ、向こうのメシの種だからな」との答え。


「有体に言えば、漕艇の艇長は貴族の子弟が海軍に入隊して最初に就く役職の定番なんです。少人数の部下を与えて兵を使う練習をするのです」


 まだ首を傾げるセラフィーナに、マージェリーが耳元で「それはですね」と補足され「それが姑息とどう繋がるの?」とさらに問いかけた。


「つまりニールのアンポンタンはともかく、漕ぎ手をやる部下どもは毎日漕艇を漕いでいるって寸法だ。言ったら自分の得意フィールド、こりゃ手ごわいぜ」


 後を受けるようにランドールが説明を続けると、理由を理解したセラフィーナに怒りがふつふつと現れる。


「端から負ける気はなかったけど、この勝負、ぜったいに負けられないわね」


「しょうがねえな」


 とか言いながら次の日には漕ぎ手の人選が終わっていたりする。




 

 そして迎えた、勝負の当日。



「何なんだ、この人だかりは? 俺たちは動物園の珍獣か?」


 港に降り立った早々、見物するギャラリーの多さにランドールが憮然となる。

 そりゃそうだ。

 黒山の人だかりとまではいわないが、平日の昼間だというのに、いるわいるわ暇人が。軽く見積もっただけでも野次馬の数は3桁に達するだろう。

 普段は黙々と仕事をこなす港湾の従事者までもが「すわ、何事か」と様子を伺うありさま。これで屋台でも出ていれば、ちょっとしたお祭りの様相。驚くなというほうがムチャな要求というもの。


「勝負の一件を誰かに告知でもしました?」


「するわけねーだろ」


 マージェリーの嫌疑を即座に否定する。そんなことをして何のメリットがあるというのだ?


「見てみろよ、見物人の顔ぶれを。どいつもこいつも王国海軍って、どれだけアウェーなんだ」


 ビスマルクの乗組員は言うに及ばず、中には軍のお偉いさんや本来なら王都にいるはずの事務方の職員までもがちらほらと見受けられる。

 対しるボールドウィン家の人間はというと。

 トリートーンの乗組員を別にすれば、長であるエドワードと家宰のアーロンの他は供の者が数名いるだけ。全員足したところで50人もいないだろう。

 圧倒的な海軍比にランドールですら圧倒されかかっている中、ひとりセラフィーナだけは「良いんじゃないの」といつもと変わらぬ平常運転。


「秘密でこそこそされるよりも、見届け人がいっぱいいるほうが、わたしたちには好都合よ」


 ウォルフォードの息がかかったものが大半だという事実にも、動じる様子が一切ない。


「見届け人が多いのが云々は分かりかねますが、逆にこれだけの視線に晒されて、緊張のあまり、委縮してしまっては?」


「ランドールが? 伯爵令嬢のわたしをこの扱いなんだから、萎縮なんかするわけないでしょ」


 プレッシャーを心配するマージェリーを吹き飛ばすかのようにケラケラと笑う。

 ダシにされたランドールが「そりゃ、そうだが」と呆れながらぼやくほど。


「お嬢様への扱いについては思うところがありますが、今日は指摘しないでおきます」


「そいつは、どうも」


 おざなりな礼をしながら「さっき聞き洩らしたけれど」とセラフィーナに向き直る。


「見届け人がいっぱいいるほうが好都合って、何だそりゃ。ふつうに考えたら敵地ど真ん中だぞ?」


 もっともな質問を「ああ、それ?」とセラフィーナが一蹴。


「これだけの衆人環視がいる中で勝てば、ぐうの音も出ないでしょう」


 すでに勝つ気満々。

 あまりにトンデモな強気発言に真かと、ランドールもマージェリーもお互いの顔を見合わせるが、驚いたのは2人だけではなかった。


「もう勝つ気でいるとは。つくづく、おめでたい連中だ」


 後ろから「やれやれ」と侮蔑を含んだ呆れ声。

 振り返れば案の定、対戦相手のニールが鼻で笑うように絡んでくる。しかもウォルフォードの威光をひけらかしたいのか、部下の水兵をぞろぞろと連れてくる大名ぶりは、まるで何とかの威を借りる狐のよう。


「勝てるわよ。アンタみたいな吼えるだけの犬相手なら」


 これまたやはりと言うべきか、セラフィーナが口にした途端、矮小な精神のニールがものの見事に吼えだした。


「大見得をきった決闘の中身が単なる漕艇の早漕ぎ競争とは、つくづく俺たちをなめているな」


 が、セラフィーナは涼しい顔で「そうね」と一言返したきり。澄ましたように見えたのか「決闘を何だと思ってる!」と勝手にヒートアップする始末。


 これだから単細胞は困る。

 なめるも何も、そもそも決闘の中身を決めたのはウォルフォード家のほうだ。

 家名にキズが付くことを恐れたウォルフォード軍務卿が手を回して、家名や軍の威信に傷がつかないようにと一計を講じた。それで船同士の団体戦とした上で対外的にリクレーションと思わせる、漕艇の早漕ぎ勝負という形に至ったのだと、セラフィーナはエドワードから聞き及んでいる。

 しかしニールのアンポンタンは大人の思惑を理解できておらず、しきりに「これだから女は」とか「決闘の何たるかを分かっていない」などとぼやいて鬱陶しいことこの上ない。


「決闘の内容が漕艇の早漕ぎだったら勝てないとでもいうの? お仕事で普段使っているのに?」


 あまりに鬱陶しいので「あら」と囁き煽ってやると、たちまち「後で泣き言抜かすなよ」と恫喝する。いちいち突っかかってくる辺り、つくづく頭の悪い御仁だ。


「完膚なきまでに叩きのめしてやる」


 判で押したようなテンプレートな売り言葉にうんざりしていると、またまた後方から「その意気や良し!」と鼓舞する声。

 今度は誰? とばかりに振り返ると、大仰な金モールの装飾と、これでもかというくらいの勲章を左胸に携えたカイゼル髭の壮年。

 ウォルフォード軍務卿がお付の文官をぞろぞろと引き連れながら、早漕ぎ競争の会場に現れた。

 来るのが予想外だったのか、いきなりの高官登場に水兵たちが慌てて敬礼をするが、ウォルフォード軍務卿は「良い」と手で制してニールのほうに向きなおる。


「王国軍人たるもの、いついかなる場合でも勝利への執念は持ち続けねばならぬ。例え漕艇の早漕ぎ競争でも然り。良いか? 負けは許さぬぞ!」


 拳を固めて見た目同様に暑苦しい口調で渇を入れるが、当のニールは「分かっている」とぞんざいな口調。


「俺がこんな小娘どもに負けるとでも思っている?」


 ほんの少しでも疑っている父親に怒りの矛先を持っていくが、所詮はチンピラの遠吠え。逆に逆鱗に触れて「バカ者!」と怒鳴られる。


「その油断が慢心を生むのだ。勝利を得るためには奢らず、全力で事に当たれ!」


 戯けとばかりに叱責すると、ニールを奥に下がらせる。その上で「見苦しいところをお見せしたな」と、ニールとは違い年長者の貫録を見せるが、やはりこの息子にしてこの親あり。


「それはそれとして」


 と前言を撤回するかのように「噂は色々と聞いているが、ずいぶんと跳ね返りなお嬢さんらしいな」と息子同様不遜な態度。これにムッとしない訳がない。


「まあ、元気なのが取り柄ですから」


 取り繕って返事はするが、内心はらわたが煮えくり返るほど。だが、言ったウォルフォード軍務卿には自覚がないようで。

「元気なのは良いが、あまり元気が過ぎるとご父君の苦労が増えるぞ。ま、今回の勝負が良いお灸になるんじゃないのかな?」

 更に好き勝手暴言を重ね、挙句に「我々のワンサイドゲームにならないよう、精々頑張ってくれたまえ!」と捨て台詞を吐きながら、高らかに笑ってその場を辞する。

 残されたのは一方的に挑発されたセラフィーナとランドールだけ。


「ランドール……」


「お……おう」


「元々負ける気なんかなかったけど、この勝負。ぜったいに負けないわよ!」

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