時の交差点

ボーン

第1話

「時の交差点」




女①


 女は時を止める力を持っていた。その女が時を止めると、世界のすべての動きが止まり、女だけがその瞬間を眺められた。時を止めると世界から切り離されたかのような錯覚に陥り、女はその瞬間を眺めるのが好きだった。

 女が初めて能力に気づいたのは高校生の頃。

 ある日、自分以外のすべてが突然止まった。人の動き、雨、虫、車、時計の秒針。女は狼狽して、助けを求めた。友人に理解してもらおうと説明したが、証明ができず誰も納得してもらえなかった。女は諦めて心の中に閉じ込め、自分だけの秘密にした。


 時は経ち、女は大学に入学し、成人式を迎え、卒業式を終えた。就職した女をやがて孤独と不安が襲った。就職後、女は付き合っていた恋人の気持ちが自分から離れていったことに気付いた。

 あるときランチに行き、カフェに行って悩みを相談しようとしたが、思うように会話が進まず、恋人は面倒くさそうに「今日はもう帰ろう」と言った。メールのやりとりからもそれは伝わった。そっけない返信が続き、やがて恋人から会おうと連絡があった。女は悟った。次に会ったときに振られてしまう。原因は女の悲観的な思想だった。今という楽しい時が過ぎたらどうしよう。この経験は一生に一度かもしれない。時を止める力を持つことで、日頃から時間について考えてきたために未来への不安が募り、女の精神を蝕んでいったのだった。女はベッド横のカレンダーの、4月1日、恋人と最後になるかもしれないデートの日、に印をつけた。外へ出なくなった。家に閉じこもるようになった。


 悩んでいる間にも時は進み、あっと言う間に約束の日の前日になった。明日、4月1日がきたら、別れを告げられる。時間を止めようか。女は考えた。今時間を止めたら、一生進めなくなる気がした。時間が止まっている時、世界は静止し、彼女だけの世界になる。ずっとそのままでいたいと思うはずだった。ひどく悩んだ。

 女にとって時間が進んでいくのは怖かった。老化して、時間がいたずらに過ぎていくのに耐えられなかった。恋人が気持ちを切り替え、世界が変化していくのが怖かった。


 彼女は時を止めた。

 それは50年間にも及んだ。いや、実際時が止まっているわけだから、これは正確な表現ではない。女の体感時間でいうところの、50年が経った。

時間は解決してくれる、というが、止まった時間のままではいくら思考を重ねようと何も解決されなかった。

 すべてが止まった世界で女は放浪した。時の止まったすべてを見て、感じた。歩いて、ひたすら歩いて、朝日を感じて、夜景を見た。そして、50年が過ぎたその年の春、女は世界のどこか、遠い海で死んだ。

すべてが動き出した。


 女は今という時間に向き合いすぎた。



男①


 男はタイムマシンをつくった。その男は過去、未来が本当に存在するのか、自分の目で確かめたかった。何年もかけ、2019年、ついにタイムマシンは完成した。


 それは全身を包むスーツの形で、遠目で見ると黒いレインコートを着たような感じだった。全身を完全に密閉して時間指定をすれば、10年後にも、100年前にも、秒単位で望みの時間にタイムスリップできる。ルールは一つだけ。タイムスリップしたら、その時間に物理的に干渉することはできない。ただ見るだけだ。その時間に身体ごと移動するが、何にも触れず、事象を変えることはできない。


 初めてのタイムスリップ先は7年前だった。7年前、男は恋人を振った。理由は価値観が合わないと思ったから。工科大学で知り合った女性との交際はとても楽しかったが、結婚は躊躇していた。喧嘩をし、口論になり、別れを告げた。女は泣いてすがりついた。男は突き放した。別れるという判断は正しかったのか、男は考えた。


 恋人と別れたのを境に、男は自問を繰り返すようになった。何が足りない。自分の生き方は正しいのか。それから無口になり、正解は何かと追い求め、思考は未来や過去を漂った。男の唯一の趣味である絵描きをして日々を過ごした。昔の思い出を、これからの未来図を描いた。そして思考に耽った。想像ではない、過去や未来を見たい。

 やがて研究をはじめ、数年後、男は本当にタイムマシンをつくってしまった。そして、ずっと考えてきたあの日の選択を、実際にタイムスリップすることで見返した。あの時の恋人は男の欠点を愛し、どんなときも夢を応援した。この町の誰よりも美人だった。思い返せば返すだけ、過去は美化された。一緒に過ごした思い出はいっそう輝いて見えた。

 あれから恋人はできていない。男は完璧主義だったのだ。完璧を求めすぎた。だが、当の本人はそれには気付けなかった。それからは絵を描くことをばったりとやめ、タイムスリップに夢中になった。


 そして時は今、現在、2020年。

 男は時の旅を続けていた。


 その時間に干渉せずに、まるで自分だけがその世界から切り離されたかのような神の目線で物事を眺めるのは好都合だった。自分を客観視できる。過去に行っては自身の人生の分岐点を見つめ、ひどく悩んだ。未来に行っては将来の自分を見て頭を抱えた。結果、彼は人生の大半を過去や未来を見つめることに費やした。


 男は現在から姿を消し、長い間をタイムスリップ先で過ごした。過去へ行っても、未来へ行っても、現在は変わらない。それはわかっていても、男は現在から目を背けて旅を続けた。過去の母校、未来の子供、過去のオリンピック、未来の本屋、過去の戦争、未来のデモ。やがて、干渉することはできなくても、男がタイムスリップすればするほど、少しずつ現在が変化していくことに気づいた。未来を見て、過去を見るほど、現在はわずかに変わっていき、合わせて未来も変化していった。気づいたときには未来の子供が消え、未来の結婚が消え、未来の恋人が消えた。


 男は今という時間から目をそらしすぎた。



 男は6年前の過去のある日、隣町で孤独な女を見つけた。黒髪、ショートで、頬のホクロが印象的な女だった。彼女は一人、公園のベンチに座ってうつろな目をしていた。直感的に危険だと判断した男は、女を助けたいと思った。彼女は精神を病んでいる、助けなければ、と。しかしその時間に干渉できない男は、彼女に話しかけることも触れることもできない。もどかしく思い、近くで見守ることにした。


 女は陸橋に向かい、手すりから身を乗り出した。下には交通量の多い国道だ。しかし思いとどまり、身投げすることはなかった。男は胸を撫で下ろした。女は次の日も同じように一人で公園へ向かい、陸橋から下を眺めた。男は不安になり、女を見守るために次の日にタイムスリップした。女は何事もなく、家へ帰った。それから毎日のように女は同じことを繰り返した。男も次の日、次の日と毎日のようにタイムスリップしに来て、女の無事を確認した。


 現在から離れて遠くを眺めていた、砂漠のように乾いた心にその女は沁みた。男にとって、過去に生きる女は鮮やかに見えたのだろう。また、自分と似たものを感じたのかもしれない。会って直接話してみたい、そう思った男は現在の隣町に繰り出し、女を探した。しかし、見つからなかった。それもそのはず、6年後の現在の公園に女がいるとは考えにくかった。そもそも、いくら隣町に住んでいたとはいえ、6年後に同じ場所に住んでいるかなどわからず、女を探し出すことなど至難の技なのである。

 誰もがそう思うだろう。でも男は違った。現実逃避、よく言えば現在逃避をしていた男の錆びきったエンジンがかかった。ただ過去や未来を観察するだけの日々から脱却し、女を探すという目標が男を突き動かした。

 

 諦めきれない男はまず、最初の作戦を立てた。女の似顔絵を描いて、現在どこにいるか聞いて回るというものだ。幸い、彼の唯一の趣味であり、特技は絵。過去へ行って女を観察し、現在に戻って似顔絵を描く。そうすれば、時間はかかっても見つけ出せるだろうというものだった。


 この作戦の途中経過を語りたいところだが、結末を先に言う。うまく行かなかった。似顔絵が下手なことはないはずなのだが、知っている人はいなかった。悔しい気持ちを残しながらも、この作戦は諦めることにした。


 続いて男は、第二の作戦を立てた。女を見つけた地点から現在に至るまでの6年間、女のあとを追い続けるというものである。でもこの作戦を大真面目に行うと、6年×365日の2190日もの日数分、女の行動を監視し続けなければならない。

 当然そんなことはできないわけで、男は一週間おきに女の所在を確認していき、見失ったところでその数日前を遡って探すという方法をとった。もちろんこれも骨の折れる作業ではある。しかし男は早速この作戦を実行した。


 これも読者の方には悪いが経過を省いて結論を申し上げると、男の祈るような気持ちが伝わったのか、始めてすぐに女が消息を経った日付がわかった。2016年の4月1日だった。女は現在の4年前に姿を消したのだった。


 しかし、わかったのは女が消えた日付だけだった。恐ろしいことに、前日の夜に家に帰るのを目撃したのを最後、次の日には女は完全に消失したのだった。その日の数日後に確認してみると、警察が女の家を捜査していた。友人が連絡が取れないからと通報したらしく、警察が行方不明事件として取り上げたはいいものの、手がかりも何もないというのだった。


 タイムスリップ先では物理的に干渉できないことを利用して、男は警察署まで行って情報をかき集めた。もちろん直接書類に触れることはできないから、人が見るのを盗み見したり、盗み聞きしたりした。しかし、女の痕跡は帰宅したところまでで、外出したとは考えられないという。男も家の周りを見張っていたわけだからわかるのだが、事実なのである。


 どうして消えてしまったのか。女の消えた数週間後、数ヶ月後、数年後にタイムスリップしてみても、手がかりは愚か遺体すらも見つからず、次第に事件は風化していった。男はやるせない気持ちになった。あれだけ見守っていたつもりだったのにと自分を責めた。ついに、男は超えてはいけない一線を超えるような気がして避けてきた、女の家の中を覗くことしか真相を探る方法はないと思った。


 そこで男は、事件の真相、衝撃の真実を目撃してしまうこととなった。深夜2時、女はベッドに座り、寝ずに起きていた。そこへ男は、透明人間になったストーカーのようにやってきた。何が起きるのか、見逃すまいと女の正面に立ったのである。さて、どんな展開が待っていたか。

 事件は男の目の前で突然起きた。女が、消えたのだ。文字通りの消失である。その空間からパッと姿を消したのだ。男は恐怖した。タイムマシンを開発した男でも、これは現実かと疑った。幽霊の類か、神隠しか、と。しかし、部屋は微塵も変化せず、男がそこにただ一人残されるだけであった。女が消えた。

 無念、男は呟いた。



女②


 明日が来たら世界が終わってしまう。

女はそう思って時を止めた。が、直後、ふと女の部屋のベッドの前の空間に現れた黒い影に悲鳴を上げた。

 時間を止めた瞬間にそれは現れた。女はそれから体を離したが、動きがないのを確信してゆっくりと近づいた。時間は止めたはずである。すべては静止するはずだ。

それは頭から足先までを、黒くて見たこともないレインコートで包んだ人だった。全身は水をはじくような素材の布で覆われ、完全に密閉されているために中身は見えない。顔はフードを被っているような形で、透明な部分から顔がのぞいていた。

見たこともない男性だった。


 時間をとめている間、女は自由に動くことができるが、静止した人やモノは動かさないようにしている。正確に言うと通常通り動かせるのだが、動かすと、時間が進んだ直後に誰かに見られてしまい、傍から見ると突然瞬間移動したように映るため、大変な騒ぎになってしまうから動かさないようにしているのだ。それは一度、女が学生の頃に時間を止めて大きな問題になってしまったことがあるからだ。魔が差して、時間を止めて食堂のパンを盗んでしまったのだが、複数の生徒からパンが突然消えたのを目撃され、職員室が霊の噂で持ちきりになり、ついには祈祷師を呼んでお祓いしてもらうほどの大事件になってしまったのだ。事件以降、大騒ぎにはしたくないことから人やモノは動かさないルールを決めているのだ。


 話は戻って、女の部屋である。突然、まさに幽霊の如く現れた男に対し、女はルールを破った。触ってみたのである。普通に布を触るような感じで。だが、何も起こらなかった。触れたということは幽霊ではない、と断言できるわけではないが、女はそう確信した。続いて、フードを外してみようとしたが、それが上手くいかない。なんと、首についた電子錠のようなもので完全に閉じられていたのだ。これは何かの装置なのか。次に女は、男の手首の時計を見た。レインコートに似合わずに浮いていた。茶色い革の時計だった。そして、女は針が指すものに気づいて目を疑った。今から4年後、2020年の4月1日だった。


 

 女は男を眺めた。この人は、未来から来た人?

もし本当にそうだとしたら・・・この時間に、この場所で、女が時間を止めるのを知っていたのか。そうに違いなかった。もしタイムスリップが時間を指定して正確にできるのなら。たまたまこの瞬間にこの場所にタイムスリップしたとは考えにくい。誰だろうか、女は混乱した。そして、時間は止まっているのだからゆっくりしてもいいはずなのだが焦った。女以外に、能力のことを知っている人がいるとしたら、それは大変なことだ。未来では、女の存在が知られているのだろうか。そして女は4年後の未来を想像した。4年後はさほど遠くない。タイムマシンが量産されているとは考えにくいから・・・誰か個人がつくったもの? 誰だろう。映画や小説ではタイムスリップときたら運命の恋人、だ。でも、女にどんな縁があって現れたのかは謎だ。女は、時間を進めて話を聞くことを考えた。恐ろしいことだが、それしかないのではないか。身の危険を感じたら、また時間を止めればいい。

女は時間を進めた。


突然、男の姿がその場からパッと消えた。

同時に、隣の部屋の時計が一斉に時を刻みはじめ、その音に驚いて女は飛び上がった。


あの瞬間だけ現れた、あの男は何だったのだろう。誰かに見られている気がして落ち着かない。女は外に飛び出した。

部屋にいると、さっき突然現れた謎の男がもう一度現れそうな気がしてならなかった。未来からタイムスリップしてきたのではなかったのか。あの瞬間、時間が止まる瞬間に来たことを後悔して戻ったのか? しかし、それにしては早すぎる。瞬く間に、あの時間に現れて、あの時間に消えることなどできるはずがなかった。女はふと、あの男も自分と同じく時間を止める能力を持っているのかと思ったが、たぶん違うと思った。女が時間をとめた瞬間に現れ、同じ瞬間に消えることはないはずだ。それにもし時間を止めることができるのならば、今すぐにでも先回りして女の元にやってくるはずである。女は怖くなった。次に時間を止めた時、またあの男が現れるのではないかと思えたからだ。でも、同時に興味があった。自分と同じものを感じたからだった。



男②


 男は、女の部屋を歩いた。

 なぜ消えたのか。今まで見てきたどんな現象よりも理解ができなかった。こんなことがあるか。自分がタイムトラベラーであることを忘れるくらいである。

男は女の家を探索した。隣の小さな部屋に入ると、不思議な光景が目に入った。

時計だった。それも何十という数の。壁を埋め尽くすほどの時計。木彫りのものから金属のもの、キャラクターのデザインされたものまで種類は様々。秒針が若干ずれているために部屋は騒がしかった。でも、時間はどれも同じ時刻を指していた。謎が一つ増えた。

次いで男は、ベッド横にかけられたカレンダーを見た。明日、4月1日にぐるぐると赤いペンで印がつけられていた。またしても、新たな謎が生まれた。

時計に、明日の日付に。女は、次の日が来ることを恐れていたのだろうか。一体なぜ?

男は気づいた。これは神隠しでもなければ、心霊現象でもない。

 これは、人の意思によるものだ。

 女が自分の意思で消えたとも捉えられる。でももし、女が誰かに接触していたら・・・その時はその者の仕業である。この事件に、関係者はいないのだろうか。警察にできないことが、男にはできる。

時を遡ろう。



女③

 

 女は、外で4月1日の朝を迎えた。今日は、恋人と会おうと約束した日だった。会った場合の結末はわかっている。別れることになるだろう。今、女はそれどころではなかった。謎の男が自分の部屋に現れ、しかも未来から来た可能性があるのだ。女は、このあと恋人と会うのを躊躇った。どうせ別れるのだ、と行っても意味がないと思ったのだろう。いや、このまま気持ちが少し離れたまま、謎の男に集中して思い出さないほうがいいと思ったのかもしれない。

 女はその日、約束を放棄して家に帰った。連絡が来ていたが、無視した。


 女は、4年後からやってきた男の謎を解明したいと思った。手がかりは腕時計のみ。期限は2020年4月1日までの4年間。その日を過ぎたら、あの時計をつけているかわからないし、生きている保証もない。その日までに男の居場所を突き止め、タイムスリップの瞬間を見なければ、一生見失ってしまうだろう。探偵ならともかく、これだけで男の素性を暴くのは至難の技である。しかし、女は男を知りたかった。恋人への気持ちを紛らわせたいという気持ちもあったのだろう。


 早速、腕時計を調べた。女が見たことのないブランドのみたことのないものだった。女は、インターネットを使って画像検索を繰り返した。なかなか見つからなかった。しかし、女には時間は山ほどある。それは大きな強みだった。昼も夜も忘れて調べた。膨大な時間を費やした。

 不思議だった。女は今、一度しか見たことのない男性を追いかけている。その理由を恐らく当人はよく説明ができない。でも心のどこかでわかっているはずだ。女には、能力を理解してくれる人が必要だった。そして、今ばかりを見つめる癖を止めてくれる存在を求めていた。

 突然現れた謎の男は、女の時間を進めたのだった。


 

 2年後、2019年春、女は引っ越して新しい生活を始め、新たな仕事に就いていた。男を見つけることはできずに時間が進んでいた。あれ以来、時間を止めることはなかった。

 通勤時に電車内で女はとある広告を見つけた。

「あ!」

反射的に叫んだ。あの時計だった。

 震撼した。

 時計は、2019年春の限定モデルだった。限定100個。これだ、女は思った。道理で見つからなかったわけである。女に再び火がついた。


 女は再び謎の男を探し始めた。まずSNSで、この時計を買ったと投稿している人を探した。そして見つけては、ダイレクトメッセージを飛ばす。キーワードはこれだ。

「2016年、4月1日を知っていますか?」

無視されたり、わかっていない主旨の返事があったら違う。結果、投稿していたのは10人ほどで、全員キーワードに反応を示さなかった。だが、これだけで女は終わらなかった。焦らない。時間はまだまだある。あと一年間? いや、この女にはもっと、無限と言ってもいいほどの時間があるのだ。しかし女は時計のヒントを得たことで理解していた。ときに、時間をやり過ごすことも重要だということ。そう、時間は解決してくれる。


 それから時は経ち、夏が過ぎ、秋が来て、冬が来て、春が来た。女は諦めてはいなかったものの、調べ続けるうちに体力を消耗していた。時間が過ぎるのは長くて、あっと言う間だった。

 そんなある日、女は仕事終わりに美容院に行った。伸びて長くなってきていた髪を切りに行ったのだった。その後町を歩いていると、女は近所の小さな喫茶店に女性の絵が飾ってあるのを見つけた。髪は短く、黒髪で、ホクロが特徴的な女性。女は自分の似顔絵だとすぐに気づいた。店に入ると、店員は言った。

「あなたを探す男性がいたわよ」

女の疲れが吹き飛んだ。どういうお方でしたか、と女が聞くと、その店員は痩せた中年男性と答えた。数か月前に女の似顔絵を持って聞いて回っていたという。女は似顔絵に心当たりはなかったが、探していたのは謎の男かもしれない。男に近づけるヒントである可能性が少しでもあるならば、触れておきたかった。男の名前や連絡先を聞いたが、店員は知らないという。女はその似顔絵をもらうと、自分を探していた男性を探し出すと決めた。女は最後に店員に質問した。

「その男性は茶色の革の腕時計をしていましたよね?」



男③


 男は、その前日にタイムスリップした。女はひどく泣いていた。前に女が消える日付を知るために、この時間には来たことがあった。でも、この時は深く理由を突き止めなかった。今回は張り付くように、女を目を離さずに監視し続けた。消失に関係のありそうなものを見つけられたらいい。一つ気になることがあった。その日女はほとんど家から出ず、沈んだ顔をしており、スマホをひたすら見つめていた。男は何をしているのか確認するために画面を覗いた。この世界に、いやこの時間帯に物理的干渉がないためにできることである。画面には一人の青年と女のツーショットが映っていた。女は、この青年に気持ちがあるようだと見えた。その青年のものと思えるSNSアカウントを眺めてはツーショットを見て悲しむのを交互に行っていた。失恋だろうか。ツーショット写真が数えきれないほどあることから、男は交際中のカップルに何かおきたと考えた。別れた直後なのか、別れた直前か。


 続いてその前日にタイムスリップした。さっき見てきた明日の女とさほど様子は変わらなかった。暗い表情で顔を覆ったまま一日が過ぎた。今日も女はずっと家にこもった。夜になって、女と恋人のメールを監視していると動きがあった。4月1日に会おう、というメールだった。読者の方にわかりやすいように言うと、これは2016年の4月1日。つまり、女が深夜2時に消える日であり、カレンダーに印がついていた日。会う約束の日に消えたことになる。もっと前に何かあるに違いない。男は、さらに遡ることにした。


 男はその前日に遡った。その日も同じ。どれほど辛い思いをしているのか。物理的に干渉できないとはいえ、男はどんよりとした空気を女と共有していると感じていた。共有したいと思っていた。悩みの種類は違うかもしれないが、一人で抱える辛さは知っているからだ。  

そばにいるよ、と伝えたかった。


 さらにその前日に遡った。その日は恋仲と思しき写真の青年とデートしていた。二人でランチに出かけ、その後カフェに向かった。男は二人を追った。これから何がおきるのか、未来からの目線で言うと、何があったのかを探った。二人の間にはどこか温度差があった。


女はこの先が不安だからこの先も一緒に今のままでいたいと言った。

青年はそればかり言っていると返した。

女はまだ話していない秘密があるといった。

青年はそれはなんだと聞いた。

女は「時間をとめることができる」と言った。

青年はうんざりした顔で、今日はもう帰ろうと言った。

女は泣いた。

青年は重いと言い放った。

男は耳を疑った。

女は恋人にしがみついた。

青年はいつものが始まったとばかりに慣れた動きで振りほどいた。

男は遡った。

女は「時間をとめることができる」と言った。

青年はうんざりした顔で、もういい帰ろうと言った。

女は泣いた。

青年は重いと言い放った。


 男はついに消失の謎を解いた。女の力を知った。と、同時に焦った。

時間を止めることができる。それは、時間を遡ることができる男と似ているようで違った。あの瞬間を境に女を見かけなくなったのは、おそらくその時間に時間を止めたからだ。詳しいことはわからない。しかし、いくら探しても、現在に戻っても女を見つけ出せないのは、時間を止めて何かをしているからに違いなかった。どういったメカニズムで起きているかを男は知りえない。でも、女以外のすべての時間が止まるとしたら、女以外のすべての動きが止まっているということ。すなわち、その間に女がどんなことをしても誰にも知られないということになる。男は考えた。もし、今こうして考えているこの瞬間、女が時間を何秒間も、何分間も、いや何時間止めたとしても、女がまた同じ場所に戻ってきて時間を進めれば、男は気付けない。こんなに試行錯誤しても女を助けることができないものか。もし、男に時間を止める力があるとしたら、女は救えたのか?時間を遡るだけでは、何もできないのか。そこで、ふとあるアイデアが男の頭に浮かんだ。もし、女が時間を止めるその瞬間、時間が止まる時点にタイムスリップしたらどうなるのか。やってみる価値はある。男はタイムスリップを繰り返し、女が消える正確な時刻を調べた。何度も何度もタイムスリップし、秒単位で正確な時刻を確認した。そして、その瞬間にタイムスリップした。

一瞬、スーツが変な音を立てた。挑戦は成功したかに見えた。

しかし、通常通りタイムスリップが完了した。

 指定時間に到着直後、女が消えるのが見えた。何も起きなかった。

 男は崩れ落ちた。

 すべてを諦めて、現在、2020年へと戻ることにした。



女④


 店員は怪訝な顔をした。それから、あの男を知っているの? 連絡取れなくなっちゃったわけ? と立て続けに女に質問を浴びせた。

「いや、何でもないです」

女は面倒を感じて店を出た。そして、小さくガッツポーズをつくった。女を探している男性はやはり、女が探していた男だったのだ。事態がやっと進展した瞬間だった。しかし、実を言うとこれから男を見つけ出すまで、また少し時間を要することになる。

 既に、三月の下旬になっていた。男は町中を探していたという情報から、女は仕事を休んで町中を探し回った。しかし、男が女を探していたという情報は手に入るものの、肝心の男に関する情報が驚くほど少ないのだ。女はスーパーに行き、銭湯に行き、駅に足を運んだ。それは数日間に及んだ。難しかったのは、男の情報をもっていそうな可能性を見つけても、簡単に教えてもらえないことだった。例えば駅で、監視カメラをチェックすれば、男を見つけられて何かしらの情報を手に入れることはできるだろうが、警察でもなければ見せてもらうことはできない。これは能力ではどうにもできなかった。

 そうして探しているうちに、日付は4月1日。未来の日。時間がない! 女は新たに大きなヒントを得た。床屋だった。男の行きつけの店だという。店員は男との会話を通じて、男の勤め先を知っていたのだ。某大企業の研究所だった。大きな進展だった。床屋の店員は女の話を親身になって聞いてくれ、男の電話番号を教えてくれた。女はすぐにその場で電話をかけた。しかし、残念なことに応答はなかった。店員は、最近姿を見ないと言った。残り時間はもうわずか。ならば住所をと店員に尋ねたが、さすがに男の住所までは知らなかった。女はすぐに勤め先の研究所について調べた。単純に電話で訊いても、個人情報をそう簡単に答えてはくれないだろうと思った女は、研究所に向かった。時間がない。間に合ってくれ、そう願いを込めて、女は時間を止めた。


 女は久しぶりに能力を使った。それはすべてを止め、世界は女のターンになった。女は悠々と施設内に足を踏み入れ、男の居場所を探した。中は広かった。男性はたくさんいた。でも探している男はいなかった。

 部屋を一つずつ回っていくと、そう時間をかけずに男のデスクに辿り着いた。わずかに覚えている顔と、床屋で聞いた苗字が部屋の座席表に載っていた。でも、男の姿はなかった。もちろん、この瞬間、トイレに席を立っている可能性も、私用で外出している可能性もあった。が、デスクの上に膨大な書類が山積みになっていることから、その可能性は低いと判断できた。また、部屋内のホワイトボードの出席表に、男の名前と×が続いていた。床屋では店員に近頃姿を見かけていないと聞いたが、勤め先にも来ていないことには何か、大きな理由がありそうだった。

女はそこで、男の個人情報が載った資料を探した。デスクの中にあった。男の住所がはっきりと記されていた。女はそれを手に入れると、部屋を飛び出した。大急ぎで研究所を出る。一目散に電車に飛び乗る。急ぐことはないはずだった。時間は止まったままだ。すべては女の思い通り。時は止まっているが、女はこれから時を進めるのが楽しみだった。不安と期待が入り混じる。男は何者なのか、たとえどんなに危険な人物でも、一度会ってみたい。

 女はあっという間に、というよりも客観的に言えば一瞬で、男の家に辿り着いた。小さなアパートだった。鍵はしまっていた。女はドアを破壊して中へ飛び込んだ。時間をいくらでもかけられる女には容易なことだった。たくさんのごみが散乱していた。女の似顔絵が何枚も散らばっていた。奥の部屋に入ると、大量の機械や配線で足の踏み場がなかった。

 隣には居間があった。キッチンがあって、冷蔵庫があった。そこに、カレンダーが飾ってあり、今日、4月1日に赤く印がつけられていた。

遅かったか?

 女は、時間を進めた。



男④


 男は現在に戻ってきた。

 ガタッという音が聞こえ、恐る恐る部屋の隅を見ると、女が座っていた。黒くて短い髪、頬のホクロに見覚えのある女だった。互いの表情が、ほとんど同時にふっと緩んだ。

                                      (完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

時の交差点 ボーン @tyler019

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ