次の日、差し込む朝日で目が覚めた。

 外した腕時計を枕元から取り上げる。昼前にはこの島を離れる予定だった。目を擦りながら、隣で寝ている慶子に心を奪われた。まるでこの島にぶらりと二人でやってきた、そんな旅路の朝のようだった。

 慶子を連れて帰る。

 その意思ははっきりとしていたが、これからのことについては何一つ考えていなかった。今の慶子を受け入れるには、私も今の生活を捨て去らなくてはならないだろう。まったく知らない土地に行き、生まれ変わったつもりですべてを始めなくてならない。それは頭で考えるほど、簡単なことではない。

 私は慶子の寝顔に手を伸ばした。

 死んだ慶子。そして目の前の慶子。どちらも現実、私の記憶の中で等しく存在している。

 もう少しこの寝床でまどろんでいたかった。

 私は起こした身体を、再び横たえた。慶子の寝息を聞きつつ、瞳を閉じた。


「ヘリポートまで送ります」

 身支度をしていると、田村から連絡が入った。慌ただしく、チェックアウトの準備をする。

「そろそろ時間ね」

 慶子の立ち振る舞いの自然さに、私は放心した。てきぱきと荷物をまとめる仕草の一つ一つが私の記憶にぴたりとはまり込んでいく。

「どうしたの? 田村さん、もう来てるかも」

 慶子に促され、精算を済ませた。

 旅館の駐車場には既に田村のワゴン車が待っていた。隣に祐太の姿がある。私たちが近づくと、田村が降りて来て、挨拶を交わした。

「予報では少し霧が出るといっていましたが、綺麗に晴れましたね」

 言葉少なに、私は荷物を車に載せた。

「じゃあ、行きましょうか。乗ってください」

 車に揺られながら、田村が昨日語ったことを思い出していた。親株の話だ。松尾が死んだ今、次の親株は今いる株人の誰が引き継ぐことになる。……この車に乗っている田村か、祐太か、慶子か。誰がなるかはわからない。もし慶子が親株になったら。私は首を振り、その可能性を追い払った。

 ワゴン車がヘリポートの駐車場へ入っていく。

 外を覗くと、今到着したばかりのシャトルヘリから、搭乗客がぞろぞろとこちらに向かって歩いて来るところだった。入れ替わりに私たちがあのヘリに乗るのだろう。待合所近くに止めたワゴン車から降り、強い風に目を細めた。

「僕らはここで見送ります」

 田村と祐太は身体を寄せ合って、頭を下げた。

「落ち着いたら連絡してください。待っています」

「お世話になりました」

 私と慶子は会釈をして、別れを告げた。

 待合所で搭乗の確認を済ますと、係員にシャトルヘリまで誘導された。着陸してからローターを止めずに回していため、騒音と風がひどい。朝一の便のためか、客は私たち以外にはいないようだった。

 搭乗の合図を受け、私たちは荷物を引き上げながら、シャトルヘリに乗り込んだ。三列あるシートの一番奥に腰を下ろす。操縦席とのしきりに上着をかけて、息をついた。

「大丈夫か?」

 緊張した面持ちの慶子に声をかけた。

 慶子は瞼を閉じ、じっとしていた。

 ローターの音が激しくなったかと思うと、ヘリはあっけなく飛び上がった。手を振る間もなく、往ヶ島が小さくなっていく。

「今日は家には帰らず、ホテルに泊まろう。そこでこれからのことを考えていこう」

「ごめんなさい」

「慶子……?」

「無理みたい」

 突然、慶子が身をよじって苦しみ始めた。

「どうした?」

 私はただ慌てた。

 慶子は顔を歪め、私の腕にしがみついた。

 私は肘掛けを跳ね上げ、膝の上に慶子の身体を抱き留めた。熱い。何が起こったのか?

「わたしの中に……」

 声を震わす。

「……誰かがいるの」

 慶子の訴えに、私は全身が総毛立つのを感じた。

「……親株になるんだ。……わたし」

「嘘だ」

 私は慶子のブラウスをスカートから引き出し、痛がるわき腹を確認した。そこには茶褐色の大きな痣がある。田村が語った株分けの兆候だ。

「どうして、慶子が……」

 痣が人の顔のように見えて来て、私はそこから目をそむけた。

「ううっ……」

 奥歯を噛みしめ、慶子は痛みに耐えている。

 私は諦めたように、乱した服を直してやり、慶子の頭に手を添えた。今の私に出来ることは、それぐらいだった。

「ごめんね……」

 慶子は身をひねり、私の頬に左手を伸ばした。

「あなただけ帰って……」

「いやだ」

 私は息を詰まらせ、頭を振った。

「わたしは……あなたの奥さんに……なれない……」

 慶子の瞳から溜めていた涙が流れた。

「もう、喋るな」

 私はハンカチを取り出し、それを広げた。そこには傷だらけの結婚指輪が包まれてあった。

「慶子……」

 私は結婚指輪を慶子の薬指にはめてやった。

「帰って来てくれてありがとう……」

 再び身をよじり始めた慶子を、私はぐっと抱きしめた。

 亡くしたものをすべて取り戻すなんてできはしない。手を伸ばせば触れられる。それだけで十分だった。

「一緒に島に戻ろう」

 私は緊急連絡のボタンに指をかけ、それをぐっと押し込んでいた。

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株人《かぶびと》の島 ピーター・モリソン @peter_morrison

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