寂しい隣に咲く光

兎桃兎(とももうさぎ)

第1話プロローグ

 寂しいって気持ちは人間の感情の中でどれくらいの大きさを占めているんだろう。

 こんな寂しい場所では私の心なんでちっぽけなもんだろうけど。


 黒をベタ塗りしたような空を見上げた。

 初夏の夜だった。

 平筆を使って、紙いっぱいに塗りつぶしたような空。

 でもそこには確かに違う色も混じっていて、微かに夜の個性がある。

 太陽を透かした、ガラスを割散らかしたように光る星々もあった。

 まるで小さな宇宙みたい。いちばん身近な宇宙。


 頭の上を見れば黒が良く濃くなって、地平線を見れば白んでる。

 かの有名な清少納言が言っていた白くなりゆく山際ってこんなだったのかな。

 あぁ、でもあれは朝になりかけのやつか。

 自分で考えといてそれを即座に否定する自分にも、もう飽き飽きした。

 とても小さなことだけど、塵も積もればなんとやら。

 いつだってそうだった。自分が見つけ出した光を自分ですぐにかき消す。

 もう一人の自分が点った光を一息で。

 ただ、それは間違っていないんだ。皮肉なことにそいつが出す新しい答えは間違っていたことがない。

 毎回、真っ向から否定される。それも他人ではなく自分自身に。

 分かりやすくいえば、いじめっ子とずっと一緒にいるようなもの。常に釘が刺さったボールを投げられているみたいな感じ。

 これが積み重なると人はどうなると思う?

 答えは簡単。悲観的な人間になる。

 いつもいつも否定をされてかき消されて最終的にはそいつの言いなりになっている。


 どこかの国で実験をしたらしい。

 子供を使った実験。

 ある二人の子供をいつも否定する先生と肯定する先生。肯定と言うよりもきっと褒めて伸ばすってことかな。この場合。同時に教育を受けさせていくんだ。そして、どちらの学力の方が上かを調べる。

 結果はもちろん褒め続けた方。

 そりゃそうだ。その方がモチベも上がるし、もっと褒めて欲しいからと頑張れる。

 否定され続けた方の子はそれはもう嫌だっただろうな。大切な小学校時代を他人の探究心に奪われて、自己肯定感も崩れていく。自己形成の時期にそんな馬鹿なことに協力して、子供が可哀想だとは思わなかったのかな。

 親は守ってくれなかったのかな。

 空を見上げた。

 考えを広くしたかったから。足元ばかりを見ていても、自分中心の考え方になってしまう。


 大きく包み込むような空を見上げて、世界のことを考えた。

 この世界は広い。

 とても閉鎖的で、半径50メートルが私たちの世界の全て。

 手の届くキョリ。

 とくに、私なんかはまだ高校生という若さなれば大人から見れば子供。宇宙が始まってからの歴史で考えれば、赤子どころか星の瞬きの一瞬。

 こんなにもちっぽけな存在が沢山の事を考えてたってそれは塵におなじ。

 こんな場所で世界を悲観してみても、きっと子供が何言ってんだって言われる。

 言葉は通じるはずなのに、誰にも届かない。

 言葉は何かを伝えるために生まれたものだと私は信じている。

 嬉しいこと、

 楽しいこと、

 喜ばせること、

 褒めること、

 好きなこと、

 愛してること。

 こんなふうに素敵なものをかきあつめて相手に浴びせるために本当はあるんだと私は思っている。


 …なのに。

 どうしてなんだろうなぁ。

 半径50メートル。そんな小さな世界にはそれだけじゃないことが沢山ある。

 悲しい言葉も闊歩している。

 もちろん私が言われたわけじゃない。

 でも、なんだか耳を塞ぎたくなるのはなんでなんだろう。

 背を丸めて、お腹を抱えて、叫びたくなるのはどうしてなんだろう。

 苦しい、苦しい苦しい。

 肺に入ってくる空気は初夏の湿気と夜でも冷えない暑さだった。

 あぁ、地球温暖化のせいで暑さが狂ってる。

 これだって環境を顧みない人間のせいだ。


 息が吸えない。

 どうしてだろう。罪悪感とお腹の中で煮えくり返った気持ちで、自分がどうにかなりそうだった。

 息が吸えないのに吐き出すことも出来なくて、


 衝動のままに、鉄柵を握りしめて体を乗り出した。

 力いっぱいに口を開けて、息を吐き出すように。

 声にならない気持ちを吐き出そうとした。

 体を絞り切るようにして体がねじれていく感覚がある。

 なのに、口からは何も出てこない。

 出てくるのは、「あっ……っっ」という声にならない叫びだった。

 首を伝う汗はするっと服の中に入っていき、着ていた服は風になびいて。

 髪の毛もなびいて。

 まるで、体に付いていた重さが全て吹っ飛んで行くようだった。

 自分が存在している罪悪感と物々しさと地に足が着いていることの。


 私にだって、なんでこんなものを背負ってしまったのかはよく分からない。

 ただ生きているだけで身についてしまった重荷。

 きっとみんなが持っている重荷。

 生きているとみんなが背負ってしまう。

 それぞれの悩み。

 それを私は今、この一瞬手放している。

 重荷をとっぱらって叫び出した。


 きっと重荷がない体は軽すぎたのね。

 そのとき、突風が吹いた。

 鉄柵から乗り出していた私の体は、思いっきりそこから放り出されてしまった。

「あっ…」

 やばい、死ぬかも。

 恐怖を包み込んで離さないかのように私の体は身を縮めてその時を待った。

 よく走馬灯なんかが見えるなんて言うけれど、私は見えないかな。

 なんにせ、地面にたたきつけられた時の感触のことばかりを考えていたから。

 そのとき、体にどすんっという衝撃が走った。

 これが地面に落ちた時の衝撃?

 言うほど痛くない。

 ぎゅっと瞑っていた目を薄く開くと、眼前には人の足が見えた。

 えっ、まさか人の上に落ちた?

 サーっと血の気が引いて体が一瞬で冷えた。

「だ、大丈夫ですか!」

 落ちた人の頭の方を見れば、その人は「いててっ…」と言って倒れていた上半身を起こした。

「うん、ありがとう。君こそ大丈夫?」

「はいっ、大丈夫です。すみませんっ。体の方は大丈夫ですかっ」

 相手の身体を上から下まで舐めるように見る。血が出てる感じはしないな。服が砂にまみれたくらいか。あ、でも服の中で皮膚が擦れてるかも。

「うん、それはいいんだけど。まずは僕から降りて欲しいかな?」

「えっ」

 今の自分がいる場所を見ると思いっきりこの人の体の上にのしかかってた。

「す、すみませんっ」

 すぐさま上から退いてもう一度謝った。

「いいよ、いいよ」

 そう言いながら立ち上がって服のホコリを払った人は、私の頭2つ分くらいには身長があった。でかいな。白いTシャツを着ていて、下にはベージュのズボンを履いていて、いかにも夏らしい服装。歳は、20代前半くらいなのかな。


「で、」

「はい?」

「君はこんな所で何してたの?」

 横にある滑り台を指さして言った。

 あー、もしかして見られてた?

 手が冷たくなって、変わりにだんだんと顔が熱くなっていった。

 やばい。頭から湯気が出てるかも。

 恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。手で顔をおおってしまいたかったけれど、これ以上この人に恥ずかしいと思っている気持ちを知られたくなかった。

 だから、務めて冷静に平静を装って、答えた。

「星を見ていました」

「星?」

「はい」

 首をこてんと傾げて不思議そうに言った。

「こんな学校の校庭で?」

「はい」

 そう、ここは私の出身小学校。そこの一角の滑り台の頂上で私は星を眺めていた。

「こんな夜に?」

「はい」

「どうして?」

「どうしてって言われても星を見たかったからと言うしか…」

 質問ばっかしてくるな。そんなに知りたいもんか?

 子供みたいに、僕何も知らないから色んなことが知りたいんです。みたいな顔して。

「ここ以外でも星なんてどこでも見られるよ?」

「確かにそうですけど…」

 もうきりないな。どんだけ知りたいの。

 半分めんどくさくなって投げるように言った。

「登ってみます?」

 滑り台の頂上を指さして言った。

「え?」

「登ったら、わかるから」

「そうなの?」

「そうなの」

 もうなんか子供と接しているみたいに思って一瞬敬語をやめて見たけど、気にしてないみたい。むしろ、そんなことよりももう、滑り台の階段を登ることに集中していた。

 大人の体に合わない階段は登りにくそうで、なんだか変にちぐはぐな光景が生まれている。

「僕、滑り台なんて久しぶりだよ」

「そうですか」

 嬉嬉として階段を登っているこの人はもう完全に子供だ。

 そして、頂上に着いた人は空を見上げて「うわぁっ」という声を漏らした。

 感嘆と言った感じかな。

「すごいね、めいっぱい空に包まれてるみたいだよ」

「でしょう?」

「うん、とっても綺麗」

 必死に体を伸ばして空に近づこうとするこの人の瞳は初めてオモチャを貰った子供みたいに好奇心が疼いているように見える。

 なんだか私は気分が良くなって、もうひとつ教えてあげた。

「でも、私はこれと同じくらい好きなものがあるんです」

「へぇ、なに?」

「あれです。プールの向こうに見える赤く点滅している大きな建物」

 そうして指さしたのは、エレベーターの会社。何も建っていないこの場所では、それは一等目立っていた。

 なんだか寂しく1人、夜の暗闇を赤く照らしていて。


 私は、工場地帯の光が好きだ。

 夜の暗さを黄色や赤や、緑色が照らしていて、吐き出される煙がその色に染って。

 上手く言えないんだけれど、その光に近づきたいとは思えなくて。でも、外からじっと眺めて見ていたくなる。いうなれば。あまり言いたくないけど、私はきっと蛾みたいなものなのかもしれない。光を探してさまよって、街頭に当たれば感電して死んでしまう。

 あれ、感電して死んでたんだっけ?

 そういえば、あれってどうして死んじゃうんだっけ?

「へぇ…。なんか、いいね」

「はい」

「うん、良い」

 夜は光のありがたみがわかる。昼間は当たり前にある光だけど、夜になればその灯りがとても大切なものだってわかる。

 暗闇だからこそ、灯りは目立つ。その灯りに導かれて一心にそこに向かって走っていける。


「君もおいでよ。すごく綺麗だよ」

「私はいいですよ、ずっと見てたから」

「おいでよー」

 笑顔で手招きをして私を呼んでいる。けど、今日あったばかりの人の近くに寄るなんて危ないでしょ。

 人のいい顔してる人ほどじつは悪い人だったなんてことは漫画や小説ではよくあるし。

「じゃあ、僕が降りるよ」

「え?」

「はいどうぞ」

 しゅーーーー。と声に出しながら螺旋状になっている滑り台を滑ってきた人は「はい」って言って階段を登るように促した。

「いや、いいですよ。私はもう」

 充分見たし。

「そう?絵になってたのに」

「は?」

「叫んでたのすごい絵になってたよ」

 なんか未成年の主張みたいで。おとぼけ顔で言ってきた。そしたらまた顔に熱が集まってきて、今度こそ目だけでも見られないように片手で顔の上半分を隠した。

 なんなのこの人。デリカシーがないにも程がある。絶対空気読めない人だ。

「……………どうも」

 何とかその一言は絞り出した。

 もうやだ。ほんとやめて欲しい。

 もう絶対夜に学校なんか来ない。

 絶対。

 来るとしても今度は人がいるか入念に見てから学校の敷地に入ろう。


「あれ、恥ずかしかった?大丈夫大丈夫。未成年の主張かっこよかったよスタンディングオベーションだよ」

「…どうも」

 笑顔で手を叩いて言うこの人は、本当に邪気がない。

 目を見られてないのをいいことにこの人を睨んだ。

 この人嫌な人だ。

 できるならもう会いたくない。






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