2日目-5-

 もてぎから出た深空は降ろし通りを上っていた。通りは沈黙に包まれ、明かりは2階からしか出ていない。スーパーすらシャッターの下から薄く光を覗かせて閉まっている。

 夕食は外だと言った。しかしいつ帰るか連絡はしていない。

(宿を借りてる身だし、もう少しこまめに連絡入れた方がいいのかしら)

 特に帰る時間は重要だ。蒼夜さんもこの町の人と同じように早く寝ないとも限らない。

 思ったが早いと即座に連絡をしようとして、深空はふと考える。

 このまま帰っていいのだろうか。

 何かをすることもない。うろつくだけしかやることはない。しかし、宿に戻っても同じこと。冷房と明かりと落ち着いた部屋。外は風と熱と潮の匂い。違うのはそれだけだ。

「あ、蒼夜さん。今日は遅くまで外にいるので、帰るのは明日になるかと……はい」

 あっさりと、というより深空の身を案じる様子もなく、蒼夜は彼女の言葉に首肯した。『分かりました。鍵はかけていません』。その二言だけで終わりである。

 妙に納得できないものを感じつつ深空はその場で反転した。どこに行こう、時間を潰せる場所。時間を潰す? そうだ、昨日は話を聞いただけだ。約束……のようなものも交わした。今日も来るだろうか。あるいはもう来ているだろうか。少し心躍らせながら砂浜に向かった。

 夜の砂浜は砂の音で満ちている。さりさり、きいきいと波の流れで砂同士がこすれるのだ。車通りも減って、波打ち際に近づくにつれてよく聞こえるようになる。その音を足音で乱暴に踏み消して深空は砂浜を歩いていた。

 はたして、まだ少年は来ていなかった。昨日灯あかりと出会った場所まで行っても何もない。スキャホを通して見ても誰もいない。浅く掘った砂の上に座って、片足を曲げもう片方を海へと伸ばした。

「まだ早いのかな」

 あの少年が家を出るのは家族が眠ってからだろう。いくら漁師でも21時は寝るには早いのか。6時間眠るとして、3時に動き始めるのは少々遅い気もする。それとも人や狙う魚によって時間が変わるのだろうか。

 海に目を向けるとちらちらと動く明かりが見える。既に漁に出ている船もある、のかもしれない。彼の父親がその中にいれば、今頃出かける支度をしているかもしれない。

 海を見れば空にも目が行く。灰色の雲が流れ蓋をするように広がっていく。明日は曇りだろうか。暑くないならいいか。

 そんなことを考えてながらぼうっとしているだけでも時間は過ぎていく。海は暗く、空は灰色で、灯台が眩しい。思考を止めてじっと雲の動きを見ている。それだけで時間は過ぎて、

「暇だ」

 何もしないをできなかった深空はスキャホを操作し始めた。検索エンジンを開始して検索窓に『海来町』と打ち込む。この町について何かないか。祭やお寺、風習、鉱山、それから神社について。町の地図だけは避けながら探していく。

 歴史については簡単なものならネット事典で出てくる。鉱山があって廃止されて、

「ああ、津波被害……」

 ここ十数年の記録はそれを最後に終わっていた。特筆すべきことも無い。

「公式サイトもあるのね」

 とはいえ町役場のサイトだし町の住人向けの役所的な諸々が書かれているだけ。軽く検索しても祭の様子が出てくるくらい。

「祭マニアのページとか」

 玄空祭で検索する。今度はヒット数ががくりと減った。中には小説の文言を拾ってきているだけのページもあるが、それは飛ばしてお祭に関係ありそうなサイトを拾っていく。だが、

「無いかー」

 もっと絞り込むため今度はダブルクォーテーションで囲んで完全一致検索。すると中国語のページしかヒットしない。日本語のみに絞るとヒットしなくなってしまった。

 こうなるとどうしようもない。田舎の土着のお祭などそうそうその中から外には出て行かないものだ。情報が無いなら地元の人に訊くしかないし、それはもう済ませてしまった。

(さすがに今でも異人殺しを行っているなんてないでしょ)

 お寺の話が本当かどうか調べたかったのも、少しはある。図書館があれば史料があったかもしれないが、残念ながら無いのだ。

「あ、」

 一つ思いついたことがある。国立国会図書館のサイトを開いて検索。『海来町』『玄空祭』で検索をかける。流石にヒット。鉱山について書かれている文献がいくつか。あとは地方歴──

「これだ」

 思わず手を握ってガッツポーズ。早速ページを開いて書名をコピー。さらにウェブ検索に回す。

 さすがに中身をそのまま載せているサイトは無いが、引用や感想というものから内容は推測できる。そこから判断して……

「新しいものは、無い」

 少なくとも玄空祭に関する情報に更新は無し。異人殺し、まれびとに関する情報は皆無。そりゃ記録に残せないことだろうし。

 ただ、鉱山について気になる情報は発見した。

「道?」

 山に、村の外に出る道があったそうだ。金属を村の外に運ぶために作られたルートだろうか。確かに近場なら海を経由するよりは効率が良さそうだ。

 その道がまだ残っているのか探してみたい。というか鉱山跡を、中に入れなくていいから見てみたい。もう山や神社くらいしか見回るものがない、というのが正しいところだが。ただ、土砂崩れがあるのだとしたら、それで入山が禁止になっているのなら、無理矢理入るのも危険かもしれない。どうにかしてガイドを用意したいところだ。

 一旦スキャホをしまう。光に慣れた目が暗闇を視認できず、周囲は真っ暗くらの暗。目をつぶった方が光が見える。それでも遠くを見て、漁船の明かりと、雲の切れ間の星と、細い月と、微かな光を頼りに暗闇に目を澄ます。

 海のさざめきを耳に深空は山のことを考える。壁を越えればいいだけなら自分の身体でどうとでもなる。ただ、自分が消えたことが分かったら捜索されるだろうか。少なくともひと晩は待ってくれるだろうか。日帰りで行ける場所ならいいけど……余所者だから見逃して、ということにはならないだろうし。むしろ、余所者だから変なことが起こる前に探されるのか。

 山だけに絞った地図は無いか。閉山からまだ80年くらいだが……それだけあれば地形も植生も変わっていておかしくない。落盤、土砂崩れ、整備されていないなら昔の地図は当てにならないだろう。

 思いついて遠景から撮った山の写真を確認していく。土の色が見えている場所は無い。しかし、緑にも形ができている。植生の違いは山の形状を知る手掛かりになるだろうか。さらに3D描画アプリを展開。別々の方向から撮った写真を組み合わせて立体に起こしていく。

(ここにお寺があったよね)

 覚えている範囲で建物の場所を描き込んで立体地図を作る。

(たしか、赤く光る場所もあったっけ)

 もしかしたら神社かもしれない。目測だから正確な位置は不明だが、お寺との距離、植生、山の形から推測して目算の場所にフラグを置いておく。

 ただ、それだけやっても肝心の地表の形は分からない。せめて坑道の入り口の場所の目星くらいつけたいと思ったが無理だ。降ろし通りも途中で途切れているし、あまりあてにはならない。

 完成した立体図を四方から見回して、深空はあることに気づいた。

「ここ、ちょっと尖ってる?」

 地図の特異点。山から張り出した場所。崖ではないが、山の表面にこぶのように突き出た部分がある──ように見える。それが何なのか、実際の写真と照らし合わせて確認しようとした時、背後から迫る足音が聞こえた。

 はっとしてスキャホをカメラに切り替え夜間撮影モードにする。腰を浮かせて相手の出方を見る。

「あれ?」

 光が消えたことで視界が闇に潰される。驚いた声は高めの男性のもの。それでも多少声音を変えるだけでアルトに聞こえるだろう。

 咲良灯だ。

 深空のスキャホの中、彼は光があった場所を探して深空へと近づいてくる。深空も、光を消してしまった以上どうやって動こうか決めかねている。だが、一日中歩き回り泳いだ足が負担を訴えていた。浮かせた腰がもたないと判断し砂の上に座り直す。それからスキャホのライトを最大にして点け、手の中に持った。

「おや、少年。今日は遅いじゃないか」

 闇の中に浮かび上がった深空の姿を見て灯はほっとしたように笑みを漏らした。暗闇で見えていないかと思いきや、光の中心にいる深空にははっきりと見えてしまっている。

 それに気づいたのだろう。顔を引き締めて(といっても幼さの残る顔なので可愛らしさは変わらない)深空へと近づく。

「なんでいるんですか」

「君を待っていたのさ」

「連絡無かったですけど」

「こっちの方がロマンチックでしょ」

 心の中で冷や汗を流しながら深空は笑顔で手を振る。すっかり忘れていた。

 誤魔化すように傾けられた光で悪戯気な深空の顔も灯に視認できる。さすがにお互いの顔色までは分からなかったが、昼間だったら2人とも相手の頬が赤くなっていることに気づいただろう。勿論、自分の頬が熱いことも。

 こっちへ来いと深空は手招きをして、灯は彼女の隣に腰を下ろした。それでも少し遠いと深空は距離を詰める。近いけど動くわけにもいかず、灯は反対側に少し身体を傾ける。

 海を向いて2人並んで暗闇に目を慣らすため空を見て。波の音と砂が鳴く音だけだった砂浜に、今日は心臓の音も響いている。

 最初に静寂を破ったのは深空だった。

「神社、行けなかったよ」

「道が分からなかったですか」

「探してたけど紗鈴に見つかっちゃって。知られたらマズそうだったから誤魔化したけど、勘付かれてるかも」

「紗鈴……住職の娘ですね。確かにあのお寺は神社と関係があってもおかしくないですし、誤魔化したのはいい判断だと思います。何か隠してますから。あ、そう思うだけですよ。確証は無いので」

「確かに、蒼夜さんと言うことが違ったり、神社への道が悪いとか言ってたし。でも隠してるって」

「神社、実際は僕も行ったことないんです。でも父が、この町の住人なら知っておけって。道もその時に教えて貰って。父が子供の時は遊びに入ってたらしいですから、行けなくなったのは最近のことですよね」

「ちなみにお父さんって何歳なの」

「43です」

 若い。それでも30年以上前だろう。だったらその間に何があったのかを探るのは難しい。

「でも、神社に入れさせたくない理由って何なのかな」

「さあ……実はまだ金が採れるけど秘密にしてるとかですか」

「だったらもっと噂になってもいいと思うけど。こんな小さな町だよ。麻薬取引の方がありそうじゃない」

「わざわざ使用者のいない場所でやります? 栽培ならあるかもですけど」

「町の財政に貢献しようとか」

「お寺自体も財政難の時代ですし動機はありますね。檀家なんて今更入ってる人いませんから」

 いつの間にか脱線していた会話は終わらない潮騒にも似てとりとめなくどこまでも続いていく。でも、それを許していられるほど深空は気が長くない。

「でさ、それを確かめに行けないかな」

「いいですよ。今日はちゃんと寝てばかりだったんで、お昼まで目を覚ましていられます」

「ひょっとして楽しみにしてたんじゃないの」

「……そうですけど」

 ふい、と顔を逸らす灯。ふふん、と得意げに鼻を鳴らす深空。

「その代わり、お願いがあります」

「何? 変なことはダメだよ」

「そんなじゃない、と思いますけど。スキャナーフォン貸してくれませんか」

 やっぱりか、と深空は思った。個人が使用する携帯端末機器は個人情報が詰まった金庫に等しい。ただしスキャナーフォンは各アプリやファイル、ストレージ、その他諸々をその機能ごとに使用判別をかけることができる。少々手間になるが他人に貸せる状態にするのは可能だ。

「ちょっと待っててね。っていうか何をやりたいの」

 フォトフォルダをクローズ、というかまず全部のアプリをロックする。最初から自分専用にはなっているが、何が起きるか分からない。

「調べものです。あと、性能とか、どんな風に使うのかとか」

「調べものだったらスマホでできない?」

 新しいガジェットに触れてみたいのは分かるけど、と思いながら検索履歴を削除。インターネットなんてどんな端末でアクセスしてもそう変わらないだろう。

「僕のスマホはフィルターかかってるので……」

「なるほど」

 確かにそれはありそうなことだった。親子関係を考えれば当然、というかこの町ならスマホを持っているだけでも充分先進的なのかもしれない。

「はい。これでいいと思う」

 ディスプレイの光だけが夜にぼうっと輝いて。お互いの手元だけを照らす光を頼りにスキャホが渡される。

「へえ……こんな風になってるんだ」

 はっきりとは見えなくても触れるだけで形は分かる。全体の形、手触り、稼働部をひと通り動かして、灯はディスプレイを確認する。

「画面は小さいけど……これがパラレルディスプレイですね! 頭につけてもいいですか!?」

「いいよ。──んで、こっちをこうすれば、ほい」

「プロジェクションキーボード……ありがとうございます」

 灯は右目にディスプレイ、右手で宙のキーボードを操作する。ボードは使用者以外には見えないが、途切れなく指が動いているところを見ると探索は順調なようだ。

「ふぁ……」

 深空の口から欠伸が漏れた。一日中動き回っていたから疲れが出てきている。お腹もいっぱいだし暗いし眠気が抑えきれない。

「ふぁ……あ……」

 ザックをお腹に抱えて仰向けで倒れ込んだ。砂がぎゅっと彼女の身体を受け止め、砂の1粒1粒は硬くても全体はビーズみたいなものなので寝心地は悪くない。灯は作業に熱中していてそんな深空の様子には気がつかない。空は無明で風は温く緩やか、さしたる間もなく深空は眠りに落ちた。

 灯は一心不乱に検索をかけていた。探すものは単純。自身の母親である。

 まずは名前を入れて検索。漢字、平仮名、片仮名、ローマ字、あらゆる文字情報を基に可能性を探っていく。さらに、いつも持ち歩いている写真をスキャンして画像検索、誕生日、出身地、学校、趣味、家族構成から不満や愚痴で該当幅を狭める。

 検索エンジン以外にもSNSを経由し少しでも該当する項目があればブックマークに加える。それを繰り返すこと30分、それらしい人物は見当たらず。さすがに疲れて、しかし検索の手は止めない。

 都会。憧れの場所。いつかこの町を離れて行きたい場所。東京、新宿、秋葉原。名古屋、大阪、京都。それらに関する情報、特に風景を見る。蒼天に摩天楼は立ち並び往来は複数車線が当たり前。太い車道が集まる交差点、特にスクランブル交差点は渡る人を全て集めれば町の人々と同じ数になるんじゃないかと思うほど。

 さらに駅。1度しか見たことの無い電車は縦に横に、空に地下に伸び、複数の線路に並んでいるのは当たり前。映画で見た、爆弾を詰めた電車が怪獣にぶつかるシーンもこれなら納得できる。

 それからそれから……

 調べ出すと止まらない。情報が入ってくるたびに次の情報への分岐が浮かぶ。無限に溢れる情報を浴びて灯の頭は興奮状態でどこまでも進んでいく。複数窓をリレーション機能で繋ぎ関連した情報を自動検索、興味のあるものが表示される。それはフラクタルツリーの無限、永遠に広がっていく終わらぬエントロピーの拡散にも似て、誰の干渉も無ければ夜が明けても止まらなかっただろう。

「んんっ……」

 3時間も経って深空は目を覚ました。仮眠のつもりだったが結構寝てしまったらしい──とは気づかない。ただ、自分の顔に光が当たって、覗き込んでいる誰かの顔があると認識して、思いっきり手を前に出した。

「ぅわっ!」

 すんでのところで避けた灯は尻もちをついた。寝起きにしては勢いと腰のあるパンチでしっかりと拳が握られている。

「あれ、もういいの?」

「いや……だってもう日付変わってますし……」

「え?」

 返却されたスキャホを見ると24時を過ぎている。確かに、と思うと同時にそれだけを無防備な姿でいた自分を恥じている。

「はぁ……で、ちゃんと調べられた?」

 起きてしまった以上仕方ない、と深空は切り替える。そこまで深く眠っておらず、既に目は覚めている。

「はい、まあ、大丈夫です」

「それなら良かった。じゃ、明日──じゃなくて今日は案内してくれるよね」

「いいですよ」

 言質は取った。取り敢えず目的達成だと深空は安心して、

「そういえば、寝顔なんて見てどうしてたのさ。起こしてくれれば良かったのに」

「起こすのも悪いかと思ってですね」

「だったら光なんて当てなくてもいいじゃん」

「それは、起きてるのか確認したくて」

「ほんとうに~?」

「寝言言ってましたから」

 深空が意地悪く言うと灯は顔を逸らした。本当に分かりやすい、と深空は笑顔になる。

「ま、いいけど」

 写真くらいなら撮られても構わないし。ネットに流さなければいい、個人で使う分には(それがどんな用途でも!)問題ない。

「ところでさ、今日はどんな風に動く予定?」

 灯がゆっくりと顔を戻す。

「朝早くに動こうと思います。山の中ですし、あまり早いと暗いですけど、遅いとバレやすいかもですし。見つからない内に神社に行ってしまいましょう」

「分かった。じゃ、このまま起きてるって感じでいいのかな」

「眠くなったら寝ていいですよ」

「ふ~ん?」

 灯はまた顔を逸らす……のは我慢したようだが、目だけを海に向ける。

「いや、そうじゃなくて……。もういいです」

 からかいたくなる反応だけど、話を進めたいので深空はきちんと対応する。

「で、登って降りてくると」

「それ以上は行ってみないと分からないですから」

 確かにそうだ。だけど、他にも情報が欲しい。例えば山。深空はさっき作った立体図を見て考える。それを横から興味津々で灯が覗いている。

「壁、あるよね」

「ありますね。あそこから先は行けないです。──というか、これなんですか」

「扉とか無いの? ──お絵描きアプリの応用。写真を何十枚か組み合わせて立体に見えるようにしてるの」

「あっても分かりませんよ。誰に訊いても答えてくれないんじゃないですか? ──面白そうですね。というかこの場所……」

 それじゃ無理だ。よじ登る、という選択肢は隠して深空は訊いてみる。

「お寺は壁の上にあるよね。あそこの山の中から行けないの」

「無理じゃないんですか。父、というか地元の子供はよく遊びに入ってたみたいですけど、今はやめておけって。僕も体力には自信無いですし。だいたい人の手が入ってない自然の中なんて危ないですよ。虫もいるし動物がいてもおかしくないです」

 自分でも無理だ。特に野生動物は武装の無い人が対応できるものではない。クマは最悪、イノシシでも危険、シカやカモシカも命に関わる。野犬でも狂犬病が怖いし。

 だからといって、諦めるという選択は深空には無い。

「他に山に入る方法とか無いの? 土砂崩れや落盤も山に入らせないための嘘で、昔の跡が残っているかもしれないし」

「それは無いです。実際、数年前に山肌が崩れて茶色くなってたこともありましたよ。落盤は……ちょっと分からないですけど。でも鉱山跡だから人の手は加わってますね」

 目に見えて深空が落ち込んで。その顔を見て灯は口走っていた。

「嘘ってのは土砂崩れや落盤が無いって意味で、山に入る方法なら無いこともないですよ」

 空気が吹き飛んだ。そう思うくらいの勢いで深空が身体を動かした。腰を起点に上半身を灯へと傾けて、もう少し回避が遅かったら顔がぶつかっていたところだ。

「それ、本当」

 真面目、というよりも真剣な表情と声音で深空は迫る。

「え、ええ、本当です……」

 追い詰められる、と感じてのけぞる灯。肉食動物に襲われる本能的な恐怖に近い。

「どこ」

「えっと、その前に離れて……」

「どこなの」

 顔と顔が近づいて。闇の中で正確な距離すら分からないはずなのに、灯には深空の息がかかっている。

「いや、あの、もう少し距離を──わぎゃ」

 だが、獲物は逃がさぬと深空はさらに接近する。後ずさる余裕も筋肉の余裕もなくなった灯は背中から砂に倒れ込んだ。その上から覆いかぶさる深空は完全に喉元を食い破らんとする食肉動物のそれだった。

 見上げた灯の目が2つの光を見る。蒼い、深い、それでいて煌めく光。ふと目を上げると空にも同じ光があった。

 雲が晴れていた。天蓋はどこかへと消えて一面の星が夜に踊っている。遥かな宇宙、その中にて自身の存在を誇示するように放たれる光。視線を下げると目前に2つ同じ光がある。

「──昨日、高遠さんが行ったっていう空き地。新町の路地の先の行き止まりの。あそこに抜け道があるんですよ」

 身体の上の獣が息を殺して動きを止める。先を促されていると感じて灯は話しを続ける。

「草に隠れて壁に穴が開いていて行き来できるんです。昔使われていた道も残っているし、鉱山の跡まで続いてるんです。だから、昨日聞いた時はびっくりしました」

 無言の獣はわずかに顔を近づけた。余計なことはいい、というように。

「道は落盤とか土砂崩れとか、そういうのは無くて草が生えてるくらいです。山の真ん中、降ろし通りの真上に続いてます。そこに廃坑道があって……」

 そこで灯は言葉を途切った。早く言え。深空が肘を曲げて灯の目を覗き込む。灯はその深淵に対抗した。手で深空の肩を掴んで押し返す。膝を曲げて腰と腹に力を入れ、なんとか背中を浮き上がらせる。

「それは、秘密です」

 深空の腕が宙をまさぐるように動いて──止まった。力を抜いたように弛緩して身体が後ろに倒れ、正座の形になる。両腕で身体を持ち上げ脚を前に出して、体育座りの格好で膝に顔を埋めて横顔で灯を見た。

「秘密って何よ。気になるなあ」

 もう元の深空だった。空は再び雲が広がって、夜は闇に覆われる。

「辿り着いてからのお楽しみってことでいいですか。どこから漏れるか分からないですから。できるだけ秘密にしたいんですよ」

「それじゃ、神社のついでに行っちゃう?」

「ちょっと時間ないです。親が戻る前に帰りたいから……明日、じゃなくて明後日? ならいいですよ」

「日にちはいいとしようじゃない。今度は忘れずに連絡するからさ」

「……やっぱり忘れてたんじゃないですか」

「あー、あはは。ちょっと眠くなってきたなあ」

 再び砂浜に身体を預け灰色の空を見上げる深空。一応のためにスキャホで目覚まし時計をセットする。

「明日の日の出の……1時間前でいいかな」

 位置情報から細かな自然現象の時間に設定し、軽くのびをする。

「ね、探しものはちゃんと見つかった?」

「いえ、駄目でした」

 諦念、そこに清々しさを差し込んだ声で言いながら灯も砂浜に寝転んだ。夜風が運んできた雲は町の上に居座ることに決めたようで、晴れる気配はない。2人とも、空を見ているうちにいつの間にか眠っていた。

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海と空は迷子たち 裏瀬・赦 @selenailur

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