Part.03
バスを降りたマキナは、駅から天満宮に続くイチョウ並木をひた走る。手を繋いで歩くカップル、プラモデルの箱を抱えた男の子、「クリスマス反対」のプラカードを掲げた男性……道行く人々の間をぬって、マキナはサラの元へ急ぐ。
弾む視界の隅に、ひらひらと落ちていく何かが映り込んだ。マキナは無意識にそれを眼で追う。灰のような物体は地面に落ち、黒いシミになって消えた。
その後も同じような物体が次々と暗い空から降ってくる。その一つがマキナの頬に落ち、冷たい液体に変わった。手の甲で液体を拭い、マキナは雪が降り始めたことを悟った。
「ッ……!」
百メートルほど先に、ベージュのダッフルコートを着た人影を見つける。長い黒髪に隠れて顔は解らないが、マキナは直観的にそれがサラであると思った。彼女はしゃがみこんで震えているようだ。
マキナはスピードを上げる。サラは凍えているのだろう。早く行って、彼女を温めてあげたい。ただ友だちのはずなのに、どうしてそんなことを思うのか……その疑問に答えるよりも、マキナは堅い地面を蹴り続けた。
「サラッ!」
マキナは叫ぶ。その声が届いたのか、サラは顔を上げる。しばし辺りを見まわし、マキナの姿を認めたようだ。彼女の顔は驚きと感激の色に変わった。
マキナはサラの前で立ち止まり、肩で息をする。
「マキナ……どうして……」
「待たせて……ゴメンッ!」
マキナはまだ呼吸が整わないうちに謝る。一方のサラは困惑しているようだった。
「あ、謝らなくていいよ……でも、覚えててくれたんだね……」
マキナはコクリと大きく頷く。
「もちろん……友だちでしょ?」
そう口を動かすと、顎が熱い毛糸の塊に触れた。マフラーを巻いていたことを思い出したマキナは、それを外して首を冷たい空気にさらす。ほっと息をつき、マキナは外したマフラーを乱雑にサラの首に巻いてやった。
「え……?」
目をぱちくりさせているサラに、マキナはゆっくりと語りかける。
「寒かったんでしょ? 私、走ってきて暑いんだ。だから、しばらく貸したげるよ……」
サラはマキナが貸したマフラーを握りしめ、その匂いを嗅ぐ。汗を吸ったマフラーを嗅がれるのは少し恥ずかしかったが、マキナは何も言わないことにした。
「マキナ……ありがとう……」
マキナは「どういたしまして」と返し、手を差し出す。
「さ、行こう」
サラはコクリと頷き、マキナの手を取った。
*
マキナとサラは鳥居をくぐり、天満宮に続く庭園を歩く。あいにくマキナが傘を忘れてしまったので、サラの折り畳み傘に二人で入る。肩が触れ合って少し歩きにくいが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「……来ないかと思った……」
クジャクの檻の前を通りかかった時、サラが小さな声で漏らす。
「不安になると、『もう一人の自分』が話しかけてくるの。私の思ってることを全部否定して、ネガティブな方向に考えを持っていこうとする。あの子がいるせいで、私はいつも一歩が踏み出せない……」
話を聴きながら、マキナはサラの肩に雪が積もっているのを見つける。もう少し身体を寄せて、彼女の肩が傘からはみ出さないようにしてやる。すると今度はマキナの肩がはみ出てしまった。サラが寒くないならそれで良いと思い、肩に雪を積もらせながら続きに耳を傾ける。
「あの子は私とマキナが友だちじゃないって言ってた。そうだよね、今まで一緒に帰ったことも、進路の話をしたことも無かったから……でも、何かが私の喉の奥に引っかかっていて、すごく苦しいの……」
マキナの手に加わる圧力が強くなる。サラの細い指が手に食い込み、少し痛い。マキナは何も言わず、同じくらいの力で握り返す。
「だから、今日は一歩踏み出してみた。私の喉に引っかかったものが何なのかを確かめるために……」
やがて二人の前には、ライトに照らされて白く光る建物が現れた。建物の造りや装飾は西洋風だが、瓦は和風というなんとも奇妙な建物だ。
「この建物はね、旧市庁舎として使われていたんだよ。その前は幕末に建てられた教会で、二百年以上の歴史がるの。元々は別の場所にあったんだけど、建物を保存するためにここに移築されてきたんだって」
「ほえー……」
サラの説明を聴きながら、マキナは旧市庁舎の入り口を覗いてみる。さすがにこんな時間に入れるはずはないが、ライトアップされた姿は幻想的かつ厳かな雰囲気を醸している。教会だったということもあり、クリスマスイブにはピッタリだと思った。駅前のイルミネーションに注目が集まっているが、こんな穴場もあったのだ。
「ねぇ、マキナ……」
「ん?」
マキナはサラの顔をみる。サラは不安そうな顔を向けてきた。
「私たち、友だちだよね……?」
そう尋ねるサラの声は、風の音にかき消されてしまいそうなほど細かった。それでも、マキナの耳はそれを聴き逃さなかった。
マキナは微笑み、はっきりと聞こえる声で答える。
「当たり前じゃん……それとも、赤の他人って言うわけ?」
サラはふるふると首を横に振る。そんな彼女に、マキナは今まで感じていたことを話す。
「私ね、サラが天満宮に行く話をしてくれた時、嬉しかったんだ。友だちじゃなかったら、こんなに嬉しくは思わない……きっと、私はサラに対して、特別な感情を抱いているんだと思う」
「特別な感情?」
マキナは頷く。
「私が言葉を知らないだけかもしれないけど、日本語でそれをどう表現するのか解らない。友情に似ているようで、少し違う。もっと近くて強い感情が、私の中にはあるんだ……」
思い切って頭をサラの肩に乗せてみる。サラは驚かない。それどころか、彼女の方も頭を傾け、マキナの頭にこつんと突き合わせてきた。その衝撃が伝わった瞬間、マキナの心臓がキュンと締め付けられる。
「ゴメンね、疑ったりして……マキナは私のことをこんなにも想ってくれていたのに、私はそれを信じられなかった……」
「良いんだよ……私だって、電車が止まったこと連絡しなかったし。不安にさせてゴメン……」
マキナは上を見上げる。雪はまだ止む気配がない。このまま降り続ければ、明日は電車もバスも動かないかもしれないな……
マキナがそんな心配をしていると、サラが再び口を開いた。
「少しだけ、進路の話をしても良い?」
「いいよ」
マキナは「だって友だちだからね」と言外に付け足す。
「私ね、明日オーディションを受けるの……」
「ほげっ⁉」
唐突に話を切り出され、マキナは頭が真っ白になる。オーディションという言葉の意味を理解し、二波目の衝撃が脳を揺する。思わずサラの顔を見るが、彼女の表情は変わらない。
「えッ、えええええ⁉ お、オーディション⁉」
取り乱すマキナに対し、サラは真顔で頷く。
「アイドル事務所のオーディションに応募したの……一歩踏み出してみたんだ」
「そ、それは……」
マキナは一瞬、ステージ上で歌うサラの姿を想像する。かわいい衣装を着て、全身を使って踊る……いつの日か、そんな風に彼女が輝く姿が見れるかもしれない。そう思うと、マキナは全身が熱くなるのを感じた。
「スゴイよ! サラがアイドルになるなんて!」
マキナはサラの肩をガシリと掴む。サラの方は恥ずかしそうに「まだ、なれるって決まった訳じゃないけどね」とはにかむ。
「じゃあ、今日は天神様にオーディションの合格祈願をしに来たってこと?」
「まぁ、そんなところなんだけど……何よりも、マキナには話しておきたかったの。私の夢を……」
サラが言い終わる前に、マキナは彼女の身体を抱き寄せる。その拍子にサラは傘を墜としてしまった。
「ま……マキナ⁉」
「応援する! 私、サラならできるって信じてるから!」
マキナは友だちの身体を力強く抱きしめる。本当はサラがアイドルになれるかなんて解らない。どんな審査が行われるのかも、そのために彼女がどんな努力をしてきたのかも知らない。今の言葉は、サラがアイドルとしてステージに立つ姿を見たいという、マキナの個人的な願望に過ぎなかった。それでも、激励の意味も込めて繰り返す。
「大丈夫! きっとできるよ! 今日だって、サラは一歩踏み出したんだから!」
「マキナ……」
サラがマキナの身体に腕を回す。彼女の温もりを感じながら、マキナは尋ねた。
「サラ……私も進路の話をしても良い?」
マキナの腕の中でサラは頷く。
「仙台オリンピックのこと、覚えてる?」
「覚えてるよ。アイドルの川森チヒロさんと、自衛隊の飛行機が共演してたよね?」
「私はあそこに行く」
「どういうこと?」
大きく息を吸い、打ち明ける。
「スカイホエールズに入るんだ。そのために、私はブチコウを受ける。自衛隊のパイロットになるための高校に行く!」
サラは身体を離し、丸くなった目を向けてくる。
「自衛隊に入るってこと⁉」
「そう! そんでもって、スカイホエールズに入隊する。そしたら、いつか二人で共演するかもしれないね?」
サラの表情は凍り付いていた。しかし、ゆっくりと溶けていき、赤みが戻る。
「私がアイドルで、マキナがパイロット……そんな未来が、来ると良いな……」
「来るんじゃない、掴むんだよ! 私たちのこの手で!」
マキナはサラの手を握り、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめる。
「約束だよ……絶対に夢を叶えるって!」
サラは握られた手とマキナの顔を交互に見た後、ニコリとほほ笑んだ。
「うん……絶対だよ……」
二人で指切り。手袋を外していたのに、サラの指は温かかった。
――終――
雪空に誓って…… 赤木フランカ(旧・赤木律夫) @writerakagi
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